魔族大公の平穏な日常
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【第八章 魔王大祭 後編】
昨日のことだ。
魔王様から呼び出しがあった。
公的な用件で呼び出しがかかることは今までにもあったが、私的な用件で呼びつけられるのは初めてのことだ。
そう、私的な用件――
大祭中、魔王様は大公城を順に訪れ、二泊三日の日程で当主から歓待を受けている。その順番はいつものように上位者から。
プートから始まって、ベイルフォウス、アリネーゼの城で順調に饗応を受け、昨日はその次の順位者の元を訪れる前日だったのだ。
――ここまで言えばわかるだろう。
俺は、
魔王様の、
ウキウキ話を
聞かされるため、
呼び出されたのだ!!
ウィストベルの城へのお泊まりを、翌日に控えた魔王様にな!
ねえ、わかる?
どれだけ辟易としたか、わかる?
ああ、俺だって理解はしてるよ?
魔王様が魔王位に就いて以来、ウィストベルの居城である〈暁に血濡れた地獄城〉を訪れたことが、一度としてないっていうことは知ってるよ?
だから嬉しい気持ちも理解できるよ?
本当なら、一の寵臣として、一緒に喜んであげたいよ?
でも、一言だけ言わせてください。
うざかった……超うざかった!!
と、いうわけで、昨日はとっても疲れたのだ。
精神的にな!
途中で見知らぬ女性に逃げた位だ。
俺だって、今日は大変なのに――
そう。
今日はいよいよ、パレードが大公城の前地にやってくる日、ウォクナンの要望に応じて饗宴を開く日なのだ。
つまり今日は今日で、昨日とはまた別の相手からウザい思いをさせられること必定の日、というわけだ。
前地に用意した円卓は、全て埋まっている。パレードが到着し、既に宴会が始まっているのだ。その卓数は五百を優に超えており、騒々しいという言葉では言い表せられない様相を呈していた。
もちろん、その全員がパレードの参加者というのではない。彼らは総数で八百にしかならないのだから。
俺の無茶ぶりに、見事に応えてくれたのはジブライール。彼女が集めてくれた、パレード参加者たちの家族や恋人たちをも含めた数なのだった。
そして、その喧噪の中――俺は一人。
一人寂しく料理を食している。
ぽつり、と一人。
魔王様よろしく、高い壇上に置かれた広い広いテーブルを前に、ただ一人、座面の余る背もたれの高い椅子に座っている。
壇上の左右端から地面に向かって延びる階段は、十六段下ったところに広面が設けられており、そこにもテーブルが置かれ、二十九の席が並んでいた。
そこへ腰掛けているのは、ドヤ顔のリスを中心にマーミルとアレスディア、そしてスメルスフォと彼女の娘たち二十五人だ。
つまりこのパレードの指揮者と俺の身内が並んでいる、という構図になる。
そうしてさらに十六段を降りてようやく円卓の並ぶ地面に到着する。
ここにセルクがいないのが残念だ。
いたとしたら、なぜこんな配置にしたのか、と問いただしてやるのに!
そう。この会場の設営と当日の運営を、俺は酒以外の料理の手配を含め、セルクに一任したのだった。
壇上から見ると花のように配置された円卓は目に華やかだ。会話の邪魔にならない程度に場を賑わす緩いテンポの曲が、管弦楽団によって奏でられている。
杯が空けば給仕がどこからともなく飛んできてグラスを満たすし、料理が途切れることもない。
セルクの設計は、完璧だ。
そう。俺のこの配置以外は!
なぜ?
なぜこんなことに?
いや、確かに心配したさ。
この間手を出しそうになってしまったらしい数人の女性たちが、今回またその続きを求めてこないかと心配していたさ。
だから家族を呼ぶことにした。そうとも。
だけどまさか、こんな壇上の上、ポツンと一人にしなくたって……。
きついな、これ。
このまま数時間、みんながワイワイ楽しそうにやってるのを、ここから黙って見ていなければならないというのだろうか。
見てくれ、この楽しそうな風景!
