古酒の隠れ家

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大きな国の 小さな歴史

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黒い来訪者
 

-1-

 弔いの鐘が王都に鳴り響く。
 実の息子の手に掛かって果てた、〈不運〉な父親を弔う鐘が…。
 だが、本人にとっては不幸な終着駅でも、他の大多数、特に一般の国民にとっては希望への通過駅に思えた。
 グール王を討ち、その日のうちに即位を宣言したその息子、三つ子の王子の三男・ディシウスこそ、彼ら、国民に最も愛されていた王子だからだった。
 もっとも、グール王の死が、ディシウスの手によって訪れたことを一般の国民は知らない。公布では強制的な譲位を苦にしたグール王が、自ら死を選んだことになっている。
 だが、例え事実が公表されたとしても、国民はディシウスを支持したであろう。専横を極めたグール王を国民は恨んでいたからだ。
 弔いの鐘は、むしろ王都にとって明るい知らせを告げる、幸福の音色として響いたのだった。

「国王陛下、葬儀の準備が整いましてございます。王太后陛下もすでに神殿にて陛下をお待ちです」
 片膝を立てて報告するアトレイトに、ディシウスは重々しく頷いた。
 白い礼服を身にまとったディシウスに、女官がマントを手に近づき、そのまま着付けしようとするのをとどめる。
「子供じゃないんだ。一人で出来る。この服だって人に着せられるところだったんだぞ。父上は、こんな事まで人にやらせてたのか。」
 あきれ顔でアトレイトを見やると、忠実なる近衛隊長は苦笑を返した。
「先王陛下に限らず、貴族の方々というのは大多数そうであると聞きます。むしろ、ご自分で何でもされる陛下の方が、例外なのですよ」
「まさか、ジヴダル公もか」
「さあ、どうでしょう」
「…お前は違うよな?」
「私は貴族ではありませんから」
 アトレイトはにこりと微笑むと、優雅な動作で立ち上がった。その肩へ、ディシウスが手を伸ばす。
「なんだ、これは?」
 アトレイトの白いマントの背から、ディシウスは焦げ茶色の羽毛を取り上げた。
「ああ、それは……」
「大きいな。鷲の羽か?」
「はい。吉報が届きまして」
「吉報か。例の、魔術師の件なら、後で皆が集まったときにしてもらおう」
「はい」
 堂々たる様で歩き出したディシウスの後を、アトレイトは内心で主君の勘の鋭さに舌を巻きながら、静かな歩みで追った。



 -2-

 密葬は、王宮の敷地内にある小さな神殿で行われた。
 参列者はディシウスとその母に二人の姉、その夫君であるジヴダル公をはじめとした諸公の面々だ。その数、およそ百名。
 密葬、しかもいくらかの重臣が今回の王位簒奪劇の際に粛清されたとはいえ、先王の葬儀にしては人数が少ない。
 それもそのはずで、今回の葬儀に参列できたのは、ディシウスのお眼鏡にかなった〈協力者〉の面々だけだったからだ。
 実際にディシウスと行動を共にしたジヴダル公やリクセン公とまではいかないが、その彼らが指揮した私軍に兵を貸与したり、先王の寵臣達を集めるのに一役買ったりした人々だ。
 葬儀を執り行う神官はたったの一人。補佐役の巫女も二人しかいない。先王の葬儀にしては、つつましすぎる様相だ。
 棺を奥にして神官が立ち、その背後にディシウスが少し離れて立っている。左右に巫女がそれぞれ葬具を持って控えており、そこから2メートルほど退がって、参列者達が左右五人ずつ並んで列を作っている。その最前列には王太后と二人の姉、その夫のジヴダル公らが並んでいた。
 ちなみにアトレイトは参列者には混じらず、ディシウスから見て右手に当たる壁を背に、一人立っている。近衛隊長である彼だけが、並み居る参列者の中で唯一剣帯を許されていた。
 ディシウスの母である王太后は、夫の葬儀だというのに一向に落ち込んだ様子はなかった。夫婦というのは名ばかり、実際はディシウス達が産まれてからは、別居していたようなものなのだ。公式行事の際に並んで座ってはいたが、ここ十九年間ほとんど口を利いたこともない。
 レイア王太后は隣国の第三王女だった。当然政略結婚だ。子を成したのは義務だからで、愛情からではない。夫も同感だったらしく、妻に男子が出来たと知るや、二度と彼女の寝室を訪ねたことはなかった。その上、公然と数人の愛人を自分の宮に住まわせたのだ。
 そんな夫だからこそ、王太后は愛情を感じるどころか、憎んでさえいた。
 また、二人の姉は、そんな母の手元で育てられたのだから、父を快く思っているはずもなかった。愛情を抱こうにも、父親は二人の王女には全く無関心だった。顔を合わせても一言の挨拶すらない。女官でも見るかのような、突き放した視線を一瞬与えるだけだ。
 いいや、一瞥すらないことの方がはるかに多かった。まるで、自分に王女がいることすら、覚えていないかのように。
 長姉のレティシアが一生独身の巫女になったのは、父親のせいで男性不信に陥ったからだ。彼女にとっての例外はディシウスと、実直さを認められたアトレイトの二人だけだった。
 次姉のミディスは父が自分に感心のないことをむしろ喜んだ。彼女は恋愛結婚をしたからで、政略結婚の駒にさえ思いつかないほど父は無関心であったと信じているからだ。だが、その恋愛の相手がジヴダル公であるのだから、父にしても反対の必要もなかったろう。
 そんなわけで、グール王の死は家族にさえ悼まれずに受け入れられたのだった。

