古酒の隠れ家

このサイトは古酒の創作活動などをまとめたサイトです
※一部、一次創作同人活動などを含みますので
苦手なかたはご注意ください

大きな国の 小さな歴史

目次に戻る
前話へ 後話へ

蒼穹の世紀
 

-1-

 背中まで伸びた質のよい金の髪、明るい空色をした意志の強そうな双眸、という人受けのよい容姿に加えて、人見知りしない性格のおかげで、三男のディシウスに対する世間の評判は、すこぶる上々だった。
 現在、南都にいるのは栗色に近い金髪に、より濃い色の碧眼をした次男のトルディウスで、彼は良くは豪胆、悪くは乱暴者といえたし、北都にいる長男のバディオスに到ってはくすんだ銀髪に、暗い藍色の瞳をさらに暗く印象づけるようなしかめ面と、批判的な態度のおかげで臣下の受けは最低だった。
 彼ら、三つ子の上には二人の姉がいたが、一人は生涯独身と定められた巫女の身であり、今一人は公爵家に降嫁していたので、王宮に暮らしてはいなかった。それでも二人とも、王都にいるのがディシウスである時は何かと理由を付けて顔を見に来る。
 もっとも、末の王子が可愛いのは姉ばかりではないようで、王妃である母にしたところで他の二人に増して、ディシウスに何かしら便宜を図ってやっている。
 ところが父王だけはその例にもれていた。
 陰湿と囁かれる父王の寵愛は、おそらくは自分に似ているという理由からであろうが、長男一人に注がれていたのだ。
 そして、その真実をディシウスが知ったその時から、運命の輪は廻り始める。

「その話、本当か」
 ディシウスは椅子から身を乗り出した。
 尋ねる声に力がこもる。
「本当に父上は兄・バディオスに王位を譲るとおっしゃったのか?」
「いいえ、はっきりと名指しされたわけではないのですが」
 呼応するように訊かれた方は身を引く。
「しかし来年の殿下方の誕生日には、王位継承者を決定し、三都間の〝移住の儀〟を終わらせると仰せです。来年、この王都にいらっしゃるのは? 長兄・バディオス王子です」
 広い部屋が沈黙に支配される。
 ディシウスの私室には今、部屋の主と客であるエオンが向かい合って座っているだけだ。
 通常、王子の傍らには数名の護衛が付き従っているものだが、今回はエオンから大事な話があるからと、人払いを願い出られたのだった。それがすんなり聞き届けられたのは、彼の地位と立場に対するディシウスの信頼感の表れだろうか。
 エオン・ジヴダル公爵はディシウスの姉の夫君だった。つまり、ディシウスにとっては義理の兄に当たる。もっとも、親類関係にあると言っても二人はそう親しい間柄ではない。挨拶を交わして軽い世間話をするぐらいのつき合いしかない。じっくり顔をつきあわせて話をするのは、今回が初めてといっても過言ではない。それが、こんな深刻な話だというのだから。 「無礼を承知で申し上げますが、私ども臣下の目から見ましても、確かに国王陛下のバディオス王子に対する御偏愛ぶりは際だっております。殿下はご覧になる機会がございませんので、ご存じないのも無理はありません」
 エオンの告げた事実は、ディシウスに衝撃を与えた。
 もっともそれは、父王の特別な愛情が自分に向けられていたのではないという事を悲しんでのことではない。一緒に暮らすのは三年に一度、その間でも何日も顔を合わせずにいることもざらだ。しかも、会ったところで会話は儀礼的で情がない。ディシウスは父王に対して特別な愛情を抱いてもいなかった。
 ただ、ディシウスは野心家だった。今は同じ立場にある兄弟の一人が、来年には自分の主君になるだなんて、考えるだけでも腹に据えかねる。
「それで、貴公は私にどうせよと?」
 ディシウスは表面上は平静さを取り戻して立ち上がった。ゆっくりとした歩調で窓に歩み寄り、豪奢な飾りの窓枠に手をかける。窓を開けるディシウスの頬を、風がなだめるように優しくなぜた。  エオンはじっとディシウスを黙視して、すぐには答えない。内心業を煮やしてディシウスは義兄を振り返った。
「そう勿体ぶって、なんの得がある」
 ぴくりとも表情を動かさないディシウスの双眸に、熱い光が宿るのを正確に見て取ってエオンは微笑み、自らも立ち上がった。
「では、私の考えを包み隠さず申し上げます。私はもちろんバディオス王子のご即位には反対でございます」
「いきなり核心をつく」
 エオンの意外な大胆さに、ディシウスは素直に驚きを表した。
「ご賢明な殿下に回りくどい言い方をしても、意味はございますまい。殿下には野心がおありのはずです。王位につくという野心が。その事を私は確信しているのです。その上で申しますが、私も次代の王は殿下以外に考えられぬと思うのです」
「ほう、なぜ」
 ディシウスは義兄の確信の内容に、否定も肯定も与えなかった。
 傍観者よろしく、腕を組んで窓の縁にもたれかける。
「殿下は他のお二人には欠けているものを、多くお持ちだ。大きなものでは知謀とそれを生かす判断力に実行力、そして人望。とりわけ最後のものが最大の力を殿下に授けましょう」
 エオンは息もつかずに熱く続けた。
「この国の大半が、貴方を王にと望むでしょう。しかし、国王陛下がバディオス王子を次代の王にと宣言してしまった後では……平穏な時代では長子が王位を次ぐのは自然なことでもあります。国家への忠誠心から、何より陛下への恐怖心のために人々は従わざるを得ますまい。ですから、そうなる前に──」


