古酒の隠れ家

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新任大公の平穏な日常

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【第二章 二年目の日常】
26.自己嫌悪感、ハンパないです

 ジブライールの状況がどういうものかわからないが、着替えると言っていたわけだし、振り向いたらダメだ。
 ただでさえ美人なのに、それが俺を誘惑する方向に着飾っていて、しかもこんな意識した状況では。
「あの、もしかして私が遅いので、様子を見にこられたのですか?」
 どうした、ジブライール!
 声にいつもの強気さがないぞ。やめて、そんなちょっとか弱い感じ。
 いつものジブライールさんじゃない!

「いや、ちょっと非常事態が起こってね。ジブライールがどうとかじゃないから、気にしなくて大丈夫だ」
「非常事態、ですか?」
 さて、どうする?

「実は、ジブライール。実験は中止にしようかということになって」
「え……中止、ですか?」
 ジブライールの声がこわばる。
「ああ、うん。よく考えたらさ、やっぱり俺が直接ためさなくてもってことになって。実際、浮気に悩んでる人にためしてもらえればいい話だもんな。困っている人も相手の浮気を牽制できるし、かつこっちも結果が客観的に観察できて、一石二鳥だからね」
 さっき、自分が役目を果たすといったときの様子からみて、やっぱりジブライールじゃダメなんですとはいえない。理由を説明しないでは納得しないだろうが、俺の心境的にあけすけと言いたい事情じゃないからだ。だからここは中止したことにして、無関係の立場に戻ってもらおう。

「そうですか」
 彼女が息をついたのは、ホッとしたからだろう。そうだよな、上司の頼みじゃ嫌なことでも、面と向かっては断れなかったろうしな。
「では、私も着替えて参ります」
「ああ、すまないな。こんなことで時間をとらせて」
「いえ」
 踵をぴしっとあわせる音がした。
 こんな時まで真面目に敬礼してるんだろうか。別にいいのに。

「では、失礼いたします」
「ああ。この埋め合わせは、後でするよ」
 一度遠ざかりかけた足音が、ピタリととまる。
「埋め合わせ……」
「ああ、うん。お礼はするよ。迷惑かけたからね。こんな訳のわからない役をやらせて、精神的ダメージもあったろうし」

 いや、ほんとに。俺の想像力が足りなかった。こんなの真面目なジブライールにとっては、耐え難い屈辱に決まってる。
「もしなんだったら、今着てるドレス、持って帰ってくれてもいいから。お詫びの一端として」
 どんな衣装を選んだかしらないが、女性にとって服はいくらあっても困るものではないだろう。
 そうなると、エミリーにも同じように仕立屋でもやるかな。
 いや、ちょっとまて。あるものを持って帰るならともかく、わざわざ俺の手配で仕立屋を向かわせるというのは、別の誤解を呼ぶ可能性も。

「こ……こんな服をいただいても、着る機会がございません」
 若干焦ったような声に、邪推してしまう。
 なに、もしかして、相当きわどい服を着てるんだろうか、とか。
「あ、じゃあ、別に他のでも構わないし。衣装部屋にあるもので、気に入るものがあったんなら、だけど」
「あ……ありがとうございます。そう、させていただきます。で、では、私はこれで」
「ああ。ご苦労様」
 俺は彼女に背中を向けたまま、右手を挙げた。
 礼儀に反するのは重々承知だが、そこは勘弁してくれるだろう。万一のことを考えれば、振り向くわけにはいかないのだ。
 俺の腹にこの呪詛がある限り。

 もうエミリーは帰ったかな?
 恐怖のあまり思わず帰れと口走ってしまったが、本当に帰宅されていては困る。なにせ、最終的にはこの呪いを解除してもらわないといけないのだから。
 でも怖いなぁ……またあの芝居に付き合わないといけないのかもと考えると、ちょっと憂鬱だ。
 飲ませるだけであれだ。ちゃんと許してもらえるのだろうか。
 いや、正確に言うと、許してやるという言葉をもらうために、どんな芝居をしないといけないのだろう。
 飲ませた本人にしか解除できないのだと考えると怖い。
 俺はなにもしてないのに……理不尽じゃない?
 いや、しかしこれもマーミルのため……。