『いいや、許しはしないぞ』
 地の底から響いたような暗い声に並み居る参列者はぎょっとなった。硬く閉ざされた棺に視線が集まる。葬儀を執り行う神官でさえ、青ざめた顔で祈りの言葉を中断させた。
 皆、グール王の亡霊かと思ったのだ。
 だが、棺はぴくりとも動かず、静かに壇上に横たわっている。
『いいや、許しはしないぞ』
 さっきよりはっきりと、声が響く。
 棺の真正面が定位置の神官が、さすがにたじろいで背後のディシウスを振り返った。
「うろたえる必要はない」
 ディシウスは力強く言い渡すと、神官をかばうように進み出た。すかさず背後に控えたアトレイトが腰の剣に手をかける。
「何者だ! こそこそ隠れるのは止めて、姿を見せたらどうだ?」
『姿を見せろ、だと? ああ、いいとも。私が誰か、もちろんお前には知ってもらわないといけないからな』
 棺の向こうに黒いもやがぼんやりと表れる。卵ぐらいの大きさしかなかったそれは、すぐにディシウスと同じ背丈の青年の姿をとった。
 くすんだ銀髪の下、暗い藍色の双眸がしかめ面に鋭さを与えている。
 その場にいる者なら、彼が誰か知らない者はいない。
 北都にいるはずの長兄バディオス、その人だった。
 さすがにディシウスも驚愕の表情を浮かべた。
「兄上。なぜ、どうやって」
『なぜ、だと? 白々しい態度を取るのはよせ、ディシウスよ。父王をその手で殺害し、王位を簒奪するなど、正気の沙汰ではない! お前のそのやり方は、認められるものではない! ディシウスよ、私は警告する。今ならまだ間に合う。即位式を行っていない今ならまだ……自らの行いを悔いて、蟄居するがいい。これは長兄としての命令だ。くれぐれも、〔力〕で王位を継承するなどという愚を犯すでない! 私がゆくまで、大人しく父上の遺骸を守っているがいい』
 ざわめきが参列者の間に広がる。それが喧噪と変わる前に、ディシウスは大声で反論した。
「いいえ、兄上。即位式は済んでおります。父上がご自害なされたあの日に、私は治むるべき民によって認められました。ですから、こちらにわざわざお出でいただくには及びません。これからは毎年移住する必要もなくなります。どうぞ、北都にて安住されますよう」
 芝居がかった口調でディシウスが体躯を二つに折ってみせると、影の長兄は怒りで揺らめいた。
『貴様ッ…』
 しかし、長兄の言葉は最後まで続かなかった。
 銀の流線が、影を分断したのだ。
 流線の正体は、アトレイトの右手に握られた剣によって、もたらされたものだった。
 影は揺れ、そして消えた。
 誰もが息をのむ中、アトレイトが剣を鞘にしまう。その音だけが響き渡って参列者達の緊張感を一気に高めた。
「失礼しました。妖が見えたかと」
 飄々とうそぶいて非礼を詫びるアトレイトに、ディシウスは微笑を向けた。
 ディシウスにとってアトレイトは単なる護衛兵ではあり得ない。自分のことを誰より、何より解ってくれる親友、いや、それ以上と言っていい。アトレイトがディシウスの期待を裏切ったことは出会ってから一度もない。誰かの手助けが欲しいとき、要請するより早くにアトレイトは行動し、そつなく後始末をする。どう動きたいかより、ディシウスがどう動いて欲しいかをいつも優先してくれる。
「アトレイト殿! バディオス殿下に対して、剣を挙げるなどと」
 咎めるように神官が声を荒げた。
「バディオス殿下? 確かに、その似姿はしていたようですが、果たしてこの場のどなたにあれがバディオス殿下ご自身と証明できましょう? よからぬ霊でないと」
「全く、アトレイト殿の言うとおりだ」
 並み居る参列者の中から軽い調子の声があがる。
「あの影はなんと言っていました? ディシウス陛下が先王陛下を殺害した、と申していたではありませんか」
 後列から柔和な笑顔をたたえて進み出た青年を見て、ディシウスは再び信頼感を覚えた。
 貴族らしい礼服に身を包んではいるが、どう見ても商家の若旦那としか見えない。数多い参列者たちの筆頭として、最前列に位置していたジヴダル公が、その〈若旦那〉を見てあからさまに顔をしかめる。
「ランメル候。何がおっしゃりたいのだ」
 ジヴダル公はランメル候の事を快く思っていない。ディシウスがグール王を討ったその日、二人は協力して大臣達の鎮圧に向かうはずだったのに、〈若旦那〉は姿を見せず、結局ジヴダル公が一人で兵士をまとめたのだった。
 もちろんその一件だけで、ジヴダル公が自分より十五歳も年若のランメル候に敵意を抱いたわけではない。いや、敵意というのは言い過ぎにしても、好意を抱いていることはまずあり得ないだろう。
 もともと、ジヴダル公はランメル候を軽薄なだけの若者としか見ていなかったから、ディシウスがランメル候に信頼を置いていることを知って驚いたぐらいだった。
 ジヴダル公の気持ちを知ってか知らずか、ランメル候はいつもの平和な笑顔を浮かべている。
「皆さんもご存じのはずでしょう。グール王は、ご自害なされたことを。ディシウス陛下の手によってではなく」
 参列者にざわめきが広がる。
 そのほとんどはランメル候に同意したものだ。兵を貸与し、自ら出向いて協力をした面々でさえ、真実は知らされていない。ディシウス自身がグール王を殺害したことを知るのはアトレイトと共にディシウスの護衛に当たった三人、それにジヴダル公とランメル候、リクセン公の七人のみだった。
「あんないい加減なことを言う影が、どうしてバディオス殿下でありましょう?」
 そう言いながら、神官を見る。柔和な目で見つめられて、神官は口ごもった。
「まったく、ランメル候のおっしゃる通りですね」
 ちょうどジヴダル公の三列後方から、若々しい声が同意した。ランメル候がさらに優しく目を細めたのも道理で、彼に賛同の声を挙げたのが弟のように可愛がっているパトリオノ伯だったからだ。
「あんな影の為に、大切な時間を割くのはご遠慮願いたい、と思いますが……神官殿におかれてはどうでしょう? 葬儀を再開してはいただけませんか?」
 ジヴダル公は、自分の息子と一歳しか変わらない、しかも息子のマイオンの方が年上だというのに、パトリオノ伯がはるかにしっかりした物言いをするのに驚いている。
「パトリオノ伯の申すとおりです。これ以上葬儀を滞らせてはグール王の霊も成仏できますまい。不服は後にして、まずは葬儀を済ませてしまいましょう。ディシウス陛下もお忙しい身です」
 それまで黙って事の成り行きを見守っていた王太后が、重々しく口を開くと、さすがに場内は水を打ったような静けさを取り戻した。
「いいえ、王太后がそう仰せでしたら、不服など……」
 神官は罰が悪そうに咳払いをひとつする。
 ディシウスは母を見た。
 白い喪服に身を固めた王太后は、瞳の奥で頷いた。母は、さっきの霊が事実バディオスであると知り、その言葉が真実であると解ってなお、三男の味方だった。
 むしろ、彼女の表情は形式だけの夫から解放された喜びで、輝いてさえ見えた。
 そして、王太后がディシウスのことを陛下と呼び表したことで、ディシウスの地位は公式に認められたのだった。