「ディシウス様」
 エオンとの会談を回想していたディシウスを現実に立ち戻らせたのは、彼の護衛隊長を引き受ける青年の声だった。
「アトレイト、帰ったか」
 ディシウスは長椅子から立ち上がって、彼がもっとも信頼し、心を許している友人を満面の笑顔で迎える。
「はい。ただいま戻って参りました」
 アトレイトと呼ばれた青年は、型どおりに腰を折り、灰色の瞳を伏せる。
 漆黒の髪をした、割に端正な顔立ちの好青年だ。ディシウスよりほんのわずか、背が高い。
「ジヴダル公がいらっしゃったとか」
 ディシウスが再び長椅子に深く座り直すと、アトレイトはその右手正面に後手を組んで立つ。
「人払いをして二人きりで話をした」
 もっとも、その場にアトレイトがいたのならば、エオンの要請があっても、彼を退がらせることはなかっただろう、とディシウスは思う。
「まるで密談ですね」
「まるで、じゃなくて、まさしく密談だよ」
 ディシウスは長い足を無造作な動作で組んだ。
「私に王位を簒奪しろと、けしかけてきたのだからな」
 ともすれば、反逆罪に問われて投獄されかねないような内容のことを、いくら室内には二人きりといえ、さらりと周囲も憚らず言うディシウスもディシウスだが、受けるアトレイトの方も動揺を見せるどころか平静そのもので、むしろ平然と微笑をすら返している。
 しかも、続けていった言葉が、「随分気が早いですね」なのだから。
 この、外見は誠実そのもので生真面目な印象を与える青年は、実はなかなか主君に似て人を食っているのかもしれない。落ち着き払った態度のおかげで、本当はディシウスより一歳年下なのだが、実年齢より三歳は上に見られることがしばしばあった。
「ところが、そうでもないらしい」
 意外な返答にアトレイトの表情に、一瞬緊張が走る。
「父王はどうやら私より気が短くていらっしゃるようだ。来年にはこの巡回をお止めになるつもりだそうだからな」
「来年ということは、では、バディオス殿下を…」
「エオンの話によるとな」
 ディシウスは人の悪い笑顔をアトレイトに向けた。
「次の王都帰還の年まで待てば、時すでに遅しという事態になるのは間違いないようだな。もう数年、時間をかけたかったがやむを得まい」
 ディシウスは長椅子にごろりと寝そべった。
「では、いつになさいます」
「いつでもいいのか?」
「ジヴダル公のご助力が確実であるなら、その他の足場は崩れぬ程には整えてございますから」
「まったく頼りになるな、アトレイト」
「恐れ入ります」
 再び型どおりに、アトレイトは応じてみせる。
「では、お気の毒だがバディオス兄上とトルディウス兄上には北と南の都を終の棲家としていただこうか。足場を揺るがぬよう固めるのはそれからでよい。私であれば容易にできよう」
「御意」
 勝ち気に、高慢にさえ言い放つ主君に、臣下は心酔しつつ同意した。