せめてマーミルくらい、俺の横に置いていてくれたらよかったのに。
今ならウザいリスが隣だって喜ぶのに。
魔王様もいつもこんな思いをしてるのかな。
昨日もうちょっと、優しくしてあげたらよかった……。
そんなことをツラツラ考えていたら、深いため息が漏れた。
「どうかなさいましたか、閣下」
「いや、何でもない。大丈夫だ」
ああ、そうだった。
正確には俺はたった一人でいるのではない。
背後にはなぜか自分の身長を遙かに超える大弓を携え、眼下を睥睨するジブライールさんの存在があったのだから。
「ジブライール、今日この場にみんなを集めてくれたことには感謝する。その件をもって、酒宴には普通に参加してくれればいいと思うんだが、なぜそこに……」
「私のことは、お気になさらないでください」
いや、そう言われても。
「言ってみれば、私は前回アリネーゼ閣下の酒宴に付き添ったヤティーンです。ですので、お気遣いは無用です」
ヤティーンはマーミルの帰宅時のための護衛兼付き添いだったんだが……。
ん?
ということは?
「もしも護衛のつもりなら、俺には必要ないんだが」
なにせ俺は、これでも世界にたった七人しかいない大公、八人の上位者のうちの一人なのだ。
自分で言うのもなんだが、そこそこ強い。
当然誰にも護ってもらう必要なんて、ない。
「もちろんです、閣下。そこまで自惚れてはおりません」
でもあの……ものすごく、周囲を威嚇してますよね?
気のせいじゃないですよね?
ハッ!
俺のためじゃないとしたら、自分のためか?
まさか……まさか、ジブライール。副司令官である地位に不安を覚えている、とか?
誰かに挑戦されたりした、とか、挑戦者の噂を聞いた、とか。それでこの場を利用して、自分の威を示している、とか?
……どうせ、聞いたところで教えてはくれないだろう。なかなかどうして、ジブライールは頑固だ。
だいたい、最近俺は疑問に思っている。
彼女はもしかすると、自分でも自分自身について理解していないんじゃないのか、と。
だって結構な情緒不安定っぷりだもん。
とにかく今は、あまり気にしないでおこう。
会話の相手になってくれるならともかく、あまりそれも期待できそうにないようだし。
俺は再び漏れそうになったため息を紛らわすため、グラスに手を伸ばした。
その途端。
細い腕が伸びて、グラスをひったくる。
ジブライールが、なぜか俺の飲もうとした酒を横から奪ったのだ。
それだけならまだしも、俺の見ている前でジブライールはその酒の匂いを嗅ぎ、その中身を高く掲げ、厳しい目で透かして見たと思ったら、クイッとグラスを傾けたのだ。
当然、その白い液体は、ジブライールさんの喉を潤したことだろう。
俺が呆然としたのも無理はない。
満足そうに頷くジブライール。
そうしてドヤ顔で、俺にグラスを返してくる。
「え? いや、あの……」
「大丈夫です。どうぞ」
「……え?」
「あっ、すみません」
急にハッとしたように、自分が口をつけた場所を懐から出したハンカチで拭くジブライール。
うん、素晴らしいお気遣いですね、ありがとう……って、誉めると思うか!?
「そんなに喉が渇いてたのか?」
だとしても、普通上司から奪うか?
「いえ、そういう訳では……」
「くださいって言ってくれたら普通にあげるのに……。一口と言わず、一本でも、二本でも!」
「いりません」
「ならなぜ飲んだ? しかも、ちょっとだけ」
「……」
ジブライールさん、困ったら黙るのやめませんか?
っていうか、やめてくださいお願いします。
「まさか……セルクに何か聞いたのか?」
「……いえ、何も」
なにそのわざとらしい目の逸らし方。
「ただ、その……例の…………軟膏の件もありますから……念には念を入れて、と言いますか……」
うん。後でセルクを問いただすことにしよう。
配置の件も含めて!
「ジブライールが念を入れる必要はない。ここは他領ではなく、俺の領地だ。料理人たちだって、大公城に勤める者たちだし、酒を選んだのは他ならぬエンディオンだ」
そう!
他の者ならいざ知らず、最も信頼する家令の選んだ酒だ。
銘柄については信頼できぬはずもないし、呪詛が関わっているなら俺の目でわからぬ道理もない!
