魔族大公の平穏な日常
目次に戻る | |
前話へ | 後話へ |
【第四章 大公受難編】
「何? マーミルがいない?」
妹の姿が城内に見あたらない、と報告にやってきたのは、その剣術の指南を任せているイースだ。
「荒れ地で特訓でもしてるんじゃないのか?」
「私も、最初は魔術の特訓でもなさっているのかと思ったのですが、そちらにお姿もなく、ファトムもお見かけしていないと……」
城外に出ての特訓は、剣の指導者であるイースか魔術の指導者であるファトムのどちらかが一緒でなければ許可していない。
「双子やアレスディアは?」
一緒に剣や魔術を習っているネネリーゼとネセルスフォは、年が近いせいか妹とはまるで三つ子のように仲がいいし、侍女のアレスディアはめったなことで妹から目を離したりはしないはずだ。
「双子姫はご在宅です。そもそもはお二人が日課の訓練のためにお庭にいらっしゃったのに、マーミル姫がおいでにならないので、えっと……城中をお探ししたのですが、どちらにもいらっしゃらず」
「ってことは、双子も居場所を知らないってことか?」
「はい、そのようです」
そういえば、この間俺のところに来たときにも、双子は一緒じゃなかったな。喧嘩でもしたのか?
それでイースが、普段は足を踏み入れることのない俺の執務室にまで、わざわざ報告にやってきたというわけか。
マーミルめ。まさかまた、家出したんじゃないだろうな。
「アレスディアは何と言ってる?」
「いえ、アレスディア殿もいらっしゃらないのです。それで、その……竜番に尋ねたんですが、お二人でどちらかにいらっしゃったと……」
「なんだ。アレスディアは一緒なのか」
俺は息をついた。
「なら、心配しなくていい。腹が減ったら、帰ってくるさ」
この間は侍女をも置いて一人で飛び出したりしたから慌てたが、アレスディアが一緒なら例え家出のつもりで出かけたにしても問題はない。
領内を出ると言い出せば、さすがにアレスディアは止めるだろう。だから今日は、ベイルフォウスなんかのところには、間違っても行けないはずだ。
と、なると、他に食事をごちそうになるような友達は皆無だから、少なくとも夕食までには戻ってくるだろう。
「しかし、今まで訓練を黙って休まれたことはないのです。それに、最近の姫のご様子を見ていると……」
最近の様子?
「何かあったのか?」
「はっきりどう、ということではないのですが……なんというか、ここのところ、マーミル様のお元気がなく……なにか思い悩んでいるようにも見えて、ご心配申し上げていたところなのです」
「気のせいだろ。昨日、執務室で会ったときも、元気そのものだったぞ」
「はあ……なら、よろしいのですが……」
イースは堅苦しいほどきっちりと頭を深々と下げ、執務室から出て行った。
元気がない? あの、マーミルが?
昨日もそれ以前も、俺の見たところでは特に気落ちしている様子はなかったと思うが。
しかしこのところの俺に、例え相手が妹であっても、他者を観察できる余裕があるはずもない。それに意見を否定してはみたものの、イースは兄の俺よりよほど、妹と一緒にいる時間が長いのだ。その彼がああ言っているのだから、全く耳を貸さないというのもどうだろう。今の状況が落ち着いたら、少し様子をみてみることにするか。
ちなみに昨日は、マーミルに続いてウォクナンがやってきた。
せっかくの可愛いリス顔に、気持ち悪いニヤニヤ笑いを浮かべながら俺の前に立つものだから、魔力減少がばれたのかと内心バクバクだった。
だがリスのやつは突然、「最近、お盛んなようですな?」
と、意味不明な質問を投げかけてきたのだ。
答えないでいると、なぜか俺の恋愛観を探ろうとし、しばらく後には自分と奥方ののろけ話を披露しはじめた。ものすごくしつこかった。
とりあえず、苛立ちが不安を上回ったので、いっそ殴ってやろうと拳をあげたら逃走された。
だがホッとしたことに、俺の弱体化を知っていた様子も、それに気づいた様子も全くない。
じゃあ、結局何をしにやってきたのか?
決まってる、暇にあかせてのろけに来ただけだ! そうとしか思えない!
まさか、俺の好みを聞いたからといって、ドンピシャな女性を紹介してくれる訳でもないだろうからな!
