恐怖大公の平穏な日常
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7 結局、二人も巻き込むことになりました
後はさっきの通りだ。急に今まで得たこともない強大な魔力を身のうちに感じ、その制御を過ったミディリースは、風の魔術を暴走させ、司書室に閉じこもった。
その結果である傷んだ本の山を見ながら、ミディリースは泣きそうな表情を浮かべている。
「ジブライール閣下のことまで、気が回らなくて……」
一方で、急に力を失い幼くなったジブライールは、その途端に判断力も失ったそうだ。
その上、心細さと頼りなさとを感じて動けなくなってしまったのだという。
「側に両親がいないのが、寂しくて、悲しくて、怖くて……まるで本当に子供であった時のような感覚になってしまって……」
苦手な本しかない図書館が広すぎたのも、恐怖を感じる要因の一つとなったらしい。
記憶だけは継続してそのままに、けれど感情は体にふさわしく退行し、いつもの行動力さえ発揮できずに、ただただ泣き崩れてしまったのだとか。
ということは、やはり小魔王様も多少の影響があるのではないだろうか。
「閣下がいらっしゃるお姿を見て、本当に、どれだけ安堵し、嬉しく感じたことか……」
もじもじしながら、そう告白された。
なんていうか……うん、さすがに俺も、今となっては彼女からの好意を素直に感じとれる。
「つまり、閣下。あれってやっぱり、あの魔武具であるウルムドのせい、なんです?」
「どうもそうらしいんだ」
元通り、無爵にふさわしい魔力量に戻ったミディリースの気分も、すっかり落ち着いたようだ。
俺たちは、一人離れて床に座り込む、小魔王様の小さな背中を見る。
俺とミディリースとジブライールが椅子に座って話をし、若干気まずい雰囲気を醸し出している間、小魔王様は一心不乱に手を動かしていた。
それというのも小魔王様は、目が覚めるなり魔術であれやこれや砥石やらを造り出し、ウルムドの錆をとるべく黙々と作業をしだしたのだ。
そう。ジブライールがやろうとしたことを、今、小魔王様がしているのだった。それも手作業で。
おかげで図書館の床には、粉やら水やらが飛び散っている。
その姿はなんていうかこう……地味な砂遊びに一人没頭するお子様そのものだ。魔術を使ってやればいいのに、子供だから思いつかないのだろうか。
まあ、言ってあげない俺も俺だか。
「よし! こんなものだろう!」
突然、小魔王様が叫んで立ち上がり、読書机に駆け寄ってきた。
「見ろ、綺麗になったぞ!」
そう言って、ピカピカになったウルムドを手に持ち、誇らしげに振り回している。
やっぱり、こっちも若干子供っぽいんだよな。
「ところで閣下。この子は……」
まだ先行の大事件を知らないジブライールが、不審な表情を浮かべて小魔王様とウルムドガルムを見比べた。
一応さっき、「魔王様?」と言っていたのだが、本気にはしなかったのだろう。
「二人とも心して聞いてくれ。この小さいのは……」
「なんだと!」
すねを蹴られた。全然痛くないけど!
「こら、閣下に何をするんですっ!」
ジブライールが慌てて小魔王様に駆け寄り、その首根っこをひっ捕まえて引っ張り上げる。
「いくら幼い子供とはいえ、我が閣下に対してその無礼」
「ジブライール、それ、本物の魔王様!」
俺の慌てた声に、ジブライールの動作が止まる。
彼女の葵色の瞳と、魔王様の蒼銀の瞳がかち合い――
さっきと一緒で、なぜか一向に和まなかった。
「魔王陛下……え、この小さい子が!?」
大きく反応したのはミディリースだ。
彼女はジブライールに持ち上げられている小魔王様を見て、驚きの声をあげた。
「いかにも。予が、魔王ルデルフォウスである」
小魔王様は、宙に浮いて足がプランプランなっているにもかかわらず、偉そうに腕組みをして、そうのたもうたのだ。
「え……」
ジブライールが表情を強ばらせながら、こちらに救いを求めるような目を向けてくる。
「つまり、さっきのジブライールとミディリースと同じ理由で、魔王様もこうなっているわけなんだ……」
ジブライールは、自分がつり上げた子供の銀色に輝く瞳を、またじっと見つめなおす。
「魔王陛下……?」
「いかにも」
「…………」
ジブライールは瞬時に青ざめ、そろそろと大事そうに魔王様を床に下ろした。
それから――
「も……申し訳、ありません……」
床に膝をつき、いつもの勢いで、床をめがけて額を振り下ろそうとしたのである。
図書館の床が激しい音をたてて穴を開けるすんでのところで、彼女の額と床の間に自分の手を差し入れる。そうしてその隣に同じように正座し、ほぼ正面の小魔王様に相対した。
「部下の不始末は上司である俺の不始末。罰するなら、どうぞこの大公ジャーイルを」
俺は小魔王様に向かって頭をさげる。
「閣下、そ、そんな!」
横でジブライールがオロオロしているのがわかるので、いつもより早めに頭をあげた。タイミングは重要だ。
「というか、事情を説明する前なんだから、広い心で許してください」
正直、こんなことくらいで魔王様がいちいち怒るとは思っていない。とはいえ精神も子供のそれに退行し、多少怒りっぽくなっている気はするから、いつもより慎重に対応すべきだろう。
……まあ、今の魔王様が怒ったところで、全く怖くもなんともないけど。
案の定、小魔王様は別にムッとすらしていなかった。表情は穏やかそのものだ。
そりゃあそうだろう。寝るのが一番の関心事らしいしな!