 -3-

 その後、黒い影は二度と現れることはなく、葬儀は順調に進んでいった。
 神官も二度とそのことについては触れず、三時間ほどの長い儀式の後、グール王の遺体を入れた棺は神殿裏の王家の墓地に埋葬された。棺は一度も開かれることはなかった。ディシウスが遺体を収容するや、クギで打ち付けさせたからだが、実のところ棺の中に遺体はない。慣例によって土葬などしては、みすみす証拠を残すようなものだ。なにせ、グール王の躰は二分されているのだ。頭と、身体とに。それが自分自身の仕業であるはずがない。
 王の遺体はすでに別の場所で、彼らが三時間以上かけて葬儀を行っている間に火に包まれているはずだった。その任を受け持ったのは、例の、殺害の場面にも居合わせた三人の兵士だ。彼らはアトレイトの腹心の部下達で、口の硬さには信頼が置けた。
 特に誰の涙も誘わず、儀式は終わった。
 ディシウスの多忙さを察してか、参列者の面々は葬儀が終わると早々に退出した。もっとも、先王の自害に手を貸したという事実が、彼らに後ろめたさを感じさせているのかも知れない。
 母と姉も、疲れたからと一旦それぞれの住居へ退いた。一旦、というのは夕食は一緒に取ることになっているからだ。これからの〈家族〉のことについて、話し合う必要があった。
 全員が帰ったといっても、例の面々は残っている。真実を知る者達だ。
 これから彼らと遅い昼食を取りながら、今後のことについて話し合わなければならない。

