古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十一章 家令不在編】

32 家令の帰還



 エンディオンが帰ってくる!
 エンディオンが帰ってくる!
 大事なことなので、さらにもう一度!
 エンディオンが帰ってくる!!!

 昨日が彼が休暇に入って四十五日目だった。いよいよ今日、この早朝、エンディオンは我が〈断末魔轟き怨嗟満つる城〉に帰ってくるのだ!

 どれだけこの日を待ちわびたことだろう!
 俺がどれだけ、彼の不在に心細い思いをしたことだろう!
 マーミルは祝賀団を率いて会いにいっているが、俺は家令が我が城を出たあの日から、その顔すら一度として見ていないのだ!
 どうしよう。感激のあまり、泣いてしまったりしたら。

「嬉しそうですね、旦那様」
 一歩引いて右手に立つセルクが、自身も昨日までとはうってかわった落ち着いた様子でそう言った。
「そりゃあ、嬉しいさ! 君だってそうだろう?」
 彼も、それからそのさらに後方に立つキミーワヌスも、頼りになる家令が予定通り帰ってきてくれるという事実に、ホッと胸をなで下ろしているに違いない。

「ホント、嬉しいんでしょうね。世界はまだこんな薄暗いというのに、お兄さまったら、私まで起こしに来るんですもの……」
 妹は、俺の左隣で欠伸を噛みしめている。
「なにを言うんだマーミル。お前だって、エンディオンの帰城を笑顔で迎えたいだろう?」
「……私別に、起きたらとっくに帰ってたって結果でもよかったですわ」
 妹よ…お前、意外に冷めてるな。あんなに赤ちゃん可愛い可愛いって言ってたくせに。

 そう、俺と妹と筆頭侍従、それに家令代行と侍女頭は、そろってエンディオンの帰りを前庭に出て待っていた。いや、別に、俺が強要したわけじゃない。自然に集まったのだ。……マーミル以外は。
 もっとも、エンディオンから具体的な時間を聞いたわけではないのだが、彼のことだから屋敷の大部分が動き始める前にはきっと帰ってくるだろうと、そう予想をたてて早めに迎えに出ているのだった。

「いつ……エンディオン、帰ってきますの……ふああ」
 妹はとうとう我慢しきれなくなったらしく、すでに何度も欠伸を連発していた。
「そうだな……もう少し、明るくなってからだとは思うが」
「……だったらせめて、エンディオンの乗る竜の姿が見えてから、お外に出てもいいんじゃありません?」
 いや、まあ、そりゃあそうかもしれないが……。
 妹のテンションの低さに、影響されそうになっていたその時――

「これは、旦那様、マーミルお嬢様」
「えっ!」
 久しぶりに耳にする、その声は――あろうことか、背中の方向から――すなわち、屋敷の中から響いてきたのだ。
 俺たちは玄関口を一斉に振り向いた。
 両開きの立派な扉を、両手を大きく開いて立っているその長身――なにより、その鋭い猛禽の嘴は――

「エンディオン!?」
「エンディオン殿!?」
 俺たちは驚愕の声を挙げた。

「みなさまお揃いで、一体どうなさったのですか? ――まさか私の出迎えのために、集まっていただいたわけでは――」
 我が家令はその疑問を最後まで口にできなかった。さすがに泣き出しまではしなかったが、俺が感動のあまり彼に抱きつ――こうとしたのだが、僅差でキミーワヌスに負けた。

「エンディお~んおんおんおん」
 半ばから号泣し、家令を正面からがっしりと抱きつく家令代行。家令の代理はよほど負担が大きかったとみえる。
 そればかりではない。セルクもじんわりと瞳を潤ませ、拘束されて不自由なエンディオンの右手を、それでもしっかりと握りしめているのだ。

 ちなみに――
「エンディオン!!」
 冷めたことを言っていた妹も、本人を目の前にして感情が高ぶったらしい。余った左手に抱きついて、ぐびびびびっ、とか鼻をすすっている。
 唯一冷静なのは侍女頭ただ一人。もっとも彼女とて、同僚たちの様子に苦笑を浮かべつつも、瞳にはホッとしたような安堵の色を浮かべていた。

「エンディオン殿……本当に、この日がどれだけ待ち遠しかったか……ずずっ」
 キミーワヌスはともかくとして、セルクまでこれほど感情をにじませているのは珍しい。
 エンディオンがいないことで負った二人の心理的・実務的負担が、いかほどであったかわかるというものだろう。
 だがそれは、翻って考えてみれば、エンディオンがどれだけこの城で重きをなしているか、ということの表れでもあろう。
 改めて、この城における家令の――というよりは、エンディオンの負担の大きさを、俺は思いやったのだった。

 ***

 俺たちの読みは浅かった。
 エンディオンは、もう二時間ほどばかり前には城に戻ってきていたらしい。彼のことだから、屋敷中がまだ寝静まっている間に帰ってくると考えるべきだったのだ。
 とにかく今は執務室に移動して、俺とエンディオンの二人きりだ。

