恐怖大公の平穏な日常
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明日から、どうしよう……。
この場にいる全員が、たぶん同じような不安と、漠然とした恐怖を抱いていると思う。
たとえ表面的には満面の笑みを浮かべているとしても!
「私事で暫くご迷惑をおかけいたしますが」
ほら、何かを察知しているのか、エンディオンまで不安げだ。
「何言ってるんだ。こちらのことは気にせず休んでくれ。奥方と、産まれてくる子供を大切にな!」
俺は努めて明るい声を出した。
「ありがとうございます」
「赤ちゃんが産まれたら、きっと見せにきてね!」
妹は心の底から無邪気だ。羨ましい。
「はい、マーミル様」
エンディオンは微笑み、俺の背後に立つ面々に目を向ける。
彼を見送るのは、俺一人ではない。
妹のマーミルを始め、エンディオンの部下たちや同僚――家令補佐や家扶や家僕、筆頭侍従のセルクと侍従・従僕たち、侍女頭と侍女たち、料理人や洗濯係、庭師の面々……。
この大公城で働くうちの、かなりの者が、彼を見送りに出てきていた。
「セルク。今度はこちらがお世話になることも多いかと思いますが、よろしくお願いします」
「心得ております」
背後で、ビシッと踵を合わせた音がした。
それからエンディオンは他の幾人かと視線を交わして頷きあい、最後にもう一度俺に視線をうつす。
「では、旦那様。行って参ります」
そうしてエンディオンは、見事な軍隊式の敬礼を見せてくれた。
まさかこの俺が、いつもは笑ってしまいそうになる敬礼で、泣きたくなるだなんて誰が想像しただろう。
それは俺が今までに見た、どの敬礼よりも立派で綺麗な見事な敬礼だったのだ。
俺たちはエンディオンが竜に乗り、その巨体が空のかなたに小さくなって消えるまで、黙ってその姿を見送った。
そうして彼がいなくなった後、長いため息とともに不安の面もちをさらしたのだった。
※マーミルの証言
「大人の人たち、エンディオンが行っちゃったのに、みんな全然動かないの。お兄さまの袖も引いてみたんだけど、気づきもしないのよ! それで竜が見えなくなったらみんな、泣きそうな顔をして……変なの」
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