恐怖大公の平穏な日常
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9 意外な事実が判明しました
ちなみに、エンディオンは何も言わなくても、さすがにある程度察してくれているようだ。それでも、あきらかに不審と思っているだろうことについて、詮索してこなかった。
だが、俺の方の罪悪感が半端ない。
わかるだろうか? まるで浮気でもしているかのような、この罪悪感が!
つい出来心でうっかりしてしまった浮気が、すっかりバレていると確信できるのに、相手はこちらを責めてもこないで、いつもと同じようにニコニコと接してくれる。この、居心地の悪さ、生殺し状態とでもいうのだろうか……。
なぜって、そんな態度がいつまでも続く訳がない。
相手が怒り出すその瞬間を、ビクビクと待ち構えている俺。
いいや、いっそ怒ってくれた方がスッキリする。でも黙ったままで、内心不満をためられ、いつか呆れられ、見限られて、捨てられるかと考えると!
「ごめんな……エンディオン」
思わず口をついた謝罪に、しかし彼はこう返してくれた。
「よろしければ、しばらく許す限りのお食事を、図書館にお運びいたしましょうか? 旦那様は図書館で調べ物をなさる必要がおありのようですので。謁見も中止になさるのであれば、そう手配いたしますが」
ほら!
ほら!
小魔王様は、このエンディオンの何が不満だって言うんだ!
我が優秀なる家令の提案をことごとく受け、それから司書室に戻ると、そこにはまたしても思ってもみなかった光景が広がっていた。
オロオロするジブライールをよそに、背もたれを倒して寝台にした長椅子二つをくっつけ、その上で仲良く手をつないで眠る少年と少女――ただし、子供なのは二人とも見かけだけ。
「も……申し訳ありません、閣下。やはりその……魔王陛下が寝台のことを気にされ、それで実際に広げてみようということになり、設置したはいいのですが、そのまま寝心地を試すとかで、陛下がまず寝てしまわれて……そこへミディリースまで、ちょっと私もとか言い出して……」
おい、ミディリース。人見知りのくせに、まだたいして仲良くない相手と寝るのはいいのか?
「さすがに魔王陛下の隣に横になったのはどうかと思ったので、下ろそうとしたのですが、陛下がミディリースの手を……手を……」
他人のことだというのに、まるで自分がそうされてでもいるかのように、ジブライールは恥じらいながら、赤く染まった頬に手を当てた。
そういえば、魔王城へ隠蔽魔術を施した時のことを思い出しても、ミディリースもよく寝る娘だったな……。もしかして、普段も仕事中にこうしてちょくちょく寝てるんじゃないだろうな。
それにしたって、自分から手をつなぐだなんて、子供で寝てても女好きなのか、小魔王様! 血は争えないな、小魔王様!
それにしてもまあ、二人ともスヤスヤと平和な顔して、気持ちよさそうに……。
俺は起こしてやるつもりで、小魔王様のぷにぷにほっぺをつつく。だが、にへらと笑われただけで、起きる気配は全くなかった。
手に涎をつけられる前に、やめておこう。
「ところで、魔王様に隠蔽魔術はかかってるのか?」
「ええ、かけたようです」
「にしては、姿が見えるんだけど……」
「同じく隠蔽魔術を施された部屋の中では、かけていないのと同じように見えてしまうそうです。いわゆる、結界内にいるような感覚だとか……」
つまり小魔王様が図書館から出ると、俺からもジブライールからも見えなくなるわけか。
それってどのくらいの効力なのだろう。俺が見ても、魔力すら認められないのだろうか。
「なら、このままでもいいだろう」
「え、よいのですか!?」
「うん。どうせミディリースの司書室に、勝手に入ってくる者もいないんだし、朝までこのまま放っておいても問題ないだろう」
「えっ、朝まで!? で、ですが閣下、こう見えてもミディリースは成人女性ですし、外見がどうであれ、魔王陛下も中身は若干女好きの、立派な男性です! 万が一のことがあっては……」
