古酒の隠れ家

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大きな国の 小さな歴史

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灰色の大地と紺碧の海
 

 -1-

 知事の一人であり、北都の真の為政者であるガスティアには5人の娘と3人の息子があった。娘のうち、長女は18歳、次女は16歳で三つ子の王子と年齢的に釣り合う。
 魔術師イギュアの愛弟子という立場から、地方に居ながらにしてかなりの情報を入手することが出来ていたし、足りない部分は自分の魔術で補ってもいた。
 そうして集めた情報によって、ガスティアは王位を継ぐのがバディオスであると知っていた。そこで、他の二人の王子にも増して、長兄バディオスにはゴマをするようにして仕えてきたのだ。息子達にはバディオスが北都に在住の折には、いつも側にいて世話をするようにと申しつけていたし、長女と次女をたきつけてバディオスの寝所に潜り込ませもした。もっとも、バディオスは色情狂の気があるらしく、14歳の三女ばかりか、息子達までも寝所に引き込んでいるようだった。
 そのことを知っても、ガスティアは憤りを感じる事はなかった。むしろ、嫌がる子供がいれば叱ったぐらいだ。だが、幸い3人の娘も、息子達ですらガスティアの権力第一主義を骨の髄までしみこませていたらしく、自ら進んでバディオスの相手をつとめているようだ。
 性格も他の二人の王子よりガスティアと合っていた。
 トルディウスはガスティアから見て全てをおおっぴらにしすぎたし、なんでも自分でやるのが気にくわなかった。バディオスとトルディウスが部下を罰することがあったとして、バディオスが他のものに命令して、残虐な処罰を見て楽しんだのに対して、トルディウスは自分でその部下を殴ったり、とにかく直接手を下すのだった。この対応の違いはガスティアにとって大きな意味を持っていた。バディオスの行動こそが、王族としてもっとも品のあるものに思えたからだ。
 そんなだったから、ディシウスの行動などは全てが気にくわなかった。
 気軽に身分の低いものに話しかけ、意見を聞きすらする。貴族以外を人として認めないガスティアにとって、ディシウスの行動は嫌悪すら覚えるものだったのだ。しかも、どこの馬の骨かも解らぬ男を護衛隊長にまで取り立ててやっている。
 なにより、一番気にくわなかったのは、ディシウスが彼の魔術を全く畏れもしないばかりか、認めもしなかったことだ。実際、どういうわけかディシウスへ直接作用させようとした魔術は、ことごとく効果を表さなかった。
 しかし、だからといってディシウスを驚異に感じたことはない。ただの世間知らずの王子に思えたし、なんといってもバディオスがグール王の寵愛を受けていることに、代わりはないのだから。
 バディオスの即位を、ガスティアは一度として疑ったことはなかった。
 そう、あの稲妻の朝がやってくるまでは。

「きゃああああ!」
 その朝は、絹を切り裂くような絶叫に始まった。
 バディオスの寝室からのものと知って、ガスティアは急いで寝間着のまま駆けつけた。声は、王子と同衾している娘のものに違いなかった。
 駆けつけると、王子の部屋の前にはすでに人だかりが出来ていたが、皆とまどい気味に顔を見合わせてばかりだ。
 短気で残虐な第一王子の怒りを畏れて、駆けつけはしたものの、部屋には踏み込めないのだろう。  ガスティアの姿を認めて、一様に安堵の表情が浮かぶ。
「何をしている。私が様子をお伺いする故、お前達はいつでも踏み込めるよう少し離れて待機しておれ」
 ガスティアは家来達を離すと、バディオスの寝室の扉を叩いた。
 バディオスに対する不安は全くない。彼からの信頼は得ていると言う自負があるし、万が一悲鳴が王子によってもたらされたものでも、つまり、自分の娘が王子から虐待を受けていたとしても、そのこと自体を責める気もない。
 彼にとっては我が子ですら最大限に利用すべき、手駒の一つでしかなかった。
「殿下。今の悲鳴は一体、どうなさったのです」
「ガスティアか。許す。入れ」
 中から動揺した声が響く。普段冷静なバディオスにしては珍しかった。
「失礼します」
 扉を開けて、まず目に入ったのは抜き身の剣を手に、ベッドの上に片膝を立てて構える裸体のバディオスと、その背後でシーツにくるまって震えている長女の姿だった。
 扉を後手で閉めながら、ガスティアはバディオスの睨み付けているものを見た。
 微力な力を感じさせる、黒いもやがそこにはあった。しかも、その力の気配には覚えがある。
「この気配は……まさか、イギュア聖師?」
「なに? イギュア、だと?」
 ガスティアは力強く頷いて、バディオスともやの前に進み出た。
「我が師、イギュア。あなた様でいらっしゃいますか?」
 ガスティアの呼びかけに呼応して、もやがゆっくりと人の顔に近い形をつくる。
 『おお、無念じゃ。我を倒せしはディシウスの……』
 顔らしきものを醜く歪ませながらもやは進み、後じさるガスティアの身体に吸い込まれるようにして消えてしまった。
 声にならない悲鳴を上げ、身体を床に叩き付けるようにして倒れたガスティアを見ても、バディオスは眉を寄せただけで駆け寄ろうともしない。
 むしろ冷たい目でもだえるガスティアを見下ろし、いつでも斬りかかれるよう剣は軽くかまえたままだ。
 暫くして、ガスティアはようやくよろよろと立ち上がった。わずかな時間だろうに、彼らには数時間も経ったように感じられた。
「お、お父さま……」
 裸のまま父に駆け寄ろうとした長女を、素早くガウンを羽織ったバディオスが左手で制する。
「お前はガスティアか?」
 青ざめ、苦痛に歪んだガスティアの表情に、引きつった笑みが浮かぶ。
「賢明な……判断でございますな……バ、ディオ……」
 引きつった笑顔のまま、ガスティアはゆっくりと崩れ落ちた。