 -2-

 〈暴君〉で知られたグール王の治世、人民は恐怖と貧困にあえいでいた。
 城下では衛兵隊が幅を利かせ、肩が触れたどころか、目があっただけで「睨み付けた」と難癖をつけられ引っ立てられる。男なら軽ければ罰金と百叩きですむが、女の場合はそれに強姦が加わった。さらに最悪な場合は、なぶり殺されることもある。もちろん9割以上は冤罪だ。
 人々は、常におびえて暮らさなければならなかった。
 グール王は城下のこの様子を知らなかった。もっとも、彼は強烈な選民思想の持ち主だ。例え知っていたところで衛兵隊は罰せられるどころか、ますます励めと悪行を公認されたことだろう。
 サナディウス王家の三つ子の王子は、というと、三人共にこの事実を知っていたが、反応はというと明らかに異なっていた。
 長男のバディオスは衛兵隊を諫めるどころか、処刑に立ち会い、時には自ら剣を持って無抵抗の人間をいたぶることを楽しんだ。
 次男のトルディウスは衛兵隊を快くは思わず、姿を見ると「程々にしておけ」とクギはさしたが、表立ってその行為を正そうとはしなかった。
 三男のディシウスの反応は、上の二人とは全く違った。彼は城下を自身の護衛隊長であるアトレイトとしばしば散策し、民衆と気安くふれ合う一方で横暴な衛兵隊員には注意を与え、自ら剣を持って正義を正しさえした。
 おかげでディシウスが王都に滞在している間は、城下から衛兵隊の姿は消え、その行いによって彼は人々に愛され支持された。
 だから、その年のディシウスの起こした謀反は、圧倒的な歓迎の意を持って肯定されたのだった。


