古酒の隠れ家

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ルデルくん家の平穏な日常

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「最近、冷たいのね。ちっともお家に来てくれないんだもの……心細くて、寂しくて私、泣いてしまいそうだわ……」
 そう言って、目の前の美女はしなをつくりながら憂い気に目を伏せた。

 燃えさかるような炎色の長い髪は、よくこの細い首で支えられるものだと感心するほど、重そうな黄金と宝石をちりばめた髪飾りで複雑に結い上げられている。目を伏せると頬に影を落とす長いまつげと、見る角度によって青にも紫にも見える双眸、肉感的な唇は生来のままでも男をあおるのに十分だが、それをありとあらゆる技術を使っていっそう美しく見えるように彩っているのだからたまらない、とは、彼女をもっとも愛する者の言だ。
 装飾過多な感の否めない首から上と対照的に、その下は香水すらつけず、豊満な肢体を隠しきれない薄い布で申し訳程度に覆っているだけの質素なものだった。

「ねえ、私のなにがいけないというの? いつだって、貴方を全身全霊かけてこんなにも愛し、尽くしているというのに……」
 わかっている。この、胸を強調するために前屈みになる仕草も、彼女にとっては日常的な動作の一つでしかないことは。だが。
「強いて言うなら、母上。そうやって、仕事をしている息子の執務室にまで押し入って、女性としての扱いを強要してくるところでしょうか」

 そう。他人が聞けば誤解するような表現を好むその美女こそ、誰あろう私――ルデルフォウス――の母であるファルディアーナだった。

「冷たい……冷たいわ。ルーくんたら、いつからそんな冷たい子になったの」
 母はよろよろと長椅子に倒れるように座り込むと、がっくりと肩を落とし、両手を座面につく。こうなると面倒くさい、というより常に面倒くさい。
 だが、この態度を気にさえしなければ、自分自身に酔っているだけで放置しておけるので、ある意味楽だ。

「魔王になんかなれるような子に、育てるんじゃなかったわ。だってルーくん、このお城に住むようになってから、一度もお家に帰ってきてくれないんだもの」
「母上。ルーくんはよしてください」

 いくら息子とはいえ、いい年をした……しかも魔王の地位にある男に「ルーくん」はない。配下に聞かれでもしたら、怒りのあまり聞いた者を殴ってしまいそうだ。
 それに、はっきり言おう。私は母に育てられた覚えはない。いや、両親ともに、というべきか。なにせ二人は私が乳飲み子の時から……もっというならそれ以前から、一日の九割の時間を夫婦二人だけで過ごしているのだから。例え息子であろうとも、邪魔となる存在など許しはしないのだ。子育てなんてしている暇が、あるはずもないではないか。
 そして、そんな両親の住居を訪ねたところで、意味がないのは明白だ。会えもしない相手を訪ねていけるほど、私も暇ではない。
 ちなみに、父は弟・ベイルフォウスに公爵位を剥奪された後、再び己の実力で公爵位まで上り詰めている。弟の領内でその地位を得、弟の配下となっているのだ。

「それで……母上。今日はどうなさったのです? まさか、本気で私の顔を見にいらした訳ではないのでしょう?」
 母一人でこの魔王城へやってきたというだけでも軽く驚きだ。私の両親は、それこそ本当にどこにいくにも一緒なのだから。

「あのね、お母さんちょっと最近、ユーくんにご立腹なの」
 母はうってかわって、あっけらかんと体を起こすと、肉感的な唇をとがらせつつそう訴えてきた。
 ちなみに、ユーくんとは我が父・ユーフォウスのことだ。

「あのね、ユーくんが長い髪を結い上げるほうが好きだって言うから、重いのに耐えてこの二百年間、髪を切らずに編み上げてきたのよ。なのに、今更やっぱり下ろした方がいいなって言い出したのよ! ルーくん、どう思う!?」
 どうでもいいわ。
 心底、どうでもいい。

「父上は、髪を下ろしたのもいいなとおっしゃったのでは? 捉え方の問題ではないでしょうか」
 もう面倒くさいから、ベイルフォウスでも来てくれないだろうか。母上は、自分に似たベイルフォウスのことはどちらかといえば苦手なようで、弟がいるとあまり長居はしないのだ。
 もっとも。

「ファルファル!!」
 父が最愛の妻を、迎えにこないはずはない。
 執務室の扉を突き破らん勢いで、父・ユーフォウスが駆け込んでくる。
「ユーちゃん!」
「ファルファル!!」
 満面の笑みで立ち上がる母、その母に両手を広げて泣きながら飛びつく父。がっしりと抱き合う二人。

 ……ああ、蹴り出したい。この部屋から、妙になまめかしい様子で抱き合う二人を蹴り出したい……。

「ごめんよ、ファルファル! 君をそんなに怒らせるなんて、僕はなんてバカな男なんだ……はいつくばって、足の指の間から、裏をすみずみまで嘗め尽くすから、どうか許しておくれ。僕の可愛いファルファル」
「いやよ。そんなことじゃ許さないわ、嘗めるなら足の裏じゃなくて」

 私は執務室から飛び出した。
 しばらくは、誰にも近寄らないようきつく申しつけておこう。
 もちろん、魔王の沽券のためにだ。

 そうして私は本日の事務仕事を諦めることにしたのだった。

 ***

「いやああああ、ルーくん、ルーーくーーーーーん!」
 母の叫び声に私はこめかみをひきつらせつつ、儀仗長から目をそらした。執務中は私の許可なくしては、身内であろうが大公であろうが誰一人通すなと、会議室の一室に呼び出し命じていたところだった。

