2020年新春企画 9巻おまけ話
注:このお話は、「魔族大公の平穏な日常09 家内安全編」で書き下ろした内容に関連したお話です。
フェオレスとアディリーゼの結婚式の翌日のこと。俺は応接室の一室で、一人の男の来城を歓迎していた。
「よく来てくれた」
「大公閣下! さっそく招喚いただき、ありがとうございま~す!」
目の前でその地味な顔の男が、あげた片手をくるくる回し下ろしつつ、頭を下げる。
そう。俺が我が大公城に呼び寄せたのは、足つぼマッサージ師のサージだったのだ。
「それでは、さっそく着替えていただいて」
「いや、今日は俺じゃなくて……」
鍵盤楽器を叩くかのような滑らかな指の動き。それから逃れるよう、思わず後退ってしまう。
「閣下、ではなく? 他の方ですか?」
その両手が下ろされてやっと、俺も肩を下ろした。
「実は今、我が城にベイルフォウスが滞在していてな。彼の疲れをぜひ、とってやってほしいと思って、君を呼んだんだ」
そうだとも! 昨日の仕打ちに対する復讐を果たさずにおけるものか。せめてあいつも俺と同じ痛みを味わうがいいのだ!!
「ああ、そうでしたか! ジャーイル閣下とベイルフォウス閣下が『親友』と呼び合う間柄でいらっしゃるのは、我々下々でも聞き及んでおります。それにしても、お身体まで労られるだなんて、本当に仲がよろしいんですね」
「ああ、うん……まぁな……」
いいや、罪悪感など感じる必要はない。そうだとも。俺と妹の鼻はまだ臭気に苦しんでいるのだ!
「途中で痛がって君を攻撃しようとするかもしれないが、それについては俺が対処する。だから思う存分、力を発揮してくれ!」
ああ、そうだとも。ベイルフォウスが魔術を使えば解除してやるし、蹴ったり殴ったりからも、身体を張ってでも守ってやろう。
「あはははは。嫌ですねぇ、ジャーイル閣下。僕はプロですよ? 加減はわかっていますとも」
なん……だと……。昨日のあれで、加減を心得ているというのか?
「でも、そうかぁ、大公閣下かあ。さすがに緊張しちゃうなあ」
おい、ちょっと待て。俺も大公閣下なのだが?
ところが、である。
「なんでいちいち男のために着替えたり靴を脱いだりしてやらなきゃいかんのだ、馬鹿馬鹿しい」
マッサージの申し出を、ベイルフォウスは一蹴したのである。
「いえ、着替えはあくまで衣服がしわになるのを防ぐためと、緊張をゆるめるためですので、必ずという訳では……」
緊張するとの言葉どおり、ベイルフォウスに相対するサージの笑顔は引きつっている。納得できない。
「それじゃあ、まず私からでもよろしくって、お兄さま?」
「ああ、もちろんいいとも、妹よ」
ベイルフォウスのことだ。断られるのは織り込み済み。だから昨夜、奴が徹夜に付き合うだとか口先ばかりで寝入ったのを見計らい、妹にも計画を明かした上で、協力を要請していたのだった。
そもそも俺がサージを呼んだ表向きの名目は、『昨日の祝宴に続き、徹夜までするはめになってたまった疲れを取るため』である。とはいえもちろん、俺自身はマッサージをうけるつもりなど毛頭ない。少なくとも、他人の目があるところでは!
だからこその、尖兵マーミルだ。
「私も着替るのは面倒だからこの服のままでいいですわ。どこに座ればいいですかしら」
「はい、ではこちらの長椅子に仰向けで寝ていただいて」
このために今朝のうちに運び入れさせた、背もたれのないベンチソファーに妹は腰掛ける。
「じゃあ、お兄さま!」
うん? なぜ、妹は自分の横をポンポンするのだろう?
マッサージされるのはお前であって、俺ではないのだが?
「膝枕!」
「は?」
「もちろん、してくださるんでしょ、膝枕!」
……なんだ、その勝ち誇ったような顔は。確かに要請を協力したのはこちらだが、お前だってベイルフォウスを「ぎゃふん」と言わせたいのではないのか!
「なんだって俺がそんな……」
いや、待てよ。逆にこれは、利用できるかもしれない!