 -2-

「一体何が起こったのだ」
 ガスティアが目を覚ましたのは、かなり夜も更けてからのことだった。
 早朝の一件の後、ガスティアは王邸内に占めた自分の部屋で、死んだように眠り続けた。
 顔は青ざめ、脈を取ってもよほど注意しないと、そのかすかな動きを感じることすら出来ない。 死体そのものの様子のガスティアを見て、家臣達は不安に駆られた。
 魔術師イギュアの一番弟子、自身魔術師としては北都一の実力を誇るガスティアを襲った黒いもや。それを彼らは畏れた。
「自分がそれに襲われたら」という心配をするものがいる一方で、「天罰が当たったのだ」と陰口を叩く輩もいる。
 事実の追求を求める家臣達を後目に、なにもなかったかのように、そのままガスティアの長女と部屋にこもったバディオスだったが、知事が目覚めたと聞くとようやく部屋から出てきた。
 自らガスティアの私室に足を運ぶと、人払いをしてベッドの端の椅子に腰掛ける。
 ガスティアは高く積み上げたクッションに、上半身を預けてバディオスを見た。
「このような体勢で、バディオス殿下に拝謁いたしますこと、お許し下さい」
「そんなことはよい。一体あのもやはなんであったのか。それを申せ」
「あのもやは我が師、イギュアの最後の魔術でございました。その無念の思いが、私に師の悲劇を伝えたのでございます。バディオス殿下。師は二人の刺客によって、討たれてしまわれたのでございます。父王を殺害し、王位を簒奪したディシウスめの放った刺客によって!」
 青ざめ、震えるガスティアの口から出た最後の一文に、バディオスの顔色が変わる。
「いま、なんと申した……。誰が、父上をどうしたと……。いいや、王位がどうなったと?」
 暗い藍色の目をカッと見開き、身を乗り出す。
「殿下。これは裏切りでございます。師の魂が、事の詳細を余すところなく私に伝えて下さいました」
「ディシウスが父を殺害したと……」
「師が討たれたのが昨夜の事……そして、グール王は今朝、ディシウスめの手によって……。我が師イギュアが最後の力を振り絞り、私に真実を見せて下さったのです」
「バカな…世迷い言ならいい加減にせよ。父王は私に約束して下さったのだ。来年、私が王都に帰還した折には、王位を譲って下さると……」
「王はもう、この世においでではありません。ディシウスの手によって」
「いい加減なことを申すな!」
 バディオスは激しく椅子を地面に蹴り倒した。木製の頑丈な作りの椅子が、大きな音を立てて壊れる。
「バディオス殿下、真実でございます」
 ガスティアは臆面もなくバディオスを正面から睨み付けた。第一王子の目がさらにつりあがる。
「許してはなりませぬ、認めてもなりませぬ。殿下、早急に手を打たねばなりませぬ。気をお鎮め下さい。ディシウスが即位してしまう前に、手を打たねばなりませぬ」
 ガスティアの迫力に圧されたのか、バディオスは押し黙った。ただでさえ切れ長の目を、よりいっそう細めてみせる。
「では、イギュアがお前に見せたという事実を、その詳細とやらを、今度はお前が私に余すところなく伝えるのだ」

