古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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31.深夜の相談

 なぜ、こんなことになったのだろう、と、サディーナは陶器のカップから立ち上る湯気を見つめながら、考えていた。
 ついさっきまで、フラマディンと彼の寝室で話し合っていたはずだ。なのに、どうしてこの続きの居間で、竜騎隊隊士の入れた茶を飲む羽目になったのか。
 決まっている。フラマディンが悪い。
「意味がわからないわ。どうして飛び出すのよ」
「いや、貴女と親しくなれたのが嬉しくて。つい、アルシェードに報告を、だな」
「何をどう勘違いしたら、そう思えるのよ」
 ルイ・アルフォンソの陰謀説とジャンヌ・マリエットの善意説を戦わせているうちに、フラマディンが急に喜びだして部屋を飛び出していったのだ。
 ちなみに、その時の彼の台詞はこうだった。

「アルシェード、聞いてくれ! 私はようやく、サディーナどのの信頼を勝ち得たぞ」

 自分が言ったどの言葉がまずかったのだろうか、とサディーナは首をかしげている。
 確かにフラマディンの性格を表すのに、「素直」とか「正直」とかいう言葉を使いはしたが、それは皮肉のつもりだったのだが。
 なんにしたって、いきなり部屋から飛び出していかなくてもよさそうなものだ。おかげでこんな夜中に二人きりで部屋にいたことを、隣室にいた二人の護衛に知られてしまった。
 もっとも彼女が彼の部屋にいたことなど、この竜騎隊隊士にはお見通しだっただろう、と、その若い隊士を上目遣いで見ながらサディーナは考えている。
「はは。まるで二人でいたことがバレなければ、問題はないと思っているようですね。貴女にしては、迂闊だなぁ」
 剣呑な笑みを浮かべて自分の前に立ちはだかる隊士、エルフィウス・エイデル・レデーリアを見上げて、サディーナは笑みを引きつらせた。
「御自分の部屋に皇太子殿下がいらっしゃることに気付いた時点で、貴女は護衛を呼ぶべきだったんですが」
「そんなことしたら、フラマディンどのの体面が」
「貴女と殿下は想い合った仲でしたっけ?」
「まさか!」
 サディーナの正面の長椅子で、その即答を耳にしたフラマディンが、寂しそうな表情を浮かべている。
「でしたら、夜中に自分の同意も得ず忍び込んできた異性の体面なぞ、おもんばかる必要はございませんでしょう。まず御自身の身の安全を確保した段階で、お考えになればよろしい。つまり、護衛を呼んだ後にですが」
 アルシェードに嬉々として自分の生い立ちを語っていたのと、とうてい同じ人物とは思えない毅然とした態度で、エルフィウスはサディーナにのぞんでいる。
 だが彼の言は尤もで、フラマディンは自分が責められているにもかかわらず、うんうんとしきりに頷いて同意を表していた。
「身の安全って言っても、相手はフラマディン皇子なのだし、特に危険は……」
「聞いたか、アルシェード。私に対するサディーナどのの信頼に満ちた言葉を」
「殿下」
 浮かれた様子で振り返るフラマディンに、アルシェードは深いため息を返して首を左右に振った。
「相手が自分より非力であれば大丈夫だなどという、その貴女の危機感のなさが問題なのです」
「その通りだ! いかに私が貴女より弱いといえ……ん? おい、アルシェード。もしや今、私は馬鹿にされなかったか?」
「さあ、気のせいでしょう」
 アルシェードの返答はそっけない。
「でも」
「でも、じゃありません。貴女はウィシテリアの女王なのです。我が国にとって、最も大切なお方なのですよ、陛下。その点について、貴女には自覚が足りない」
「その通りだ! まったくもって、この隊士のいうことは正しい!」
 フラマディンが膝を打って立ち上がる。
 サディーナはフラマディンをじろりと睨みながら、反論のために口を開いた。
「でも」
「アルさま」
 主の言葉を有無を言わさず遮って、銀髪の若い隊士は女王の前に跪く。
「フォルム家を尊重する貴女のお気持ちはわかります。我々の本能ですから……けれど、いくらなんでもガイミラに対するご懸念は、度が過ぎております。私の護衛に気付かないほどなのだから」
 その言葉に、サディーナは表情をこわばらせた。