「旦那様はお休みでいらっしゃると思いましたので」
「あ、うん……」
 本当のところ、俺は起きていた。
 だとしてもさすがに「だってエンディオンが帰ってくるっていうのに、落ち着いて寝ていられるはずがないじゃないか!」と、正直に告白するのは止めておいた。
 嬉しすぎて寝られない、だなんて、まるで子供だからね。さすがに大人としての羞恥心は俺にだってあるのだ。

「長らくのお休みをいただき、誠にありがとうございました。おかげで無事、娘の出産に立ち会うことが叶いました。またその折には、大変な贈り物を頂戴いたしましたこと、深く御礼申し上げます」
 彼はそう言って、言葉通り深々と頭を下げた。
「礼なんて――エンディオンが無事帰ってきてくれれば、それが何よりだ。逆にマーミルが迷惑をかけなかったかな?」
「迷惑だなど、とんでもないことでございます。お嬢様は立派に役目をお果たしでございました。口上も堂々としたものでしたし、始終凛とした態度で臨まれ、幼いながらも気高さと美しさを感じたと、みなも口々に申しておりました」
「そうか。ありがとう」
 エンディオンが俺に世辞など言ってこないのをわかっているだけに、その言葉はことさら嬉しいものだった。

「しかし、祝賀団のパレードというのは、いかがなものでしょう?」
 えっ!
 久々に執務机から見上げる嘴は、これまで以上に鋭く尖ってみえた。
「たかが一家臣の家庭事情ごときに、大公閣下があれほど格別の処遇をお示しあそばされるとは――多少のお祝いをいただくだけならまだしも、あれではさすがに寵の度が越えていると噂されてもやむを得ません」
 ……復職早々、怒られた!
 言えば遠慮して反対されるだろうとは思っていたが、まさか怒られるとは思っていなかった。
 でもなんか、最初の頃を思い出してちょっとじんわり懐かしい!

「ごめん、考えなしだったかな……」
 意気消沈した俺の言葉に、エンディオンはうっすらと微笑む。
「とはいえ、私にとっては至上の喜びでございました。閣下にお仕えできる幸運を、殊のほか実感いたしました」
 ちょっと! この家令、なんか落として上げてくる!
 再会して早々、俺の心を鷲掴みにしてくるよ!?

「その上あのように、心温まるお手紙まで頂戴いたしまして」
 ああ、そうだ。その返事はまだ、聞いていないのだった。
「そうそう。屋敷を新築する話だが――」
「お気持ちだけ、頂戴いたします」
 エンディオンはきっぱりと言った。
 さすがに新築は遠慮するか。だよな。

「ならこの間までアリネーゼが使っていた屋敷を利用してはどうだ? 敷地内の端だから静かだろうし、今ならまだすべて整っていて、すぐでも利用できる状態だし」
「いえ、旦那様――お言葉はありがたいのですが、私はしばらく、自身の子爵邸から通わせていただきとう存じます」
「えっ! 通い?」
 つまりそれは今までと違って、いついかなる時も、エンディオンがいてくれるというわけではないということだ。

「旦那様。いずれお耳に入ることもあろうかと思いますので、ご報告いたしますが」
 このタイミングで報告? しかもなんだか不安になる断り文句がついているではないか。
「この四十五日間で、私は八度、奪爵の挑戦を受けました」
 ! ……なん……だって……八度も!? たった四十五日で八度も!?
「私が子爵城から出勤しておりましたのは遙か昔――この大公城の一室で寝食させていただくようになってからは、長らく経ちますが、その間に受けた総数より、遙かに多い挑戦者でございます」
 一体どこのどいつがそんな……!
 だが、今彼がここにいるということは、もちろんそれをすべて退けた、ということに違いない。そこは安心できるが……。

「私は大公城の規律を守ってきたつもりでしたが、逆にこの身は守られていたのだと、今回の里帰りで骨身にしみました。それもあり、我が城より通うことをお許しいただきたいと、こうお願い申しあげる次第でございます」
「それはつまり、有爵者の矜持みたいなものもあっての決断だということか?」
「さようでございます」
 久しぶりに自分に対する挑戦者と戦い、勝って、魔族としてこみ上げる思いがあったのだろうか。
「それになんと言っても、子どもはやはり我が城で、のびのび育てたいという思いもございます」
 確かに主が別にいるこの大公城で暮らすのと、己が父が主である子爵城とで育つのでは、子自身の意識のありようも変わってくるだろう。

「そうか……わかった。俺の考えが足りなかったようだ。思うとおりにしてくれてかまわない。申し出は、撤回させてもらうよ」
「格別のご配慮には、心の底より感謝申し上げます」
「いや――」
「では、これより通常業務に戻りたいと存じます。また、長らくお世話になります」
 エンディオンは深々と頭を下げた。
 世話になるのはこちらの方だというのに。
 長らく、という言葉にホッとすると同時に、俺は胸を熱くしたのだった。

「とにかく、本当によく帰ってきてくれた! お帰り、エンディオン!」
「旦那様……」
 エンディオンは珍しく驚いたような声でささやいたが、すぐに柔らかな声で、こう応じてくれた。
「ただいま、戻りました」

 こうして、エンディオンは帰ってきた。俺の平穏な生活も、再び戻ってくることだろう。

 ―― 家令代行編 了 ――

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