 ガスティアの口から、イギュアがイスタとイミテの兄姉によって果てた事実が、イギュアが知り、見たままに、王都においてはディシウスが父、グール王の首を跳ねた事実までもが、事細かに語られた。
 イスタの琴の音に魔力を封じられ、イミテの剣技によって果てたイギュアは、魂だけとなってガスティアを訪れたのだ。そして弟子にとりつき、その意識を伴って、ディシウスが今まさに喜々として父王を殺害しようとしていた、その現場におもむいたのだ。最後の力を振り絞って、愛弟子に自分が死ぬ前に予知した真実の現場を見せたのだ。
 だが、それだけだった。止めるだけの魔力はイギュアには残っていない。所詮はただの黒いもやだったのだ。勿論、連れて行かれただけのガスティアにもその力はなかった。グール王の躰から雨のように降りしきる鮮血が、眼球を覆って視界を防いだかと思ったが、そうはならなかった。
 それほど近くにいたのだが。
 ディシウスは王冠を、ガスティアが欲して止まない、けれど自身の手では決して手に入れることの出来ない権力の象徴を、ゴミのように投げたのだ。彼の目の前を、重いはずのそれは、チリのように宙を舞った。それも、彼が決して認めることの出来ない馬の骨の手に収まるために。
 馬の骨というのはもちろん、ディシウスの護衛隊長を務めるアトレイトだ。
 怒り以外の何ものもない。
 ディシウスに鞍替えしようという考えは全くなかった。ガスティアにとって、ディシウスは最も王族と認めたくないようなタイプの人間だったのだから。
 ディシウスとその一派は、彼から権力の一切を奪い取ろうとする寄生虫以外の何ものでもなかった。
「汚点です。汚点だ。あのような輩を、例え一瞬でもこの栄誉あるサナディウス王家の歴史の頂点に、いただくことになるとは…考えただけでも気が狂いそうなほどの怒りを覚えます。許せませぬ。父王の復讐を、ぜひ、バディオス殿下!!」
「お前に言われずとも、このままでおくはずがない。我が座に決まっていたものを、どうしてやすやすとあれにくれてやろうか!」
 ガスティアとバディオスは、煮えくり返る怒りを腹に抱えて、ディシウスに復讐を誓ったのだった。



 -3-

 〈事実〉を知って数日後、ガスティアは自身の館にバディオスを招いた。しかし自分の館と言ってもバディオスが北都に滞在の折は、ガスティアはほとんど王宮にいたから、自身帰るのは久しぶりのことだ。
 勿論、ただの宴席に招いたというのではない。目的は他にある。
 まさにその日、王都ではディシウス王の手によって先王の密葬が行われようとしていた。
 ガスティアはバディオスを、館の離れの地下室に案内する。
 長い螺旋状の石段を下ると、暗く広い石室に行き着いた。円を描くように背の高い燭台が7台、それぞれ3本の蝋燭を明々と灯している。その下には黒いフードを目深に被った黒衣の、恐らく青年が6人。それぞれ手には形の異なった杖を持っている。ガスティアの魔術の弟子で、今回の助手達だ。
 床には赤黒い巨大な魔法陣があった。
 胸の悪くなるような匂いは、その魔法陣から立ち上ってくるようだ。何かの血で書いてあるのは間違いないだろう。
 線を踏まないようにと注意を与えて、バディオスを魔法陣の中央に立たせると、自身は一台残った燭台の下に、人の骸骨を飾った銀の杖を持って立つ。
 頷いて弟子達に合図を送ると、7人は低い、奇妙な抑揚のついた呪文を唱え始めた。
 やがて赤黒い魔法陣から黒いもやが立ち上る。イギュアの亡霊のもやによく似た、重くて無気味なもやだ。そしてそれは意志を持った蛇のようにうねり、地面ギリギリに這って来て、バディオスの体躯をゆっくりと覆い尽くした。
 黒い、黒く濃いもやの中で、バディオスは恍惚感を味わっていた。今までに味わったことのない、奇妙な感動がその空間にあった。
 不思議と、恐怖は全くなかった。
「身を任せよ」という何者かの声に導かれて、彼は意識を身体から解放した。