「ご心配なさらなくても、ガイミラは無事ですよ。この雨はこの辺りだけのものです。あの子のところには降っていませんよ」
「本当?」
 一体何の根拠があってそういったものだか知らないが、妙にきっぱりと断言するエルフィウスの言葉に、サディーナは少しホッとしたような表情を見せた。
「本当です。だいたい、例え雨の影響で河が荒れたとして、あの子に一体どんな影響がありましょう? この世の誰も、傷つけることなどできないというのに。……他にも言いたいことは色々ありますが」
 若い隊士は意味ありげにフラマディンとアルシェードに視線を向ける。
「国に帰ってからにしましょう」
「……そうね……今回は、確かに私がうかつだったわ。それは反省します」
「ええ、ぜひそうなさってください。まぁ、私としては、そのおかげでこうして貴女の護衛につけたわけですが」
 隊士はにっこりと人の良い笑みを浮かべたが、サディーナの方は逆に長椅子の上で背を反らすように身じろぎした。
「ねぇ、いつから貴方、この部屋で私の護衛についてたの?」
「ずっとです。ずっと。昨日からずっと」
 数十分ほど前に前任者と交替したくせに、しれっと嘘をつくエルフィウスに、アルシェードは内心苦笑していた。
「すぐ誰か他の者と、護衛をかわってちょうだい」
「さて、どうしましょうか」
 隊士はからかうような笑みを浮かべる。その反応に、サディーナは怒りを露わにした。
「今すぐに、交替して!」
「でも、また殿下が忍んでいらっしゃるかもしれませんよ。またこんなことになったら、今度は別の隊士にどう言い訳するんです?」
「そんなこと、もうしないわよ! ね、フラマディンどの」
「ああ、もうしない」
 反射的にサディーナに答えてから、フラマディンは眉根を寄せて隊士を見る。
「だが、いやにこの護衛は貴女に親しい態度をとるのだな」
「親しいだなんて!」
 サディーナの声には嫌悪感が満ちていた。
「これは、ご挨拶が遅れまして、殿下」
 隊士は立ち上がるとフラマディンの正面を向いて左手を胸に、軽く腰を折ってみせる。女性を舞踏に誘う紳士のような、優雅な仕草で。
 アルシェードはエルフィウスのさっきまでとの変貌具合に、再度舌を巻いていた。貧民街出身の彼にはとてもまねできそうにない。
「エルフィウス・エイデル・レデーリアと申します。レデーリア伯爵家の嫡子にして、空竜隊では第一大隊の副隊長を務めております。今回は女王陛下とフォルム公子殿下の護衛として、参りました」
「ほう、伯爵家の嫡男か」
 アルシェードと違って、皇太子が気にしたのは生まれ持っての身分のほうらしい。正直、フラマディンはアルシェードの地位ですら、たいして気にしてはいないだろう。
「はい。さらに言えば、私は女王陛下の幼なじみでして」
「エイデル! 余計なことを言わないで!」
 サディーナはエルフィウスに手を差し伸べたが、触れる直前、目に見えない壁に弾かれでもしたかのように引っ込めた。
 アルシェードからすると慕われているどころか、嫌悪されているようにしか見えなかったのだが、フラマディンには違ってらしい。
「なに、幼なじみ! それは、あれか。乳兄弟のようなものか」
「それどころか、実の兄妹のように、一緒のお風呂に入り、一緒のベッドで寝るような」
「なっ!」
 フラマディンがエルフィウスに駆け寄ったが、間に入ったサディーナによってその行く手は遮られた。
「エルフィウス・レデーリア!」
 怒髪、天をつく、という表現がピッタリくるほどのサディーナの怒り心頭具合に、部屋の空気が数度さがったような気が、アルシェードにはした。
 だが、他の二人も同じような気持ちらしく、フラマディンは目を見開いて固まっているし、エルフィウスもしまったと言わんばかりの表情で、苦笑いを浮かべている。
「いい加減にして! さっさと出て行ってちょうだい!」
「ですが、私が出て行ってしまっては、貴女の護衛が……」
「い・い・か・ら!」
 サディーナの態度が軟化しそうにないのを知って、エルフィウスは肩をすくめた。やれやれ、といった風に頭をかきながら扉に向かう。
「じゃあ、すぐ替わりのものを寄越しますね。それまで皇太子殿下、アルシェード少将どの、女王陛下をお願いします。では、いずれまた」
 最後に彼は、軍人というよりは貴族の麗人に相応しい優雅な礼を披露して、部屋を出て行った。