「あの神官は変える必要があるな」
 一通り食事を終え、給仕も下がった頃になって、ようやくディシウスは口を開いた。
 それまで自由に話していた面々も、ぴたりと会話を止める。
 面々といっても、長い黒檀のテーブルについているのはディシウスを正面として右手上座からアトレイトにリクセン公、左手上座からジヴダル公にランメル候の四人の忠臣だけだ。
 身分から言えば、アトレイトはもっとも下座に座るべきだが、近衛隊長という立場上、例外の処置をとられている。
「王宮付きの神官として、王家に忠実なのはいいが、私以外の者に誠実である者は必要ない」
 優雅な手つきで目前に積まれた果物の皿から、房の大きな葡萄を取り上げる。
「先程の一件だが、どう思う?」
 ディシウスは探るような視線を一同に向けた。
 まず、リクセン公が口火を切る。
「あれは真事、バディオス殿下であられたのでしょうか。私などには判りませんでしたが」
「ああ、本物でしょう。あれは」
 飄々と断言するランメル候に視線が集まる。
「バディオス殿下がいらっしゃる北都には、ガスティアがおりますし」
「ガスティア?」
 ジヴダル公が聞き慣れない名に眉をひそめる。
「ご存じのように我が王国は、大きく三つの地域に分かれます。現在バディオス殿下のいらっしゃる北都を中心とした北方領土、トルディウス殿下のいらっしゃる南都を中心とした南方領土、そしてこの王都を中心とした中央。もちろん全領土は国王陛下のものですが、何しろ広大なものですから、南都・北都には国王の権限をある程度代行できる知事が、三人ずつおります。ガスティアというのは北都の知事の一人でして、あの魔術師イギュアの愛弟子でもあるものです」
「イギュアの?」
 ジヴダル公とリクセン公が声をそろえて叫んだ。
「さすが良く知っているな、ランメル候。その通り、ガスティアは北都の知事。しかも、かの地において最大の権限を持っている。本来知事が三人おかれているのは、一人に権力が集中しないようにだ。しかも、その任期は三年で地方の貴族議会によってその都度選挙が行われている。ガスティアはその議会を支配し、もう六期も続けて知事を務めている。魔力による恐怖と支配によって……正しく治められた南都とは、比べるのも恥ずかしい堕落ぶりだ」
「では、先程のバディオス陛下も…」
 リクセン公が息をのむ。彼にとって魔術は今まで無縁に近いものだった。魔術師イギュアの事にしても、その姿を見かけることはあっても、実際に老齢の魔術師の実力を目にする機会はなかったし、宮廷魔術師の類のことは占い師程度にしか思っていなかったからだ。
「おそらく、ガスティアの魔術によるものだろう。バディオス兄上の魂だかを、この遙か王都まで跳ばしてきたのだ。が、今頃は苦しんでおろうよ。まさか兄上も、影とはいえ王族である自分に向かって、剣を振り下ろす者がいようとは思われなかったろうからな」
 ディシウスはアトレイトに向かって笑って見せた。
 ディシウスに忠実な青年は、ばつが悪そうに頷いてみせる。
 アトレイトの剣は妖魔の類も切れる特別な剣だった。普通の剣で斬られたのならバディオスの影も消えることすらなかっただろうが、もちろん二人以外にそのことを知る者はいない。
「しかし、こういうことがあっては一刻も早く戴冠式をしていただかないと。少なくとも、バディオス殿下には儀式が有効であるようですから」
 ジヴダル公がここぞとばかりに進言する。以前から、戴冠式の実施を口にしていたのだが、ディシウスに必要ないと一蹴されていたのだ。
「以前から申しておりますとおり、儀式によってはじめて事を実感する者も多いのです。ぜひ、戴冠式の実施を」
 ディシウスは深いため息をついた。以外に彼は堅苦しい大仰な儀式が苦手だった。一から十まで動作や台詞が決まっているのも嫌だし、着るだけで何時間もかかる重苦しい衣装をまとうのも嫌いだった。
「どうしても、必要なことだと思うか」
「はい。もちろんです」
 ジヴダル公が真摯に答える。