「とりあえず、これはもうジブライールが飲んでしまっていいから」
俺は少し減ったグラスを机に置き、別の空いているグラスに酒を注ぎ直した。
「えっ」
なにそのショックと言わんばかりの顔。
だが、その表情は豹変する。
ジブライールは両目に殺気を湛え、いきなり弓を構えたと思ったら、矢をつがえたのだ。
なに?
新しいグラスを用意したのがそんなに気にくわなかった!?
「何の用だ!」
俺の背後に向けられた、厳しい口調と視線。
その先にいたのは――
「閣下! なぜ私が同僚からこんな仕打ちを受けなければならないんですか!? ただ、閣下にご挨拶にあがっただけなのに……」
大きな瞳をうるうるさせた、顔だけは可愛いリスゴリラだった。
「よし、やれ――じゃなくて、やめろ、ジブライール」
おっと危ない。本音が漏れてしまった。
「ですが閣下、ウォクナンはロクなことをしません」
いや、それには俺も概ね同意するが、今はまだ何もしてない訳だし。
「今回も、このような酒宴を閣下に強要するなどと、副司令官にあらざる無礼極まりない要望をあげた報いを、私のこの矢で――」
「そんなことだから、ヤティーンなんぞに脳筋と言われるんだぞ、ジブライール」
煽っておいて、俺を盾に隠れるな、リスめ。
「閣下から離れろ、ウォクナン」
「お前がその矢を降ろしたらな!」
「なんだと!?」
「まあ、落ち着け、ジブライール。それとも、まさかこの衆人環視のなかで決闘するつもりでもないんだろう」
俺だって心情的にはジブライールを応援したい。だが、見てみろ。あんなにワイワイ賑やかだった眼下が、壇上の騒ぎに気を取られてシンとなってしまっているではないか。
下位魔族が多いこの中で、副司令官同士が殺気をほとばしらせて対峙して、目立たないはずはない。
ジブライールもその様子に気づくと、渋々、といった感じではあったが、腕をおろしてくれた。
俺はグラスを片手に立ち上がる。
仕方ない、予定ではもうちょっとだったんだが、白けてしまうのもなんだしな。
「親しい者との久しぶりの再会で、気分も最高潮に達しているだろう諸君に、ここで俺から贈り物をしたいと思う」
宣言しただけで、いくらかの歓声があがった。
魔族のこういうノリの良さはありがたい。
「まず一つ。もちろん各所で衣装は用意してあるが、そこへさらに一万着を加える。それらが少しでも君らの発揮する魅力の手助けとなることを期待して」
煌びやかな衣装はいくらあっても困るものではないだろう。ことに今回選ばれた参加者たちは、それぞれ自分の容姿に自信のある者たちがほとんどのはず。身を着飾ることを喜びこそすれ、面倒とは思うまい。
実際、歓声を聞く限りでは歓迎されているようだ。
「次に、パレードも中盤だ。君らも疲れ知らずの魔族とはいえ、時には休みたいこともあるだろう。そこで、獣車を五十台、騎獣を百頭追加する」
さっきよりも沸いた。さすがに交代で休んでいるとはいえ、やはり他者の視線にさらされた状態で、歩き通しというのは疲れるのだろう。
「最後に、これはパレードが終わった後のことだが、参加者全員に賞状と楯、銘の入ったグラスを与える」
まあ記念品だ。正直、魔王様の恩賞会でも褒美を授かるんだから、俺は何も用意しないでもいいかなとも思っていたんだが、全日程を通して大祭を盛り上げてる連中だもんな。記念品くらい用意しても、やりすぎってことはないだろう。
一応、俺の贈り物は歓迎されているようで、さっきまで息を飲む静けさをみせていた前地は、今また賑わいを取り戻していた。
俺は左手に持ったグラスを、高らかに掲げる。
「では、改めて――残りの行程が、君らにとっても楽しいものとなるよう願って、乾杯」
「者どもー! ジャーイル大公閣下に祝杯を捧げよー!!」
耳元で怒鳴るなよ、リス!
せっかくキメてたのに、ちょっとだけビクッとしちゃっただろ!!
まあ、みんなこちらのことは気にせず杯を合わせてるから、いいとしてやるが。
俺はウォクナンに調子に乗るなと釘をさし、ジブライールとの衝突を回避させて、以後は比較的平和に――俺が退屈のあまり途中退席しようかと思った以外は――宴は続けられたのだった。
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