 エルフィウスが出て行くと、サディーナは何度も肩を上下し、息を整えてから椅子に腰掛けた。
「お騒がせてして、ごめんなさい」
「随分……親しい間柄のようだな」
 サディーナは眉を寄せて、フラマディンを見やる。だがフラマディンの真摯な視線に迎えられて、戸惑いを覚えたようだった。
「今のやりとりの、どこをどう見てそう思うの?」
「貴女の素気ない対応を彼が一向に気に病まないのも、それでも懲りずに親しげな口調で返すのも……全て、信頼感という素地の上になりたつじゃれあいとしか……」
「やだ、やめてよ……」
 サディーナは本気で嫌がっているようで、両手で自分の腕をかき抱き、声をうわずらせた。
「兄と慕っていたのだろう?」
「子供の時だけよ! ホンの小さな頃の……彼は女官長の弟なの。ほら、貴方も会ったことあるでしょう? ドルティカ伯爵夫人の弟なの。確かに昔は仲もよかったかもしれないけど、今は間違っても……」
「未だに諱(いみな)で呼ふ相手なのに?」
「……それは……」
 フラマディンの指摘に、サディーナはハッとした表情を浮かべる。
「そうだとしても、それは単に小さい頃の癖が抜けないだけで……って、あんな変態のことは、どうでもいいのよ!」
「変態? 彼は変態なのか? つまりはそう判じるに値するだけの、何かしらの行為を貴女に働いたということで」
「いいから、本当にもういいから!」
 サディーナはバンバンと長椅子を叩いた。
「よくない、気になって眠れない!」
「気にしなければいいでしょ!」
「そんなこと不可能だ!」
「なぜよ!」
「貴女のことが好きだからに決まっているだろう」
 呆れたように、けれどきっぱりと、フラマディンが宣言する。
 サディーナは開きかけた口のまま、凍り付いた。

「……………………あの……」
「なんだ?」
「とりあえず、さっきの話のつづきなのだけど」
 サディーナが囁くような声で呟くと、しばし部屋に沈黙がおとずれた。
 フラマディンは怪訝な表情で、アルシェードを振り返る。
「今の私の告白、聞かなかったことにされたような気がしないか?」
「まぁ、そうですね。それはともかく、一旦落ち着きましょうか。もう夜中ですし」
 アルシェードのそっけない言葉に、フラマディンはなんとも納得いかないような表情を浮かべて、けれどしぶしぶ頷いた。
「そう、とにかく、今夜のことは、なかったことにしましょう。貴方は秘密の通路を通ってはこなかった。こんなことが漏れたら大変だもの。ジャンヌ・マリエット姫へは、私からお話をするわ。雨のことも、貴方は素知らぬ顔でいてちょうだい」
「けど、姫は具合が……」
「貴方の考えでは、具合が悪いのは魔術のせいなのでしょう? だったらやめさせればいいわ。とにかく、姫のことは私にまかせておいて」
 有無を言わさぬ様子で断言すると、サディーナは椅子から立ち上がった。
「新しい護衛を待たなくていいのか?」
「構わないわ。私は今は就寝中なの」
 サディーナは寝室に戻りかけたが、扉に手を掛けて、ふとアルシェードを振りかえる。
「グラフィラス少将!」
「はい」
「貴方のところの皇子がこれ以上、馬鹿なことをしないよう、今夜はよく見張っておいてくださるかしら」
「仰せの通りに、女王陛下」
「お前の主人は一体誰なのだ、アルシェード・グラフィラス」
 フラマディンの不満声に、アルシェードは意図的に反応を返さなかった。

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