「わかった。後で交代な」
大人しく長椅子に座ってやることにした。
「他人に足の裏を触られるって、へんな感じ」
妹は真っ赤ななめし革の靴とひらひらしたレースの白い靴下を脱ぎ、素足になる。
「おい、マーミル。そいつに見えないように気をつけておけよ」
「見えないようにってなにが?」
「大丈夫、いつだって見えてもいいのをはいてるもの!」
ベイルフォウスの指摘に首をかしげた俺と違い、意図を察したらしい妹は膝下丈のスカートをちらりとめくる。太ももまでかかろうかという長めのフリフリが覗いた。
ああ、パンツがね。
「だとしても、見せなくていい」
「全くだ。はしたない」
「はーい。ごめんなさい」
ベイルフォウスと俺の叱責など全く気にした風もなく、それどころかウキウキで、マーミルは裾をなおすと俺の膝に頭を乗せる。
「むふふ。お兄さまの膝枕!」
お前……そんな余裕でいられるのも、今のうちだぞ。
「では、始めますねー」
しかし、足の裏がほんとうに身体のあちこちとつながっていて、支障があれば痛むというのなら、まだ子供の妹はきっと痛いよりくすぐったがるに違いない。
だいたい、あんまり痛がられては困るのだ。ベイルフォウスがさらに警戒するだろうからな。
だからサージには、マーミルには手加減をするよう伝えてあったのだが、それにしたって――
「わー。すごく気持ちいいー」
……あれ? 痛くもこそばゆくもない?
なんだか本当に身体から力が抜けて、ぐったり気持ちよさそうなのだが?
「マーミル、ほんとにどこも痛くないのか?」
一箇所も?
「全然。痛いどころか、気持ちよすぎて眠っちゃいそうですわ」
ああ、本当に。妹は目も開けていられないといわんばかりだ。
え、ちょっと待って。そんなに違うもの? 人によってそんなに感じ方って違うもの?
子供だから? 疲れてもないし、どこも悪いところが無いってことなの?
それともサージがわざと気持ちよく感じる程度に、調整しているからなのか。
「はい、では終わりでーす。むくみもない、いい足ですねー」
「気持ちよかったー」
マーミルは目をこすりながら、身体を起こした。
「では、お次は――」
サージが俺を見る。
いや、言ったよね? 俺はやらないって言ったよね?
しかし、今の妹の様子はどうだ?
彼の手心一つで俺もマーミルみたいな心地よさを味わえるのだとすれば……。
それに二回目だから! 昨日あれだけほぐしてもらっていたら、今度は痛くないかもしれない!
いいや、でも……!
「いいぜ、次は俺でも」
俺が逡巡していると、意外にもベイルフォウスがそう言い出したのだ。
昨日、あんな目にあった俺ですら、妹の様子を見て好奇心がくすぐられたんだ。ベイルフォウスがその効果に興味を抱くのは、当然といえば当然か。
だが、そうだとも! ベイルフォウスはマーミルと違う!
あいつなら絶対痛がるはずだ。俺と同じところが……俺よりもずっともっと!
「じゃあ、マーミル。今度はお前が、ベイルフォウスの膝枕をしてやりなさい!」
ふふふ……さすがにマーミルの膝枕では気を遣って、短気も抑えるにちがいない。
「えー。眠いですわー」
ところがよほど心地よかったのか、妹は大きなあくびをし、あふれ出た涙を拭う。座りながらもその身体は、ふらふらしていた。
「いらん。大人の女のならともかく、子供の膝枕なんて体重をかけるのもためらわれる。眠かったら寝ていろ、マーミル」
「そうしますわー」
昨夜、眠れなかったこともあるだろう。ベイルフォウスの言葉をよしとした妹は、靴もはかず、そのままこてんと横になると、本当に寝てしまったのだ。
「え……じゃあ、俺の膝枕?」
まあ、いざというとき羽交い締めはしやすいか。でもなぁ……。
「男のなんて、もっといらん」
ベイルフォウスが苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。
なんだよ、その反応。実際、気持ち悪いし、断ってくれて俺もホッとしたけどさ!
じゃあ、クッションでも置くか。そう考え、ベンチソファーを占領する妹に手を伸ばしかけたのだが。
「このままでいい」
そう言って、ベイルフォウスが座っていた椅子の肘置きを叩いたのだ。
彼が座っているのは、背もたれも高い、どっしりとした造りの立派な椅子だ。ちゃんと、足置き台もついている。
そこへ、ベイルフォウスは編み上げのブーツをどっかりと置くや――
「わざわざ横になってやる必要などあるまい。俺の足に触れたいのなら、ここにきてそうすることを許してやる、ということだ」
えー。まさかベイルフォウスくん。靴すら自分で脱がないってわけじゃないよね?
