古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十三章 魔武具騒乱編】

83 竜谷踏み入らずんば竜児を得ず、とは人間の諺です


 ジブライールの、いつもは鋼が入ったようにまっすぐな背筋が、このときばかりは不安を表してか、丸まっている。
 それも単に、両手を前についた女の子座りと呼ばれる座り方をしているせいかもしれないが……。

 俺は不安に曇る彼女の頬に、手を伸ばした。
 その途端、ジブライールはびくりと後ろに跳ねて、眼をぎゅっとつむる。加えて拒絶の表れか、胸の前で両手をぎゅっと組み合わせたのだ。
 続いて、震える声で紡がれた言葉は――

「閣下、あの……私、やっぱり……」

 ほらな。こうなるだろうと思ってたんだ。
 月光の元でもわかるほど真っ赤になってうつむきながら、震えだしたジブライールを前に、俺は長い息を吐く。それが落胆のためか、安堵のためかは、我ながら判別できなかった。
 指に吸い付くような肌理細かな頬から、惜しみつつ手を離す。

 知らずに催淫剤を飲まされていた、あのときとは違うのだ。ジブライールだって、いざとなったらためらうに決まっている。
 こういうことに関しては、彼女は魔族の女性に似せず、随分と初心(うぶ)なのだから。

 いずれにせよ、相手に無理強いするつもりはない。
 小屋敷は今日は使われていないから、ここに来るまでの道筋も、ほとんど外灯は点されていなかった。今だって、部屋に差し込んでいるのは、小さな窓からの月の明かりだけだ。
 だから竜番以外で、俺たちを目撃した者などいまい。
 あの時だって、ジブライールの姿は背中しか見えていなかったはず。きっと、正体もばれていないだろう。
 何もなかったというのに、またさらに噂だけたてられても迷惑だろうから、それですんでよかったと心底思う。
 やはり、居住棟でも迎賓館でもなく、この小屋敷を選んでよかった。

「俺は自分の部屋に戻って休む。ジブライールも今日は迎賓館に戻るといい。報告は明日――」
「私やっぱり!」
 へ?

 寝台から降りようとしたら、ものすごくぎゅっと腕を掴まれて、引き戻されたのだが? あれ?
 そうしてとまどいを浮かべた俺とは裏腹に、ジブライールは両目を見開き、葵色の瞳を潤ませ、こう叫びながら、俺の胸に飛び込んできたのだった。

「やっぱり私、閣下じゃないと嫌です!」

 !?
 いや、ちょっと待って……! なんか、俺の想像していた展開と違う……!
 なんだかんだいって、絶対いざとなったら拒まれると思ったのに!

 いや、俺だって! 本当は、だよ?
 他ならぬ、ジブライールにアソコを蹴られて以降!
 医療棟で屈辱的な検査を経て、機能的に問題がない、という診断は受けてはいたけれども、それでもあれ以来、なんとなく元気がないのを自覚していたのだ。
 その上情けないことに、ジブライールをうっかり押し倒してしまい、恐怖にかられて縮み上がったことさえあった。

 だが、疲労回復薬はいろんなところをいろんな意味で、回復してくれるのか、それとも別の理由からかは知らないが、今日はちゃんと元気を取り戻してくれている!
 そうなるとそれはそれで、据え膳食わぬのも辛いのだ!
 本当のところ!

「ジブライール……本気か?」
 それでも俺は、一応、最後の最後にもう一度、彼女の意思を確認しようとした。
 そもそも疲労感が消えたというなら、報告を受けたらどうですか、とかいわれても反論できないし。
 それに、若干――情けない話かもしれないが、若干、数百年に亘って操を守ってきた、という相手に対する遠慮というか……そういうものも、払拭しきれずいたのだ。
 だが――

「覚悟なら、できています。もう、ずっと、前から……」
 今まで聞いたこともない艶めいた声音で囁かれ、潤んだ瞳で見上げられて、しかも、ですよ!
 なんかさっきと違って、さりげない所作でコートを脱がれてごらんなさい!
 細い指先が布を撫でて顕れた華奢な肩の、艶めかしいことといったら……! 衣擦れの音が、官能的に響くことといったら! 上から見下ろす背中のなだらかさ、くっきり浮いた肩甲骨の造形美といったら!
 果ては薄い夜着を通して伝わる柔らかな感触に、俺は生唾を飲み込んだ。

 こんな状況で、我慢できる道理があろうか?
 いいや。いつもの俺なら、それでもその先に進むのを、ぐっとこらえたかもしれない。
 だが、今日の俺は、本当に元気なのだ! 絶好調といってもいい!
 ベイルフォウスと戦い終えた時の、精神的疲労なぞどこへやら!
 いつもよりも! 何倍も!
 こんなに元気なのは、数年ぶりだと認めようではないか! テンションだってあがるというものなのだ……!!

「それとも、私なんかでは……やっぱり、駄目……ですか?」
 トドメの一撃だった。
 さすがにここまで抱きかかえて連れてきたくせに、相手にそこまで言われて、言わせて――何もしないでは、男の面目が立たないではないか。
 なら俺だって、初めてを頂戴する覚悟を決めるというものだ!

