古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十三章 魔武具騒乱編】

80 ネズミ君が僕に真摯に望んだこと


 我が〈断末魔轟き怨嗟満つる城〉に帰り着いたのは、夜中近くのことだった。

 リーヴとハシャーンの異父兄弟は、俺と同乗していたが、もともと別の竜に乗っていたリース母娘とは、途中で解散した。
 ダァルリースの騎竜は我が城所有の竜だったが、色々あって二人とも疲れているだろうし、返却は後日でいいということにして、一刻も早い休息をとるよう、男爵邸への帰城を許したのだ。

「明日、お返しにあがります」
 そういうダァルリースの態度はいつになく暗澹と感じられたし、こう言っては何だが、幼い外見がかえって違和感を覚えるほど、老けてみえたのだった。
 それはそうだろう。この一両日のことを考えると、それも無理なかろうと思えた。

 ヨルドルの命が、ひとまず今は繋がっているとはいえ、この先どうなるかはわからない。
 それでも当人にも約束したとおり、時期を見てプートに交渉をもちかけてみるつもりだ。そう伝えたところで、ダァルリースはただ「閣下のお心のままに」だけ答え、決して自らの希望を伝えてくることはなかった。
 本当のところ、彼女が今、彼に対してどういう感情を抱いているのか、俺にはわからない。

 その横でミディリースは何か言いたげにしていたが……とにかく今日の所は、何も主張してはこなかった。
 そうはいっても、さすがはミディリース。竜の背にあるうちに、ぐっすり眠ってしまったらしく、別れる時になって、「起きなさい、無礼ですよ!」と、俺に「さようなら」の挨拶をさせるため、起こされていたけども……。
 うん。あの調子なら、大丈夫そうだな。ミディリースがいる限り、ダァルリースも鬱屈しすぎずにすみそうだ。

 ちなみに竜舎で会ってすぐ、臣下たる三人ともが、俺の火傷を見て、「大丈夫ですか?」と心配してくれた。もっとも「大丈夫」と答えたら、それ以上の追求はなかったけれども。
 しかし、それはそうだろう。
 目の前には腕をなくして氷漬けになっている子供姿のモグラがいるのだ。こんな火傷程度、本来なら気にかけるほどのことでもない。
 殊に大公などという、何でも治せる専属の医療員を抱えている立場であれば余計に。

 それはともかく、ようやく我が城だ。
 それそのものが発光する魔王城には比せないが、〈断末魔轟き怨嗟満つる城〉も、夜中だからといって闇に落ちているわけではない。
 儀仗兵なんかは特にいないが、要所要所には常夜灯がともされているし、自身の時間を愉しんでいる夜更かし好きの家人たちもいる。あちこちに。

 俺もさすがにプライベートまで品行方正を求めたりなどしないし、妹やマストレーナに影響を与える距離でなければ、多少、羽目を外したところでうるさいことを言うつもりはない。
 むしろ、みんなの自由時間を邪魔しないように、と配慮し、まずは医療棟の近くに、こっそり竜を下ろしたのだった。

 医療棟は、すっかり寝静まっていた。
 リーヴに確認すると、医療員というのは基本的に早寝早起きらしい。
 いざというときには時間を問わずたたき起こされるし、研究対象が存在するときには、むしろ自ら昼夜を問わずのめり込むので、せめて何もないときこそ規則正しい生活を送ろう、という考えが基本にあるのだとか。
 さらにいうなら、薬の調合や呪詛の研究などは、暗い中で行うより、なるべく明るい日中にするほうが、手元が狂わなくてよいとのことだった。

 ウォクナンの身柄も居住棟からこの医療棟に移して、面倒をみてくれているはずだが……。
 静かだな。さすがに子供になっては夜中まで騒いでいられないのか。
 小魔王様ですら、すぐ寝落ちしてたもんなぁ。

「じゃあ、君の部屋に結界を張っておく。ハシャーンの氷結が解けるころに訪ねるから、それまでよろしく頼むぞ」
 衆人に諮れば、殺さないというのなら、ハシャーンの身柄はがんじがらめに拘束したまま、どこかの部屋に閉じ込めて反省するまで拷問すべきと結論づくだろう。

 何度もいうよう、結界を張ればすむことなのだから、一部の変態を除いて、魔族の屋敷には監禁のための専用部屋など造らない。
 今回もハシャーンの拘留にあたっては、俺が結界を張ればそれで事足りる話だ。
 とはいえそれを、俺は本棟の一室に定めるつもりだった。
 けれどリーヴがどうしても、自分自身で弟の面倒をみたいといって頼み込んできたのだ。

