恐怖大公の平穏な日常
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81 いかに魔族の大公といえど、休息は必要なのです
「ジブ……ライール? こんな夜中までどう――」
「!? どうされましたっ!?」
「え、なにが!?」
血相を変えて詰め寄られ、思わず後退ってしまった。
自分の頬に火傷があるのを忘れてはいなかったが、こんなものはたいした傷ではない。まさかそれほど驚愕されるとは、考えてもみなかったのだ。
だが、相手はジブライールだ。俺のことがだいす…………ごほん。
「閣下のお顔に水ぶくれがっ……」
その指が、震えながらそっと自分の頬に向かって伸ばされる。
「ああ、たいしたことはない」
ジブライールは触れる直前に思いとどまったらしく、ぎゅっと拳を握りしめ、手を下ろした。
「すぐさま医療班を叩き起こして参ります!」
深刻な表情を浮かべて拳を震わせ、走り去ろうとしたのを、慌てて引き留める。
「いやいや、いい! ジブライール、そこまでしなくていい! 実は今も医療棟に行ってきたんだが、寝静まってたんだ!」
「なんですって……閣下がいらしたのに、寝静まって……?」
しまった! いらないことを言ってしまった!
「こんなのはたいした傷じゃない。だから起こさなかったんだよ。それに、明日、どうせ医療棟に行く用事があって、その時治療してもらおうと思ってるんだ。だから大丈夫、大丈夫だから!」
ジブライールは結構、武闘派だ。起こすと言ったら、その拳が火を噴く想像しかできない!
「ですが!」
「痛くもないし、重傷を負ったというならともかく、たかが火傷くらいで魔族の大公が夜中に騒いだとあっては、格好がつかない。それはジブライールだってわかるよな?」
「そんな、ですが……でも、それは……そうかもしれませんが、けど……閣下のきれいなお顔が……」
公爵という魔族の強者としての立場から、俺の言葉が尤もだとは思うのだろう。それでも割り切れない、といった困惑が浮かんでいる。
それが情愛からくる気遣いだと知る今、我知らず心を打たれた。
少なくとも、ジブライールなら落ちた毛髪ではなく、俺自身を心配してくれそうだ!
「本当に大丈夫だ。このくらい、ほうっておいても自然と治る。それでもちゃんと、医療棟には行くから……心配してくれて、ありがとう」
「いえ、そんな……本当に、痛くありませんか?」
手を放すと、その両手をぎゅっと胸の前で組んで、上目遣いで聞いてくる。もっとも、彼女の場合はマーミルと違って、計算からの行動でないのは把握済みだ。
「ああ、ほとんど」
とはいえ、訊ねられた途端、ちょっとだけ痛みを感じたのだから、人体って不思議だよな。
「どうしてそんな火傷をなさったのです? 誰と戦われたのですか?」
さすがジブライールは強者だけあって、怪我や傷の原因を戦いに求めるようだ。
まぁ、実際そうなんだけども。
「まさか、魔王陛下でしょうか? だから、魔王城医療班に治してもらえず、ここまで――」
「いや、違う。帰りがけにちょっと、ベイルフォウスと手合わせをしただけだ。治してもらえないわけじゃなかったんだが、早く帰りたくて、治療を受けてこなかったんだ」
「そう、ですか。ベイルフォウス閣下と……」
ジブライールはうつむくや、再びぐっと拳を握りしめた。
もしや脳内でベイルフォウスを殴ってるとか、ないよね?
「閣下、少しよろしいでしょうか?」
「うん?」
何だろう、と思っていると、ジブライールは俺の腕をひき、外灯が赤々と照らす扉のすぐ横に移動した。
さらに俺を壁ぎわに追いやるや、背伸びをしてぐいっと顔を近づけてきたのだが?
長い銀色の睫毛の下、葵色の瞳は照れるどころか真剣そのものだ。
身体は触れそうで触れない、微妙な距離を保ってはいるが……とはいえ、なにこれ……え、なにこの体勢……。
ほぼ壁ドンじゃん!
ちょっと待って、むしろ俺が照れそうなんだが?
「よかった……」
ジブライールはホッと息をついて、かかとを地面におろし、一歩、後退する。
息がかかるほど間近にあった顔が、離れた。
「白い水ぶくれだと、火傷の度合いがひどいと聞いたことがあるんですが、閣下のは赤いので、軽度っぽいです。とはいえ、本当に朝一で、医療班に診せてくださいね?」
そう言って、ジブライールにしては珍しく無邪気な、満面の笑みをくれたのだ。
ちょっと待って……あれ、ちょっと待って……。
なんか今日俺、ちょっと感じ方おかしくない?
あれ?
今、ものすごくジブライールが可愛く見えているのだが?
いや、普段からジブライールは美人だよ? それはもう、なんで美男美女コンテストの三十位以内に入らなかったんだと不満に思うくらいには、いつだって美女だよ?
それはそうなのだが、今日はなんかちょっといつもと違って……いや、いつも以上に? 可愛く……見えるのだが?
ジブライールって、いつもこんなふんわりした感じだっけ?
