恐怖大公の平穏な日常
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32 ベイルフォウスの目論見
エルフォウンストの前に現れる全ての者を、私は見知っていた。
魔力の強弱が見えるこの瞳で、脅威になる者がいないか常に確認し、報告するよう強制されていたからじゃ。
だが逆に、エルフォウンストの配下らが私のことを、それから私と同じ眼を持つもう一人の存在を、知ることは決してなかった。万が一、彼らが我らを見る機会があれば、さぞ滑稽に映ったことであろう。
エルフォウンストの座る魔王のための、天を衝く立派な椅子。その背もたれを、装飾過多にすることで厚さをごまかし造った空洞。その中を更に左右に分断した空間に、身動きもとれない状態で、私たちは押し込まれた。エルフォウンストがそこに座る時は、必ず。
疲れても座ることすらできぬその狭い中、壁に張り付くようにして、小さく穿った孔を見つめ続ける。登城する配下をその孔から監視し、王座の魔王に強さを報告するのが、幼い頃に拐かされて以降の私――それからもう一人の役目であった。
だから当然、私はルデルフォウスのことも、彼が侯爵の頃から知っていた。彼がその頃は、魔王領にあったからじゃ。
侯爵ながら、既に大公にも手が届くほどの実力を持ったその青年は、大勢の臣下の中に混じっていても、ひときわ目立って見えた。
副司令官や公爵といった強者ですら、エルフォウンストの残虐に阿る態度を取る中、恐れず真っ直ぐに魔王を射貫くその銀色の瞳に、惹かれぬはずがなかろう。
弱者であれば余計に……。
大公プートですら遠慮をする魔王に、ルデルフォウスは挑みかかるような視線をさえ、向けていたのじゃから。
大した理由などなくとも臣下を罰し、徒にその命を奪うエルフォウンストが、そんなルデルフォウスを生かしておいたのは、奇跡に近かったろう。
我らの報告がなくとも、その魔力が強大になりつつあることを、察せられなんだ者はおらぬであろうから。
それほどに、ルデルフォウスの覇気はすさまじいものであった。
私は彼の魔力が日増しに増強していることを、できればエルフォウンストに報告したくはなかった。してしまえば、その態度とあわせて危険分子として目されることはわかっていたからじゃ。
だが、正直に報告せぬわけにもいかなかった。
一方が嘘をつけば、双方が折檻される。同じ立場とはいえ、仲間意識を持つことすら許されなかった。
なにせ我ら双方に自由はなく、私は同じ能力を持つ相手と意見をすりあわせるどころか、顔を合わせる機会すら、ほとんどもてなかったのだから。
そんな中でガルマロスは、魔王エルフォウンストが我らに引き合わせた、珍しい相手だった。
「この者たちの特殊魔術を奪う武器を、その才を存分に発揮し、造ってみせるがよい」
武器製造人は、珍しく仕切りもなく並べられた私ともう一人を前に、魔王にそう命じられたのだ。
私たちの前にいた、同じ能力を持つ者たちから赤金の瞳を抉り出し、配下に移植した実験が、何度も失敗をみた末の命令だった。
ガルマロスも断れば命がないことは察していたのじゃろう。様々な魔武具を、あり得ないペースで産み出した。
傷つけた相手の生命力を奪う剣、一時とはいえ、若さを奪う短槍、一見ふざけたような、当たった箇所の毛を奪う槌や、打った部位の脂肪を吸い取る鞭、といったようなものまであった。
じゃが、何種類、何本、何十本と造ったところで、ガルマロスは我らの目の力を奪う武器を造ることはできなかったのじゃ。それを確認するために、何度刺され、何度抉られ、何度打たれ、何度削がれ、何度切り刻まれたことか……。
ガルマロスにとっては不幸なことに、エルフォウンストはヴォーグリムよりさらに気が短かった。辛抱強く結果を待ったのはたったの数ヶ月。
全く成果を出さないその武器製造人としての能力を見切り、エルフォウンストはガルマロスの両腕を落としたのだ。
真実を言えば、ガルマロスが最後に造った武器――ガルムシェルトは、私ともう一人のためのものであった。魔王に恨みを抱いたガルマロスによって、事実〈無爵のごとき弱者〉であった我らのために造られた――
じゃが……。
「ベイルフォウスがこちらに来た、と?」
「はい、『兄貴の顔を見に来た』とおっしゃって、疑念の多い他の訪問者たちを、その凜々しい態度で説得してくださいました」
強力な幻影魔術の使い手たる彼女――我が副司令官のイムレイアが、陶然と息を吐く。弟と違い、デーモン族の両親の間に生まれ、自身、れっきとしたデーモン族の、色々な意味で主張の激しい娘じゃ。
強さについては大公位にあってもおかしくないほど……もっとハッキリ言うと、弟のロムレイドよりなお強いのじゃが、やや性格に難がある。そのうちの一つが、父に似たと思われる惚れっぽさじゃ。
「ベイルフォウスがそれだけのためにこちらに顔を出したとは思えぬが」
「我が君。ベイルフォウス様は、慣れぬ地に長居の私を労いに、その情の深い尊いお姿を顕現くだすったのです」
桃色の長い吐息を放つ。彼女の場合は比喩ではなく、実際に幻影魔術が干渉し、その時の感情に染まった色の息を吐くことが、ままあったのだ。そして桃色の吐息がその口からこぼれ出る時は、決まって男絡みなのだった。
しかも気が多いといえ、中でも特に、ベイルフォウスに覿面に弱い。彼が白を黒と言えば、何のためらいもなく頷くほどに。
