恐怖大公の平穏な日常
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6 お父さんの気持ちになるのは早いと思います
「閣下!」
叫ぶと同時に、ミディリースが首根っこに飛びついてくる。予想通り、普段のジブライールと同じ魔力量をまとったミディリースが。
「怖かったぁぁぁぁぁ!」
彼女がそう叫んだ瞬間、規則性に乏しい術式がいくつも周囲に表われた。
突然のことにギョッとはしたが、対処に手間取る速度や規模ではない。それが発動する前に解除してみせる。
……ちょっと待て。
ミディリースは年齢も戻ってないはず、だろ? 奪ったほうなんだから。
外見だって、いつも通りだ。
なのになに、この状態。
っていうか、ミディリース!
錆びたウルムドがさもブレスレットのように、君の細い手首を飾ってるんだけども!
無事だったからよかったものの、うっかり俺に刺さってたら、今以上の面倒になりかねなかったではないか。
……いや、実際どうなるんだろう?
ガルムシェルトの能力は、『無爵のごとき弱者』が持った時にだけ、その能力を発揮する、とウィストベルは言っていた。
ジブライールは間違っても弱者ではない。ならば彼女の魔力を得た今のミディリースが、そのウルムドで俺をうっかり傷つけたとしても、特殊能力は発揮されないのではないだろうか。
もっとも、実証してみる気にはとてもなれないが。
「ミディリース、ちょっと離し」
「いやっ!」
「一旦降り」
「だめっ!」
「とにかく、落ち着いて話を」
「むりっ!」
「大丈夫、すぐになんとかしてやるから」
「早くなんとかしてっ!!」
ミディリースが叫ぶたび、術式がいくつも表われる。
どうやら、無意識らしい。
生まれて初めて身のうちに宿った強大な魔力を、制御しきれないのだろう。
その上、体を離すどころか、いっそう強く抱きつかれたんだけど。
こういうのを『浮気現場の馬鹿力』とでもいうのだろうか。ひ弱なミディリースだというのに、すごい腕力だ。
仕方ないので、マーミルのように抱きかかえて、俺はジブライールと小魔王様の元へ戻った。
散らばっていた本が綺麗に片付き、きちんと机の上に並べられている。
小魔王様が魔力でも使って、頑張ったのだろう。
それはいい。だが――
小魔王様! また寝てやがる!
綺麗に片付けた本に埋もれるように、顎を机の上に置いた生首状態で寝てる!
「任せろ」は俺の空耳だったのか?
〈暁に血濡れた地獄城〉での緊張感は、なんだったんだよ!
いくら俺の結界があるとはいえ、油断しすぎじゃないだろうか。
それともやっぱり中身も子供になっていて、本能から出る欲望に対する抑制がきかないのだろうか。
つまり――お昼寝が必要なのか、小魔王様!
一方、ジブライールは、ちゃんと座らせたままの場所に、姿勢正しく行儀良くいる。自分で折ったのか、短くなった袖から伸びるまん丸の拳を、きっちりそろえた膝頭に添えて。
だが俺の姿を見るなり、彼女は椅子から飛び降りてこちらに駆けつけてきた。それから俺のズボンをきゅっと掴むと、うつむいたのだ。
上から見ると、ぷにぷにの頬は腫れているかのように真っ赤に染まってみえる。
「どうした、ジブライール」
質問すると、彼女ははにかむような表情を浮かべ、俺を見上げてきたのである。
「わ……わたしも、だっこ……」
え?
「だっこ、してほしぃ、です……」
えええええ……。
俺はジブライールの頭に手を置き、撫でながらこう言った。
「また今度な」
ところが、彼女はその返答では納得してくれなかったのだ。
キッと眉尻が上がる。
「い、今じゃないと、ヤです!」
えええええ……。
「だって、ミディリースだけずるい……わたしだって……わたしだって、ふぇ……だっこ……ふぇえええん!」
あろうことか、幼女ジブライールはまた、号泣しだしたのだ。
間違いない! 小魔王様はともかく、ジブライールは絶対、頭の中まで低年齢化してる!
「あーわかったわかったわかった。ほら、ちゃんとだっこしてやるから!」
なんてこったい!
寝てる子供一人に、泣いてる子供二人……。
その三人を前にして、俺は一気に手のかかる三人の子を持つ父親の気分を味わうことになったのだった。
しかし幸いにも、というか、ジブライールとミディリースの件はサクッと解決した。
奪った者と奪われた者、それからガルムシェルトと思われる肝心のウルムド。その三つがちゃんと同じ場に揃っていたからだ。
たが、解決に持ち込むまでには、結構な時間を要した。
ミディリースの怯えは、本能的なものだった。突然、自分の身に宿った強大な魔力に、うまく対応できなかったのだ。
それでも叫び出さない限り、暴走する力をなんとか抑えられたのは、ひとえに本に対する愛情からだったのだろう。
彼女は大事な本を自ら傷つけてしまったという事実に、ひとかたならぬショックを受け、また、これ以上の破壊を避けるためにも、司書室の物置に閉じこもっていた、ということらしい。
まあ、そうはいっても、ミディリースの場合はちゃんと中身も大人のままだ。
だからひとしきり泣いて不安を払拭させた後は、落ち着くことができたのだった。
俺はいちいち術式を解除するのに、忙しかったがな!
