旦那様観察日記
目次に戻る | |
前話へ |
×月×日
今日は、やはり普段からいろんな職種の人々と、仲良く交流しておくべきだと実感する出来事があった。
何もそれは、仕事を円滑に進めるという意味あいだけではない。
プライベートにおいても、いいや、プライベートにおいてこそ、その真価は発揮されるのである。
+++++++++++++++++
お針子のティモが、うっかり自分の左手を分厚い布に縫いつけてしまった時のこと。
たまたま近くにいた私は、その現場に居合わせたのだ。
「悪いけど、ナティンタ。ティモを医療棟に連れて行ってくれない? 私たち、彼女が失敗した分のやり直しもしなくちゃいけなくて、時間がないの」
「ええ、わかったわ。それにしてもティモ、あなたともあろう人が、どうしてそんな――」
針子部屋に入ったとたん、原因と理由を理解した。視界に飛び込んできたのは、壁一面に貼られた旦那様の肖像画だったのだから。
どうせ見惚れていて手元が狂った、とかに違いない。
「まあ、そういう訳なのよ」
照れるティモ。照れるお針子女子たち。
ややひく私。
「とりあえず、照れる前に野太い針でぐっさり縫いつけた指を、なんとかしましょうよ! っていうか、思いっきり布とくっついているんですけど。そこまで縫う前に、痛みで気付かない?」
「いや、ついつい妄想に身が入っちゃって……」
「一体どんな妄想をすれば、そんなことになるの?」
「旦那様に……襲われる、妄想? ……てへへ」
いや、てへへ、じゃないから!
とにかく私は傷口ばかりか縫いつけられたその布までを覆うように、氷結魔法で左手を凍りづけにし、医療棟に付き添ったのだ。
人の世話は焼くものね。
まさかその玄関先で、旦那様とばったりお会いするだなんて!
「あれ? 確か君は俺の部屋の支度をしてくれている――」
俺 の 部 屋 の !
俺 の !
ええ!! ナティンタは、旦那様のものです!
「――と、ティモ?」
なんですって!?
なぜ、ティモの名前がそんなにすんなりと!?
部屋に出入りしている私を差し置いて、なぜ!?
「怪我をしたのか? 君ともあろう者が?」
しかもあろうことか旦那様は、腰を落としティモの氷付けにした左手を、あまつさえその怪我の具合を確かめるように、自分のお顔の前に大事そうに持ち上げられたのだ!
頬を赤らめるティモ。
「うわ、ひどいな。どうしたらこんなことになるんだ」
「あの、うっかりしてしまって……」
今まさに会話をしている貴方に襲われる妄想をしていてこうなったのだとは、とてもじゃないが告白できまい。そして、そんな想像をしていたとは思えない、その恥じらうような態度……。
女はみんな女優……そういうことなのね!
それにしたって、羨ましい!
あんな風に手を握ってもらえるなら、私だって今すぐ怪我をしたい!
ええい、いっそ、今すぐ庭の薔薇の棘ででも、指先を無惨に切り裂いて――
「疲れていたんだろ。あんまり根を詰めすぎないようにな」
「あ、はい。ありがとうございます」
「うちの医療班は優秀だ。すぐに治してもらえるよ。じゃあ、気をつけて」
「旦那様も、どこかお怪我をなさったのですか?」
私はすかさず質問を浴びせかける。立ち去ろうとなさったのは、気づかないふりだ。
「ああ、まあ……今日は魔王城に行ってきたからね」
その言葉が何を表すのかはわからなかったが、それだけ言うと、旦那様は手を挙げて行ってしまわれた。
とにかく私は、ティモをじっとりと見つめた。
「いったいいつの間に、名前をすんなり呼んでいただけるほど親しくなったのか、説明を求める」
「あ、ほら。私は旦那様の担当だから。時々、直接……ね。でも会話の内容は、衣装のことばかりよ」
「どういうこと? 採寸役は別だったわよね。あなたたちは衣装を縫うだけじゃなかった? いくら担当っていったって、直接会う機会なんてなかったはずよね?」
「ヴォーグリム大公の時にはね」
「ヴォーグリム大公の時には? つまり今は、違うって事!?」
「まあ……」
ティモは困ったように首を傾げる。
「……やっかまれたら困るから、広めないんで欲しいんだけど……」
「約束するわ」
「採寸から全部、一人で担当してるの」
「つまり……? あなたは、旦那様と密着したり、密着したり、密着したり……! なんて羨ましい!!」
「ちょ、ナティンタ! 落ち着いて、痛いから! 治療箇所が増えるから!」
はっ!
興奮のあまり、いつの間にかティモの肩を、骨がめきめきいうくらい強く握りしめていたようだ。
「あ、ごめん」
「あんた……時々、びっくりするほど我を忘れるところがあるから、気をつけたほうがいいよ」
妄想に夢中になって、自分の手を縫ったことにも気付かないティモに言われて複雑な心境だ。
「ねえ、早く治してもらいたいんだけど……」
「ええ、そうね。とっとと治してもらって、じっくり旦那様のご様子を聞かせてもらいましょうか」
「……ホントに広めないでよ」
「信用して。誰にも言わないわ。その代わりこれからも時々、私に旦那様のご様子を教えてちょうだいね」
そうして私とティモの密約はなったのだ。
前話へ | |
目次に戻る 小説一覧に戻る |