「私なんか、なんて言うな。いや、言わせたのは俺か――すまない」
 俺はジブライールの手を取った。身をかがませて、俺より一回りも小さな掌、その細くて華奢な指を、順に口づける。
 上目遣いで様子をうかがうと、途端、ジブライールの眦から、一筋の雫がこぼれ落ちた。
 全身が粟立つ。

「ジブライール」
 囁くように呼んで、今度はその濡れた頬に唇を寄せ、雫を奪うように舐め取った。
 驚愕に大きく見開かれた瞳から、ピタリ、と落涙は止まり、柔らかな頬がいっそう、真っ赤に染まる。
 一言も声を漏らさず、ただ、表情ばかりがくるくると変わる。
 この反応、初々しくて、たまらないものがあるな――

 俺はゆっくりと、寝具の上にジブライールを横たえ、覆い被さった。

「本気で嫌がらない限り、途中ではやめないぞ?」
 一応、逃げ道は残しておく。
 とはいえ、蹴るのだけは止めてほしい。そこだけはお願いする。口に出してはいわないけど!
 大丈夫……今のところ、後遺症は出ていない!

 しかしジブライールは――彼女はぎこちない動作で首を左右に振り、泣きだしそうな表情を浮かべたまま、震える声でこう言ったのだ。

「の――のの、のぞむところです!」
 緊張のためか、唇を真一文字に結んで――
 その健気さに、微笑が漏れた。

 宣言通り、彼女は俺から逃げようとはしなかった。一度として――
 そして俺は、ジブライールの婀娜っぽい媚態と嬌声を堪能しつつ、胸に抱いて一夜を明かしたのだった。

 ***

 誰かに優しく触れられている感覚があった。
 マーミルか?
 ……いや、子供の手じゃない。これは――

「あ、す、すみません!」
 頬に触れる手を掴まえて、目を開けてみると、ジブライールの驚いた表情が間近にあった。
「ああ、ジブライール……おはよう」
「お、おはよう、ございます……」
 消え入りそうな声だ。

「あの、すみません。やっぱり火傷の痕が、気になって……起こしてしまって、すみません」
「いや、いいよ。そろそろ起きる時間だろう」
 俺はジブライールの揃えた指に口づけてから、その手をはなす。
「!」

 うっすら光の差す窓を見ながら、今は何時頃だろうと考えつつ、上半身を起こした。
 睡眠時間はそんなになかったはずだが、疲労感はまったく残っていない。どころか、妙にスッキリしている。
 さすがに今日は色々しなければいけないこともあるし、いつまでも寝ている訳にもいかない。

 さっぱりしに風呂に向かうつもりで、ふと、一人でいくなと過去にさんざん怒られたことを思い出し、頭をかきながら振り返ってみれば……ジブライールがはにかんだ表情で、半身を起こしている姿が眼に入ったのだった。
 月明かりの中で見た姿と、日の光の中で見る姿は、どこがどうとはいえないが、少し違って見えるではないか。

 朝日に照らされた銀糸のような長い髪が、細い肩や背中に絡みついている。
 それだけでもぐっとくるが、さんざん睦み合った後だというのに、なお、シーツを自分の身に巻き付けて恥じらっている姿に、不覚にもキュンとした。
 俺はむしろその作業を手伝って、薄いシーツにくるまれた彼女を抱き上げる。

「か……閣下!?」
「名前で呼んでいたろ。それでいい」
 甘い声が、まだ鼓膜にこびりついている。
「ジャ……ジャーイル様……」
「…………」

 やばい。もう一度、寝台に戻りそうになった。
 俺は自分の欲望を抑えこみ、なんとかジブライールを連れて浴場にたどり着き、そうはいってもちょっといつもより長めの入浴をすませたのだった。
 魔王様が油断したのもわかるなぁ、露天風呂があっても、一人で入ることにしよう。もしくは、強力な結界が必要だよな、などと考えながら。

「そういえば……」
「は、はい」
 湯につかったジブライールは、若干のぼせ気味にみえる。出るときも抱き上げた方がよさそうだ。
「俺は昨日の服を着るからいいとして、ジブライールはあの寝間着じゃ困るよな」
「あ、大丈夫です! また、コートを上から羽織るので……」
 まさかの裸コートですか?
「うーん……」

 小屋敷とはいえ、大公所有の館なのだ。おそらく、どこかに衣装部屋があるはず。
 誰かが掃除に来る前にその部屋を探して、ジブライールの服と、ついでに俺の服も見繕って……と考えながら、脱衣所に出たところ……。
 きっちり男女一組分の真新しい衣服が用意されているのを見て、俺が思わずその場に膝から崩れ落ちたこの気持ち、なんとなく察してもらえたらと思う!

 え? いつから? 誰に知られて?
 え???
 ここまでの道中、誰とも会わなかったはず。それともこの屋敷に、誰かいたとでもいうのか? あんな真っ暗だったのに!?
 最中は、ちゃんと結界を張ってた!
 だから聞かれたとか、そういう心配はないけども!
 だとしても、だとすると、逆に、どうやって!?

 しかし今ここに、誰の姿もない以上、その正体の詮索はできない。
 魔王様くらい気配に聡ければ、浴室にいても気づいたかもしれないのに……鈍い俺のバカ!
 そもそも誰の仕業なのかとか、逆にあんまり考えたくもない!
 だって、もうすっかり立派な大人だというのに、一旦考え出したら、なんだか気恥ずかしい気持ちでいっぱいになったからね。

 結局、ジブライールからの報告は、湯船の中で受けていた。
 それで何食わぬ顔で着替えることにして、俺はリーヴとの約束通り医療棟に向かい、ジブライールはジブライールで、まだ早朝のうちでもあるから、昨夜あてがわれていたはずの迎賓館に寄ってから帰るというので、一旦別れることにしたのだった。

 そして小屋敷を出たところで――
「あ、旦那様、おはようございます」
 セルクが箒を持って、玄関前を掃除している姿に行きあったのだ。
 普段、こんな場所で掃除などしているはずがない彼の、爽やかな、けれどやけに訳知り顔な笑顔を見て悟ったとも。
 誰が衣服を用意してくれたのか、ということを!


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