古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十一章 家令不在編】

14 恋人が欲しく無いわけではないのですが



「……あの……気にするなと言っても、無理だとは思うが……」
 ジブライールから目をそらしつつ、言う。
「俺、そんなじっくり見たわけじゃないから……」
 いや、ほんとは割とじっくり見ちゃったもので。何を、とは敢えて言わない。

「……あ、あの!」
 追いつめられたような強い口調に、ジブライールに視線を戻すと、意を決したような葵色の瞳が俺を射抜いていた。
「あの時は確かに変な薬を飲まされて、変な態度を取ったのは認めます! 後で聞いたら催淫剤だって言われて……あんなあられもない格好をお見せして……恥ずかしい、ですし」
 ジブライールは両手で真っ赤な頬を挟み込みながら、またうつむいてしまった。
「本当に無礼だったと自覚しております……でも……でも……」
 言葉を選んでいるのか、やや逡巡した様子を見せる。
「でも、私……私……あの時の言葉には……ジャーイル閣下のことがだ……す、好きだという言葉に、嘘偽りはないんです!」
「ジブライール」

 そんなの疑ってもいなかった! だってあの時のジブライールからは、確かに本気しか感じなかったからだ。
 だが、こうして素面の状態で面と向かって言われると、なんというか……成人女性とは思えない初々しさも相まって、ちょっと感動すると同時に、こっちまで気恥ずかしさを覚えてしまう。
 なんだろう、俺も案外初心だってことだろうか。

「正直言うと、君には嫌われこそすれ、好かれているとは思ってもいなかったから、驚いたのは事実だ」
 まあ実際には、何度か好意を疑ったこともあるんだが。
 それに思い起こしてみれば、膝の上に乗せろと言われたり、ぎゅっとさせられたり、スプーンを奪われたり……嫌いな相手には触れるのも嫌なはずだ。そんなことは要求してこないだろう。

「嫌いだなんてっ……。でも、それはつまり、これまでの私の態度が無愛想で、つっけんどんで、冷たく、強情だったということですね……」
 さっきまで興奮で赤らんでいた頬を、今度はやや青ざめさせ、ジブライールは気を落としたように小声になっていく。
「いや、そういう訳じゃないんだが……でも、ほら、ジブライールだって、気持ちはずっと、隠していただろ?」
 だよな? そうだと言ってくれ。でないと、俺の鈍さが手のつけられないほどヒドい、ということになるではないか。

「はい。確かに、隠していました……」
 だよね! よかった!
「迷惑かと思って……私なんかに好かれても」
 ちょっと待て。なんかどんどん、ジブライールの姿勢が前傾していってるんだけども。
「いや、ジブライールのような素敵な女性に好かれて、迷惑だなんてとんでもない。素直にうれしいよ」
「ほんと……ですか?」
 額と膝がほとんどくっつきそうだった姿勢から、ガバッと上半身が一気に起きあがる。さっきまでの落ち込みはどこへやら、今度は瞳がキラキラと希望で輝いて見えた。

「それこそ、嘘偽りない。ただ、戸惑ってはいるんだ。今まではほら、君のことは頼りになる副司令官としてしか、見ていなかったから……」
「頼りになる……」
「だから忌憚なく言わせてもらうと……」
「はい」
 ジブライールは心細そうな瞳を向けてきた。
 俺の言葉で、一喜一憂している様がありありと見て取れる。なんともいじらしいではないか。

「君の気持ちは分かったし、光栄だとは思うが、今は応えられそうにない」
「……はい……」
 ジブライールは今にも泣きそうな表情で、それでも笑みを浮かべた。
「わかっています。閣下のお心にいらっしゃるのはウィストベル閣下だと……」
「……え?」
「私の想いに望みがないのはわかっていました。だから、せめて……あの時は催淫剤の助けがあったのは確かですが、それでもせめて一度でも……」
 いや、それわかってないよね!
 勘違いの末に、ジブライールはついに、ぽろぽろと涙をこぼしてしまったのだ。

「ジブライール、俺が言ったのはそういうことじゃない」
 ハンカチを取りだし、そのまま渡そうとして手が止まった。「ベイルフォウスならウンタラカンタラ」とかいう、いつぞやの失礼な侍女の言葉が蘇ったためだ。
 多少の負い目もあり、俺はこのときばかりは憎たらしい侍女の言葉に感化されてやることにした。