 リクセン公までもが何度も頷いている。
「では、仕方がない。その代わり、国葬と同日に行う。それでも良いか?」
「問題はないかと」
 ジヴダル公は満足げに頷いた。
「では、そう計らってくれ。ところで、その国葬だがこうなっては、一ヶ月後では遅かろう。早めてはどうだ?」
「七日後ではどうでしょう」
 今度はアトレイトが答えた。
「七日後か。まあ、どう急いでも兄上は来れまいな。飛んで来ない限りは」
「しかし、そのガスティアというのはあの魔術師イギュアの愛弟子なのでしょう? もしかしたら、本当に空を飛ぶ術を知っているかも」
 リクセン公が不安を口にした。巨体に似合わず、心配性だ。
「そんな芸当はイギュア自身にしか出来ませんよ。ですがご安心下さい。かの魔術師が出てくることはございませんので」
 断言するアトレイトに、ジヴダル公は鋭い視線を投げかけた。
「随分と、この間からアトレイト殿はイギュアについて断言するが、どういう根拠があってのことなのだ? 相当の手合いを派遣したと言っていたが、そろそろその説明をしてくれてもいいのではないか?」
 アトレイトがディシウスを見ると、全て承知の主君は許可を与えるように頷いた。
「では、お答えいたします。イギュアのもとには、私の部下を派遣いたしました。イミテと言う少女と、その兄イスタの二人です」
「少女だと?」
 リクセン公が思わず声を挙げる。ジヴダル公も驚愕の表情を隠そうとはしない。だが、ランメル候だけは知っているのか知らないのか、ずっとにこにこ笑っているばかりだ。
 アトレイトはジヴダル公と違って、この〈若旦那〉には一目置いている。ランメル候の情報収集能力を、ディシウス同様知っているからだ。
 だが、それでもイスタとイミテの兄妹のことをまでも知っているとなれば、舌を巻くほかない。
「アトレイト殿。ふざけているのか? いくら私が魔術の事には疎いといっても……」
「魔術……そうか、その少女も魔術師だと言うことか」
 立腹気味のリクセン公の言葉をジヴダル公が遮る。
「いえ、ジヴダル公。イミテは私の部下の護衛隊士でした。剣士です。魔術師ではありません。私は彼女にイギュアの討伐を命じました。数名の傭兵をつけて……」
「ただの剣士だというのか? なのにイギュアを倒せると確信していると?」
「先日も申しましたが、イギュアはすでにこの世に亡いはずです。そうでなければグール王が誅されるのを、黙ってみているはずがございません」
「それはそうかもしれんが、そんな推測だけでは……」
「ご安心下さい。先程、吉報が届きました」
「鷲が運んできたやつだな」
 ディシウスが嬉しそうに言う。
「はい。短い文ですが、報告にはこうあります。『作戦完了。魔術師、滅せり。四日後、帰京』」
 言いながら、アトレイトはメモをディシウスに差し出した。
 それに簡単に目を通すと、ジヴダル公に渡す。
「でだ」
 ディシウスは両手を組んで身を乗り出すと、力強く3人の忠臣を見渡した。
「私はその兄妹、兄のイスタと妹のイミテの二人を都督大将軍にと考えている」
「国王陛下?」
 真っ先に反応したのはジヴダル公だった。思わず腰を上げかける。
「ご冗談はお辞め下さい! いくらイギュアを倒したとはいえ」
「いや、しかし、イギュアを打ち倒したとなれば、確かに実力から言えば相当の……」
「リクセン公まで何をおっしゃる! いくら実績があろうとも、いいや、イギュアを討ったというだけでは納得いきません」
「では、どうであれば認められると言うのだ?」
「それはもちろん、ある程度の実績はもちろんですが、その上相応の身分・地位にある成年男子に任せるべきかと存じます」
「実績、身分に地位、性別、年齢か。厳しいことを言うな」
「いいえ、厳しいとは思いません。都督大将軍と言えば、全軍の実質上の総司令官です。どうしてそんな得体の知れぬ輩に任せられましょう」
「人格はどうだ? 貴公の条件にはなかったが」
「陛下への忠誠心と人格は、言うまでもないことです」
