古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第三章 成人式典編】

間話1 僕の名前はリーヴ



 僕の名前はリーヴ。
 ジャーイル大公閣下の支配なさっている<断末魔轟き怨嗟満つる城>の医療棟で、事務員をしています。
 事務員……とはいっても、仕事は机上のことだけじゃありません。
 確かに資料を集めたり、分類したり、医療員のみなさんのメモを清書したりと、事務的な仕事は多いです。でもそれ以外にも、医療員さんたちの指示で薬をまぜあわせたり、実験に付き合ったり、材料や器具を消毒してそろえたり……と、いろんな仕事があります。いってみれば、雑用係というやつです。
 毎日がとても忙しいけれど、充実しています。

「リーヴ、ちょっと実験に付き合ってくれる?」
 資料をファイルにとじていたら、ウヲリンダさんに声をかけられました。
 彼女は医療員の中でも古参に数えられるらしく、爵位はないけどみんなに頼りにされ、慕われています。
 普段は冷静な人なんですが、実験や実証をするときは気が逸るんでしょう。今もタコの八本足がうにょうにょと、跳ねるようにうごめいています。

「あ、はい……僕でよければ」
 ウヲリンダさんが手伝いを必要とすることは、あまりありません。腕が八本もあるので、たいていのことは足りるからです。そんな彼女が手伝いを必要とするとき……それは相手に何かを施したいとき……つまり、人体実験が必要なとき、です。

「君、好きな人はいる?」
「えっ!」
 突然、なんということを聞いてくるんでしょう!
 それも、実験室で二人きりになった途端……。
 こ……これは、つまり……。

 自分の頬がほてっているのがわかります。唾を飲み込む音が、いやに高く響いたような気が……。
「い……いません……けど、でも……そんな……僕……その……」
「じゃあ、私のことをどう思う?」
「えっ! そ、そんな……あの……」
 ウヲリンダさんのことは嫌いじゃありません。たまに暴走して怖いと感じることはあるけど、でも、うにょうにょ動くタコの手に、全く魅力を感じないわけでは……。

 そんなふうに考えているだけで、頭が爆発しそうになります。
 ちらり、とウヲリンダさんを見ましたが、彼女は僕に背を向けていて、何を考えているのだか皆目見当がつきません。

「よかった、別に私のことが好きってわけじゃなさそうだね」
「えっ! あの、そんな! 嫌いとかでは……」
 好きじゃなくて……よかった?
「わかってる。何とも思ってない、ってことで、被験者合格だ」
 ……あれ? えと……?

 なんだろう。振り向いたウヲリンダさんの目が、とても怖い、です。
「ひ……被験者……」
 やはり人体実験……怖い……何をされるのだろう。
「ああ、大丈夫。想った相手に盛るのでなければ、体に異常はでないはずだから……それを実証したいと思ってね」
 体に異常……。
 気分が落ち込んでしまう。
 最初はものすごく怖かったけど、今はそんなひどいことはされないと、経験でわかってはいます。でもやっぱりまだちょっと怖いのです。

「本当に、異常はでない実験だから。安心して。そう、緊張しないで? とりあえず、こっちに座って」
 ウヲリンダさんに示されるまま、窓に背を向けて置かれたソファに腰をおろしました。

「なにせ、大演習会があったおかげで、研究の進みが悪くてね」
 大演習会……わかっているんです。ウヲリンダさんが言っているのは、怪我をした人たちの治療に時間がかかったということ。決して、僕のしでかしたことに対する言葉ではないのだと。
 わかってはいても、やはり自分の愚かさを思い出して、落ち込まずにはいられません。

「……いつまでたっても、ジャーイル閣下にご報告ができない」
「大公閣下にご報告……」
「そう。何もおっしゃらないけど、きっと医療班からの報告がないことを、不甲斐なく思っておいでのはず。できれば、<魔犬群れなす城>から帰っていらっしゃる頃には、報告の第一弾ぐらいはできるようになっていたいもの」
「ぜひ……ぜひ、協力させてください!」

 閣下のお役に立てることなら、なんであろうが尻込みなどしていられません!
 なにせ、あの方は僕の恩人!
 何の能力も持たず、今までさげすまれて生きてきた弱い僕……それも、大公閣下の命を狙うようなことをした僕を、許してくださったばかりか、生き甲斐まで与えてくださった。
 あの方のためになるのなら、僕はなんだって、どんなことだって……。

「助かるよ! じゃあ、早速だけど、これを見てほしい」
 僕の前に小瓶が突き出されます。
「これは、飲み物や食べ物に混ぜ、特定の相手の体内に入れることで、呪詛を発動させる軟膏なんだけど」
「呪詛……」

 足先から急に冷え込んだような気がして、膝の震えを抑えられません。座っていなければ、たぶん僕はその場に崩れ落ちていたでしょう。
 なぜならその小瓶に入っているものは、僕にとっては……。
「どうした、リーヴ。顔色が悪いけど」
「ご……ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい! 許してください……どうか、僕にそれを飲ませないで……」
 僕は自分の体が情けないほどガタガタと震えるのを、止めることはできませんでした。それほどに、その小瓶の中身は恐ろしいものだったのです。あれだけ昂揚していた気持ちが、あっけなくしぼんでしまうほどに。

