恐怖大公の平穏な日常
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39 強大にして堅固な城の、その運命
プートの城からその急報を届けてきたのは、ヒヒの顔をしたごつい体躯の副司令官だった。
謁見室や応接などではなく、魔王様の執務室に直接通された彼は、四名の大公とちびっ子魔王様を前に両膝をつき、血の臭いを漂わせて、苦しげな声をあげる。
「〈竜の生まれし窖城〉が、人間どもの軍団によって、陥落いたしました」
その報告を、一度で理解できた者がいるだろうか。少なくとも、俺はできなかった。
彼の報告はしごく簡潔だったが、到底あり得ない内容であったため、脳が理解を拒んだとみえる。
「今、なんと申した……」
問いかけるプートの声も、聞きもらした真実を確かめるかのようだった。
ヒヒは畏まったよう、いっそう身を沈める。
「〈竜の生まれし窖城〉が……」
「我が城が、人間ごときに占拠されたと、そう申したのか!? 誤報ではすまされんぞっ!」
黄金の鬣が、激怒の炎に燃えさかる。
ヒヒ副司令官は、しばらく声を失ったようにうついたまま無言を貫き、それからようやく「申し訳ございません」と、震える声を絞り出した。
「副司令官たるそなたが城におりながら、どういうことなのだ!」
「……申し訳ございません」
彼はそれしか口にできないようだった。
「冷静になれ、プート。怒鳴るばかりじゃ話がすすまねぇ」
がなる獅子を諫めたのは、意外にも、犬猿の仲のベイルフォウスだ。
「まずは、彼女の話を聞くべきだ」
そう、彼女の話を……彼女!? え、彼女!? 今、彼女って言った!?
彼女ってつまり、女性ってことだよね!
女性ってつまり、女の人ってことだよね!?
それってつまり、ウィストベルとかジブライールとかと、このヒヒ副司令官が同性ってことだよね!?
「プートの奥さんなんだよ」
小魔王様が、さっきの怒りは水に流してくれたのか、コッソリ耳打ちで驚愕の事実を教えてくれる。
口調は子供のままだが、どうやら本当に、色々と思い出しているようだ。だって覚えてなきゃ、このヒヒが女性と知ったところで、プートの奥さんだとは思いつきもしないからな!
ま……まあ、メイヴェルみたいなのもいたことだし、色んな女性がいて当然だよね! だいたい、デヴィル族だし!
っていうか、プートってば美女好きじゃなかったっけ?
それとも顔はヒヒで、身体は筋肉隆々逞しくても、彼女はデヴィル族から見れば凜々しい美人……とかに分類されるのだろうか。
うーん……デヴィル族って、奥が深い。
「報告も大事だが、先に手当をした方がいいんじゃないのか?」
男性副司令官だというなら、漂う血の臭いと身に巻いたマントを染める真っ赤な染みについては、報告が終わるまで放っておくつもりだったが、プートの奥さんと聞いては、一応、気を遣わない訳にはいかない。
「お気遣いありがとうございます、ジャーイル大公閣下。しかし、止血はしてございます。それに、こんな傷などより、閣下へのご報告こそ、なににも増して緊要にございますれば」
「よくぞ申した! それでこそ、我が妻ぞ!」
ああ、ほんとに妻なんだ……。
そうだ。大公位争奪戦を思い起こせば、プートの家族席には奥さんたちに混じってこの副司令官がいたっけ……てっきりうちと同じで、護衛だと思ってた!
その副司令官、かつプートの奥さんであるモラーシア夫人は苦難に満ちた表情で事の顛末を語り出した。
〈竜の生まれし窖城〉へとやってきたのは、一人の魔族だったという。
プートが森で出会ったという魔族と特長を同じくするその男は、前地にたった一人、魔王立ちになると、プートへの奪爵を宣言したのだとか。
プートが不在であることを伝えると、男はそれでは力試しに……と、まずは彼の妻であり副司令官でもあるモラーシア夫人との戦いを、申し出てきたというのだ。
もちろん、モラーシア夫人はプートより魔王様の魔力を奪ったと思われる相手の特徴を、聞き及んでいた。
しかし、相手は「どこからどうみても、気の弱そうなただの無爵に見えた」のだとか。魔王様の魔力を奪った相手とはとても思えず、そもそも奪爵を宣言されて受けぬのは恥と考え、挑戦を受けることにしたのだという。
だいたい、最愛の夫への挑戦を口にした相手に対し、彼女が戦いを躊躇する理由がなかった。
そうして二人は前地で戦いだしたのだという。
無爵と侮った相手は、しかし強かった。モラーシア夫人が想像したより、ずっと。
それでも花葉色の髪の男は、自ら挑戦してきたにしてはどういう訳か、積極的に攻撃を繰り出してこようともしなかったのだそうだ。ただ申し訳なさそうに、気弱な様子で攻撃を避け、弾き、けれどほとんど自分からは仕掛けてもこずに、いたずらに戦いを長引かせるだけだったという。
しかしその目的は、すぐに判明した。
かつて俺とネズミ大公の戦いが、奪爵をかけたものではなくとも城中の注目を集めたように――
二人の戦いは、大公城の前地で行われる戦いが常にそうであるように、城中の関心を集めていた。
家令・筆頭侍従は言うに及ばず、可能な限りの勤め人が城門の上に集まり、その戦いの行方に夢中になっていたのだ。
しかも、常には無駄に強者の多いプートの城だが、今日は二つの理由から、有爵者がほとんど不在の状態だった。