「そうか」
 ディシウスはジヴダル公の反対に特に気を害した風もなく、むしろ余裕の笑顔を浮かべている。
「そうだな。実を言うと、私もその二人のことは知らないんだ。だがな」
 ディシウスはアトレイトを一瞥した。
「私はアトレイトを信頼している。絶対の信頼だ。そのアトレイトが都督大将軍にと推した人物だ。他に適任者も見あたらないからには、否定する要素もない」
「アトレイト殿が推挙したからですと? それだけのことで、会ったことすらない者を、都督大将軍という大任につけるのですか?」
「そう、それだけで、だ」
 アトレイトは内心とまどっていた。他にどうとでも上手く言えるだろうに、なぜ陛下はわざわざ、他の忠臣の反感を買うような言い方をなさるのだろうか、と。狡猾なところもあるディシウスなだけに、アトレイトは不思議でたまらない。
 だが、ディシウスにすればアトレイトは特別な存在であり、この機会にそのことを他の三人にも解らせておきたいのだ。
「アトレイト、その二人は今はお前の部下だ。それに推挙した本人でもあることだし、皆にお前の考えを話してやってくれ」
「はい」
 アトレイトは席を立ち上がった。
「イスタとイミテの兄妹は、実はクレト伯の子女なのです。もっとも、伯ご自身はご存じではないはずですが」
「クレト伯だと? あんな男の子女だと?」
 リクセン公が吐き捨てるように言った。
「イミテは十七歳、兄のイスタは十九歳です。イミテは護衛隊員として私の配下におりました。剣の腕は我が隊でも1、2を競うものでした。隊員からの信頼も厚く、そろそろ一隊を任せようと思っていたところです。彼女の持つ剣は特別なもので、魔術師の召喚する妖・精獣の類をも断つ能力があります。そして兄のイスタは剣士ではなく、実は吟遊詩人をやっておりました。その彼をも都督大将軍に、と言うのには訳があります。イスタの詩には実は不思議な威力があるのです。バディオス陛下のこともあったので申しますが、彼の歌声には魔術師の術を押さえ込む能力があるのです。二人をイギュアのもとに遣わしたのは、彼女の剣と剣技、彼の詩の能力を信頼してのことです。そして、二人は見事に私の期待にこたえてくれた」
「なるほど、私の出した条件を、二つは満たしているわけだ。少々問題はあるが身分と、実績という点では」
「私が二人を都督大将軍にと推すのは、二人にその実力があると思うからです。さらに、今回の一件は彼ら二人に箔をつけてくれるでしょう。誰もが恐れていた高名な魔術師を打ち倒したのです。同行した傭兵達が、帰る頃には彼らの熱心な信望者となって、その偉業を讃えてくれることでしょう。ディシウス陛下の即位は穏やかに進んだとは言い難いものです。魅力的な人材は、多いにこしたことはありません。イスタとイミテの兄妹は、必ずやディシウス陛下の治世に華を添えてくれるものと私は信じます」
 アトレイトは力強く言い切ると、三人の忠臣に一礼して着席した。
「私は別に、反対していませんよ。女性の将軍なんて、格好いいじゃありませんか」
 軽い口調のランメル候をジヴダル公が睨み付ける。
「アトレイト殿が下手な人選をするとは思っておりませんが、私は本人を見るまでは何とも」
「リクセン公の言うことはもっともだな。まあ、四日後を楽しみにしている事だ」
「まあ、ジヴダル公も本人を見れば得心なさるかも知れませんしね」
 ランメル候が助け船を出す。
 ジヴダル公は無言だ。表情からは、あくまで反対なのが見て取れる。
「ところで、あのパトリオノ伯だが」
 ディシウスが話題を変えてランメル候を見た。
「なかなか良い少年だな」
「はい。利発な公子ですよ。しっかりしているし、機転も利く。陛下の忠臣として必ずやお役に立つものと思いますが」
「貴公の教育の賜かな?」
「何を教えているのやら、怪しいものですがね」
 ジヴダル公の評価は相変わらず厳しい。
 彼の不興の原因が自分の提案に因を発しているだけに、アトレイトは苦笑を浮かべているだけしかできなかった。