 次に意識を取り戻したとき、彼の目の前には空の棺があった。
 その向こうにディシウスが、神妙なふりをして立っている。それを見たとたんに怒りが全身を貫いた。
 目の前の、空の棺が誰のために用意されたものであるのか、彼は瞬時に理解したのだ。

『いいや、許しはしないぞ』
 その声は怨嗟を告げるグール王、本人のもののように神殿内に響いた。
『いいや、許しはしないぞ』
 バディオスは怒りと恨みを込めて再度言い渡した。葬儀に参列した面々の顔をしっかりと見極める。
 見知った顔がたくさんあった。自分が王都にあったときにおべっかを使ってきた臣下の面々はもとより、親戚や母・二人の姉までも、素知らぬ顔で参列している。
 その日、その場にいる全ての人間を彼は憎んだ。中でも同じ血を持ち、同じ日、同じ時刻に生を受けた、今、目の前にいる輝く金の髪の男を。
 目が合う。自分を認識して、ディシウスの空色の目に驚愕と、彼と同様の殺気がこもる。
 おかしな話だが、彼ら兄弟が意志を通じ合ったのはその時が初めてだった。
 彼らは初めてお互いの本性をむき出しで対峙した。
 憎しみだけをその目に込めて。
 憎悪以外のものが入る余地は全くない様子で、彼らは厳しい言葉を投げかけ合った。
 同時に生を受けたが故に、誰よりも相手のことがわかるのだった。
 その奇妙な対峙を、何かが遮断した。それが何かはバディオスには解らなかった。
 銀色の線を識別したその瞬間に、興奮が瞬く間に消え去り、激痛が彼を襲ったのだ。
 いいや、激痛などという生やさしいものではない。地獄に堕ちたとしかいいようのない苦痛だった。皮膚はあつく、焼けただれたよう、内蔵の全てはあらゆる激痛を伴って、切り刻まれているかのようだった。
 彼は狂ったように叫び、身もだえた。
 その瞬間から、彼は闇に完全に飲み込まれてしまったかのように感じたのだった。やがてその感覚は、再び彼に最初の恍惚感をもたらしたのだ。
 そして、バディオスは現実の世界に引き戻された。
 忌々しくも楽しい時間の終わりだった。

 目の前に、急に現れた白いか細い腕を、バディオスは反射的に掴んだ。
 勢いよく飛び上がって、初めて自分が横たわっていたことを知る。
「ここは……」
 薄暗い部屋のベッドの上のようだ。
「あの、我が家の客間です」
 よく聞き慣れた、脅えた声が応じる。枕元に置いた明かりに浮かび上がっているのは、ガスティアの次男ゼクダルの青ざめた顔だった。兄弟の中で最も繊細で秀麗な容姿をしており、バディオスの一番の寵臣でもある。彼だけは、王都に帰るときも一緒に連れていった程だ。
「私はどうなったのだ。確か、地下の……」
 瞬く間に記憶が甦る。当然のように怒りがこみ上げてきた。
「ディシウスめ……」
 見た目に知れるほど身体を震わせるバディオスに、傍らのゼクダルはますます青ざめた。
「あの男が何をしたか知ってるか?」
 激しい調子で言い、バディオスはゼクダルの腕を引いてベッドに組み敷いた。
「い、いいえ」
 あからさまに震えてみせる。他の兄弟と違って、ゼクダルはバディオスに自分から言い寄ってくることはなかった。自分が一番の寵臣であると知っていてもだ。
 いつも震えて、恐らく本人は押さえているつもりなのだろうが、顔に嫌悪感を浮かべて、それでもバディオスのなすがままに身を任せるのだった。
 そういうところがバディオスの嗜虐性を刺激する。
 しかし、いつもはそうでも今日はむしろその態度がしゃくに障った。
「もういい。出て行け」
 バディオスはゼクダルの身体から手を離した。恐る恐る細身の美少年は体を起こし、上目遣いにバディオスを見る。
「聞こえなかったのか。出て行けと言ったのだ」
 バディオスの怒号を聞き慣れているゼクダルだったが、さすがに今回ばかりは様子が違うと悟ったのか、一言も言葉を発することなくベッドから転がるように降りると、慌てて部屋から立ち去った。
「ディシウスめ。覚えているがいい。殺してやる……」
 低く響くその声は、部屋の闇をよりいっそう深くしたようだった。
 ディシウスの王位を確たるものにするには、いくつかの難関を越えねばならないようだった。