 とにかく、効果があらわれたときには、サンドリミンにはいてもらわないといけないんだから、部屋を変えて、誘惑する役の下女を連れてきてもらって……。
 そうだ、さすがに父親の前ではエミリーも自粛するかもしれない。ワイプキーも呼ぶか。
 しかし、あの髭のことだ。もっとやれと、娘を応援しかねない……。

 そんなことを考えつつ、歩きだそうとすると。
「きゃ」
 ジブライールから聞いたこともないような声が発せられ、衝撃音が響いた。
「ジブライール!?」
 俺が振り返ると、彼女は見事に廊下の真ん中で尻餅をついていた。

「おい、大丈夫か? 転んだのか?」
 俺はジブライールに駆け寄る。
 うわ、なんつー高さのピンヒールはいてるんだ。そりゃあ、足だってぐねるわ。君、普段はベタ靴か、高いにしても厚底だろ?
「ひねったのか?」
 俺はジブライールの足首に触れた。その瞬間、びくりと足が震えるが、痛みからではないようだ。
「ああ、うん。大丈夫、折れてはないみたいだな。立てる……」
 そういって改めてジブライールを見て、絶句した。

 座っているせいで短く引っ張られたスカートからは、足の付け根に近い部分まで露わになった太腿が飛び出している。その上の部分……胸の下から下腹部に至る大部分も、ほとんど覆うもののない状態だ。
 胸部の布面積だって、ふくらみの半分ほどしかなく、きわどいところがようやく隠れているだけ、という有様。さらにくっきり浮き出た肩甲骨を飾るのは、ただ数本の紐だけ。とどめに、自分でまとめたのだろうか、中途半端に後れ毛の降りた華奢な首筋が……。

「ちょ……ジ……ジブライール、なんて格好……」
 俺は思わず口許を押さえて、のけぞった。
 足から力が抜けて、へたんと後ろに尻餅をついてしまう。
「ち……ちが、違うんです、閣下! あの、これは……これは……」
 そうして、肩まで真っ赤になりながら、ずいっと前屈みで進み寄られ、涙目で見上げられるにいたって。

「ダメだ、ジブライール」
 俺は彼女から顔を逸らした。
「え?」
「ごめん、無理」
「閣下?」
「ごめん、もう無理!!」
 俺は立ち上がり、脱兎のごとく駆け去った。
 負傷しているかもしれない女性を置いて逃げ去った俺はほんとに情けない。
 でも、でも、ほんとにもう限界だったんだ。

 俺は息も絶え絶えに、トイレに駆け込んだ。

 …………。
 ………………。

 外からなんだか、声が聞こえる。
 ああ……誰か、扉を叩いているみたいだ……。
 これは……この声は、サンドリミン?

 あと、……ジブライール…………。
 ジブライールって……意外に着やせするタイプだったんだな……。

 ああ、くそ。
 また腹が痛くなってきた。

 あああ、なんで俺、今、こんなことになってるんだっけ?
 マーミルの……マーミルの熱を……。
 マーミルの熱をどうにかするために……。
 ふ……。笑えてくるな、この状況。

 そうして、俺が個室から出られたのは、ようやく二時間がたった後のことだった。
 エミリーがなかなか見つからず、解除するための飲み物を作るのに時間がかかったらしい。
 許しをこう芝居をしなくてよかった、とか、そんな悠長な感想は浮かばない。むしろ、そんな芝居をする余裕があるなら、その方がよかったと、今は断言できる。
 エミリーが作ってくれたその薬を飲んで、俺はやっと立ち上がることができたのだから。
 恐るべし、浮気防止薬の効果……こんなにバカみたいに効くとは。
 そりゃあ、浮気癖も治るはずだ。
 だって、ほんとに辛いもの……。ずっと個室から出られないのって、ほんとに辛いもの。

 だが、待って欲しい。いくらなんでも、俺の知る実例では、ここまで酷い状況に陥っている者なぞ、見たことがない。その原因を量に求めるべきか、使用者の怨念の強弱に求めるべきか……まあ、たぶん量だろうな。
 恐ろしいほど、入れてたからな、エミリー。
 それともあのアレンジの効いた呪言のせいか……?

