古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十一章 家令不在編】

1 まだ三日目なのに、もう憂鬱です



「いいいいい!」
「きゃあああああ」
「えええええ?」
「ああああああ!」
「はああああ?」

 ――ここは〈断末魔轟き怨嗟満つる城〉――
 その恐ろしげな名に相応しく、恐怖に彩られた悲鳴が朝から響く、偉大なる魔族の大公城――って!
 もちろん、叫びは恐怖の為ではない。
 では、なにか?
 エンディオンの不在が影響し、混乱が生じた末に発せられる悲痛な叫びに他ならないのだ。
 ああ、悲痛な思いでいるのは、なにも家臣ばかりではない。ないとも。
 この俺だって……。

「はぁ……」
「……」
「ふぅ……」
「……」
「はぁ……」
「……閣下、ずいぶんお疲れのご様子ですね」
「あ、ああ、すまない」

 いけないいけない。ぼうっとしていた。
 我が家令が休暇をとってまだたった三日。まさかそんなわずかで、こんな心理的にガガンとくるとは……。

「俺よりむしろ、セルクの方が疲れているだろうに、悪いな」
「いえ、そのようなことは……」

 筆頭侍従は否定してみせるが、いくら家令補佐がエンディオンの代役を務めているとはいえ、かなり頼られているだろうから疲れていないはずがない。
 実際、まだたった三日というのに、目元には疲労感が漂っているではないか。
 もっともセルクが自分のところでほとんどのことはなんとか裁いてくれているせいか、俺のほうにはそれほど直接の影響はない。ないのだが、エンディオンのあの鋭い嘴があるとないとでは、やはり気分は大いに違うのだった。
 今も謁見の最中だというのに、我知らずため息をついてしまう。
 もっとも今は、最後の一人を迎える前の小休憩だ。
 だがその時、バタバタと一人の侍従が謁見室へと姿を見せたのだった。

「なんだ、騒がしい」
「も、申し訳ありません」
 彼はセルクの叱責に威儀を正し、そこからゆったりとした足取りで近づいてきて、筆頭侍従に何事かを囁く。
「……承知した。では、急ぎ準備を任せる」
「えっ。ですが、その……」
 戸惑う侍従の姿に、セルクの眉根が寄る。

「どうした。何か問題でも?」
 俺は助け船を出すつもりで、そう問うた。
 エンディオンがいなくなってからというもの、城に漂う空気には緊張感が多分に含まれている。
 セルクにも他の者たちにも、どこか余裕がない。
 だからせめて俺くらいはゆったり構えていないと、と思いつつも、ついため息が漏れてしまっているのだが。

「申し上げます」
「ああ」
 セルクが真剣な眼差しを、こちらに向けてくる。
「大公アリネーゼ閣下の先触れが、到着いたしました」
「いよいよか。で、いつ来るって?」
「本日、正午過ぎには……と」
「え?」

 本日って……今日?
 正午過ぎって……え、あとちょっとで正午だから……え? もうすぐ!?
 もうすぐしたら、アリネーゼがこの城に!?
 はい!?
 ……いや、待て。まず俺が落ち着こう。

「大丈夫、慌てるな。別に突然やってくるなんて、ベイルフォウスだってよくすることじゃないか……」
「ベイルフォウス閣下の場合には、どうすればよいかもちろん、心得ております。しかしアリネーゼ閣下でも、同じ対応でよいのでしょうか?」
 侍従が弱々しい様子で、俺とセルクを見比べる。
 ああ、不安なんだろうな……。気持ちはよくわかる。
「家令補佐の判断は?」
 通常、家令と筆頭侍従には、ほぼ同時に情報が届くはずだ。となればもちろん、エンディオンの代役である家令補佐にも連絡が入っているはず。
「あ、知らせを聞いて、こちらにすぐ伺ったので……まだ……」
 侍従がバツの悪そうな表情を浮かべる。

「謁見もあと一人だ。セルク、家令補佐と話し合って、アリネーゼの対処に向かってくれ」
「ですが……」
「大公の来城は謁見の補佐に勝る。君の代わりに、彼に残ってもらおう」
「えっ」
 報告に来た侍従は、びっくりしたように両目を見開く。
 セルクは目を瞬きながら、左下方に視線を落とす。最近ようやくわかったが、これが彼が何か考え事をするときの癖のようだ。

「かしこまりました。では、そのように」
「えっ」
 侍従は今度は、不安げにセルクを見つめた。
「なにをすべきかは、わかっているだろう」
 セルクの声音は意外にも厳しい。
「ええ、ですが……」
「大丈夫。ビクビクせず振る舞ってくれれば、それでいい」
「は……はい……」
 俺の言葉にその侍従は恐る恐る頷いてみせた。