 -4-

 ガスティアによる横暴とさえ言える支配が成り立っている無秩序な北都と違い、南都は本来定められた知事法が正しく施行されている平和な都市だった。
 三年に一度、南都の治世下にある周辺都市の貴族によって、公正な選挙が行われ、知事が選び出される。
 確かに、公正といってもある程度、政治的な裏取引などはあったが、北都に比べればそれは健全な駆け引きのうちに留まっていた程度にすぎない。
 今年はその選挙の年だ。それも、来月に投票が行われるというので南部の主たる貴族はみな、南都に集まっていた。
 もっとも、選挙といっても投票権を持っているのは、知事に立候補できる資格を持った者だけだ。つまり、貴族の成人男子だけだった。
 トルディウス、またはその他の王族には投票権はない。が、その発言や動向は多いに影響力がある。
 今回の立候補者は8人。その中から知事を3人選び出すわけだが、その8人の中に、ダルトン男爵がいた。
 ダルトンはそれ以前は知事に立候補したことは無かった。しかし、南都一の有力な一族の長であり、むしろ今まで立候補しなかったことが不思議とされているぐらいだったから、彼の当選は確実だ。その上、南都に現在滞在中のトルディウスが、ダルトンの娘に惚れ込んでいるという。
 今年の新年の挨拶に南都の王邸にやって来たミーシアを見て、トルディウスが一目惚れしたのだという。
 それから毎日、第二王子は彼女に馬車一杯の花をプレゼントし続けたらしい。
 そんな事が一週間ほど続いて、さすがにダルトンも黙ってはいられず、王宮に娘を連れて礼にやってきた。以後、ミーシアはトルディウスが滞在の時に限って、王宮に自由に出入りする事を許されたのだ。
 もっとも、そうは言ってもトルディウスはバディオスと違って、貴族の娘であるミーシアを、自分の部屋に引き込むということはしなかった。
 そこら辺の常識は理解しているらしく、二人のつき合いは結婚前の貴族の子女らしい、節度を守ったものだったのだ。