 -4-

 四日後、王都を挙げての凱旋式が行われた。
 迎え入れられるのはもちろんイギュア討伐隊の面々、イスタ・イミテの兄妹に、十五人の傭兵だ。
 王都の西門から真っ直ぐ王宮の門に続く大通りの歩道には、露店が並び、溢れんばかりの人々でごった返している。
 ほとんどの人は車道に向いている。あのイギュアを討ったという若干十七歳の美少女を一目見ようと、早くから場所取りをしているのだ。
 こうも大々的に彼らを迎え入れることになったのは、もちろん兄妹を都督大将軍にというディシウスの意志を反映してのことだ。
 凱旋式の発表やそれに関しての噂の出どこは、もちろん司伝長官であるランメル候の操作するところだ。イミテを美少女、イスタを美青年と色を付けたのは、本人達を知ってのことか、それとも単に町衆を集めるための作戦だったのか。
 大通りに面した建物の窓は、最上階まで人がいっぱいだし、屋根の上にまで登っている人もいる。
 だが実は、当の本人達はここまで事が大事になっているとは夢にも思っていなかった。

「な、なんだ、この騒ぎは」
 イミテが思わず呟く、それほどに王都の人々の熱狂ぶりはすさまじかった。
 王都に門は大小会わせて十二ある。
 西門はもっとも大きな門、いわば正門であり、第一の門〈紫電の門〉とも呼ばれている。
 はじめて王都に入る者、公務を帯びた者は必ずこの門を通過しなければならない。ここは関所的な役割を担っており、王都の外と内側までには十五人の門兵と三人の役人の許可を得、五つの鉄の門をくぐらなければならない。その一つ目の門をくぐり、いくつかある待合室に通されたところで、耳をつんざく歓声が届いてきたのだ。
「今日は何か、祭でもあるのか?」
 訝しげに傭兵の一人が世話役の門兵に尋ねる。
「新王の即位式でもしているんだろう」
 イスタが静かに答えるのへ、門兵が興奮した様子で頭を振った。
「何をおっしゃいます。この歓声は、皆さんを歓迎するために挙げられているものですよ。先程王宮へ御一行の到着をお知らせしましたから、それでみんなもご到着を知ったのですよ」
「私たちの?」
 イスタとイミテが顔を見合わせる。二人とも、合点がいかない様子だ。
「へえぇ、さすがに魔術師イギュアを倒したとなると違うなぁ」
 傭兵達はまんざらでもない風に浮かれている。
「では、なぜ私たちは待たされているのだ。いつ、入れる?」
「王宮からお迎えがあるまでしばしお待ちを」
「王宮から? 王宮から迎えがあるというのか?」
「当然でございますよ。イギュアを打ち破った英雄方の凱旋式ですから」
「凱旋式?」
 さっきからずっと、イミテは驚いてばかりだ。
「私たちのために凱旋式だと?」
 ただ任務を果たし、上司たるアトレイトに報告するだけで終わりと軽く考えていたイミテには、にわかには信じられない事だった。
 さらに、彼女にとっては信じがたい事が起こった。
「王宮より近衛隊長アトレイト様、ご到着になられました」
 部屋の外から声がかかってすぐに、扉が開いてアトレイトが入ってきたのだ。
「ア……トレイト隊長……ッ!」
 一瞬の躊躇の後、イミテは崩れ込むように跪いた。立てた片膝に、額がつくぐらい前にかがむ。兄のイスタも突然の事に驚きはしたようだが、部下ではないからか、竪琴を手に妹の後に突っ立ったままだ。
「隊長自らお出で下さるとは思いもよらず……」
 傭兵達が始めて見る、イミテの動揺した姿だった。あの強気でどこか高慢ですらある少女が、こうもうろたえることがあるとは思いもしなかったのだ。
「貴女が私に跪く必要はない。イミテ殿」
 自ら跪きながら手を取って立たせてくれたアトレイトを、イミテはとまどいながら凝視した。
「た……隊長……?」
「貴女とイスタ殿の身分は今より国王陛下が保証して下さる。クレト伯の子女として、振る舞うことが許されたのだ」
 その言葉を聞いたイスタの目が細まる。
「では、我々の念願が、ようやく叶ったと言うことですね」
「さあ、お父上も王宮にてお待ちだ。私が先導する後を、あなた方は騎乗にてついてこられるよう」
「た、隊長、あの……」
「いや、イミテ殿。私はもうディシウス殿下の護衛隊長ではない。ディシウスさまが国王となり、私も近衛隊を預かる身となった。そして、貴女は私の隊には所属しない。貴女が私を隊長と呼ぶ理由はどこにもない」
 イミテはアトレイトが彼女ら兄妹を都督大将軍に推したことなど、もちろん知らない。だから単純に、貴族として認められたが故にアトレイトの配下には置かれないのだろうと考えた。
 彼女と兄にとって、クレト伯――父に認められることは、幼い頃からの夢だった。だからこそ剣の腕を磨き、ディシウスの護衛隊に入ったのだ。そして、隊長であるアトレイトに認められるまでにもなった。事情を聞いたアトレイトの協力までも取り付けることが出来た。
 全ては順調にいっていると言って良かった。
 しかし……。
 西門をアトレイトの先導で一行は出る。
 楽隊がまず派手な音楽を奏でて先頭を行き、国旗を掲げて歩兵が練り歩く。一行の前後を横に二列、縦に二列ずつ並んだ騎馬隊が闊歩する。
 前半の騎馬隊に続いてアトレイトが愛馬に乗っている。そのすぐ後をイミテとイスタはアトレイトが用意した、豪奢に飾り立てられた馬に乗って追っている。
 傭兵達は徒歩だが、それについての文句があるはずは、勿論ない。
「オレは今まで、いろんな国で戦勝の凱旋をしたが、こんなすげぇ歓迎ははじめてだぜ」
 両脇の街道を埋め尽くす人の波に、傭兵の面々も感動気味だ。
「オレらの隊長、貴族だってよ」
 いつの間にか、イミテはただの小娘から隊長として彼ら、傭兵たちに認められていた。
 だが、浮かれる傭兵たちとは違い、イミテの心は沈んでいた。沿道に押し詰める熱狂的な人々の歓声も耳に入らない。
 彼女の視線はただ、アトレイトの背に注がれている。
 イスタはそのことに勿論気づいていたから、あえて妹に声を掛けるようなことはしなかった。