 一応シャワーを浴びて服を着替え……いや、別に漏らしたとかじゃない。エミリーに水もかけられてたし、変な汗もかいたから。それでだからっ。

 もういやだ。想像以上に恥ずかしい。
 なんて情けないんだ、俺。
 がっつり削られたよ。
 もうほんと、体重も減っただろうけど、それ以上の何かをね。
 もうイヤだ。いっそ消えてしまえればよかったのに。

 今すぐ深い穴を掘って、全身を埋めてしまいたい。
「ジブライール閣下とエミリー嬢には、今日のところは帰っていただきました」
 エンディオンの声がいつになくやさしい。
 この部屋にはサンドリミンとエンディオンがいるのだが、どちらの顔もまともに見られない。
 ジブライールとエミリーがこの場にいないのを、せめてものなぐさめと思うべきか?

「閣下。閣下の勇気ある行動を目にして、私もがぜんやる気が出てきましたよ!」
 上機嫌のサンドリミンが恨めしい。
 くそ、俺はこんなに落ち込んでいるというのに、バンバン背中を叩いてきやがって!
「これを分析して、マーミルお嬢様のお役に立つ薬が作れないものか、試してみようと思います! ですが、できれば呪詛の確認できる旦那様にもご協力いただきたいのですが」
 やる気になってくれたのはありがたいが、今少し、そっとしておいてほしい。わかってる、マーミルのために急いだ方がいいのはわかってる。でも、あとちょっとだけ……。

「サンドリミン殿。旦那様はお疲れのご様子。少しで結構ですから、休憩する時間をさしあげてください」
 エンディオン……なんてありがたいことを言ってくれるんだ。
「まあ、確かに二時間もトイレにこもっていたのでは、そりゃあお疲れでしょうね」
 それに比べてサンドリミン、おまえ、デリカシーないな。
「わかりました。そうですね……そもそも、軟膏の解析と研究は、これを毒の亜種と考えれば医療班の仕事。こちらの軟膏はお借りします。旦那様のお力をお借りしたいときには、お声をかけるようにいたします。それでは」
 そういって、二つの容器を手に、意気揚々と部屋を出ていった。

「旦那様。お水をご用意しましたので、お含みください。喉も乾いておいででしょうから」
 エンディオンが机に突っ伏す俺の前にグラスを置いてくれたのがわかった。
「エンディオン……」
 顔をあげるとそこに、慈愛に満ちた鳥目があった。
「旦那様。妹君のためとはいえ、ご立派でしたよ」
 いつもは突き刺さりそうで怖い嘴が、今日はなんだかいやに優しく見えるぜ、エンディオン。
 気のせいだろうか。いいや、きっと気のせいじゃない。

 ***

 それから俺はマーミルの部屋に戻り、ようやく腰をおちつけた。
 なんだろう……今日はいろいろあり過ぎて、本当に疲れた。
 デイセントローズの食事会って、あれ、今日のことだっけ? ほんとに?
 もう一週間は前のことのような気がする。

「大丈夫ですか、旦那様」
 アレスディアが気付けに一杯、注いでくれる。
「すまないな、アレスディア」
「よろしければ、肩でもおもみしましょうか?」
「ああ、お願いするよ」
 アレスディアは肩もみのプロだ。男爵邸にいたときは時々やってもらっていたんだが、大公になったとたん、段違いの仕事量に追われまくってその暇もない。
 今のほうがよっぽどその腕を必要としているのに、だ。