「正気か、ディシウス」
 グール王は赤く染まった床に尻をついて、太い眉の下から自分の息子を睨み付けた。
 後手についた両手を染め上げているのは、つい先程まで自分の左後方に立っていた宮廷魔術師の体内から噴出したものだった。
 その魔術師の血に染まった鋭い剣の切っ先が、今度は自分の眉間に迫っている。
「わかっているのか、ディシウス。今ここでその剣を私に振るえば、王殺しと親殺し……二重の罪が課せられるのだぞ!」
 自分を見下ろすディシウスの双眸に、動揺が全く見て取れないと知ると、グール王は青ざめて態度を一変させた。
「わかった……わかった! ディシウスよ!お前に王位を譲る……! 今すぐにだ! だから、私の命だけは……」
 弁明の言葉は最後まで続かなかった。白刃の長剣が横に朱線を引くや、グール王は頭と体に二分されたのである。
「ご心配なく、父上。罪人を討った功労者を、糾弾する者がどこにおりましょう。しかし、父上のお言葉、あなたと同類の者の考えと心得ておきましょう」
 ディシウスは剣を一振りして血を払うと、刀身を鞘にしまいつつ振り返った。
 足元には王の身を守るべく控えていた筈の、魔術師の屍があった。それに一瞥もくれず、玉座のある壇上から降りると、彼は柱の影に無造作に転がった王冠を手に取った。
 それを左手に持ったまま、室内を見回す。謁見室であったその場は、4人の生者と7体の死者によって血の海の化していた。死者とはグール王と彼を守っていた魔術師と近衛兵6人、生者とはディシウスと彼の護衛兵三人だ。
「アトレイト、持て」
 返り血一つ浴びてない長身の若者に、血で塗れた王冠を投げてよこす。
「ディシウスさま?」
「その血で汚れた王冠なんぞいらん」
 実父の血を浴びた姿で、ディシウスは隠然と笑った。
「いやあ、お見事!」
 正面の扉から拍手と共に軽口を叩いて入ってきたのは、ディシウスよりいくらか年かさの青年だ。凄惨な様子のこの場には不似合いな、和やかな笑顔を浮かべたその青年は、一見大店の若旦那とも見えたが、実はれっきとした侯爵位にある王国の重鎮だった。
「ご自身と三人の護衛のみで、魔術師と近衛兵が守るこの謁見室に向かうと聞いたときは、どうなることかと案じておりましたが……さすがは剣技に長けたディシウスさま。それにアトレイト殿の腕もたいしたものだ」
 大げさな言動にアトレイトは眉をひそめたが、ディシウスの方は笑って彼を迎える。
「ランメル候。こちらのことより、任せておいた大臣たちはどうなった?」
「いや、ジヴダル公の顔をお立てして、兵の指揮はお任せしてきました。今頃は会議室の方で一網打尽にされてるんじゃないですか?」
「いつもながら、要領のいいことだな」
 ディシウスはこの調子の良い青年に、好印象を抱いていた。もっとも、生真面目なアトレイトには受けがあまり良くないようだ。
「ディシウスさま」
 バルコニーに続く扉の向こうから、アトレイトの声がかかる。
「城下の方も上手くいったようです。リクセン公の麾下によって、広場に民衆が集められております。ですが、皆理由は聞かされていないはず。どうぞ、玉体をお示しあそばして、彼らの不安を解いてやって下さい」
 アトレイトはディシウスの前に跪くと、自分のマントを差し出した。
 ディシウスは自分の血塗られたマントを脱ぎ捨てると、アトレイトの紺色のマントを身にまとう。
 そこへ、二人の公爵が姿を見せた。
 銀髪の中年男性がジヴダル公、ディシウスの姉姫の夫君である。
「国王派の大臣、役人どもは一人残らず捕らえて投獄致しました」
 報告しつつ、ランメル候を睨み付けたが、若い侯爵はどこ吹く風だ。
 もう一方のがっちりとした体躯の武人が、城下の衛兵隊の鎮圧を引き受けた、リクセン公だった。彼はランメル候と同じ21歳の若者であるにもかかわらず、相当老けて見られた。
「衛兵共の方も、隊長クラスはその場で斬首、以下の者は捕らえられて北のラグ塔に監禁してございます。また、城下の者ども、残らず招集して広場にて待たせてございます」
「ご苦労だった。貴公らの働きには相当の礼をもって報いよう」
 威厳をもってディシウスが告げると、二人の公爵は膝をついてその場に畏まった。

 ディシウスがバルコニーに現れると、広場の民衆はざわめきを止め、不安の面もちで第三王子を見上げる。その大半が、未だ現状を全く知らされていなかったのである。
 彼らに向かってディシウスは声高に宣言した。
「暴君であったグール王は、我が手によって王位を剥奪され、これを苦として自害して果てた! 今日、この時に私はグール王の跡を継ぐ。しかし、私は彼の思想の後継ではない。それは何より貴君らが一番良く知っているはずだ。私は貴君らに約束しよう! 安らげる日常と生活を! もしも、私の即位に反対の者は、今その場でその旨、叫んでくれ! その者の誠実さを誉めこそすれ、処罰などしない!」
 ディシウスの言葉によって事態を把握した人民たちの間に、喜びの歓声が波となって広がってゆく。さざ波はやがて大波と化した。
 万一反対の声が挙がったところで、その声が届くはずもない。
「ディシウスさま、万歳!」
「新しい御代に栄えあれ!」
 ディシウスは朗らかに笑い、民衆に手を振って答えた。本性がどうであったとしても、彼は見失わなかったのである。民衆が求め、且つ受け入れられている自分の虚像が、公平で明朗快活を絵に描いたものだということを。

