古酒の隠れ家

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新任大公の平穏な日常

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【第二章 二年目の日常】
25.実験って大変なんですね

 私のバカーー!!
 私のバカ、私のバカ、私のバカーーー!!
 なんだって、あんなことを!!

 誰もいない衣装部屋で、私は頭を抱えて座り込んだ。
 ジャーイル閣下を誘惑?
 そんなこと……そんな、恥ずかしいこと!

 いや、でも、あの流れだと、他の女がその役をやることに……。
 誰もやらないという選択肢はなかったのだから。
 それに、あのエミリー嬢のギラついた瞳……。
 あれを見て、怖じ気づくわけにはいかない!

 そう、覚悟を決めるのよ、ジブライール!!
 こうなったらもう、なるようにしかならない!
 もういっそ、閣下の首を取る、ぐらいの覚悟で。

 私はぐっと拳を握りしめ、立ち上がる。
 そうしていつもの軍服から、少しでも女らしく見える衣装に着替えるため、目の前にズラリと並ぶドレスに目を向けた。

 ……これはダメだな。誘惑するには大人しすぎる。
 うわ……なにこれ、ほとんど布が……。
 これがジャーイル閣下の好みなのだろうか? いや、まさかそんな。
 特定個人の衣装でもないのだから、これは歴代の大公時に収集された衣装であるはず。
 それにしても、なんて露出度の高い。
 けど、今回はここまで露出が高くなくても……。
 いや、でも、そこまでしないと私では閣下を誘惑することなんて……。

 そもそも、誘惑って?
 誘惑って、何がどうなればいいのだろう?
 閣下がどうなれば成功なのだろう?
 単にかわいいな、とかきれいだな、とか思わせるだけでは……あの説明だと、きっとダメなのだ。

 と、いうことは……。
 ということは?
 閣下の情欲をかき立てるような……。
 うわああああああ、もうダメ。

 何してるの私、何してるの私、何考えてるのわたしーーー!!!
 もう頭をかち割りたい!
 自分の頭をかち割ってやりたい!!

 ――その後、しばらくその衣装部屋からは、固い何かを打ち付けるような音が響いていたという――

 ***

 ジブライールの準備に時間がかかるということなので、俺はマーミルの様子を見に住居棟に戻った。
 解熱を担当してくれていたサンドリミンをずっと連れているから心配だったが、同じ能力を持つもの――息子らしい――が他にもいて、その役割を継いでくれているようだ。
 特有の一族に伝わる特殊魔術を血統隠術と呼んだりもするのだが、医療魔術はほとんどそれだ。父から子に、子から孫にと綿々と伝わっているものがほとんどだという。

「旦那様」
 寝室に入ると、アレスディアがほっとしたように立ち上がって俺を迎えてくれた。
「マーミルの様子はどうだ?」
「ええ、熱が低いと、気分も幾分か良ろしいご様子で、穏やかに過ごしてらっしゃいます。さっき桃の甘煮を口にされましたが、おいしいと喜んでおいででした」
「そうか。少しは安心できる状況だな」
 おなかがいっぱいになって、眠気に誘われたのか、妹は静かな寝息をたてている。
 こうしておとなしく寝ていれば、割とかわいいと思うんだがな……身内びいきが過ぎるか?

 しかし、この目が状態を見られるだけなのがもどかしい。原因はわかっているのに、それをのぞくことができないときてる。
 魔力をひょいと掴んで、取ることはできないものか。
 俺はためしにと、右脇の呪詛に手を伸ばしてみる。だが、当然、指には何も触れなかった。
「俺に他の魔術に干渉できる、特殊魔術でもあればな」
 俺の言動に、アレスディアはキョトンとした表情を浮かべている。

「アレスディアもあんまり根を詰めないで、適当に他の侍女に替わってもらうようにな。もう少ししたら、俺もついていられるとおもうし」
「いいえ、旦那様こそ看病は我々、侍女にまかせて、ゆっくりお休みください。お嬢様ばかりか、旦那様までお倒れになられたら、この城は終わりですわ」
 うつる病気じゃないし、俺はそんなことで倒れるほどやわじゃないから大丈夫なのだが、まあ、アレスディアが心配になる気持ちはよくわかる。
「ああ、ありがとう。ちゃんと覚えておくよ」
 俺がうなずいて見せると、アレスディアは安心したように微笑を浮かべた。
 そうして眠りについている妹の頭をひとなでして、俺はまた本棟に戻っていったのだった。