 まあ、他の大公を見てると、こんな真面目に仕事しなくてもいいみたいだけど?
「あら、ずいぶんこってますね」
 四本の手で左右の肩と頭を同時にもんでくれる。
 ああ、マジで気持ちいい。
 絶妙な場所選択と力加減だ。相変わらず、腕は落ちていないようだな。
「寝落ちしそう」
 思わずマーミルのベッドに上半身をもたせかける。
「よろしいですよ。別に襲いませんから、お眠りになっても」
「はは……」
 エミリーやジブライールとあんな騒動があった後の、慣れたアレスディアとのやりとりは、いつも以上に気が休まる。
 マーミルが生まれる前からいる彼女は、もはや家族の一員みたいなものだしな。
「でも、ほんとにお眠りになるのなら、せめてベッドの中にはいってくださいね?」
「ああ、うん……大丈夫……」
 そういったくせに、俺はそのまますっかり眠りこんでしまったのだった。

 ***

 熱い。
 苦しい。
 重い。

 あまりの寝苦しさに、目がさめた。
 そのとたん、見慣れないレースとリボンの洪水が目に入って、しばし呆然となる。

「あ、ああ、マーミルの部屋か」
 ということは、この右肩や胸を圧迫する重みは。
 首をめぐらすと、見慣れた金髪が俺の頬に当たる。
 そりゃあ、マーミル以外にありえないな。
 俺は妹を起こさないように気をつけながら、そっと上体を起こした。
「あら、旦那様。お目覚めですか?」
「アレスディア」
 相変わらず、侍女は枕元でかいがいしくマーミルの世話をやいてくれているようだ。

「悪い、俺、あのまま寝たのか。重かったろ、ベッドに運ぶの」
「もちろん、私のごとき華奢な娘には無理でしたから、エンディオン殿におまかせしましたわ」
 ああ、またエンディオンにも迷惑かけたのか。後で礼を言っておこう。

「それで、どれくらい寝てた? もう夜中か?」
 満月に近いからか、照明がなくても部屋の中はうっすらと明るい。
「ええ、そんなところです」
 俺はマーミルのベッドから降りた。
「じゃあ、アレスディアも休むといい。マーミルの様子は、俺がみているから」
「ええ、でも」
「アレスディア。君に倒れられたら、それこそ俺も参る。大丈夫、だいぶマーミルも落ち着いているようだから」
 アレスディアはことんと首を傾げた。
 いや、今度は追い出すために言っているわけじゃない。本心から、アレスディアには休んでもらいたいと思っているのだ。

「そうですか? では、お言葉に甘えて……代わりに誰か、よこしますわ」
「いや、いい。俺がみてるから」
「けれど……」
「マーミルだって、あんまり慣れない気配がいくつもあると、落ち着いて寝ていられないだろう。大丈夫、よく眠っているし。それに俺も、
アレスディアのマッサージのおかげでだいぶ疲れもとれた。いつもかまってやれない分、こういうときぐらい俺に面倒みさせてくれ」
 さすがにここまで言うと、アレスディアも苦笑を浮かべてうなずいてくれた。

「そうですか? では、お言葉に甘えて、失礼いたします」
「ああ、お休み」
 アレスディアは渋々といった感じだったが、それでも折れて、休むために自室に戻ってくれたのだった。

「うーん……お兄さま……」
「うん?」
 呼ばれたので妹の顔をのぞき見たが、目は閉じたままだ。
 どうやら寝言らしい。
 そのまま観察していると、急に妹の口許ににやりとした笑みが浮かんだ。
「ぐふふ……二人きり……ですわ……」
 ぐふふって……。どんな夢見てるんだ、マーミル。

 いや、ていうか、眠ってるのか、本当に?
「ぐふふ……ぐふふ……」
 なんでそんな奇妙な声を出すんだ、妹よ。
 起きているときに、そんな笑い方したことないだろ。
 熱で脳がやられたのか? 大丈夫か、うちの妹。
 俺はそうして、妹の心配……単純に、呪詛に対するだけにとどまらない不安を妹に抱きつつ、朝を迎えたのだった。

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