 そう、弟――リーヴは会ったばかりでろくに話したこともない、意思の疎通さえできるかどうかわからないその異父弟に、情を感じているらしかった。
 確かに魔族は殊に二親等までの親族に対して、情が深いのだ、とはよく言われることだ。
 そういう意味ではリシャーナとペリーシャの関係が特異なのだろうし、逆にミディリースがそれまで一度として交流のなかった父を、戦いの中でも親身に想ったのも、納得のいく話ではあった。

「旦那様…………いえ、ジャーイル大公閣下。身の程知らずは重々承知の上で、それでもお願い申し上げます。どうか……弟にも、チャンスを与えていただけませんか。僕をお許しいただけたように、とまではいいません……でも……」
 竜の上でそう切り出したリーヴの声は、震えていたし、表情も青ざめていた。おそらく、俺に対して意見することに、内心恐怖が勝ったのだろう。
 それでも弟のためと、口を開かずにはいられなかったらしい。

「弟の実年齢が、本来はいくつであるとして……この先は今すぐに、その姿を取り戻すことはありません」
 それはまあ、うん……ガルムシェルトが無くなってしまったもんな。一つ残らず。
「つまり弟は、子供の年齢から……この見た目通りの頃から、もう一度やり直すことができるんです」
 彼はそう言ってほろりと涙を流し、俺に向かって深々と叩頭したのだ。

「僕が、命をかけて弟を教育しなおします。きっと、きっと、この後は閣下のお役に立てるように……できなければ、僕もろとも、いつなりと殺してくださって結構です。医療棟での人体実験にも、必要とあらば、兄弟そろって身を差し出します。かならずお役にたってみせます。恩はお返しします。だからお願いします、お願いします。たったの一度でかまいません。僕に弟を、弟にも閣下にお仕えする幸せを、どうか味わわせるだけのチャンスをください。それが、たった一週間でも結構です。お願いします、お願いします」

 そんな風に、鼻水垂らして号泣されてみろ。
 俺はネズミ大公やウォクナンとは違うのだ。
 ここで下卑た笑いをあげて、冷たく拒絶するような嗜虐性は持ち合わせていない。

 それにリーヴの言うとおり、子供に戻った状態であるハシャーンは、母の存在に対する記憶は失わないとしても、俺に反逆した事実そのものは記憶から失われる。
 忘れたからといって、何もかもなかったこととして許される、ということはもちろんない。しかしハシャーンは、そもそもおそらくなんの情報も与えられず、自分の行動の意味を把握していたかどうかさえ怪しい身だ。成長した暁には母に教え込まれた記憶を思い出すだろうとはいえ、他の知識を得た後まで、同じ結論をとるとも限らないではないか。
 ならば、リーヴに改心を任せてみるのも悪いこととは思えなかった。
 リーヴの期待通りに育てば、思い出した事実を語ってくれる可能性もあるしな。

「わかった、いいだろう。ひとまず君に任せよう」
 俺は、もちろんかなり注意深く見守ることにはして、今夜はとりあえず、リーヴの願いをかなえて二人を医療棟の一室で過ごさせることにしたのだった。
 内外の出入りを拒絶する結界を、リーヴの部屋に張った上で。
 起きたハシャーンが、身体を損失した痛みから、意図せず魔術を暴走させる危険もある、その結界の中で。

 それでもいい、とリーヴは言った。むしろそうなったらそうなったで、それが自分たち兄弟の負った運命なのだと。
 とはいえさっきも言ったように、ハシャーンの氷結が自然に溶けるのは、翌朝以降のことなのだ。
 他ならぬ俺の魔術だぞ? 正直、心配などいらない。

 そんなことがあったものだし、しかもさっきも言ったように、その日は患者も研究対象も、何もなかった日らしく、医療棟の建物は、どこもかしこも寝静まってシンとしていたのだ。だからせっかく寄ったというのに、俺は自分の頬の火傷を治してもらうことを失念していたのだった。
 もっともこの程度のことなら、覚えていたとして、わざわざ寝ているところを起こしてまで、何が何でも今、治してくれ、とも言わなかっただろうが。

 そうして二人を一旦、医療棟まで送り届けてから、俺はあらためて竜を竜舎近くに降ろした。
 竜というのは夜が苦手なこともあって、基本は日が暮れるとほぼ同時に、浅い眠りにつく。それを妨げないためか、昼は竜舎にたくさんいる竜番も、大公城であってすら、夜は寝ずの番にあたった一人しかいないのが普通だ。

 今晩の担当らしいスナネコの顔をしたその彼に、乗ってきた竜を竜房(りゅうぼう)に戻すのを任せ、俺は竜舎を出た。
 まずは、とっとと自分の部屋に戻って、一度ゆっくり休もう。ハシャーンのこととか、エンディオンのこととか、リシャーナのこととかは、とにかく明日、目が覚めてからのことだ。
 あくびをかみ殺しながら、入り口を出たそのすぐに――

「閣下、お帰りなさいませ!」
 俺はジブライールに出迎えられたのだった。


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