女性、といえば、ミディリースとはあれ以来顔を合わせてはいない。が、手紙での意見交換は、割と頻繁にしている。さすがに最初ほどの長文は届かないが、それでも毎回、一枚ではすまない文字量の信書が届く。
半分ほどは不必要な情報だったが、有用なものもあった。その一つがレイヴレイズの詳細だ。彼の剣が、世にある何を斬り、何を破壊し、何を消滅させるのか、というようなことを知らせてくれたのだ。
正直俺は、この剣なしでは今の不安を乗り切れる気がしない。だからその情報は、本当にありがたかった。
だがやりとりをするうちに、心配事も出てきた。
彼女は確かに人と会ったことはこの六百年の間、――エンディオンによる一度の目撃以外は皆無らしいが、手紙のやりとりは数人としているらしい。その中に魔道具にも詳しそうな相手がいるので、そちらの方向でも調べてみる、とのことだった。
引きこもりだというから、安心していたのに。まさか、文通友達だなんてものがいるとは……それも複数!
もちろん、俺が困っているであろうということは、自分の推測に過ぎぬ故、余計な詮索もしなければ、情報をもらすことも決してない、と、確約してくれたが……。正直、あの長文を目にした後では不安だ。
そんなこんなで俺は今日、ワイプキーとの面談の日を迎えていた。
***
通常の謁見を終えた後、応接室の一室に向かう。
もうワイプキーは到着しているらしい。一人でではなく、彼の地位を奪った新子爵と一緒に。
これは、あらかじめ先方からの打診があって許可したことだ。俺の方としても都合がいいので受け入れた。
話してみて、もしその子爵の感じがよければ、筆頭侍従の公募はしなくてすむ。なにせ今は、悠長に面談をしている暇はない。簡単に決められるなら、それにこしたことはないだろう。
「待たせ……」
「ああああ、旦那様~!!」
扉を開けるなり、髭親父が飛びついてこようとしたので、とっさに避ける。
ワイプキーはそのまま扉の縁にぶつかり、鼻を押さえてしゃがみこんだ。
いや、踏みとどまれよ! 避けられるの想定してたら、ぶつかるわけないだろ?
まさか、受け止めるとでも思ったのか?
俺は男に抱きつかれて喜ぶ趣味はない。髭をこすりつけてくるようなオッサンは、なおさらごめんだ。
「気でも狂ったか」
「すみません、数ヶ月ぶりに旦那様とお会いした喜びを、このワイプキー! 感動のあまり抑えきれず。つい興奮してしまいました……ぐふ」
鼻血出しながらにやけるな。不気味だ。
飲み物をもって入ってきた従僕が、若干ひいてるじゃないか。
そうして俺とワイプキーと新任の子爵は、それぞれソファに腰を落ち着けたのだった。
***
「では、あらためて」
ワイプキーがこほんと咳払いを一つ。
「こちらはセルク子爵。私の……屋敷と爵位を継いだ者でございます、だん……いえ、大公閣下」
ワイプキーがねっとりとした視線を隣に向ける。が、それを受けてもセルク子爵とやらは、涼しい表情を崩さない。
「ジャーイル大公閣下。お初にお目にかかります。ただ今ご紹介にあずかりました、セルクと申します。このたび、ワイプキー殿と戦い、勝利し、閣下の領地にて子爵の地位を得ました者にございます」
闇を塗りつぶしたような黒髪は、魔王様を思い出さないでもないし、瞳の色は妹のに少し黒を混ぜたような赤だ。顔つきは精悍、目つきは穏やかで、雰囲気のさわやかな好青年に見える。
まあ、第一印象は悪くはないかな。
「挑戦前は、男爵だったと聞いているが」
「はい、ワイプキー殿に実績を認められ、男爵にとりたてていただきました」
そうなの?
ってことは、言ってみりゃ恩人の地位を奪ったってことか。見かけによらず、なかなかいい性格をしている、のか?