「ああ、ごめん。呪詛といって、怖がらせてしまったかな。でも、それほど恐ろしいものではないよ」
 違うんです、違うんです、ウヲリンダさん。僕は……僕にとって呪詛とは……。
「ほら、ただの軟膏だ。少なくとも、私が君に飲ませる分には、なんの障りもない。それに万が一のことがあっても、ちゃんと解呪薬もあるから、心配いらないよ」
 そう言ってウヲリンダさんは小瓶の蓋を開け、中身を僕につきだしてきました。
「ひ……」
 それがあまりに恐ろしくて、僕は反射的に手を突きだしてしまい……遠ざけるつもりが、中の軟膏に手がかすめてしまったのです。

「ああ……あああああああ!」
 しゅうしゅうと音を立て、煙をあげる僕の指。
 軟膏に当たった部分が、炎で焼けているかのように、熱い。
 剣を突き立てられ、生皮を剥がれているかのように、痛い。
「リーヴ!?」
「あああああ……」
 僕は涙を流す間もなく、意識を手放しました。

 ***

 僕が軟膏に手を触れて気を失った一件は、医療員さんたちにとって、非常に興味深い現象だったようです。
 意識を取り戻すと、周りを十人以上の医療員さんに囲まれていて、ものすごくびっくりしました。
 そして僕は医療棟の責任者であるサンドリミン閣下に問われるがまま、自分の体質について話しはじめたのです。

「つまり君は、呪詛を受けると全身に痛みが走り、気絶してしまう、のだと」
「はい。そうです」
 今はあれほどいた医療員さんたちはみんなどこかにいってしまって、サンドリミン閣下とウヲリンダさんだけが目の前にいる状態です。
「母によると、特殊魔術の一種だそうです。その能力が発動した後は、きっと魔力が増幅されている、というのですが……」
 僕にヴォーグリム大公の仇をうてと、毎日のように口をすっぱく言っていた母が、その能力を利用しないはずはありません。
 ある日、僕は瓶いっぱいの粉末を渡され、毎日それをスプーン一杯飲むように義務づけられました。
 単純な破壊魔術ではなく、相手に直接障りを与えられる特殊魔術のことを、呪詛というのだといいます。母がどこからか手に入れてきたその粉は、それと同じ効果を、口に含んだ相手にもたらすのだとか……。

 一度母の前でそれを飲んで気を失ってからというもの、僕はその粉薬にたいする恐怖心がおさえられず……結局、自分の部屋で飲むからといって、二度と母の前ではそれを飲まず、また、実際に口に入れることはありませんでした。
 母も、さすがに僕の醜態を目にするのは忍びなかったのでしょう。そのわがままを、許してくれました。
 とはいえ、飲めば僕が気を失うほど苦しむことを知っている母に怪しまれないため、僕は毎日その粉薬を手のひらに取ったのです。
 なにせその粉末は、触るだけで僕に苦痛をもたらすのです。手にとったその瞬間、しゅうしゅうと煙をたてて僕の手を焼き、爛れさせ、骨まで溶かしてしまいます。そしてたいてい、僕はその苦痛に負けて、気を失ってしまうのです。

 不思議なのは、しばらくして目を覚ましたときには、手が元通りになっていることです。溶けてなくなっていた手が……。あの苦痛がうそのように、痛みもありません。
 母は抑えきれない僕のうめき声だけをきいて、粉末を毎日飲んでいると誤解してくれました。
 そんなわけなので、僕の魔力は全く強くなった様子はありませんでした。母の言うとおり、いったん体内に入れないと効力はないのかもしれません。触るだけでもあれほどの痛みを伴うというのに……。

「しかし、呪詛というからには、誰かの魔力が混入されていなければなるまい。例えばこの軟膏ならば、飲ませる相手が呪言を込める必要がある……しかるに、今の君の話では、その粉はただ飲むだけでいいのだろう? 他者の介入もなしに……」
「その……僕には詳しいことはわかりません。とにかく、母がそう言ってたんです」
 粉末をどこから手に入れたのだか、材料はなんなのか……僕は一切、聞かされていないのです。
「もしかすると、すでに魔力は混入されているのかもしれませんよ。班長」
 ウヲリンダさんの言葉に、サンドリミン閣下はうなずきます。
「かもしれんな。実物をみてみないことにはなんとも言えんが……。リーヴ、その粉末を、今も持っているかね? ぜひ、研究材料に加えたいのだが」
「あの、今は……でも、家に帰ればきっと……」

 医療棟で働くようになって以後、僕は実家には帰っていません。暗殺が失敗したと聞いて、あの母が許してくれるとは思えず、怖くて帰ることができなかったのです。
 けれどジャーイル閣下がお調べになったところによると、母はもう家にはいないとのことです。僕は寂しく思う一方で、解放された喜びに、ホッとしてしまったのでした。

 僕は勇気を振り絞り、久しぶりに家に戻りました。
 母と僕の狭い部屋の他には、水回りのスペースしかない小さなその家には、聞いたとおり全く誰の気配もありません。

 僕は机の引き出しから粉薬をとると、自分の部屋を出ました。長居はしたくありませんでした。
 生まれてからずっと、過ごしてきた部屋でしたが、いやな思い出ばかりが頭をよぎります。今の生活にくらべ、ここでの思い出はなんと色あせているのでしょうか。
 台所のマントルピースの上に置かれた母の姿絵……他者をさげすんでいるような冷たいラマの瞳が、僕を睨んでいるように見えます。
 その恐ろしい姿絵を倒し、僕は生家を逃げるように出てきたのでした。

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