へぇ……ジブライールって、魔王様のことそう思ってたんだ。
「さすがに心配しすぎだと思うけどな。いくら魔王様が、普段は〝若干女好き〟でも」
「あ、いえ……あの、今のは……」
無意識に出た言葉だったのだろう。ジブライールの焦りっぷりに、思わず笑みが漏れた。
「寝てるから大丈夫、聞かれてない。第一、聞かれたところで事実だし、問題ない」
「す……すみません」
しっかりしているように見えて、実は案外天然だったりするからなぁ、うちの副司令官。
「で、ですがあのっ」
ジブライールは目を白黒させながら続ける。
「魔王陛下をこのような姿にした相手の正体も、まだ何もつかめていないと聞きました。なればこそ……もちろんよもや、閣下の結界内とも言えるこの〈断末魔轟き怨嗟満つる城〉への不審者の侵入など、許されるはずもございませんでしょうが、正攻法で他に紛れてやってくる、という可能性もございます。このまま無防備な二人を放っておくというのはいかがなものでしょう」
まあ、そう言われればそうかもな。
「そんなに心配なら、俺たちも今日はこの隣で――」
いや、待て俺。
冗談は、言う相手を選べ!
ジブライールだぞ?
俺のことが大好きな……こほん、とにかく、この先を続けたら、冗談ではすまなくなるかもしれないじゃないか!
「おっ……俺たち、も……と……隣、で……?」
ほら見ろ、期待させちゃったじゃないか!
なんか頬が赤らんでるじゃないか!
ベッドをさわさわ撫でだしたじゃないか!
「いや……。念のため、俺が司書室単体に結界を張っておこう」
「……はい……」
俺の素知らぬそぶりに、ジブライールはベッドを撫でるのを止めた。
「そうしておけば、誰もおいそれとは侵入できまい」
ああ、いや……万が一、魔王様の魔力を奪った相手がやってきたなら、俺の結界が破られる可能性もあるだろうが……そんな特殊な事情は考えなくてもいいだろう。
実際、この司書室でかくまう、というのは場所といい条件といい、悪い案ではないのだから。
ただそうであるにしても、ジブライールの言うとおり、さすがに魔王様とミディリースだけ二人きりで一晩中、というのは色々よくないかも知れない。
仕方ないな。
「領内のファイヴォルとエルダーを魔武具と問わず全て、大公城に届けるよう、さっき大公会議の招集状と一緒に命令書を仕上げて各副司令官と軍団長に送っておいた。ジブライールも帰って内容を確認しておいてくれ」
「はい。わかりました」
「くれぐれも、この件については内緒にな。たとえ、家族にでも」
「こんなことが、母に知れたら一大事です! 間違っても口は割りません!」
ん?
俺は軍団長でもあるドレンディオのことを言ったつもりなのだが……。なぜ、リリアニースタ?
しかもどういう訳だかジブライールは、俺の思った以上の危機感を抱いているようではないか。
「リリアニースタ?」
「はい。特に母には絶対、悟らないよう、気を付けます!」
「……その固い決意はありがたいが、なぜそんな……」
俺の問いかけに、ジブライールは眉を顰めた。
「母は……まだ、魔王陛下のことを好……想っていると思われます」
……は?
「え? リリアニースタが魔王様のことを……? え、なに……?」
え、『好き』?
「待ってくれ。リリアニースタには、愛妻家の夫が……ああ、そういえば〝愛妻家の〟夫だった!」
「今の魔王陛下の状態が知られたら、自分がこのまま育て上げるとか言ってさらいかねません!」
ジブライールは両手で顔を覆い隠した。
えー。
いや、そういえば確かにウィストベルも言ってたけどさ!
リリアニースタが魔王様になる前の魔王様に、秋波を送っていたって!
でもそれってもう、五百年近く前のことだろ?
「さすがにそれは、心配しすぎじゃないか?」
その間にちゃんとドレンディオと結婚して、ジブライールを生んでるんだし!