 俺が応接に戻ると、サンドリミンが待ちかねたように立ち上がって出迎えてくれた。
「待たせたな」
「いいえ、旦那様。お嬢様のご様子はいかがでしたか?」
「医療班がよくやってくれているようで、ずいぶん落ち着いてたよ」
「そうですか。それはようございました」
 サンドリミンはさすがに長として部下の仕事が気がかりなのだろう、俺の言葉にホッとしたように胸をなで下ろした。

「ところで……エミリーはどうしたんだ?」
 なんだか、俺の存在にも気づいていないようで、座ったまま上半身を前屈みにし、膝に置いた自分の手をじっと見つめながら、低い声でぶつぶつ言っている。

「旦那様がでていかれてから、ずっとこうなのです。独り言の内容から察しますに、役に入り込もうとなさっておいでのようですが」
「へ……へえ……」
 サンドリミンは若干ひきぎみだ。
 それもそうだろう。エミリーの口からもれてくる言葉といえば……。

「私はジャーイル様の恋人……両思い……いいえ、むしろ深く愛されているの。来月には盛大な結婚式を催す予定なのよ。閣下がどうしても、私と離れたくないとおっしゃるから……。今日もお泊まり……そして、ジャーイル様と一晩中……そう、一晩中……ふふふ……」
 ちょ……思いこむにしても、できれば声を出さないでいただけるとありがたい。
 なんか、聞いていられない。
 正直、怖いです。
 怖すぎて、その前に座るのもためらわれる。

「さきほど、ジブライール副司令の用意も、完了したとの連絡がありました」
「ああ、そうか。じゃあ始めようか」
 テーブルの上には軟膏を入れるための飲み物がいくつか用意されている。
「エミリー。いいかな?」
 声をかけると、エミリーはそろそろと顔をあげた。
 俺をそのやや狂気をはらんで見える瞳にうつして、彼女はにこりとほほえむ。

「まあ、ジャーイル様。ようやく私のところに帰ってきていただいたんですのね。あんまり一人で放っておかれると、寂しすぎて泣いてしまいそうですわ」
 そういいながら、彼女は席を立ち、俺に駆け寄って……ちょ、抱きつかれたんだけども。え?
 こ……ここまでしないとダメなの?
 いや、そりゃあ、お願いしたのはこっちだから、文句はいえないかもしれないけど、何も抱きつかなくても。

 エミリーにお願いしたのは、誘惑役じゃないんだけど。
 彼女の父親が大きいと表現した柔らかいものがあたって……。
 いや、落ち着け、俺。

 俺が焦ってサンドリミンを見ると、ハエリーダーは悟りきった雰囲気で首を左右に振った。
 まあ、確かに彼が対応できるはずもない。
「なぜ黙っていらっしゃるの」
 エミリーはきらきらと瞳を輝かせ、抱きついたままの姿勢で顔だけ動かし、見上げてくる。
「あ、いや、ごめん」
 え、なにこの茶番。俺も演技しないといけないの?
 そんなの想定になかったんだけど。単に、軟膏入れた茶に呪言をこめて、すっと飲ませてくれればそれでいいんだけど。

「喉が乾いて、声が出なかったんだ」
 俺はそういいつつエミリーの肩を両手でつかみ、引き離す。だが、彼女はそれでひいてはくれなかった。
「まあ、仕方のないお方。私が愛情たっぷりの、おいしいお茶をいれてさしあげますわ」
 今度はぐいっと俺の左腕をとり、再び胸を押しつけつつ。

 まあしかし、とにかく軟膏を俺に飲ませるという目的は忘れていないようだ。
 俺の腕に抱きついたままのエミリーと、長椅子に並んで腰を下ろす。
「エミリー、近すぎる。もうちょっとはな」
「あら! 相思相愛、愛し愛される関係の私たちの間で、今更そんな遠慮だなんて!」
 そういいながら俺の腕にすりすりと頬を寄せてくる。

 ちょっと待って。マジでなに、この状況。
 人選を誤ったか?
 誤ったのか、俺。
「ジブライールなんかにしてやられませんわ」
 今、ボソっと低い声が聞こえた気がする。なんですか、呪いの言葉ですか?
「さあ、何をお口にされます? 紅茶? お酒? それとも……わ・た・し?」
 そういうと、エミリーは俺に乗りかからんばかりにぐいぐいと顔を近づけてきた。
「紅茶! 紅茶でいい!」
 必死に彼女から離れるべく上体をそらし、右腕にがっしりと巻き付くその腕をはがすのに全力をかたむける。
 さすがにウィストベルみたいな謎怪力ではないが、それでも必死な相手の手を、痛い思いをさせないようひっぺがすのは骨が折れた。

「んもう、照れ屋さんなんだから」
 うっとりとした色を瞳にうかべ、頬を赤らめて唇をとがらせるエミリー。
 俺は青ざめつつ、サンドリミンに救助のサインを送った。
 だがあろうことか、ハエリーダーめ!
 ちょっと羨ましそうにこっちを見てるって、それはどういうことだ!!
 なんだその、ちょっとニヒルなほほえみ。なんか腹立つ!