 歓声にわく室外と対比の様を見せる室内を、エオン・ジヴダルは無表情に見つめていた。
 他の死体は無視して、まっすぐ魔術師の屍に近寄ると、その顔を確かめる。
「イギュアじゃありませんね」
 気配無く背後に立っていたランメル候に内心ぎょっとしたが、すぐに平静を取り戻すとゆっくりと立ち上がって頷いて見せた。
「もっともやっかいな男が残っているな。イギュアはこんなインチキまがいの魔術師などとは、比べものにならん程の魔力を持っている。本物の魔術師だ。さて、陛下はどうなさる気か」
「ご心配には及びません」
 アトレイトが静かに告げた。
「イギュアの許には相応の手合いを派遣しておりますゆえ」
「しかし」
「今ここに、イギュアの死体がない。その事実こそが、やつが絶命してすでにこの世にないことの、何よりの証拠といえましょう」
 自信を持って告げるアトレイトに、エオンとランメル候は返す言葉もなく、顔を見合わせた。

 歓声はいつまでも止むことはなかった。



 -3-

 魔術師イギュア。
 王国の重鎮でその名を知らない者はいない。
 百歳に近い老齢の魔術師で、グール王の後見でもあり、その発言は常に注目され実行された。今は隠居して、普段は王都から離れた山の麓の館に居を構えていたが、時折王宮に出向いては様々な魔術を見せて健在ぶりをアピールしていた。
 グール王の傍らに常に控えていた、占いと脅しに近い呪術しかできないえせ魔術師と違って、イギュアは本物の魔術師だった。炎や水を操り、一睨みで相手を呪殺する。館から王宮までを、一瞬で移動することもできた。
 その魔術師の館を攻めるべく30人の手勢を率いていたのは、まだ20歳にもならない少女だ。
 夜の闇によく映えるしっとりとした長い銀髪を、一つにまとめた手足の長い美少女で、見るも勇ましく白銀の鎧に身を包み、右手には剣を握っている。
 一方の、司令官に従う戦士たちの様子はというと、同じように鎧を着けてはいても、その覇気に格段の差があった。体つきは屈強で、実戦の経験も豊富な中堅クラスの傭兵たちだったが、そんな彼らでさえ魔術師に対しては畏怖の念が野心を上回ったようだ。
 上官がかなりの小娘であるのも、彼らの不安を増大させる要素となったろう。

「なんなんだ、お前たちは! それでも百戦錬磨の傭兵か? たかだか一人の魔術師に脅えて、情けないとは思わないのか!」
 少女は、彼女の後を意気消沈してついてくる男達に向かって、痛烈な言葉を投げかけた。
「ああ、そうだ。相手は魔術師だ! 小娘にはわかるまいが、我ら傭兵は魔術師の恐ろしさを身にしみて知っている!」
 男たちから反論の声があがる。それを聞くと少女は忌々しげに舌打ちした。
「腰抜けどもがっ! だから私は傭兵などいらんと言ったんだ。所詮、足手まといにしかならんのだからな!」
「なんだと!? この小娘がッ!」
 傭兵たちのうちでも最も腕の太い男が、野太いうなりをあげつつ少女の胸ぐらを掴んで持ち上げた。
 その瞬間。
「汚い手でっ!」
 少女の体が宙に浮いたと見た次の瞬間、男の巨躯は少女のはるか後方を飛んでいた。きゃしゃなその体つきからは想像もできない力で、少女は男の腕をひねって投げ飛ばしたのだ。
「臆病者はとっとと逃げ帰るがいい。止めはしない。だが、私の邪魔だけはしてくれるなっ!」
 少女と男たちとの間に緊迫した空気が張りつめる。それを解いたのは、優雅さに彩られた短い旋律だった。
 音の印象を裏切らない金髪の美青年が、手にした弦楽器をかき鳴らしながら双方の間に割って入る。この場に不似合いな軽装の青年の登場に、男たちは反感を覚えるよりも、しばし呆気にとられて押し黙った。
「イミテ。仲間内で争っている場合ではないだろう」
「しかし、イスタ兄者!」
「アトレイト殿の顔に泥を塗ることになっても?」
 イスタの声は静かだった。だからこそイミテには余計にこたえる。
 銀髪の少女騎士は、軽い舌打ちをすると小高い丘の端に立った。眼下には魔術師の館が、月光に照らされて不気味に浮かび上がっている。
「君らも」
 妹がどうにか怒りの矛先を納めたのを認めると、今度は傭兵たちに向かって語りかける。
「成功すれば名声と報奨金を得られる。望む者には士官の位さえ与えよう。なぁに、魔術師といえど人間だ。弱点をつけば恐るるに足らんさ」
 そう言ってイスタが四本の弦をかき鳴らすと、不思議なことに男たちの心から不満や恐怖心が消え去った。代わりに溢れんばかりの野心と勇気が取って代わる。
 かくて彼らは一致団結し、魔術師討伐の意欲に燃えた。
 イスタのつま弾いた弦が奏でた、魔術による効果だと気づいたものは、イミテの他には一人としていなかった。