「何か頼まれなかったか?」
「……」
イムレイアは首を傾げる。癖の強い髪が揺れた。
「そう言えば、頼まれました」
それでも、私には従順な副司令官であるのだ。その、姉とは違って。
「違うお酒に見えるようにと」
「違う酒?」
「持ってこられていたお酒の瓶の形、匂い、味に幻術を施しました」
「酒瓶の形と酒の味と匂い?」
そんなことをして、何の意味があるというのか。味と匂いを変えるのは、百歩譲ってまだわかる。魔族にとって、意味があるのはその二つくらいじゃろう。
しかしそれも、ベイルフォウスであれば目当ての酒を手に入れた方が早かろうに。
その上、瓶の形など変えて、一体何の意味があるというのか。
そう疑問に思う我が視界に、幻術を施す前の姿と思われる酒瓶が飛び込んできた。
その銘柄は、私の嫌いな女が好んで飲むそれに間違いなく――
「ベイルフォウスはこれに、主の幻術を施したのか」
「そうです。一本、礼にとくださいました。はぁ……もったいなくて、飲めないわぁ……」
イムレイアは酒瓶を持ち、頬を擦り付ける。
魔族は酒には酔わぬ。じゃが、数少ないとはいえ、その魔族をも酔わせる酒があった。その一つが、今この目の前にある酒――そうはいえ、私もベイルフォウスもルデルフォウスも、これを口に含んだところで酔いはせぬ。じゃが、一部の魔族を酩酊させるほど、酔わせる酒であるのも事実であった。
例えば、ちょうど今、この魔王城にいるジャーイルを――
「ベイルフォウスはこの酒を、ジャーイルに飲ませるつもりなのか?」
「さあ……理由などは特に、お伺いしておりませんが」
イヤな予感がした。
私は執務室にとって返す。
「ベイルフォウス!」
叫んで執務室に飛び込んだ。
それは、今まさに――右手にエルダーガルム、左手にウルムドガルムを握ったルデルフォウス――いいや、ベイルフォウスが眠るルデルフォウスの手を操り、それぞれの武器を己と己が親友と公言する男に突き立てた、その瞬間だったのだ。
「馬鹿なことを!」
私は彼らに駆け寄り、ルデルフォウスの手から二つの武器を取り上げる。
だが、時既に遅し。
ルデルフォウスの身体の変化は始まり、そして、一瞬で終わったのだ。幼い子供から、大人の姿へと――
「ルデルフォウス……」
彼は変化を経てなお、眠っていた。今頃は夢の中で、記憶の奔流を受けているのだろうか……。それとも夢など見ず、ただ疲れたように眠っているだけなのだろうか。
どちらにしても、久しぶりに見る壮年のルデルフォウスは、穏やかな表情を浮かべていた。
思わずその頬に、手が伸びる。
変化を見せたのは、もちろんルデルフォウスだけではなかった。同時にベイルフォウスも――赤く長い髪はそのままに、兄と入れ替わるように縮んでいったのだ。
じゃが――
「なぜ……」
子供の姿になったベイルフォウスが、ジャーイルを見て愕然と呟く。
「なんでジャーイルの姿が変わらない!」
ベイルフォウスの叫びは、悲鳴に近かった。
「そんなはずはねぇ。そうだろう? なあ、ウィストベル!」
ベイルフォウスは縋るような瞳を向けてくる。
「大丈夫だよな? 姿は変わってないが、ジャーイルの魔力は兄貴に移っているよな? それこそ、デイセントローズのように、大人になってから今の魔力を手に入れたのなら……」
それこそ、私のように……か。
だが、姿だけではない。私の目で見ても、床に座らされて眠るジャーイルの魔力は、手に傷を付けるその前に比べ、微動だにしていなかったのだ。
「いいや、ベイルフォウス。残念じゃが、ジャーイルの魔力に変化はない」
私はもちろん、ベイルフォウスに自身の特殊魔術のことなど明かしてはいない。だが、ルデルフォウスの弟に対し、そう答えるのに抵抗はなかった。
「お前が確かめても、そうなのか……」
ベイルフォウスの声は、絶望に彩られていた。
「そもそも同時の発動など、できるわけが――」
「いや、できる。全く同時に二人を攻撃すれば、その双方から同じだけ、魔力を奪えるんだ。何組もの配下で試した俺が言うんだから、間違いない!」
確かに。ジャーイルならともかく、こんな重要なことをベイルフォウスが実証もせず、いきなり試すことなどあり得ようか。
ベイルフォウスとジャーイルの魔力を同時に奪う……確かにそれであれば、ルデルフォウスが以前のような強さを取り戻すであろうと、ベイルフォウスが考えたのも無理はない。
いいや、成功していれば、間違いなく以前以上の強さを誇る存在になっていたであろう。
じゃが、実際にはエルダーガルムはその能力を発揮したが、ウルムドガルムは音沙汰ないのだった。
「ならば、タイミングがずれたのじゃろう」
「いや、間違いなく同時のタイミングだった。俺が失敗するわけがねぇ」
ベイルフォウスは小さくなった自分の手の平に深くできた傷を、じっと見つめる。ジャーイルの手についた小さな傷と違って、血がドクドクと流れていた。
確かに、自分の身を犠牲にまでしたベイルフォウスが、そんなミスをするとは思えぬ。
だとするなら、考えられることはただ一つ――
私はため息をつく。
それは私のような――いいや、かつては弱者でしかなかったであろう、どの同胞たちにとっても恐るべき事実であったろう。
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