しかし逆に恩があったればこそ、手心を加えて生かしておいたとも考えられる。
なにせこのセルクという男、伯爵位でも得られそうな魔力は内包しているのだから。
「この者の父とは昔なじみでして、その父親を簒奪で亡くして以降は、身内のように目をかけておりました。それがまさかこんな、恩を仇で返すような男に育つとは……」
ワイプキーは恨みがましい目でセルクをねめつけている。
「恨み言をいうのはやめてください。屋敷の引き渡しが終わったからといって、誰もすぐに出ていけとはいいませんから」
セルクはこの時、はじめてワイプキーを見返した。
口元には笑みを浮かべているが、その目に宿るのは苛立ちだ。
穏やか……というのは間違いだったかもしれない。結構、いい性格をしてそうだ。
「聞きましたか、旦那様! この恩着せがましい口の利き方……こやつ、私から爵位を奪ったその日のうちに、我が屋敷をも奪ったのですよ! ふつうは最低でも五日は猶予を与えるもの……落ち着く先も決まらぬうちから出て行けというなら、それこそ無慈悲でございましょうに!」
いや、ふつうは本人殺されるよね。五日って、家族に与えられる猶予だよね。
しかし今の話だと、現在その男爵邸が主人不在なのは当然として、ワイプキーも行くあてが決まっていないということか。
子供は三人とも無爵位だったから、頼るどころか一緒に路頭に迷うしかないのか。
「今までの功績を考えれば、ワイプキーに男爵位を与えて、セルクの住んでいた男爵邸への転居を許可することならできるが……どうする? もちろん、そこじゃなくても、他に空いている屋敷はいくらかあるはずだから、そちらでもいいが?」
別に子爵位を簒奪された、といっても、本人の実力が落ちたわけではない。
さすがに簒奪されたすぐ後にあらためて子爵位を、というなら自分自身の力で奪取してもらわないといないが、男爵位なら与えても問題はないだろう。
「だ……旦那様ぁ~~~~!!!」
目を潤ませ両手を握りしめ、そわそわして腰を浮かせるワイプキー。
よし、いつでも逃げられるようにしておこう!
「なるほど、大公閣下はこのご容姿に加えてそのお優しさで、ワイプキー殿の増長を促し、彼女の勘違いを是正なさらなかったのですね」
ワイプキーの増長はともかく、彼女の勘違い?
つまり……。
「セルク、お前、旦那様に対して、なんと無礼な口の利き方を」
「大公閣下」
セルクは焦るワイプキーのことなど、どこ吹く風だ。
俺に戻された視線も、さっきよりはわずかに厳しい。
「私はエミリーを、妻に迎えるつもりでおります。これにご異存ありましょうや?」
こいつ……ずいぶん強気な物言いするな。異存はないな、ときたか。
それにしてもやはり、彼女とはエミリーのことか。
「俺とエミリー嬢は単なる顔見知りだ。その婚姻に口を挟むほどの仲ではない。好きにすればいい」
もともと、エミリーの俺に対する興味は、父親の熱意に押されたのと、彼女自身の権力欲によるものが大部分だろう。
「旦那様……」
なんだよ、髭。恨みがましい目で俺を見るのはやめろ。
「それはまことでございましょうか?」
「セルク!」
セルクの詰問するような口調に、ワイプキーが色めき立つ。
「まこともなにも、周知のとおりだと思うが」
「では、彼女を妻に望んではいないと?」
「当然だ」
おい、なんでそんな敵意丸出しなんだ。
俺とエミリーの間に、何かあると勘違いしてるのか?
「本当ですか? 後で花嫁を奪われるようなことは、いくら大公閣下であろうとも、ご容赦願いたいのですが」
「セルク!」
セルクはさっきから髭親父をまるっきり無視だ。
それは別にかまわない。だが。
「いったいどうして、俺がこれ以上の言葉を尽くさなきゃいけないんだ?」
さすがに何度も確認されるような態度は、腹に据えかねる。
ただでさえ、最近の俺は不安と鬱憤を外に出さないようにと気を張っているせいで、精神的疲労が蓄積しているんだ。いつもなら笑ってすませられる無礼でも、今日はそんな寛大な態度をとってやれる余裕はない。
「彼女との間は潔白だと、お前に誓わなければならない、とでもいうのか?」
慌てたのはワイプキーだ。
元筆頭侍従は、普段こそふざけて俺をいらだたせることもあるが、一線は越えようとはしなかった。彼なりに、俺の怒りどころと距離感を把握していたのだろう。
「いい加減にしろ、セルク! いくらなんでも大公閣下に対してその口の利き方は、不敬に過ぎるぞ! 娘のことは、閣下には関係ない……私とお前、それから娘で話し合うべきことではないか。口をつつしめ!!」
激しい叱責にセルクは眉根を寄せ、ワイプキーを冷たく一瞥する。
しかし思うところがあったのか、一転、素直に頭を下げた。
「たしかに、口がすぎました。申し訳ありません、大公閣下。これもどうか、恋する男の盲目さ故と、ご容赦ください」
恋する男……。
頭を低く下げたセルクからは、真摯さがビシビシと伝わってくる。それを見ているだけで苛立ちが驚きに取ってかわられるではないか!
だってそうだろう?
あの、エミリーだぞ!?