「申し上げます」
 せっかくのミーシアとの二人きりの時間を邪魔されたトルディウスは、無粋にも声をかけてきた一人の兵士を睨み付けた。
「なんだ」
「はい、あの……ダルトン男爵閣下が、陛下にお話があると仰せで……」
 可愛そうに、ダルトンに急げと叱咤され、王宮をかけずり回ってようやく噴水で王子を見つけた兵士は、厳しい一瞥にすっかり萎縮している。
「令嬢の父上が相手では、無視するわけにはいかんな。私としても、よい印象を与えたいからな。将来の為にも」
 優しい口調でにこやかに笑いかけるトルディウスに、ミーシアは無邪気な笑顔で答えた。
 16才という年齢のわりには幼く見える、可愛らしい感じの美少女だ。全くすれたところがなく、かといって田舎臭いわけでもない。純真無垢を絵にかいたような少女で、白のドレスが可憐なイメージをさらに強めていた。
「私も参ってよろしいのでしょうか?」
「私のいくところで、姫が同伴できないところなどあろうはずがない。しかも、ご自分のお父上のところに行くのに、なにを憚ることがあろう」
 そういうと、トルディウスはミーシアの手を取って、ゆっくりと歩き出した。ダルトン男爵が待つという部屋へ、談笑しながら入っていく。
 入るなり、男爵の厳しい視線に迎えられ、恋人達は押し黙った。
「そんな恐い顔をするだなんて、お父様、どうなさったんですの?」
 小首を傾げて尋ねる娘に、ダルトンは眉をしかめて見せる。
「ミーシア、お前は遠慮していなさい。私は殿下と二人きりで大事な話があるのだ」
 もっとも、二人きりといっても、本当に二人きりになるディシウスと違って、トルディウスには常に護衛の兵士がついている。彼ら、貴族にとっては護衛は人数のうちにならないのだ。
「トルディウス様……」
 心細げに見上げるミーシアに、トルディウスは苦笑を返した。
「ダルトン男爵。ミーシアは貴公の令嬢だ。聞かれて困ることなどあるまい」
「いいえ、娘とはいえ、この場にて聞かせる話ではありませぬ。一両日には耳に入る事であっても」
 あまりの真剣なダルトンの表情に、トルディウスもミーシアも、異常なものを感じて口をつぐんだ。
「では、本日は失礼いたしますわ。明日、また……」
「いや、ミーシア。暫く宮に顔をだすことならん」
 父からのこの命令に、驚いたのはむしろトルディウスだった。
「どういうことだ。男爵。貴公は私と令嬢の交際に反対でもあると……」
 トルディウスの表情が引きつる。彼女との間を邪魔するなら、それが例え父親でも関係ないと言わんばかりだ。
 元来が乱暴者で通っているトルディウスのことだから、ミーシアが思わず父の身を案じる。
「いいえ、トルディウス殿下。私は決してあなた様の恋愛に反対などいたしません。ただ、それほど今回の事件が重要であるといいたいのです」
 男爵は、目で娘に扉を示した。早く出て行けということだろう。
 ミーシアは、タダならぬ気配を察して二人に頭を下げると無言で退室した。
「一体どういうことだ? なんの話が……」
「一大事にございます。トルディウス殿下……王都が……王都にて、謀反がございました由……」 「なに?」
 トルディウスの表情がこわばる。いまいち意味が把握できないという感じで、困惑が浮かんでいた。
「グール大王陛下が、第三王子・ディシウス様によって王位を追われ、自害なさった模様……」
 ダルトンは打ちひしがれた、しかししっかりとした口調で言った。
「な、に……? なにを言っている……ダルトン……貴公は、ふざけているのか……」
「事実でございます、陛下。先程、王都より使いの者がまいりました。これを」
 ダルトンは一枚の紙をトルディウスに差し出した。
 震える手でそれを受け取り、渇いた唇を舐めながら、トルディウスはその王宮から届いたという大きな紙に目を落とした。
 そこには、ディシウスが父王に譲位を迫り、父が自害したという、例の嘘で固められた一件が、硬い文章で事務的に述べられていた。
「これをもって王位継承の宣布とする、だと…」
 手のふるえが怒りからか、だんだんと大きくなる。比例して、顔色はどんどん青ざめていった。
「どういうことだ! なにがどうなっている!? あのディシウスが王位を簒奪しただと……父王が死んだというのか……」
 複雑な思いでダルトンはトルディウスをみた。彼は、王子の中ではディシウスを一番気に入っていた。もっとも、特別情を寄せていた訳でもなかったが。
 しかし、これからはトルディウスを補佐することになるだろう。激情家の第二王子が、このままこの事態を見逃すはずもないのは容易に想像できる。
 二人の間を上手くもって、最悪な事態を招くことだけは、南都の平和の為にも回避せねばならない。
 ダルトンはそう思っていた。