「なに?……ほう、そうか……この館に侵入者がな……」
 外見だけは40代半ばの老齢の魔術師は、顔より30歳は老けたしわだらけの手で、足元の黒猫の顎を優しくなでつける。
 年相応の動作でゆっくり立ち上がると、壁に立てかけた黒い杖を右手につかんだ。
「さて、では無礼者どもに礼儀というものを教えてやるか」
 広い殺風景な石の部屋から、種々の分厚い魔術書の並ぶ図書館、薬草を煮込む大釜のある部屋、動物や異形の生物の剥製が飾ってある不気味な部屋を抜けて、中央に水を固めて立てかけてあるような、薄い楕円形の鏡がある部屋に移動する。
「どれ、この魔術師イギュアの館に忍び込むとは、いかなる者どもか……。魔鏡よ、その愚か者どもの姿を我が前に示せ」
 黒い杖が一振りされると、魔鏡はその表面に数人の侵入者の姿を映しだした。
「ふん、たかだか30人の、このように脆弱な輩を相手にせねばならんとは……しかも、先頭は小娘ではないか。ばかばかしい。私が行くまでもない。お前たち……遊んでおやり」
 そう言ってイギュアが床を叩くと、半透明の異形の者たちが地中から現れ、彼らの主人に一礼すると再び地中に姿を消した。
「さあ……我が下僕……精獣たちを相手にして、この中の幾人が10分後にも生き残っていられるかな?」
 魔術師は渇いた声を立てて笑った。まるで、地獄の底から響いてくるような、残虐で無気味な声だった。
 その嘲笑が、結果的には自分自身の運命に跳ね返ってこようことも知らずに……

「ぎゃあ!!」
 迂闊にも、目に見えない何者かの手によって三人の傭兵が倒れてはじめて、イミテは危険に気がついた。
「精獣かっ!」
 ズバリ、敵の正体を言い当てると、白刃の剣を鞘から引き抜く。
「兄者!」
 妹の求めに応じて兄は歌を詠った。四本の弦を奏で、透明な声で。
 その瞬間から、あろう事か精獣が実体化していくのを、魔術師イギュアはどんな思いで鏡を見つめていたろうか。相手の正体と、自分の敗北を知ったろうか?
「姿の見える相手などにやられるなよっ!私の言いぐさが気に障るなら、敵を一匹でも倒してみろっ!」
 意気揚々として、イミテは剣を振るった。
 白刃の剣が窓から漏れる月光に照らされて、一筋の軌跡を描くたびに、醜悪な獣たちの数が減ってゆく。一体、また一体と。
 長い髪を振り乱して戦うその姿はまさに戦の女神、軍神のそれだった。
 兄の歌と妹の覇気に刺激されたのか、傭兵たちも奮い立つ。精獣に劣らぬ異形で剣をふるう者、見惚れるほどの剣技を披露する者。少女と男たちとの活躍で、獣たちは奇声をあげつつその数を減少させた。
 ようやく周囲が静かになったとき、立っていたのは兄妹と15人の傭兵のみだった。
 イミテは息を整えつつ、剣を鞘に戻すと兄を見る。イスタは妹に頷くと、つと進み出た。
「では、これより五隊に分かれてイギュアを探そう。なに、今の調子で魔術など打ち破ってゆけばよい」
 もちろん、傭兵たちの心からは恐怖心などすでに消え去っていた。戦場におけるいつもの彼らの風体に戻り、一様に力強く頷く。ついでに言うと、イミテやイスタに対する反感もすでにない。むしろ、イミテの剣技には心酔さえしていたと言って過言でない。
「魔術師を打ち倒した隊は鬨の声を挙げよ。我らがうち倒せし時は、私が弦を弾く。では、行け」
 イスタの命令で傭兵たちは四組に分かれ、館内を四方に散った。
「さて。正直なところ、これでようやく肩の荷が下りたな」
 うって変わって軽薄に、イスタは呟く。
「ふん、兄者。落ち着くのはイギュアを倒してからにしていただきたい」
 イミテは不満顔で告げると、兄をおいてさっさと歩き出した。
 イスタは妹の後を追いながら肩をすくめる。
「袋の鼠をいたぶる趣味はないんでね」
 自身の勝利を疑わない、確信に満ちた態度と声で。