 エミリーは俺の二の腕をしっとりした手つきで撫でつけると、やっと茶の用意を始めてくれた。
 ちょっとこの実験、俺の精神的負担が大きすぎやしないか?
 だが、耐えるんだ、俺。これもマーミルのため、ひいては自分のため。

「私以外の誰かに想いをよせるだなんて絶対に許さない。絶対に許さない許さない。許さない許さない許さない。ドキッとするだけでも許さない。絶対に許さない。そんなことになったら絶対にただじゃおかない。酷い目みせてやる。相手の女ともども、絶対にただじゃすまさない。酷い目にあわせてやるから。地獄の底までおいかけ、手足をもいで五臓六腑を引きずりだし……」
 横から聞こえるアレンジを含んだ呪言が、地味にダメージを蓄積させていく。
 ほんときついな、これ。
 実験だ、これは実験なんだ。
 我慢しろ、俺。そして、ちゃんと見ろ、俺。

 口から呪言が紡がれるのにあわせ、蜘蛛の糸ほどの細い魔力が、軟膏目指して延びていくさまが、俺の目にはっきりとうつった。
 本当に、しっかり目を見開いていないと見逃すほどの、極細の糸だ。それはスプーンに盛られた軟膏にからみつき、さっきまでは何の気配ももたなかったそれに魔力の層を…………って、ちょっと待て!
「待て、エミリー! いくらなんでも、その量はいれす」
 あああああ!
 ちょっとまって!
 俺、ほんの一すくいって説明したよな?
 なに、いまのスプーンにこんもりどころか、どっぷり柄の上まで乗った恐ろしいほどの量は!
 ぼっちゃん、って水しぶきあげながら入ったんだけども!
 溶けるのか、その量ちゃんと溶けるのか!?

「はあい、どうぞ。おいしいお茶がはいりましたよぉ」
 エミリーはにこやかにそう言って、ソーサーごとカップを持ち上げ、差し出してきた。
 なんか……あの……色が……えっと……底にまだ溶けきっていない……軟膏が……。
 しかも表面から立ち上るエミリー印の魔力の……なんていうの、こう、おどろおどろしいっていうの……?

 絶対に口にしたくない。平時なら間違いなく拒否するが、協力をお願いしたのはこっちだ。今更飲めない、飲みたくないとはいえない。
 おそるおそるその取っ手をとろうとしたその瞬間、彼女はつい、とそれを引っ込めてしまう。
 そうして、実に淫靡な光を目に宿して曰く。
「口移しで飲ませてさしあげましょうか?」
 ……。

 俺はエミリーからカップを奪い取り、ぐいっと中身を飲み干した。
「ああん。ほんとにダーリンたら、照れ屋さんなんだから!」
 あちっ! あぢっ! あぢいーー!!
 だから、俺は猫舌なんだって!!

 淹れたての紅茶は、悶絶する熱さだ。
 俺は涙目になりながら、口を両手でおさえ、なんとかその液体を嚥下した。食道まで痛いじゃないかこのヤロー!!
 しかも溶けきってない軟膏がっ、トロンとっ!
 あああああ!

「大丈夫ですの、ダーリン?」
 肘置きにしがみつく俺の背中をなでるエミリー。
「水、水ですよ、エミリー嬢! ほら、がんばって!」
 なぜか握り拳でエミリーを応援するサンドリミン。
 おまえは一体誰の味方なのだ。
「あ、そうね、水ですわね!」
 あわててグラスに水を注ぐエミリー。
「ダーリン……あ、きゃあ」
 え? ここに来ての、ドジっこ?
 なんで俺に水かけてくるの、エミリー!
 しかも、今、あきらかに水差しの方を思いっきり傾けましたよね?

「まあああああ、大変! 水がかかってしまったわ! ごめんなさい、ダーリン! すぐにお着替えしなければ」
 そういって、俺の手を引いて立ち上がるエミリー。
「すぐに着替えないと、いけませんわ!!」
 だめ押しのように再度そう言いながら、ぐいぐいと俺を引っ張ってくる。
 は? え?
 どういうこと?
「このままジブライールに会わせてたまるもんですか」
 いや、今の独り言?
 しっかり聞こえたんですけど……エミリーさん……。
 目、血走ってますけど?
 息、ハアハアいってますけど?