というか、今もちょっと眠そうなんだが!
「ジャーイル大公に免じて溜飲は下げよう」
絶対なんとも思ってないくせに、一応格好だけはつけるつもりらしい。いや、ある意味土下座した俺の面子を守るためかもしれないけど。
「しかしこうなった以上、この件に関してそなたの協力を求める。無礼の詫びとして励むがいい」
「ははっ」
ジブライールは子供魔王様を前にしているというのに、いつもの真面目さで頭を下げている。
横で俺が、微妙な心持ちになっているとも知らず。
うん……どうしても、今の小魔王様の口から仰々しい言葉が出ると、「この生意気な小僧めっ」って言いながら、額を小突きたくなってしまうんだよな。自重しないと。
「すまんが、ジブライールも巻き込む形になる」
「は……はい、ぜひ!」
面倒ごとだというのに、なぜかジブライールは嬉しそうだった。
「え…………わ、私、は……」
ミディリースが口元を引きつらせながら聞いてきた。
「もちろん、ミディリースは最初から巻き込むつもりだ。安心してくれ」
「えええええ……」
おいミディリース。ジブライールの真面目さを見習ったらどうだ。
魔王様の前なんだから、内心どう思っていても、こらえてくれよ。その嫌そうな顔はないんじゃないか。
ほんとに、引っ込み思案なんだか遠慮がないんだか、わからない。
ともあれ、仕切り直しだ。
「見ろ、やはりウルムドガルムに間違いないようだ」
椅子に座った小魔王様は、子供ながらに重々しくそう言って、机の上にウルムドを置いた。
ただ、小さくて胸から上しか見えておらず、格好はつかない。子供がお気に入りのおもちゃを差し出しているようにしか、見えないのだ。
それはともかく、魔王様が頑張って手ずから磨いた甲斐あって、あれほど錆びていた表面はピカピカ、刃もギラギラ、研ぎ澄まされている。
ティムレ伯が言っていたとおり、「キレッキレ」の外縁だ。
その円盤の片面に、ウィストベルが言っていたガルマロスの紋章〈真円を四つに分ける十字と鏃〉、それの流血バージョンが、きっちり表われていた。
「これ、ガルマロスの紋章に似ている気が……」
「確かに」
さすがミディリースもジブライールも、高名な武器製造人の名は知っているか。
……ジブライールは意外だったが。
「その通り、これはガルマロスの造った武器だ。もっとも、紋章はいつもと違っている。ちゃんと焼き付けたんだろうに、どうすればこんなことになるんだろうな」
一旦紋章符に刻まれた紋章は、以後、自らの魂にも刻まれる。何かに焼き付けるとき、その時の気分でこう描こう、と意図して別の色形にできるわけではないのだ。
だがガルマロスの紋章は、確かに彼自身の焼き付けによるものに違いないにもかかわらず、普段のそれとは違う姿を見せていた。
「聞いたこと、ある、です」
俺以外もいるというのに、ミディリースが今日は比較的自然に言葉を紡ぐ。緊張している様子も、ほとんどなかった。
とはいえ、人見知りが直ったのかと判断するのは早計だろう。
ジブライールに慣れたのは先述のとおりだし、小魔王様も自分より遙かに幼い姿になっていることで、あまり意識せずにすんでいるだけなのかもしれないからだ。
「何かを恨み、呪う心が強いと、その紋章はおどろおどろしいものに変わることがあるって……」
「へえ、そうなのか」
確かに流血を思わす姿は、おどろおどろしいと言えなくないのかもしれない。
「ガルマロスは一体、何を呪ったのでしょう」
「さあな。弱者の思想など、興味もないがな」
なるほど。ちっちゃくても、やっぱり魔王様はベイルフォウスの兄ということらしい。
自分も今は弱いのに、とかは言わないでおいてあげよう。
「自分の弱さ……とか……」
四人の中でミディリースだけが、自身の感傷的ともいえる言葉に共感しているようだった。
「とにかく、ミディリース。この小魔王様に、隠蔽魔術を施してもらいたい」
「小魔王様とはなんだ!」
またすねを蹴られた。ホントに足癖の悪い子供だな。
そういえば、弟も割と足を蹴ってくるっけ。
「それから、これから話す事情は内密にしてくれ」
「もちろんです!」
俺が口の前に人差し指を立てると、ジブライールは即答し、ミディリースはコクコク頷いた。
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