「母上、そのルーくんという呼び名は止めていただきたいと」
「ユーくんが死んじゃうううううう!!!」
 私の胸に飛び込んでくる母。その母の扇情的な姿に、赤くなって目をそらす儀仗長。

「……ベイルフォウスが来ましたか」
 使いを出す必要もなかったか。考えてみればあの弟が、自分の両親の行動を把握していないはずはない。そして、私のところへ両親が来ていると知れば、迎えにこないはずもないのだ。

「なんでそんな呑気なの! 今すぐ止めて! あの子ったら、やってくるなり自分の父親の胸倉につかみかかって……だというのに、ユーくんはベールちゃんが私に似てるからってにやけてるし!!」
 ああ、こうやってぎゅっと抱きついてきてくれているのが、ウィストベルならよかったのに……。

「あのときだって、ルーくんが止めてくれなければ、ユーくんは殺されていたわ! ベールちゃんはあなたの言うことしか、聞かないんだから!!」
 あの時とは、ベイルフォウスが公爵である父に挑戦して、その地位を簒奪した時のことだ。確かに私が止めなければ、弟は父の命を奪っていただろう。

「母上。とにかく落ち着いてください。すぐに参りますから」
 私は儀仗長に視線をやり、賢明な男だと再確認する。
 彼は両目を目尻がしわくちゃになるほどしっかりと閉じ、頬が赤くなるほど耳を押さえつけ、そして鼻とくっつきそうなほど力一杯歯をかみしめていたのだから。

 ***

 執務室に戻ると、そこには珍しく氷のように冷え切った視線を床に送る弟と、その視線の先で瀕死の重体を負ってなおかつ幸せそうにとろけた顔をした父の姿があった。

 ああ、止めるまでもなく、ベイルフォウスは怒りをおさめたらしい。とりあえずは父も存命のようだし、よしとしよう。

「兄貴、すまなかったな。俺の配下が無断で押し掛けて」
 そう言って、弟は伸びた父の首根っこを雑に持ち上げる。
「ベールちゃん、ユーくんをそんな乱暴に扱わないで! どうしていつも、そんな冷たいことをいうの!? ただの配下扱いをして……ユーくんは、あなたの大事なお父様でしょ!」
 母がぽかぽかと、弟の胸を叩く。
「兄貴に迷惑かけるような奴を、親父とは言わねえんだよ」
「聞いた、今の言葉!! ベールちゃんたらどうしてこう酷薄なの!? あなたの育て方が悪かったんだわ」
 母の標的が、こちらに移ったようだ。
 私の育て方といわれても……確かにそうかもしれないが、反論をゆるされるなら、そもそも親は貴方たちなのだが。教育すべきだったのは、貴方たちだったと思うのだが、と、私は言いたい。

「誰がなんだって? 誰が誰を育てたのがなんだって?」
 弟の地を這うような声音に、母は開きかけた口を閉じる。
「ベイルフォウス。その辺でやめておけ。母上に悪気はないのはわかっているだろう」
 ただ、性格が面倒くさいだけだ。
「兄貴は優しすぎる」
 ため息を吐くことで、怒りを絞り出したようだ。弟はいつもの落ち着きを取り戻し、私に微笑を向けてきた。

「とにかく、迷惑かけた。今後は領地から出さないよう、気をつけるから安心してくれ」
 約束してくれるまでもなく、今後両親は領地から出ないだろう。二人の時間を大切にすることにかけては、他の追随を許さないのだから。そもそも、こうして個別に自領から出てきたことこそ、奇跡のような出来事だ。

「待って! 待ってよ、ベールちゃん! 私だって、ルーくんになんの用もなくてやってきたわけじゃないのよ!! 相談があってやってきたのに」
 父を引きずり、執務室から出て行こうとしたベイルフォウスを、母がその腕に抱きついて引き留める。
「相談? 惚気にこられたわけではなかったのですね?」
 そんなことをする暇があれば、二人でくっついているか。

「そうよ、相談があってきたの。けど、ベールちゃんも来てくれたのは都合がよかったわ。これはあなたたち兄弟にも関係あることなんだから」
 私たち兄弟にも関係あること?
 私と弟は顔を見合わせた。
「何? 言ってみろよ」
 弟が母を促す。
「あのね、あのね!」
 母は嬉しそうに瞳を輝かせて、弟に詰め寄った。
「もうすぐ私とユーくんが結婚して、千年たつのね! それってすごいと思わない? 思うでしょ? ね、ね? それでもってほら、私たちって、偉大なる魔王様の両親じゃない? だから、魔王城でお祝いのパーティーを開いてもらおうと……あん」
 弟が父を引きずり、母の腕を掴んで出て行くのを、精神的疲労にまみれた私は黙って見送ったのだった。

 ***

 その日の午後のことだった。

「あー魔王様だー。こんにちはー」

 ま お う さ ま だ ー ?

 ちょっと待て。なぜ、私がいるのが当たり前の執務室に勝手に入ってきて、偶然見つけたようなことをいうのだ、この男は!!
 それも気の抜けたような声がなんか腹立つ!!

 儀仗長!
 なぜ仕事をしない!?
 きっちり申しつけたはずだな!

 私の執務中は、誰であろうと……例えそれが身内であろうと、七人しかいない大公であろうが、通すことは許さんと!

 それともなにか?

 ジ ャ ー イ ル が 来 た ら 命 を 張 っ て で も 侵 入 を 阻 止 し ろ

 と、これくらいはっきり言わなければ、うちの兵たちには通じないのか!?

「ちょっと聞いてください。昨日のことなんですけどね。うちの妹が……」

 私の我慢は限界だった。

 
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