魔王様! 甘やかして育てすぎですよ、未だにこいつ、自分で靴も脱がないとかいう横着ぶりですよ!
「では、失礼して」
俺はドン引きだったが、高位魔族の城に出入りしているであろうサージにとっては特別変わった出来事でもないのか、その態度は緊張はしていても、平静そのもの。手慣れた様子でベイルフォウスの右足から靴や靴下を脱がし、ズボンの裾をまくり、いよいよその両手が足の裏へと――!
さあ、痛みにもだえるがいい、ベイルフォウス!!!
……。
…………。
………………。
あれ?
叫び声があがらない?
……まさか、我慢してるのか?
……。
……いや……。
「ベイルフォウス、どうだ?」
「ああ……まあ、こんなものだろう」
うん?
ベイルフォウスの奴、俺のように痛がるでも、ジブライールのようにこそばゆがるでも、マーミルのように気持ちよさそうにするでもなく……ものすごく普通なのだが?
「あれ……どこか、痛いところは? たとえば、踵に近いあたりとか……」
「あるわけないだろう」
なんでだよ! ベイルフォウスだぞ?
俺でもちょっと痛かったっていうのに、ベイルフォウスならもっと痛がったっていいはずだろうが!!
「おい、サージ。ベイルフォウスに悪いところは……」
「ベイルフォウス閣下、もしかして普段からよくオイルマッサージとか、されていらっしゃいませんか? 男の方で、こんなに手入れの行き届いた肌をされた方は、見たことがありません」
「当然毎日だ。俺の身体に触れられるなら、せめて役に立ちたいという女は山といるんだから、当たり前だろう」
は?
え、つまりなに。ベイルフォウスはあの山と侍らせている女性たちに、毎日足やら手やら肩やらを揉んでもらっているってことなのか? オイルでたっぷり濡れた女性たちの手で、全身くまなく?
そりゃあベイルフォウスだからって言われれば、そうなのかもしれないけどさ!
「逆に、男で俺の足裏に触れたことがあるのは、兄貴を除けばお前が初めてかもしれんな」
「それは光栄です!」
いやいやいや。
「しかも、重心のバランスがよろしいのでしょうね。ものすごく柔らかい、いい御御足をされていらっしゃる。いやあ、本当になかなかお目にかかれませんよ、こんな足の方は!」
は?
いや、なんでサージの方がテンションあがってるんだよ!
「それでは私も本気でいかせていただきます!」
!
よし、本気でいけ! そうだとも!
手加減する相手は妹だけでいいのだ。
本気でこいつの足をグッといって「ぎゃふん」と言わせてやってくれ!
ところが――
「ああ、普通と言ったのは間違いだったと認めてもいい。確かにいい腕だ……逆もやっていいぞ」
えっ、ちょっと待って。なに逆に満足げにしてるんだよ!
なんでちょっと気持ちよさそうにしてるんだよ、ベイルフォウス!
「いいや、逆の足はいい! そんな平然としてられるなら、別に揉んでやる必要だってないだろう!」
お前にそんないい思いをさせてやろうと思って、サージを呼んだわけではないのだ!
「……なら、次はお前だな」
は?
「いや、俺は――」
「わざわざマッサージなんて頼んだのは、『昨日の祝宴に続き、徹夜までするはめになってたまった疲れを取るため』だろう。祝宴に行ったのもお前、徹夜したのもお前。一番疲れているだろうお前が、それをほぐさないでどうする?」
ベイルフォウスに浮かんだ嗜虐的な笑みを見て、俺は理解した。
親友が、俺の企みなど最初から見破っていたことを――いいや、逆にわかったからこそ、自分は足の裏を揉まれなどしてもなんともない、というところを見せつける気になったのだろう。
そして、これが復讐となるという思いに至った俺の痛みを理解し、だからこそ今、残虐大公にふさわしいそんな笑みを浮かべているというわけだ。
「大丈夫、お前がどんなに痛がって魔術を展開しようが、俺が全部抑えてやるよ。マーミルの身も俺に任せて、ほら、遠慮せず暴れていいんだぞ?」
いやいやいやいや。
その申し出を実現させないため、迎賓館の二室ほどが犠牲になったのは、認めたくない事実なのだった。
いつか復讐は果たしてやるからな!