 そうしてセルクが退室し、謁見を再開する。

 さて、今目の前にいるのはダァルリース……ミディリースの母だ。
 彼女が今日最後の謁見相手だった。

「で、どうだ? 数百年ぶりの娘との生活は」
 そう聞いたものの、実は暮らしぶりについてはなんとなくミディリース本人から報告を受けている。頻繁に、ではないものの、俺と司書は相変わらず手紙を交わしあっているのだ。これはもう、文通友達と言ってもいいのではないだろうか?
「正直……とまどっています」
 そうだろうなぁ。いくら母娘とはいえ、一緒に暮らすもの数百年ぶりじゃあなぁ。ぶっちゃけ、ミディリースもずいぶん気を使っているみたいだし。

「ロリコンに見つからぬよう、隠れて暮らしていたのは本人の口から聞いて知っています。それにしたって、いくらなんでもひ弱すぎます」
「……ひ弱?」
「一緒に登山をしてみれば、一合目にもたどり着かないうちからバテる。剣を打ち合えば、半刻もたたないうちに息が荒れる。しかも弱い。それではと、体力をつけるために早朝から走りこみをと誘っても、いっこうに起きてこない。仕方なく外に放り出してみれば、半日もすぎないうちにぐったりとしている……」
 まあ、意外でもないが。

「昔より、ひどくなっています」
 ダァルリースはため息をつく。
「では、司書としての復帰は……」
「ああなったのは私の責任……もう少し、鍛えてからでなければ、外には出せません」
 お母さんはきっぱりと言い切った。
 見た目はこんな子供みたいなのに……まあ、気の強そうな顔立ちはしている、か。

「図書館ができる頃には、返してくれると助かるが……」
 ダァルリースは意味ありげに眉をあげる。
「あ、いや。もちろん、通いで仕事をしてもらう、という意味だ」
 当然、住居をこちらに移せ、という意味ではない。
 せっかく母娘が一緒に暮らせるようになったんだ。そんな無粋なことを言い出しはしないとも。

 もっとも、ミディリースも厳しい母との生活に、憩いの場が欲しくなっているらしい。たまに泊まっていける部屋があったらなぁ、という要望みたいな意見をもらっている。
 だから、以前みたいに地下の部屋を造るわけにはいかないが、人見知りの激しい彼女のために、逃げ込める小部屋は用意するつもりだ。

「完工は、何日ほど後の予定でございますか?」
「実はまだ、施工にも入っていないんだ」
 設計士のフェンダーフューは、泊まり込みで設計図をひいてくれている。さすがに魔王城の設計でも使いやすさを重視していたキリンくんらしく、単に本を並べておくだけの部屋にするつもりはないらしい。
 彼が新しいアイデアを追加した案を見せてくれるたびに、俺の方でも「ではこういうのはどうだろう」という考えが浮かんでしまって、その調整のために何度も何度も設計図が書き直される、という事態におちいってしまっていたのだ。

「取りかかればあっという間だろうとは思うんだが……」
「では念のため、仕上がりもなるべく急ぎます」
 仕上がりって……。
「いや、まあ……お手柔らかに」
 俺は司書に同情した。
「ところで、君が娘との同居の様子を聞かせてくれるためだとしても、このタイミングで来てくれたのはちょうどよかった」
「と、申しますと?」
「実は、大公ウィストベルを我が城に招くことになっているんだが」
 俺はウィストベルの手紙を懐から差し出し、傍らの侍従に差し出した。
 彼は一瞬、ビクッとおののいたような様子を見せた後、俺の手からその手紙を受け取って、仰々しい様子でダァルリースに届けた。

「拝見してもよろしいのですか?」
 用紙の裏にウィストベルの紋章が刻まれているのを知って、彼女はとまどいを浮かべている。
「かまわない。むしろ読んでくれ」
「では、失礼いたします」
 ダァルリースに渡したのは、ミディリースの暮らしぶりをみたい、その母に会って話をしたい、と書かれている部分だった。

「ウィストベル大公閣下が、私などに……」
「ああ。会いたいそうだ」
 たぶん監禁されていた、というダァルリースの境遇に、興味を持ってのことだと勝手に邪推している。幼い頃の自分と、同じ境遇にあったダァルリースへの。

「ミディリースとウィストベルは長年の文通友達らしくてな」
「ええ、それは聞いております。今もやりとりをしているようですし」
「知っているなら話が早い。では彼女がやってきたときに、君の屋敷に案内するから、よろしく頼む」
「しかし……」
 ダァルリースはやや厳しい顔で口ごもる。

「何か問題でも?」
「申し訳ありませんが、ジャーイル閣下ならともかく、他領の大公閣下がたかが一男爵の家を訪ねるというのは……いかがなものでしょう」
「うん……それは俺もちょっと思ったんだ。だから、俺とウィストベルが散策に出て、休憩のために君の屋敷による、という流れにしてはどうだろう、と考えたんだが」
「ああ、それならば……ちょうど近くに、遊覧するのにうってつけの毒沼がございます」

 ……え……毒沼なの?
 え? なんかもっとこう、いい景色のところはないの?
 きれいな花畑とか、散策に向いた湿地帯とか、絶景の丘とか……
 よりによって、見るに堪えない、臭いもきついだろう毒沼を提案してくるって、どういうことなの?

