2016年6月30日(2012/10/27)
破壊者の末裔
静かに旅をしたいのに
目次に戻る | |
前話へ |
森は鬱蒼と茂り、まるで夜のように暗く、空気は魔界のように重かった。
「間違いない。“かけら”の気配だ」
ラゴスがつぶやく。
「今までのなかで、一番空気が重い。そこそこ力のある魂なんだろう」
「これでそこそこか。今までどんな屁みたいな奴を相手にしてきたか、わかるってもんだな」
チャルが舌なめずりをして、前方を見る。
「なんか来たぜ。子分かな?」
心から楽しんでいるのが、表情で分かった。
前方の茂みから、甲高い叫び声を上げながら、六匹の猿もどきが飛び出してくる。
「お、いい感じだね。まとめて出てきたぜ」
口笛を吹きながら、チャルは襲撃を避けた。
ラゴスはリダールを肩の上に抱き上げると、襲いかかってきた猿もどきを軽い一蹴で地面に沈める。
ファルは三匹をまとめて右手一本で捉えると、左手で一発ずつ顔面を殴りつけた。
「お前ら、好戦的すぎ」
二匹と鬼ごっこを楽しんでいたチャルが、不服の声をあげた。
ラゴスとファルに襲いかかった猿もどきたちは、彼らのたった一回の反撃によって、すでに戦闘不能に陥っている。
「遊んでるならおいてくよ」
ファルの宣告に、さすがのチャルも慌ててみせた。
「ちょ! 待ってくれよ!」
彼が腰から一本の柄を取り出すと、構えるまでもなく、柄から片身の刃が伸びた。
「ありがたく思えよ、この剣魔チャルさまの手にかかって逝けるんだからな!」
軽いふた振り。たったそれだけで、猿もどきは首と体に分断され、その口が大地を食む間もなく、塵のように分解されて消滅した。
「お前ら二人と違って、俺の始末の仕方の優雅なこと。見習えよ」
鼻にかかったような口調でいい、柄を腰にしまう。
「あたしたちは始末なんてしてないわよ。ちゃんと生かしてやったもの」
「それが残酷だっつーの。どうせ、二度と動けないんだから」
再び彼らは歩き出す。リダールはラゴスに抱きかかえられたままだ。
暫くすると、妖気の濃い地点に行き当たった。
茂みをかき分けると、そこにいた。
話に聞いていた“ボス”が。
八つの目に十の口、百の手を持つ怪物が。
その十の口からは、緑の液体がとめどなくあふれ出している。
そいつは四人の姿を認めるや、その緑の液体を彼(女)らに向かって吐き出した。
「ぎゃ」
ファルが思わず悲鳴をあげる。
彼女が慌てるほど、森の魔物の行動は素早かった。
逃げる四人の動きに合わせて、液体を吐いてくる。百の手が伸びてきて、素早い動作で彼女らを捕まえようとした。
「うっとおしいんだよっ!」
チャルが再び剣を取り出す。
あっという間に二十本を切り落としたが、落とした後から生えてくる手に、彼は掴まってしまった。
「げ。こいつ、再生するぜ」
言いながらもチャルは剣を振るったが、後から後から手がわき上がってきて、逃れることができない。締め付けがきつくなった一瞬、彼はうかつにも剣を落としてしまった。
「あ、やべっ」
「だからモノに頼る奴は駄目なのよ!」
ファルが鼻で笑いながら言い放つ。彼女は手刀で手を切り応戦しているが、彼を助けてやるつもりは全くないらしい。
「それにしてもしつこいわねっ! きゃ」
手に気を取られていたためか、緑の液体を左手に受けてしまう。液体が地面に向かって流れると同時に、彼女の腕もただれていく。皮膚が、神経が、肉が、どろどろに溶けてゆき、彼女の肘から先はただの骨になってしまった。
「なぁんてことすんだっ! 痛いだろうが、てめぇ!」
いつものお色気はどこへやら、鬼の形相で怒鳴り出す。
「ええい、まどろっこしい! こんな姿だからっ!」