問題は、ジブライールだった。
本当に中身も幼児化しているらしく、ミディリースが離れたからジブライールも降りような、と言っても、首を左右に振るばかりで、頑として俺から離れようとしなかったのだ。
強引に下ろそうとすると泣くし……。
あげく、なんとか言い聞かせて魔力を元通りにするときにも、俺の膝から降りないというのだから。
「このまま元に戻るってことは、どういうことかわかるだろ?」
俺よりむしろ、本人が恥ずかしがるに違いない。気を遣ってそう言ったのに、効き目はなかった。
俺は大事なところを守る気構えをしっかり持ち、その時に臨んだのだ。
ジブライールがウルムドで、ミディリースの手に小さな傷を付ける。
投げたのではなく手に持ってやったからか、魔力はすぐに移動し、それからジブライールの姿も俺の膝の上で、すぐに本来の重さを取り戻した。
「も、申し訳ありませ……」
俺の膝の上で元に戻ったジブライールは、ようやく精神も大人のそれを取り戻したのか、照れたようにそう言った。それだけで終わりそうな雰囲気に、ホッとしたのも束の間――
最大の失敗は、俺もジブライールもミディリースも、誰一人気づかなかったことだ。上着しか羽織っていないジブライールが、そのまま元の身体に戻ったら、どういう格好になるのかと。
俺の膝から降りたジブライールは、ふと、違和感を覚えたのだろう。おもむろにうつむき、自分の下半身が下着一枚であるという状況に、遅ればせながら気づいたのだった。
「いやあああああ!」
レース付きの水色のパ……ごほん、あられもないジブライールの姿を見せつけられ、気が抜けた一瞬の隙をつかれて、俺は椅子ごと突き飛ばされた。
ちなみに、この一連の騒ぎの中でも、小魔王様がずっと読書机にかじりつくようにして寝ていたことだけは、付け加えておきたい。
「本当に、なんとお詫びをすればよいか……」
「いや、まあ……うん。二人に大事がなくてよかった」
俺は若干じんじんする腕をさすりながら言った。
ようやく落ち着いた二人から聞いた、事の顛末はこうだ。
ミディリースの元に、錆びたウルムドを置いていったのは、知ってのとおり。
司書は俺がいなくなっても、熱心に一人で資料を当たっていてくれたらしい。
そこへ、ジブライールが俺を探しにやってきた。
ジブライールには、ミディリースも何度も顔を合わせている上、同性ということも手伝って、このところようやく慣れたそうだ。逃げずに、ちゃんと対応できるようになったとか。
俺はいなかったが、ミディリースから話を聞いたジブライールは、俺の役に立つのなら、と、司書を手伝うことにしてくれたらしいのだ。
だが、脳筋魔族の例に漏れず、ジブライールも本が苦手なのだった。細かい字でびっしり書かれている文字を見るだけで、すぐに嫌気がさしたのだとか……。
「目はチカチカするし、気分も悪くなってきて……」
なぜ、本を読むだけでそんなことになる……。
「そんなんで、よく報告書が書けるな……」
「読むのと書くのは別ですし、また、全然違う種類のものですし……」
うーん、なんか違うってのはわかる。俺はどちらかというと、報告書を書いたり読んだりするより、本を読む方がずっと楽だ。
それはさておき、そもそも肝心のウルムドの記述を一冊の中から探すのに、大部分の関係ない箇所を読むことにすぐに飽いたジブライールは、別の手助けを思いついた。
それが、ウルムドを綺麗にすることだったらしい。
「そもそも、閣下のお手に触れるものが、こんな汚れていてよいはずがありません」
そう考えたジブライールは、ミディリースの近くにあったそれを、投げてよこすように言ったのだという。
ちなみに二人は同じ読書机ではなく、別々の読書机を利用していたのだとか。
「本当に申し訳ありません……ミディリースは危ないと渋ったのですが、投擲武器なのだから、問題ないと言ってしまって……。それに、どんな強く投げられても、受ける自信もありましたし……」
だが、実際には逆だった。
強くどころか、ミディリースの予想を上回るひ弱さによって、ウルムドはジブライールの遙か手前で、床を目指して下降しだしたのだ。
まさか落とすわけにもいかないと、慌てて駆け寄るジブライール。
実際には武器だし落としても問題なかったのだが、俺のものであるという事実が、彼女が常になく焦った一因なのだろう。
床に落とすことなく受けたはいいが、その時、少し錆で手を切ってしまったのだという。
「だ、大丈夫ですかっ」
ミディリースは駆け寄り、傷を見るためにジブライールの手からウルムドを受け取って手首にかけ――結果、意図せず魔力の交換が行われた、というのが事件のあらましのようだった。
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