なに、さっきの笑顔。普段はもうっとこう、固い感じじゃない?
いや、格好は今日もちょっと固めなんだ。真冬でもないのに、なぜか脛まである長めの軍服コートの前を、きっちり閉めて着てるし。
別れた時には、そんなコートなんて羽織っていなかったのに。
だが、そういえば髪型は……いつもは梳かしっぱなしか、かちっとまとめてるかだが、今日はふんわり結った三つ編みを、左肩から前に垂らしている。しかもちょっと乱れた感じの……。
どっちかというと、普段、マーミルがしてそうな髪型だ。乙女チックというか。
衣服と髪と表情の印象が、ジブライールにしてはちぐはぐに思える。
それでなんだか雰囲気が違ってみえるのだろうか?
あと、さっき近づいた時にほんのり漂ってきた香りが、なんかいつもと違った気がする。
いつもは俺の好きな……そう、金木犀みたいな香りがするんだが、今日はそれとは違う香り――だが、嗅いだことのある匂いだ。ちょっと何かは思い出せないが、いい匂いではある。
これも何かの花の匂いだろうか?
むしろ、懐かしい気持ちがわき上がってきたような……。
それにしても、あんなに俺に近づいたら、ジブライールの方が照れない?
なんで俺が照れてるんだよ。
……あれ? 俺、なんか飲んだっけ?
いや、飲んだと言えば、飲んだ。しかしあれは疲労回復薬だ。強壮剤ではないはず。
それに疲労から回復する薬に、催淫剤みたいな効果はなかろう。
実際、それこそ若干妖艶な雰囲気のイムレイアや、リース母娘に対しては、いつも通りの感想しか抱かず、無反応だったのだし。
ってことは、何?
薬のせいとかじゃなくて……?
「あーー。ごほん」
待て、俺。一旦、冷静になれ、俺。
「で、ジブライールは一体どうしてこんなところに?」
努めて冷静を装ってみせる。動揺して声がかすれた? そんなことはない! ……と思う。
「はい!」
しかし俺の心境など知らないジブライールは、表情をキリリと引き締め、さらに二歩ほど下がって、ビシッと敬礼を決めたのだ。
さっきまでのふんわりした雰囲気から一転、いつもの生真面目さが戻ってくる。
「閣下のご命令で、モー………………? 何某をティムレ伯爵の城まで送って参りました」
名前、覚えてないんだな、ジブライール。
「そうだな。モーデッドを送った後に大公城に来てくれと言ってあったが、まさかこんな遅い時間までかかったってことはないだろう?」
あ。今の言い方、非難じみて聞こえたろうか。
別に、ジブライールがモーデッドを送った後、まっすぐ大公城にやってこず、一旦自身の公爵城に帰っていたとしても、責めたりはしないのだが。
というか俺はエンディオンに、ジブライールが俺の指示通り大公城にやってきたら、とりあえず夕方くらいまではフェオレスと協力して警戒にあたってもらい、その後は自分の城に帰ってかまわない、と伝えてくれるように言い置いてあったのだった。
「ティムレのところまで、そのモーデッドを送った後、気になることがあったので、もう一度、リーヴの生家を調べに戻ったのです」
「気になること? しかし、あの一帯は俺が吹き飛ばしてしまったから、もう跡といっても……」
「そうなのですが、こう、勘が働いた、といいますか……うまく説明できなくて、申し訳ないのですが……」
「いや」
直感というのは、結構、生存本能に直結しているものだ。
いくら魔力が強く、魔術に造詣が深くても、勘が働かなければ自分より弱い相手に負けることだってある。
だから特に長命魔族の勘というのは、馬鹿にできるものではない。
プートやベイルフォウスがいい例ではないか。
「で、何かあったんだな」
「はい。それで通信術式を使って閣下にご報告をと思ったのですが……」
ああ。魔王城侍従長が言っていた、俺が出かけた後に通信してきた副司令官は、ジブライールだったか。
だったら今までずっと、大公城で待っていてくれた、ということだよな。とはいえ、しかし……だが、しかし……!
「俺がプートのところに出かけていて、報告できなかったんだな。だが、先に確認させてくれ」
「はい?」
「それって聞いてしまったらすぐさま夜を徹して対処しないといけないとか、そういうレベルのものかな?」
「いえ、そこまででは……」
「なら、本当に申し訳ないが、報告は明日受けることにさせてもらえないだろうか?」
こんな時間まで待っていてくれたジブライールには申し訳ないが、俺も疲れている。
魔王様の魔力の件も解決したし、一応は事態も落ち着いたし、とりあえず、今日のところはなんとしても自分の部屋でゆっくり眠りたい。
重要な報告だというのならなおさら、ちゃんとすっきり疲れもとれた状態で聞く方が、いいに決まっているではないか。
むしろ聞いてしまったがために、またどこかに出かけないといけないとか、眠れなくなるとか、そういうのは御免こうむりたいのだ。
とにかく一回、ゆっくりしたい!
はっきり言おう!
さすがの俺も限界だ!
一回、目をつむりたいのだ! いろんな意味で!
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