セルクは本気であのエミリーが好きだといっているんだぞ。
あの、エミリーを……な。
「まあ、しばらくは子爵として、真面目に領地の運営に励むことだな。その上で誰を妻にしようが、それは君の自由だ。日時が決まれば知らせてくれ。こうして縁もできたことだし、祝いの品でも届けさせよう」
俺が関心を抱きつつそう言うと、ワイプキーはホッとしたように目尻を下げた。
「ありがとうございます、閣下」
顔を上げたセルクには、俺に対する畏れやわだかまりは一切見受けられない。
やっぱりそうだよな!
俺は、怖くないよな?
デヴィル族だからこその、あの反応だよな?
「正直に申しますと、大公閣下が彼女にご執心だと、信じきった訳ではございませんでした。いかにエミリーが、閣下からのご寵愛を語ろうとも」
ん?
おい、ご寵愛を語るってなんだよ!
エミリーはまた、妄想で何語ったんだよ!!
「ですが、不安でした……彼女は若く、目も覚めるような美少女で、性格は快活そのもの……」
ん? え?
「その態度は愛らしく、可憐」
えっと……。
「少々の虚言癖はございますが、それもいじらしさの一端を彩る程度……」
少々の虚言癖? ……少々?
「果たして彼女を愛さない男が、いるのであろうかと!」
今のは本当に、俺も知っているエミリーへの評価なのか?
だとすればこいつ…………大丈夫か?
「全くもって、その通り」
ワイプキーは娘を絶賛する言葉に、腕をくみつつ頷いている。
「しかも、閣下のお好きな巨乳ときてる!」
馬鹿なの? 俺がいつ、そんなこと言ったの?
……言ってない……よな?
「小父さん!! いい加減にしてください!」
セルクの怒りのこもった呼びかけに、ワイプキーは肩をすくめた。
「小父さんがそんな風にけしかけるから、エミリーがあんな風に……ただでさえ、夢見がちな子なのに!」
夢見がち……夢見がちだって? あれを、あの妄想癖を、そう言い表すのか!?
すごいな、セルク。俺には急に、この男の器が大きく見えてきた……ような気がしないでもない。
「……それもこれも、貴方が閣下のお側でその権力と自分のそれを、同一視してしまったのが原因! ですから、私はこれではいけないと、一念発起したのです」
ワイプキーを見ると、髭親父はずいぶんシュンとした様子でうなだれている。
「大公閣下は軍団副司令官であるジブライール公爵を、めでたくもご寵愛の相手に選ばれたいうではありませんか! このようなめでたいご縁を、己の野心のために邪魔しようとするとは」
ん?
んん?
待て!
なに?
なんだって?
「閣下、聞いてください! ワイプキー殿が娘をあおったために、エミリーは謹慎の身でありながら、それを破って閣下に真実を問いただしに行こうとしたのです。それを止める私と、焚きつけるワイプキー殿との間にいさかいが起こったのが、そもそもの始まりで……ですがこれからは、もうワイプキー殿の好き勝手にはさせません!」
「ちょっと待て! 今のところ、もう一度……」
いや、君たちのいきさつもそりゃあ、興味深いよ。だが、それより今、聞き捨てならないことを言ったよね!?
俺とジブライールがなんだって!?
「ワイプキー殿の好き勝手にはさせません!!」
いや、そうじゃなくて!
「ジブライールが俺の、なんだって?」
「ああ……閣下が副司令官閣下を、寵姫となさったことですか?」
チョウキ?
チョウキってなんだよ!
弔いの旗か?
それとも長い期間のことか!?
「もしかして、まだご内密でしたか? しかし、噂はもはや領内の隅々まで……」
「いや……いや、内密とかじゃなくて……噂? え? 領内に広まってる?」
待て。ワイプキーが爵位を簒奪されたのは、確か成人式典から帰って四、五日たったころ……え?
隅々? 隅々っていった? 今!
「口惜しゅうございます、旦那様。謹慎中でなければ、この私がどんな手を使っても、阻止しましたものを……実に口惜しい!」
髭はハンカチを懐からとりだし、引き裂かんばかりの勢いで、ギリギリと噛みしめている。
その言葉には痛恨の思いが、嫌と言うほど込められていた。
結局、その噂話に気を取られた俺は、筆頭侍従の件をワイプキーに相談することも、セルクに打診することもできず、会談を終えたのだった。
次から次へと、いったいなんなの?
俺は誰かに呪いでもかけられてるの!?
前話へ | 後話へ |
目次に戻る 小説一覧に戻る |