「……実は、母は結構、強運なんです」
そういえば、コンテストの奉仕も宣言通り、引き当てたもんな。だが、それが何の関係が。
「若い頃はモテていたようですし」
前回のコンテストでは、十位までにも入ってたんだよな、確か。
「自分から誘ってなびかなかった男性は、ほぼいないとか……」
だからあんなに自信満々なのか。
「ただ唯一、ルデルフォウス陛下だけは、何度、どうやって口説いてかかっても、相手にもしてもらえなかったと……」
結構女好きなのに、か、魔王様!
しかもあんな気の強そうな女性、好きそうなのに!
「母が引きこもっていた理由の一つには、失恋の痛手を忘れられないから、というのもあるのです」
ええ……なにそれ……。
「母は娘の私には、自分と同じ想いを味わわせたくないときっと思っていて、それでこの間もあんなことを……」
ジブライールは口ごもり、首を左右に振った。
「ですから、情報の取り扱いには、細心の注意をはらいます!」
「ああ、うん……頼むよ……」
まさかの理由だった。
しかし、内緒にするという固い決意に不都合があるわけではないし、まあいいだろう。
「じゃあ、そういうことでくれぐれも頼む」
「はい。では、今日のところは失礼いたし――」
ジブライールは決意とともに立ち上がり、それからふと、疑念の表情を浮かべる。
「閣下はどうなさるのですか?」
「どうって? もちろん、マーミルにもこの件は明かさないが……」
「あ、いえ……私が出て行ったあと……閣下もご自身のお部屋に戻られるのでしょうか。それともお仕事に……」
「俺? 俺はもちろん、少なくともミディリースが起きるまではここにいるさ。さっきジブライールも言ってくれたとおり、さすがに二人きりで放っておくわけにもいかないからな」
「と、いうことは……あ、朝まで起きなければ……」
「朝まで見てることになるな」
ジブライールの表情が強ばったのがわかった。
「ミディリースを、朝までじっくりご覧に……」
若干、声が低くなったように思えるが、気のせいだろうか。
「別にミディリースを見ているわけじゃなくて――」
「起こしてみてはいかがでしょう」
握りこぶしからボキボキと、骨のなる音が聞こえてくるのも、気のせいだろうか。
「ちょっと待て、ジブライール。相手は魔王様だ。いくらなんでも、殴って起こすというのはどうかと思うぞ」
「ま……まさかそんなこと! 考えてもいません!」
ですよねー。まあ、俺も本気では言ってはいない。
もっとも……ジブライールは興奮すると、割と我を忘れるタイプだと思っているのも事実だ。
「なら、ジブライール。ミディリースを母の男爵邸まで送ってやってくれるか?」
ミディリースは確か、毎日男爵邸から魔獣の背に乗って、この城へと勤めにやってきているはず。最初はその背からも落ちそうになっていたそうだが、最近ようやく慣れたと言っていた。
だが、さすがに寝たままその操縦をするのは無理だろう。
「それはもちろん、構いませんが……起こさないのですか?」
「せっかく気持ちよさそうに寝ているからな。中途半端に起こすのは、可哀想だろう。それに、この状況でミディリースだけ起こしても……」
魔王様に手を握られていることを知れば、さすがに慌てふためくに違いない。
「起こすなら、先に魔王様だ。簡単だし」
「簡単、ですか?」
「ああ、簡単だな」
俺は、魔王様の耳元でこう囁いた。
「魔王様、ウィストベルが浮気現場を見てますよー」
「いや、違う、彼女は……! これはそういうつもりでは!」
小魔王様は顔面蒼白になって飛び起きる。
まさかホントにそんな夢見てたのか、小魔王様。見た目子供のくせに……。だいたい、彼女って誰なんだ。
その後は無事にミディリースがジブライールを送って帰り、小魔王様は司書室で就寝し、俺も自分の部屋で一人、落ち着いて眠りについたのだった。
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