 席を立ってジブライールの側へ回り込んでしゃがみ、折り畳んだハンカチの端で彼女の目元をなぞる。
 ジブライールは俺の手が触れた瞬間、ビクッと体を震わせ、それからこちらを見つめてきた。
 驚きのせいか、どうやら涙は止まったようだ。
「あ、ありがとう……ございます……」
 ジブライールは照れたようにいって、細い指を俺の指に重ねるようにしてハンカチを引き取り、自身で涙の跡を拭った。

 なるほど。さすがはベイルフォウス。女性が喜ぶことは、よくわかっているって訳か。
 というのも今現在、ジブライールの気分が持ち直しているのは表情を見ても明らかだからだ。
 反対に俺の方は、自分がらしくないことをしてしまった自覚のせいで、微妙な気持ち悪さを感じている。

「俺に想う相手はいない」
 俺はその場に留まったまま、きっぱりと、ジブライールを見つめてそう断言した。
「けれど……ウィストベル閣下は……」
「確かに彼女は絶世の美女だから、見惚れることはあるし、同盟相手として大切に扱っていることも間違いない」
 本当は、大切にしてるっていうか、本来の意味での魔王様なので、何事も拒否しがたいというのが真実だが。
 さらに、迫られてたまにいろんな意味で、本能的にぐっときてるのは内緒だ。
「だが、現時点で俺が特別に想いを寄せる相手はいない――ジブライール。君のことも、今はまだ、副司令官の一人としか見られないんだ。すまないな」
 下着姿にぐっときたのは本当だが、そういう本能的な反応はまた別の問題だ。
 それが、今の俺が出した結論だった。

「……今はまだ……」
「ああ」
「でも、それ、なら……」
 ジブライールは潤んだ瞳で俺をじっと見つめてきた。その婀娜っぽさに、またも本能が反応しそうになる。
「一人の女性として、見ていただけるよう、頑張るのは私の勝手ですよね? だって、こんなに……ジャーイル様のことが、こんなに……だ……だ……」
 なんだろう。なんか、頑張れと応援したくなるじゃないか。
「だっ……大好きなんですから!」
 今までと違って、随分直情的だな! ハッキリ告白して、タガが外れた感じなのか?
 もっとも言葉だけは積極的だが、態度はといえば、一世一代の告白をしたように、額から肩まで真っ赤だし、手をせわしなくもじもじと動かして、とんでもなく恥ずかしそうだ。

「でもあの……もちろん普段はちゃんと、副司令官として気を引き締めて、公務に私情は挟まないとお約束します。今まで以上の誠実さで、お仕えしますから……今だけ、贅沢なお願いを……してみてもいいですか?」
 贅沢なお願い? なんだろう。
「言ってみてくれ。できることなら、最大限応じるよ」
 とはいえ、あの日の続きを――とか言われたら……。

 一瞬、不埒な考えに及んだ俺の邪念を突き飛ばすように、ジブライールが両手を前に差し出す。
「手を握っても……いいですか?」
 え? 俺がジブライールの手を握るんじゃなくて、ジブライールが俺の手を握るってこと?

「いいが……」
 答えるや否や、挙げた右手を思いの外強い力でがっしりと掴まれた。
 ……なんか想像と違う……。
 俺の手を捉える眼差しの、熱線でも放出しそうな真剣さに、一種狂気のようなものさえ感じた。
「あ、あの……ジ、ブライール……?」
 視線は外さないままに、今度は両手で俺の手を撫で始める。細かくじっくりと、隅々までを確認するように――
 それはもう、せっぱ詰まった感じというか……こう……ほら、こう……なんていうの……。
 なぜかはわからない。だがとにかく危機感を覚えた俺は、手の平にじんわり気持ち悪い汗をかきだしたタイミングで、腕を引いた。

「あっ、まだ……」
「…………え?」
「あ、いえ……何でもありません。ありがとうございました……」
 礼を言ってはいるものの、視線は俺の手から離れず、名残惜しそうだ。
「と……とにかく、絵の件は承知した――」
「はい。よろしくお願いします」
 ……なぜだろう。ジブライールがちょっと怖い。

 結局、その日はそれ以上のことはなく、彼女は退室していった。
 一人になって落ち着いてから、ジブライールこそヤティーンの幼なじみなのだから、彼の好きなタイプでも聞いてみるんだったと後悔しかけ――すぐに、今はそんなこと聞けるタイミングじゃないだろう、と反省と共に思い直したのだった。

 このときのジブライールが、身近な物の形状を造形することに凝っていたのだと知って、しかも俺の手の精妙な模型を造ったことを知って――若干ひくことになるのは、随分、後のことだった。


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