現在、〈修練所〉の担当が、プートであるということが一つ目の理由。強者のいくらかはその運営に携わっていて、プートの城どころか領地にすら、いないのだった。
そして二つ目の理由が、その時、彼女の目の前にいた、その男の捜索のためにかり出されていたから、だ。
つまり、〈竜の生まれし窖城〉の城内は、常日頃に比べて格段に手薄だった。そこを――
「透明化した人間どもに、襲われたのです」
透明化――今ではそれが、なんの特殊能力の効果であるか、少なくとも俺とウィストベルの考えは一致している。
わずかに城内に残っていた、ほとんどが無爵であった勤め人たちは、音もなく背後から忍び寄る人間に命を奪われ、悲鳴をあげる間もなく倒れていったのだという。
前地にあって男と対峙するモラーシア夫人、それから城門に集まった家臣たち、そのうちの誰一人、気付かないうちに――〈竜の生まれし窖城〉の本棟は、人間たちによって蹂躙され、占拠されたのだという。
モラーシア夫人がそこまで語ったとき、部屋を満たした怒りは、城主たるプートのものだけではなかった。その場にいた誰もが、魔族としての矜持を踏みにじられたと感じたに違いないのだから。
空気が凍り付きそうなほど冷え冷えとした室内で、モラーシア夫人はその重圧に耐えかねるようなかすれた声を絞り出し、説明を続ける。
ようやく異変に気付いた筆頭侍従が城内に戻ろうとしたが、果たせなかったのだ、と。
その動きに気付いた強奪者が、モラーシア夫人をも貫く形で、子爵である筆頭侍従をはじめ、外にいた者たちにも攻撃の手を向けたからだという。
「あんな恐ろしい魔力の奔流を、私は見たことがありません」
その瞬間を思い出すのか、モラーシア夫人は自分の両腕をかき抱き、ブルブルと震えながら告白した。
気持ちはわかる。
プートの副司令官にして妻たる彼女が比較するのは、夫のそれだろう。
ぶっちゃけ、プートは強いが、それに比べても魔王様の魔力は圧倒的だ。その魔力を前にしたというのなら、目には見えずとも、恐怖しか感じられないのも無理はなかった。
それにしたって、よくその程度の怪我――腹にちょっとした穴が空いているらしい――ですんだもんだ。
まさかあの強大な力を、その男は使いこなしているとでもいうんじゃないだろうな。
こちらとしては、扱い切れていないせいで、それほどの威力が出せないのだと信じたい。
とにかく、花葉色の髪の男は、モラーシア夫人を負傷させた後、その勝負を中断し、すぐさま本棟に駆け込んだ。そうして自分が侵入して以降の出入りを阻む、強力な結界を張ったのだという。
「つまり、その強奪者と、数も姿も、なにもかもを潜めた下種どもが、未だ我が城の本棟に立てこもっているというのか――」
「申し訳ございません」
プート……奥さん、大怪我してますよ? もうちょっと優しくしてあげても……ま、事が事だけに、さすがに無理かな。
ちなみに、姿も見えないのに、なぜ多数の侵入者たちが人間だとわかったかというと、城内に残っていたのは無爵の魔族たちばかりとはいえ、全員が全員、一方的にやられただけではなかったからだそうだ。
同僚が音もなく倒れるのに気付いた者の中には、無爵とはいえ、攻撃を逃れ、反撃に転じて侵入者を討った者もいるのだという。
絶命すると、ティムレ伯の城での事象同様、『透明化』の能力は失われるらしく、屍体が現れたことにより、その侵入者たちが間違いなく人間であることが判明した、と、こういうわけだった。
ちなみに、やはり例の〈ネズミを掴んだ鷹〉が入った腕章を、それらも身に着けていたのだとか。
つまり、全てはその花葉色した魔族の男が、〈ネズミを掴んだ鷹〉に属する人間たちと手を組んで企てたことに間違いないようだった。
プートの妻や子らは、幸いにして全て城門に出ており、かつ家令に保護され、無事ではあった。
しかもその瞬間に占拠されたのは本棟だけだったことから、筆頭侍従をはじめ、数人の犠牲は出ていたものの、一旦は居住棟に戻ろうという呑気な話も出たそうだ。
敵に強者が一人いるとはいっても、その他が人間とあっては、彼らが占領者たちを軽視する気持ちも理解できなくはない。
しかし、『人間などと手を組んで、同胞をだまし討ちをした魔族にあらざる卑怯者』――モラーシアの言による――は再び本棟から姿を現すと、城を取り戻そうと奮起する家臣たちを相手にこれを全てなぎ倒し、本棟のみならず〈竜の生まれし窖城〉全ての敷地から、魔族を追い払った。
その強固な結界と、絶対的な力のもたらす破壊と残虐と恐怖によって――
すぐに家令がモラーシア夫人以外の妻と臣下を避難させ、騒ぎを聞いて二人の副司令官が駆けつけたことから、モラーシア夫人が現場責任者としての義務をも果たすべく、怪我の身を押して竜を駆ってきたのだという。
っていうか、その怪我でよく、ここまで竜を飛ばして来られたもんだ。
報告は他の誰か――例えば無傷の家令とかに任せて、自分は治療をしてもらったって、さすがにプートだって怒らないと思うんだけども!
とにかくそれが、モラーシア夫人が語った『〈竜の生まれし窖城〉占領事件』の概要だった。
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