古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十三章 魔武具騒乱編】

33 切実な望みと無意味な結果


「では、信じがたいことじゃが、ジャーイルにはさきほどの陛下――それから、今の主ほどの魔力であった時期がないのじゃろう。生まれて以降、一度もな」
「馬鹿な……」
 ベイルフォウスは脱力した風に、その場にヘタリと座り込んだ。
 ジャーイルは少しばかり、子供の頃から強かったのかもしれぬ。少なくとも、ほとんどの強者であれば経験しているであろう、今のベイルフォウスほどの魔力であった時代が、ないのじゃから。

「ほんに、馬鹿なことをしたの、ベイルフォウス。結局陛下の魔力は、主の魔力と入れ替わっただけじゃ」
「……だが、俺にはこうすることしかできなかった。これ以上、弱い兄貴を見ているのは耐えられねぇ」
 少年というよりは、少女のようにも見える容貌は、悲しげに曇っていた。

 気持ちはわかる。ベイルフォウスにとって兄ルデルフォウスは、絶対の強者でなくてはいけなかったのだろう。
「なぜ、ジャーイルを選んだ。私がいなかったからか?」
 ベイルフォウスは己と私とで試すべきだったのじゃ。そうすればルデルフォウスは名実ともに、史上最強の魔王となっていたじゃろう。

「お前がここにいても、いなくても……俺の片割れは、ジャーイルにするつもりだった」
 だからわざわざ呼び出したのだ、と、ベイルフォウスは子供ながらに、まだ薄い眉を顰めてみせた。
「なぜじゃ」
「俺には兄貴がいる。こうなって、いずれ記憶を無くしても、また兄貴が育ててくれるだろう。ジャーイルには……」
 その名を口にするのをためらうように、ベイルフォウスは一旦、口を閉じた。

「マーミルがいる。まだ幼いが、兄妹の保護については、やっぱり全てを知る兄貴が何とかしてくれるだろう」
 ベイルフォウスは兄と同じ、蒼銀の瞳を向けてきた。
「だが……」
「私には誰一人、家族がない……か」
 我知らず、自嘲が浮かぶ。

「いいや。兄貴にはお前が必要だ、ウィストベル。子供のお前じゃない。今のお前が……だが、こうなっては……」
 確かにこうなっては、ベイルフォウスのしたことは結局、無意味じゃ。

 ルデルフォウスがベイルフォウスの魔力を得た今の姿は、ついこの間まで王座に座っていた男の姿と、外見は寸分違わぬ。ならば周囲をうまくごまかし、魔王位に居続けることもできるかもしれぬ。
 じゃが、そうしたところで、いずれ気づく者が現れるであろう。おそらく、そのはじめの一人はプートじゃ。それも遠くないうちに。

 彼は「真のルデルフォウス」には今のところ忠誠を誓っているが、理由はどうあれ「自分より弱い力で安定したルデルフォウス」には従わぬであろう。
 いずれその魔力が、自分をしのぐほどになるとしても……。
 ベイルフォウスにとっても、その予想は容易いものであるに違いない。彼は私の前に両膝、両の拳を地につき、凜々しい表情で頭を下げた。

「頼む。もう一度、兄貴を子供に戻す。そうしたら、ウィストベル。今度はお前が、俺と一緒に子供に戻ってもらえないか」
 ベイルフォウスとの付き合いは三百年に及ぶが、彼が兄以外に頭を垂れたのを見たのは、これが初めてだった。

「馬鹿な子じゃ。ベイルフォウス」
 私は苦笑し、ベイルフォウスの頭を髪を撫でる。
 私を傷つけたところで、魔力は奪われるだろうが、姿は変わらぬ。子供には戻らぬというのに。
 もっとも、単に姿が子供に戻らぬというだけのことで、そうなった私は今の私ではない。
 私が今の強さを得たのは、とっくに成人したあと――たった三百年と少しばかり前のことなのだから。それは、ガルムシェルトではない別の方法で――

 そんな事情を知りもせぬ、女児にも見えるその子供は、まぶしそうな眼で私を見上げてくる。
「なあ、ウィストベル。俺の前で、兄貴のことを陛下なんて呼ばなくていい。もう、わかってる」
「そうか」
 ベイルフォウスもこうなっては子供の姿に引きずられるのか、いつもと違って随分素直じゃ。

 別の解決策として、ルデルフォウスが本来の強さを取り戻すまで、私が彼より強い者を、全て排除し、憂いをなくすこともできる。
 じゃが、その魔族らしからぬ方法には、寵臣とうそぶくジャーイルですら、反対の立場を取るに違いない。
 それに誰よりルデルフォウスが、そのような方法をとってまで、自身の魔王位の存続を望むとは思えなかった。
 それに実際のところ、一度失われた魔力が、自然の成長で本来あるべきところまで伸びるかどうかすら、確定ではないのだ。

「う……」
 呻き声は、ルデルフォウスのものだった。
「兄貴!」
「ルデルフォウス! 大丈夫か?」
 ベイルフォウスがこうする前に、着替えさせておいたのだろう。ルデルフォウスはきちんと大人の自分用の服を身に着けていた。
 いつも通り逞しく大きなその手を額に置き、目眩を振り払うよう、頭を振っている。