 -5-

 怒りのおさまらぬトルディウスをなだめすかし、とにかくもっと正確で詳しい情報を集めましょうと、王都に使いをだしたのが二日前。
 それに遅れること数日してやって来た、ディシウスの戴冠式の日にちを伝える使者によって、トルディウスの怒りは頂点を迎えた。
「戴冠式だと!! なぜ、私に相談もなしに、あいつが王位につくのだ!! 父王が自害したというのなら、継承者は我々三人の中から公正に選ばれるべきではないか!」
 怒り心頭で、公文書を破り捨てる。
 彼は大声で怒鳴り散らしながら、部屋の中で剣を抜いた。
 轟音を響かせながら、あでやかな絵の描かれた花瓶を叩き割る。
 傍にいた女官の幾人かが、破片でケガをしたらしく、痛々しい悲鳴を上げた。
「殿下、気をお鎮め下さい! どうか……」
 慌ててダルトンが制止しようとするが、荒々しく剣を振るうトルディウスに、近づくこともできない。
「殿下、どうか……」
 なんどか大声をあげたとき、ようやくトルディウスが手を止めた。
「私が出席する間もなく、戴冠式を行うとは……きっと奴には身にやましいことがあるのだ」
 トルディウスは熱に浮かされたように呟いた。
「で、殿下……」
「さすがはご賢明なトルディウス殿下。ご明察、恐れ入ります」
 ひっそりとかけられた低い声に、ダルトンもトルディウスも息を呑む。
 彼らが振り返ると、そこには見知った男の姿があった。
 ゲイブ子爵。知事に立候補している8人の内の一人だ。
 頭を丸刈りにした体格のいい男で、年齢は一見してもわからないが、ダルトンよりは年下だろう。
「許可も得ず、勝手にお邪魔しましたこと、お許し下さい。お取り込み中のようでしたので、声をかけるのも憚られ……」
「ごたくはいい。さっきのは一体どういう意味だ、確か……ゲイブ子爵だったな」
 南都の知事候補といっても、トルディウスはその男にほとんど面識がなかった。
 それもそのはずで、ゲイブは普段は南都から3日下った街を治める貴族で、新年の挨拶でしか南都にはやってこない。
 しかし、トルディウスの滞在時には南都に疎遠なゲイブも、バディオスが居る時にはちょくちょく顔を出していた。
 もちろん、トルディウスはその事実を知らない。
「殿下は聡明でいらっしゃる。全くもって、おっしゃるとおり、ディシウス殿下はお二人の兄上にやましいことがおありなのですよ」
「どういうことです」
 ゲイブ子爵の行動を訝しく思いながらも、ダルトンは尋ねた。もちろん彼は、ゲイブがバディオスにすり寄っていたのを知っている。
「ディシウス殿下は、来年には父王陛下がトルディウス殿下に譲位なされるつもりであるのをお知りになって、謀反を起こされたのです。しかも、グール王が自害なされたというのは真っ赤な嘘。実際はディシウス殿下がご自分の野望の為に、父王を殺害なされたのです!!」
 意気揚々と断言するゲイブ子爵の言葉に、ダルトンとトルディウスは青ざめた。
「なにをおっしゃる、ゲイブ子爵……バカなことを申すでない。貴公の発言は、聞きようによっては不敬罪にあたいするぞ!」
 ダルトンが迂闊に聞こえるゲイブの発言を諫めた。
「ですが、それが事実です」
「一体、なんの根拠があってそんな……」
 ダルトンは納得しない。
「北都のガスティア閣下をトルディウス殿下ならご存じのはず…」
「ああ、もちろんだ。知っている」
「ガスティア閣下は魔術師イギュアの弟子。ご自身も一流の魔術師です。そして、実は私はガスティア閣下に師事したことがあるのです。今回のことは、ガスティア閣下にお聞きした確かな話なのですが……」
 ゲイブはガスティアから聞いたという話を、二人に語りだした。例の、イギュアの亡霊に見せられたイギュア殺害の現場の話、ディシウスがグール王を殺害し、空の棺桶で白々しくもあげた葬儀の話。ガスティアとバディオスが魔法によってみたという話のすべてが、ゲイブの口から語られた。