地面に轟音を響かせた青白い光が、今度は全身を包み込んだ。
「わ、ばか、やめろ、こんなところで」
チャルが青ざめる。
ファルの輪郭が変化し始めたと見えたその瞬間、小さな腕がすっと真横に伸びて、一同を黙らせた。
リダールだ。
彼(女)はファルを制すると、ラゴスと共にさがっているよう命令する。
ものたりない顔をしながらも、ファルエマーヌは主の命令に従って、ラゴスと共に後じさった。
「坊ちゃまぁ」
掴まったままのチャルだけが、情けない声をあげる。
十の口から液体が、リダールに集中した。
「お前に選べる道は二つ」
静かだがよく響く声が膜を張りでもしたかのように、緑の液体をはじく。
魔物は何度も液体をはじかれて無駄を悟ったのか、今度はチャルを掴んでいる手以外のすべての手で、リダールに襲いかかった。
だが、手はあと50センチほどの距離に達すると、緑の液体と同じ、見えない膜に阻まれる。
醜い肉塊が、膜に当たって地面に、木に跳ね返っては、鈍い音を立てている。
それだけではない。緑の液体がファルの腕を溶かしたように、今度はリダールを守る膜に触れたボスの手が、溶解していっている。
魔物の顔が、苦痛にゆがんだ。
リダールの膜の抵抗によって失った手は、再生能力を発揮せずに無様に震えてしなだれている。
「一つ、私にかけらを渡し、以前のお前に戻っていきるか」
リダールが一歩を踏み出すと、初めて魔物の口から声が漏れた。
それは、苦痛と怒りに彩られた叫びだった。
「二つ、私によって、完全に果てるか、だ」
魔物は身もだえた。地面から這い出ようとしているのかもしれなかった。
「そうか」
一向に静まらない怒気を、リダールは投降の意志なしと把握したようだ。
彼(女)は呟き、目を閉じる。
すべてのものが制止し、世界は完全な静寂に包まれたかのように思えた。
三人の従者たちが、背筋を凍らせる。
次の瞬間。
空気が、揺れた。
音もなく、すべてが青ざめ畏れたように。
そして……。
たったの一瞬で、すべてが消失した。
森が、大地が、そこに住む、すべての生き物が……
後に残ったのは、天が落ちてきたのではないかと思わせる、深い、すべてを呑み込んでしまったかのような、真っ黒で、広大な、穴。
その中心にはたった一人の子供。
リダールだ。
どうにか一瞬で機転を働かせ、リダールの攻撃から逃げおおせたラゴスとファルが、主の元に駆けつける。
彼らは黒い穴の中に凜と立つ子供を怖れながらも、どこか恍惚とした表情さえ浮かべてその前に跪いた。
「やりすぎてしまった。次はちゃんとコントロールしなければ……」
顔色一つ変えないリダールに、二人の従者は返す言葉もない。
「チャルはどうした?」
ラゴスとファルは顔を見合わせた。
二人は逃げおおせたが、チャルは魔物に掴まっていて、リダールの力をまともに浴びたはずだ。
「うおおおおおい。助けてぇ」
世にも情けない顔が、リダールの足下から響いた。
そこには肌色の泥があった。
リダールは、踏みつけているそれから足をのける。
肌色がうごめくと、表面に突起が表れていく。それはあっという間にチャルの顔に変化した。
「いやぁ、とっさに坊ちゃんの影に入ったはいいが、それでもこうなっちまった……俺は暫く動けません。坊ちゃま、助けてください」
ファルが憎々しげな動作で、その肌色を踏みつける。
「ばぁか、誰が助けるか」
「ぬぁんだと、この冷血漢め」
顔だけのチャルが、歯ぎしりをする。
「情けない」
ラゴスの呟きも、チャルは聞き逃さなかった。
「てぇめぇ、ラゴス! 覚えていろよ! 元に戻ったら、ぜってーお前のこと、締めてやるからなっ!」
泥の表面が、彼の感情を表すように泡立つ。