 やがて楽隊が王宮の門をくぐり、広場に入る。
 普段は木々と衛兵しかいないところだが、今日は無礼講と言うことで、一般の国民も入場することが出来る。王宮広場も大通りと同じ、見渡す限りの人の波で埋め尽くされている。
 その先、宮殿の露台に設置された玉座には、すでにディシウスの姿があった。勿論、門から正面の露台に続く道には、赤い絨毯がひかれ、その両脇を衛兵が守っている。
 ディシウスの後方には例の、三人の忠臣が立っていた。
 先着の楽団に迎えられ、凱旋の一行が到着する。

「ほらね、美少女でしょう」 
 リクセン公に小声で耳打ちしたつもりが、ジヴダル公にもちゃっかり聞かれて、ランメル候はまた睨まれた。
「ジヴダル公」
「は」
 ディシウスに呼びかけられ、ジヴダル公は腰をかがめた。
「どうだ。この歓声は。これこそ楽団よりもよほど、都督大将軍の任命式に絶好の背景音楽だとは思わないか?」
 この質問に、ジヴダル公は無言で返した。
 アトレイトの指示により兄妹は馬を下り、一行は絨毯の上をディシウスに一歩ずつ近づく。
 イスタとイミテの兄妹をはじめ、傭兵が玉座の前に跪く。
 ディシウスが立ち上がると歓声は徐々にひき、すぐに静寂が訪れた。
「魔術師イギュアの討伐の任、ご苦労だった」
「……」
「畏れ多いお言葉、恐縮でございます」
 無言のイミテに代わって、イスタが答える。
「私は貴公らの努力に、相応の礼をもって応じるつもりだ」
 ディシウスがアトレイトに目配せすると、近衛隊長は女官から受け取っていた巻物を主君に渡す。
「我、ディシウス・エル・ラムドスは、イスタ・イミテの二将を〈都督大将軍〉に命じるものである」
 末尾は歓声にかき消されて聴衆には届かなかった。
 その声で、イミテは気を取り戻した。改めて周囲を見回して、目の前にいるのがディシウスだとようやく気づく。無意識の間、不遜な態度を取っていたのではないかと気づいて、青ざめた。
 そんなだから、横のイスタが小刻みに震えている理由を知りもしなければ、気づきさえしていない。
「私も、ですか」
 確認のためのイスタの声も震えているようだ。
「兄として、妹を補佐してやってくれ」
「は、はい」
「イミテ。貴公はどうか。兄上の方は快く都督大将軍の任を受けてくれるそうだが?」 
「は……私は……」
 イミテは兄を見、アトレイトを見た。かつての上司は力強く頷いてみせる。それがまた、イミテには切ない。
「は……い……。国王陛下のご命令とあらば……」
 イミテは決意した。ぐっと、睨み付けるようにディシウスを見上げる。
「謹んでお受けいたします」
 イミテの答えを受けて、再び静まり返っていた聴衆から喜びの声が挙がった。

 歓声が、吉事も凶事も全て飲み込むように、空高く渦巻いていた。

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