 間もなくして、風に乗って優美な旋律が館内を駆け抜けた。
 夜が、空けようとしていた。
 グール王が息子の手によって果てる日が、空けたのだった。



 -4-

 父王を討って王位についたディシウスがまずしたことは、自身の王位継承者の実を証明する詔の宣布と、父王の葬儀に関しての決定だった。
 父・グール王は息子・ディシウスの手によって斬首されたのだが、その事実を知るのはその場にいた護衛隊長のアトレイトとその配下の二人の護衛兵の他、リクセン公、ランメル候、それにジヴダル公の7人のみだ。
 公儀にはディシウスが父王の罪──独裁政治の強行によって、本来守るべき人民を苦難に陥れた罪──を憂いて譲位を迫り、それを苦とした父王が自害して果てたという事にしてある。
 その嘘は国民に対すると言うより、ディシウスの二人の兄、バディオスとトルディウスに対する警戒心から出たものだ。どちらからも反発を喰うにしても、実父を手にかけたか否かで、相手の、またこちらの言い分が大きく変わる。
 ディシウスとしては、当然このまますんなりと事が運ぶとは思っていなかったので、最善と思える手は打っておくに越したことはない。
 その「最善の策」を上奏するのは先にも挙げた4人の忠臣だ。当面の彼らの、しかも早急の課題は、人事に関するものだった。
 アトレイトは「護衛隊長」から「近衛隊長」に、ジヴダル公は貴族議会を統括する「太政大臣」に、武人ではあるが公平なリクセン公は司法の全権を掌握する「裁司長官」に、そしてランメル候は全情報を収集する「司伝長官」にと就任したのだ。先王の息がかかっていたものは全て廃したから、各部門とも大幅な組織編成が必要だった。
 同時に、彼らに連なる他の幾つもの重要なポストが空席になっていたから、その人事も決定しなければならない。四人の協議は数時間に及んだ。
 彼ら、四人の忠臣は、ディシウス本人よりむしろ多忙を極めていたに違いない。
 なにせ近衛隊長だというのに、その日、アトレイトがディシウスと顔を合わせることができたのは、夜も更けてからだったのだから。