リダールはしゃがみ込み、その泡を物珍しいものでも見るような顔をして、人差し指でつつきだした。
「やっ、坊ちゃん、ちょっと、やめて、やめてください。くすぐったい、うひ、うひひひひひ」
「気持ち悪い声をだすな、この変態!」
ラゴスがリダールを抱き上げ、肌色チャルを何度も足蹴にする。
「ラゴス、チャルを助けてやれ」
「かしこまりました」
主にそう言われては、ラゴスも嫌だとは言えない。
彼はどこからかジャムのこべりついた瓶をとり出すと、肌色の液体に向かって入り口を向けた。
「ほれ、入れ」
「ちょ……なにこれ、洗ってない瓶じゃん。やめてよー。俺、ジャム臭くなっちゃうよー」
文句を言いながらも渋々と、チャルは瓶に入っていく。
「うわー。やだよー、べとべとするよー。気持ち悪いよー」
瓶の中で、声は小さく反響した。
だが、ラゴスはその不平を無視して、再び瓶をどこかにしまう。
「ちょ、暗いよ―。やめてよー。俺、こんなとこやだよー」
声はさっきより小さくなっていた。
「“かけら”はどこへいった?」
チャルの悲運にいじわるな笑みを浮かべていたファルが、慌てて地面をきょろきょろとうかがう。
黒い穴の一点に、きらりと光る円盤が刺さっていた。
彼女はそれを抜き取り、主に渡した。
直径15センチほどのそれは、リダールの手に収まると、鈍いもやを放ちだす。
「まだ、反抗する意志があるか」
リダールが小さな口を開く。
もやは徐々に上昇し、その開かれた口に吸い込まれていった。
無表情なことの多い幼い主の顔に、わずかながらも恍惚の表情が浮かんでいるのを認めると、ラゴスとファルはそら寒いものを感じずにはいられなかった。外見だけは可愛らしいこの子供は、はやり氷刃の魔王の血を引いているのだ、と、強く再認識させられる。
同じ魔人でさえ、恐怖を抱かずにはいられないその圧倒的で無慈悲な力を。
黒いもやは、だんだんと細くなっていき、そして最後に石から離れまいとするような抵抗を見せた。
その最後のもやがリダールの口の中に消えるとき、ラゴスとファルは酷く恐怖に満ちた断末魔を聞いた気がした。
ファルは、恐怖を振り払うように、おどけてみせる。
「へぇ……“かけら”にも、意識があるんだね」
「どいつも個性派さ」
ラゴスが珍しく静かに応じる。
「ですが、リダール様。あまり食されると、父上様にしかられますよ。ほどほどになさいませんと」
「少し、味見をしただけだ。心配はいらない」
いつもは白皙の頬に、うっすらと赤みが差している。
「では、次はどちらへ参りましょうか、リダール様」
リダールは右手をすっと前方に挙げた。
「今こっちを向いているから、こっちだ」
しごくいい加減な決定に、それでも異を唱える者はいない。
ラゴスは姿だけは幼い、けれど彼らの誰より恐ろしい子供を再び抱きあげた。
「村、大丈夫だったかなぁ。森がなくなって、きっと驚いてるぜ」
この穴の大きさでは、村を巻き込んでいる可能性もあるとラゴスとファルは気づいていたが、何も言わなかった。人間の村がどうなろうと、魔人である彼らには関係ないのだ。
「ねぇ、ちょっと。無視しないでよ」
周囲の様子が全くわからないチャルが、呑気な声をあげる。
「ねえ、坊ちゃまぁ。今度はどんなところに行くんですか?」
「嬢サマだっていってるでしょ! リダールさまは、うちの大切なお姫サマなの!」
「しつこい! 王子さまだって言ってるだろ!」
最初とは逆のパターンで、二人が騒がしく言い合いを始める。
張り詰めていた空気が和んだのを感じたが、それでもラゴスは内心うんざりして毒づいた。
お前らなんぞ、とっとと魔界に帰っちまえ!
俺はリダール様と、静かに二人で旅がしたいんだよ!
前話へ | |
目次に戻る 小説一覧に戻る |