「では、そなたは我が弟が、自分が王位につくために、父を殺害したと…!! そういうのか…!?」
 トルディウスが驚愕の声を上げる。さすがに内容が内容だけに、護衛の兵士も三人からは離れている。
「それをそなたは直接ガスティアから聞き知ったと…? ガスティアがこの南都までやってきたとでも言うのか」
「そうではありません。我が師、ガスティアは別れの時に、私にご自身の魔力を封じた鏡を下さいました。それによって、私と師は離れた場所でも短い通信ならば可能なのです。私の少々の魔術があってこそ、可能になるのですが……」
 最後を少し鼻にかけていったように、ダルトンには聞こえた。彼は明らかにゲイブの言葉を疑っている。虚言癖があるとは思わないが、誇張しすぎなのではないかというのが正直な意見だ。
「そのような…魔術などと…」
 ダルトンは魔術に対して懐疑的だった。占い程度ならまだ許容範囲だが、ゲイブの語ったようなおとぎ話的な話は、一向に信じる気がしない。
 彼は、トルディウスの様子をみやって、王子も同様にゲイブの言葉を疑っているようなのに、ホッとした。
「お二方とも、もちろん私の言葉だけで、そのような夢のような話を信じていただけるとは思っておりません。ですから、その鏡を持参いたしました。ぜひ、それによって北都のバディオス殿下と直接お話下さい」
 彼は驚くべき提案をして、いやらしく口元を歪ませた。二人の反応を楽しむかのように、ゲイブは部屋の扉をゆっくりと開けた。
 丁度、大人の上半身が映る程度の長方形の大きさの鏡が、二人の男によって運び込まれた。
「重ね重ねの非礼を承知で、勝手に運び込ませていただきました」
 ゲイブは勝ち誇ったような表情を浮かべている。ダルトンは、どうもこの年若の子爵に好意がもてなかった。
「これにバディオスが映るというのか」
 トルディウスが鼻で笑う。彼は、同じ日に生を受けたバディオスを“兄”と呼ぶことはしなかった。
「タダの鏡にしか見えないがな。しかし、真実であるというのなら、やってみるがよい」
 高慢に言い放つトルディウスに、ゲイブは厭らしい笑顔のまま頷いた。
 低い声で、抑揚のない言葉を紡ぐ。
 トルディウスとダルトンには理解できない言葉だ。彼が魔術師であると言って始めていなければ、気が違ったのかと思っただろう。
 その妙な呪文を聞いているうちに、二人は不思議な感覚に襲われた。
 鏡の表面に神経が集中する。
 よくみがかれた表面に、トルディウスとダルトンの驚愕の表情がうかんだとみるや、白いもやが広がり、やがてそれは黒に変じて一人の青年の姿を映しだした。
 銀色の髪、暗い藍色の瞳、陰気な黒い衣装をまとった、同じ血を分けあった兄、バディオスだ。
 ぞっとするほど自分に似た顔立ちの、しかし格段に陰鬱な男がそこにいた。
 トルディウスは思わず自分の背後を振り返った。
 そこに、バディオスがいるのではないかと思ったからだ。
 だが、長兄の姿は部屋のどこにもない。
 トルディウスはもう一度、ゆっくりと鏡をみた。
「真実、我が兄弟バディオスか」
『そうだ。兄弟トルディウスよ。私は真実、長兄バディオスだ』
 鏡の中の虚像が口を開く。その声はまるで、頭の中に直接響くようだった。
「一体どういうことだ……いや、聞いたところでわかるまい。これが真実であるというのなら、それでよい。しかし、私はこの虚像がバディオスであると……ゲイブ子爵に見せられている幻覚ではないと、どうして確信をもてばよいのか」
 トルディウスの対応は、さすがに肝がすわっているというか、冷静だ。とても言葉を発せられないダルトンは今更ながらに第二王子の豪胆さに感心した。
『我らは同年同月同日に生を受けた。私が何ものであるか、なんの証明がいろう』
 ダルトンには乱暴な言いように思えたが、トルディウスには納得できるものがあったようだ。
「よかろう……それで、わざわざ私にこうまでして会おうと思ったのは、いったいいかなる理由があってのことか」
『白々しい言いぐさはよせ。ゲイブに聞いて、わかっていよう。ディシウスのことだ! まさか奴の横暴を、黙って許すわけではあるまい!!』
 バディオスの顔が怒りで歪む。
「お前こそ、まどろっこしいいい方はよせ。一体、何を私に望んでいるのか……それを、はっきり言ったらどうだ?」
 バディオスの目に、トルディウスに対する怒りが浮かぶ。が、一瞬の内に暗い瞳は冷たさを取り戻した。
『私の言いたいことは一つだ。これ以上あやつの好きにはさせん。その為にも、我らは協力しなければならん。とりあえず、我らは共同で声明を発表すべきではないか。奴の即位を容認できぬという声明を!!』
 トルディウスはすぐには言葉を返さなかった。
 黙ったまま鏡の中のバディオスをじっと見る。
 二人の間に、冷たい火花が散っているようだった。
「少しの間、考えさせてもらおう」
 落ち着き払った声で告げる。
『ばかな…あやつの即位式が終わってからでは遅いのだぞ!!』
「声明を発表したからと言って、延びるわけでもあるまい。もちろん、とりあえず発表はするとしても、共同でとは了承できん。少なくとも今はな」
『……いいだろう……いくらでも考えるがよい。手遅れにならんようにせいぜい気をつけることだ。私に連絡を取りたければ、ゲイブを利用するがいい』
 そう言うと、トルディウスの返事を待たず、バディオスの影は鏡の中から消えた。
 静まり返った部屋が、白々しく映し出される。
 トルディウスは静かに微笑した。
「久しぶりに、貴公のご息女に会いたいのだが……許してくれるだろうか?」
 ダルトンはとまどった。豪放を絵に描いたようなトルディウスにしては、意外なほど穏やかな表情に、彼は不気味さを感じて黙りこくった。
 しばしの沈黙の後、ダルトンは頭を下げた。
「殿下のお望みのままに……」
 胸騒ぎを感じながら。
 しかし、彼はただ頷くしかなかったのだ。

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