「いや、大丈夫。大丈夫だから、エミリー!」
 俺はエミリーの腕をはじいて彼女から離れた。
 ちょっと乱暴だったけど、許して欲しい。もう気をつかってなんていられない。今のエミリーは怖すぎる。
 なんていうか……こう、暗がりから涎たらしながら這い出るマントのおじさんに出くわしたかのような、そういう不気味さ……っていうか……。
「ありがとう、ほんっと、ありがとう、エミリー! 今日はもう、帰ってくれてかまわないから!」
 本当は最後までいてもらうつもりだったけど、もうそんなこと言ってられない。このまま暴走されたら、俺の何かが奪われる気がする。

「あら、私が帰ってしまったら……私の許しなしには、ふふ……許し、なしには……閣下は今の状態を解除できないのですよ? ふふ」
 うわぁ……。

 そうだけど、そうだけども。
 なんだろう。俺の方が間違いなく強いのに、今のエミリーには本能的な恐怖を感じる。
 お願いだから、せめて笑わないで。
 口許をワイルドにぬぐいながら、じりじりと距離をつめてこようとするエミリーを前に、おびえる俺。

 おまえは大公なんだぞ、しっかりしろ、俺!
 だが、本気で今のエミリーには近寄りたくない。
「サンドリミン、俺が許す! エミリーを押さえてくれ!」

 俺がそう叫ぶと、やや呆然としていたサンドリミンは体をびくりと震わせた。
「頼む、サンドリミン。後でなんでも一つ、言うこときいてやるから、エミリーをとめてくれ」
「は、はい!!」
 そうしてエミリーに飛びかかるサンドリミン。
 ナイス、よくやってくれた、サンドリミン!
 君の忠義には絶対後で報いるからな!

 体格差はあるとしても、さすがに無爵者と有爵者の違いか。
 いや、男と女の力の差か。
「はなして! 私たちは両思いなのよ、なんで恋人同士の甘い時間を邪魔するのよー!」
 目を血走らせながら、叫ぶエミリー。

「落ち着きなさい、エミリー嬢! それはただの妄想です。あなたの妄想です。閣下とあなたは、恋人同士ではありません」
 必死だが、それでも冷静になだめるサンドリミン。
「悪い、サンドリミン。あとはまかせたー」
 俺はそう言いおいて、逃げるように応接から飛び出した。
 ……逃げるようにっていうか、まあ、逃げたんだけれども。

 ***

 エミリーのいる部屋から離れた廊下で、あらためて自分の腹部を見下ろしてみる。
 うん確かに呪詛には……かかってる。
 見慣れた俺の魔力に、エミリーの……なんというか、妙にがっついているというか、そんな魔力が混じっている。
 うわ、なんだこれ……自分の魔力に他人の魔力が混じってるのって、結構気持ち悪い。
 大丈夫だよな? これ、ちゃんと解呪できるんだよな?

 とにかく急ぎ、ジブライールの元へむかう。
 用意はできたと言っていたがまだ応接には来ていなかったのだから、彼女が着替えに向かった部屋を目指していけば、途中で会えるはずだ。少なくとも、行き違いにはならないだろう。
 もう、こんな怖い実験、さくっと終わらせてしまおう。
 そう決意した俺の足運びは、自然と早くなる。

 が。
 途中で我に返った。

 俺、今、何しにジブライールに会いにいってるんだっけ。
 誘惑……されに……いくんだっけ。
 え、つまり誘惑って……ジブライールが俺に?
 いや、落ち着いて考えてみたら、それ、すごく恥ずかしくないか?

 まじめな話、今日、万が一にもそんな気持ちをジブライールに抱いてしまったとしよう。
 俺、明日からどんな顔して彼女とつきあえばいいの?
 だってあれだよ? ジブライールからしたら、俺は自分に対してそういう……邪な感情をいだいた男ということになるわけで……。

 いや、そりゃあ、男だから、男だから?
 美人をみると多少はこう、妄想もいろいろと。
 でも、常日頃はそんなの本人にいわないじゃん?
 なのに、確実にあなたをイヤらしい目でみました、って、今からははっきり相手に伝わる状況に陥るわけじゃん?

 なにそれ、ちょっときつくない?
 実験だという前提があっても、ちょっときつくない?
 ダメだ、やっぱりジブライールはダメだ。
 他の誰かに頼もう。
 そう、あんまり顔を合わせることのない、下女とかだったら……。

 俺は立ち止まり、踵を返した。
 だいたい、サンドリミンがいないところでやってもな!
 そう、サンドリミンに効果をみてもらわないといけないしね!

 だが、その背中に。
「閣下?」
 廊下にゆっくりと響くヒールの音。
 ジブライールさんの声がかかったのだ。

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