「私は一体……」
 その身に纏う能力は、未だ彼が侯爵であった頃――その頃まで戻っていた。
 それでは恐らく記憶も、そこで留まっているのであろう。

 彼が顔をあげ、私の姿をその蒼味がかった銀色の瞳に映す。けれどそれは予想通り、私のことを未だ知らぬ瞳だった。
 その、熱を含んだ視線が私を貫く。
 かつて、見守り続けた瞳が初めて私を認めた、その瞬間の感情を――得も言われぬ感動を、思い起こさせた。

「美しい……」
 初めて会ったときのように、ルデルフォウスは陶然と言い、私の手をそっと握りしめた。
 初めてそうされた時のように、背が震えた。
 喜びと、それから忘れられたことに対する寂しさが、一度に襲ってくる。けれど私はそれを黙殺した。

「ルデルフォウス。残念じゃが、我らの親交を温めている暇は、今はない」
 口では素っ気なく言いながらも、手は振りほどけなかった。
「ああ、その通りだ、兄貴」
 子供の声に聞き覚えがあったのか、ルデルフォウスはベイルフォウスを見、そうして瞳を大きく見開く。大きな手が私を放し、関心は弟に移る。

「ベイルフォウス……? まさか、ベイルフォウスなのか?」
「そうだ」
「どうしてお前、そんな子供の姿に」
 すでに侯爵であったルデルフォウスの弟は、やはり有爵者――立派な大人であるはずだったからであろう。  弟が兄と一目で知ったように、兄も弟をその子か、などと間違いはしなかった。

「懐かしいだろ?」
 ベイルフォウスは自嘲を浮かべる。
「だが、悪いな。この姿が確定するのは、もう少し後だ。だが……」
 ベイルフォウスは切なげに、ジャーイルの姿を見上げる。
「どうせだから、今言っておく。俺はいつか全部忘れちまう。今度はそれが、すぐかもしれねぇ。だから俺の代わりに、俺の親友に謝っておいてくれ」
 ルデルフォウスもつられるように、ジャーイルを見、それから再び弟に視線を戻して、ふっくらとした頬を挟む。

「今の状況が全く分からん。お前の親友だというその男のことも、私は知らん」
「もう少ししたら、兄貴はまた全部思い出す。その時に――」
「ベイルフォウス。お前の親友だというのなら、お前がちゃんと、自分で謝れ。私は謝罪を兄に任せるような子に、お前を育てた覚えはない」
 ルデルフォウスは強い口調でそう言って、弟の頬から手を離す。
「兄貴……」
 ベイルフォウスが兄のにべもない返答に苦笑を漏らした。

「私もルデルフォウスに賛成じゃ」
 有無を言わさぬ速さでベイルフォウスにウルムドガルムを握らせ、兄の手を傷つけさせる。
「ウィストベル!」
 性急さを責めるかのように、ベイルフォウスが我が名を呼んだ。

 懐かしい大人のルデルフォウスはわずかな時間で姿を消し、引き替えにベイルフォウスが元通りの姿に戻った。
 冷静になれば、ベイルフォウスは自身の提案を私が受け入れると信じて疑わないのだろう。それ以上、責めてくるような態度は見せなかった。

「一体、何が起こっている?」
 一方で記憶は未ださきほどのままを引き継いでいるのか、子供の姿に逆戻りしたルデルフォウスは、眼をしばたたかせている。
「エルダーガルムを俺にくれ」
 ベイルフォウスの伸ばした手が届く前に、結界を張った。私とルデルフォウスを内に抱え、それ以外を弾く防御結界を。

「どういうつもりだ、ウィストベル!」
 ベイルフォウスが再び非難の声をあげる。
「ベイルフォウス。主のしたことには意味が無い」
「失敗だったのはわかってる。だから、俺とお前でやり直そうと――」
「そんな必要はない」

 そうとも。ベイルフォウスと私でやり直せば、確かにルデルフォウスは最強の魔王になる。
 だが、それでは彼に従順な大公を、二人も失うことになってしまうではないか。それでは状況は不利になるばかり。そんな必要がどこにある。
 ルデルフォウスが魔王に就き続けるには、たった一人の犠牲で充分だというのに。

 私は結界の中で、ルデルフォウスの小さな手に、再度ウルムドガルムの内枠を、しっかりと握らせる。
「やめろ、ウィストベル! お前がしようとしていることだって、無意味だ! たった一人の魔力では――」
 それは主が知らぬからじゃ。私の真の魔力を――そうは教えてやらなかった。

「これで記憶も力も全て――主の元に戻ってくるじゃろう」
 記憶を失うべきは、私。忌まわしい全てを忘れ、
 いいや。あのおぞましい方法を採る以前に戻るだけならば、忌まわしい記憶は消えぬか……だが、それでも……。
 それこそもう一度、今度はルデルフォウスの治世の中で、平穏に暮らすことができれば――力など、無くてもよいではないか。
 例え外見はそのまま、膨大な魔力だけを失い、強者への恐怖に脅える私に戻ろうとも。そして、そんな私を、ルデルフォウスが見限ったとしても――それでも――

 その時、張り詰めた空気を弛緩させるような大きなため息が、部屋に轟く。

「二人とも、なに馬鹿やってるんだ」
 ジャーイルが心底、呆れたようにそう言って、もう一度、わざとらしいため息をついたのだった。


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