「国葬を一ヶ月後にしたはいいが、遺体はとっとと……なんなら明日にでも荼毘に付さねばなぁ」
 ディシウスはいつものように長椅子に足を放り出してくつろいでいた。視線はアトレイトが持ってきた一枚の紙片に注がれている。ジヴダル公らと協議した人事の結果のメモだ。
「明日の正午より密葬を行うよう、手配してございます。参加者は当然ながらディシウス様ご自身、王太后陛下に王姉殿下、国師・王臣あわせておよそ百名となります」
「お前は近衛隊長というより、まるで軍師だな」
 ディシウスは苦笑を浮かべてアトレイトを見る。
 外見が与えるイメージ通り、真面目で誠実なこの「近衛隊長」は、ディシウスの私室で二人きりになっても両手を後に、立ったままだ。いくらディシウスが許しても、主君と同じようにくつろごうとしなかった。
 余談だが、即位してからもディシウスは以前の私室をそのまま使っている。彼の部屋は王宮から東に離して建てられた白亜の館にあった。今後も父王の使っていた部屋に移るつもりはないし、なんなら今までの王宮を廃して、政治の中枢を自分の館に移すつもりでいた。
「で、軍師殿。この紙には肝心の『都督大将軍』の名がないが、もちろんお前が兼任するんだろうな?」
 ディシウスは紙片を振って見せた。口元には揶揄するような笑みが浮かんでいる。
 『都督大将軍』とは、王国の全軍を統べる総司令官である。国王の身を守る『近衛隊長』と『都督大将軍』、その2つを兼任すれば、国内の軍事力のほとんどを掌握することになる。
「そのことで、陛下にぜひお聞き願いたいことがあります」
 アトレイトがいつになく改まったのを見て、ディシウスは眉を寄せる。
「先日の陛下の『即位の儀』の折に、幾人かの重臣が囚われ、その場で斬首、または〈処刑塔〉で刑の執行を待っている状態です。その中に、クレト伯がおられるのをご存じでしょうか?」
「クレト伯?」
 ディシウスは記憶の糸をたぐり寄せるよう、首を傾げた。
「ああ、顔は知っている。話したことはないが……確か、父上にへつらう奸臣の一人として、捕らえたはずだ。それが?」
「実は、その罪をお許し願いたいのです」
「おい、アトレイト」
 ディシウスは長椅子から足を降ろして、身を乗り出す。
「何を言う。まさか、その奸臣を『大将軍に』なんて言い出すんじゃないだろうな」
 さすがにディシウスの表情がこわばる。
「いいえ、クレト伯は確かに奸臣です。それにとても『大将軍』の器ではありません。ですが私が『都督大将軍』にと推すのは、その子女なのです。ですので、その父が罪人では示しがつきません」
「ちょっと待て、アトレイト。クレト伯にそんな年の息子がいたとは聞かないぞ。確か、幼い娘が一人、いたのは知っている。しきりに王家に嫁がせようと画策していた、という話をジヴダル公から聞いているからな。しかし」
 ディシウスはアトレイトの真意が測れず、とまどいを見せた。
「もちろん、その幼い姫の事ではございません。実は、クレト伯にはもう二人、息子と娘がいたのです。しかし、伯はその二人を認知しておらず、また、会ったことすらないはずです」
 アトレイトは淡々と語る。まさに報告以外の何物でもない。
「その二人が、私の配下におります。今現在、都にはおりませんが、数日のうちには凱旋を果たすはずです」
「なるほど、読めたぞアトレイト」
 ディシウスはようやく得心いったという風に笑って見せた。
「つまり、その二人が持ち帰るのは魔術師イギュアの首級というわけだ。策があるからというから始末を任せたが、まさか討ち取る算段だとは思わなかった。お前自身が出向くならともかく、てっきり美女でも使って老獪な魔術師を骨抜きにして、時間を稼ぐつもりでいるのかと思っていたぞ。それとも、そうした上で殺害したのかな?」
「いえ、そのような手を使わずともあの兄妹ならば、見事イギュアを討ち果たすでしょう」
 アトレイトがディシウス以外の人間に絶大の信頼を置くのは珍しい。もっとも、相手の力量を信頼しているからといって、人格にまでそれが及ぶかというと、論外だ。
「随分な信頼だな。魔術師には魔術師を、か?」
「まあ、そのようなところで。詳しいことは直接本人よりお聞き下さればよいかと」
「確かにイギュアを討ったとあれば、実力としては『大将軍』にふさわしかろうが、しかし武人は魔術師には反感を持っている。大人しく従うとは思えんぞ……と言いたいところだが、お前のことだ。色々と計算済みだろう」
「では、『都督大将軍』には異例の事ながら、その二人の兄妹をお命じ下さいますようお願い申しあげます」
 アトレイトはようやく微笑を浮かべた。
「お前の言うとおり、父親を許しても良い。が、アトレイト」
 ディシウスはアトレイトを見てにやりと笑った。
「まさかその妹と言うのが、お前の想い人だと言うんじゃあなかろうな?」
 ディシウスの揶揄にアトレイトは絶句した。根が真面目なだけに返答に窮している。それを見て、ディシウスは声を挙げて笑った。

 黒い邪悪な風の到来を、彼らは予想だにしていなかった。

前話へ 後話へ
目次に戻る
小説一覧に戻る
inserted by FC2 system