「他には……」
「あそこが一番の見所です。間違いありません。自信を持って、おすすめできます」
 へえ……自信をもって、おすすめできるんだ……。

「……まあ、実際にどこを見て回るかは今後の課題として」
 俺は咳払いでごまかそうとした。だというのに……。
「泥色に黒斑の入った、鱗の爛れた大蛇の群がおります」
 どうやら確定の勢いだ。
「これがまた美味故に、数匹捕まえて、ご賞味いただきましょう」
 ゲテモノ好きなのか、ダァルリース……。
「……検討しておく」
「ええ、ぜひ。私が腕をふるいますので」
 その時の彼女は、ニコリ、というよりはニヤリ、と表現するのが相応しいような笑みを浮かべたのだった。
 わあい、料理上手なお母さんって素敵だな!

「それから後一つ、お願いが……」
 ダァルリースが、急にしおらしい態度をみせる。
「うん?」
「本日うかがったのは、ミディリースとの同居の報告だけが理由ではないのです。他に許可をいただきたいことがございまして」
 許可? 俺の?
 ハキハキした、どちらかというと男らしいともいえる印象のダァルリースだが、今は随分ためらい勝ちだ。

「手紙を出したい相手がいるのですが……」
「ああ……手紙くらい、別に俺の許可がなくとも……」
 いや、逆に俺の許可が必要な相手といえば?
「まさか、魔王様に手紙を出すとか、そういう訳じゃないよな?」
「え? いいえ……」
 何いってんだこいつ、みたいな顔で見られた!
 ですよね! さすがに魔王様に手紙を書く理由なんてないよな。
 だが、だとすると?

「実は、夫に……いえ、今はすでにそう呼べないかもしれません。ミディリースの父に、手紙を出したいのです」
「ああ、君の父の城の勤め人だったとかいう……」
「はい。ご存じでしたか」
「そのくらいは。確かに主が変わろうが、無爵の勤め人には影響がないのがほとんどだから、今も同じ城にいる可能性は高い、か」
「はい。そう考えまして、他に手がかりもないので、手紙はその伯爵城に宛ててみようと思っています。そして彼に変わりがなければ……」
 ダァルリースはその先を口にすることを、一瞬ためらったようだった。
「せめて父と娘を、会わせてやりたいのです」
 なるほど。それで俺の許可か。

 ダァルリースの望みはもちろん理解できる。今もまだ、彼女は夫を想っているのかもしれないし、そうでなくとも生まれてから一度も実父と対面したことのない娘にその機会をもたせてやりたいだろう。
 しかしダァルリースが暮らしていたという伯爵城は、アリネーゼ領にあるのだ。

 もちろん手紙を出すだけなら誰の許可もいらない。
 だが有爵者はともかく無爵者が領地をまたいで移動するとなると、一時的なものでも有爵者の許可が必要だ。
 それも魔王大祭が終わった今では、通常の手続き――公的な許可が必要となる。
 しかも有爵者の城の勤め人では、手続きもそう簡単にはいかない。
 勤め人は主にではなく、城に付随するのだから。

 もちろん普段ならそういうことは、俺自らががっつり関わる業務ではない。
 各城の勤め人の移動については、城主――いない場合は家事使用人の最高位である執事――が出した申請書の内容を審査する役所があって、役人が申請書に基づいて判断を下すことになっている。尤も、最終的には役人たちが許可を出した者の書類が俺の手元に届くので、押印※1だけはしなけばならないが。

 だが、ダァルリースが俺にそう伝えてくるのは、その後のこと――夫との同居のことも、視野にいれているからだろう。
 彼女のことだからここでコネを使おうとは考えてはいまい。申請はまじめにするのだろうが、それでも爵位のある者同士の間での家臣の交換となれば、俺が紋章を焼き付ける以上に関わらねばならない可能性も皆無ではない。

「ああ、いいんじゃないか。ぜひ、そうしてみるといい」
 俺が許諾を与えると、ダァルリースはホッとしたような笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。早速、帰城してすぐにも手紙をしたためることにいたします」
 そうして彼女は足取りも軽く退室し、ようやくその日の謁見は終わったのだった。

※1 紋章を用紙などに焼き付けること



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