恐怖大公の平穏な日常
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3 突拍子もない申し出をした彼女の、突拍子もない理由
「プートには、ずいぶん長い間、深い関係を望まれていたわ」
……ああ、なんかもう意外でもない。
「正式な求婚に及んでは、十三度。それも断り続けてきた」
十三度もかよ、プート!
いい加減、途中であきらめろよ!
ホント美人に目がないんだな……。ある意味、尊敬するよ。
「サーリスヴォルフにも……ええ、そうね。言い寄られていたわ。もっとも、彼の場合はどこまで本気か怪しいものですけれど」
まあ、サーリスヴォルフは相手がデヴィル族であれば、男女ともに見境ないようだしなぁ。
なんたって、デヴィル版ベイルフォウスといってもいいくらいなのだから。
……我が親友は、実際もっとヒドいけど。
「つまり、古参の同盟者がどちらも君の求婚者でもあったから、そこへ大切な夫や子どもを任せるには、不安があるということか」
「もちろん両名とも、私の愛を得られなかったからといって、夫や子らにむごい仕打ちをするとは思っていませんわ。冷遇はされたにしても」
うーん……。まあ、親切にする理由もないから、それ位はね。
「では、デイセントローズは……」
「デヴィル族の結束という意味で、同盟は結んだけれど……彼のことはよくわからないわ。そして、わからないなりに不気味なのよ」
アリネーゼもなのか!
俺が感じる不気味さを、アリネーゼもデイセントローズに感じている?
「それに……負けたというだけならまだしも、あんなことをされた相手に……」
アリネーゼはギリリ、と歯茎を見せて奥歯をかみしめる。
「気を失っていたからといって、何が行われたのだか、本人が知らないでいられる訳ではないのよ」
ああ、おそらく大公位争奪戦の対戦の時、あいつが無慈悲にもアリネーゼの脚を衆人にさらしたことを言っているのだろう。
確かにあれは、ひどかった。
「それにね……実は私が頼みたいのは、夫や子らのことだけではないの」
「他に気がかりなことが?」
「……いっそ、殺されると確信を持てたらよかった」
なんだかえらく物騒だ。
「けれど、彼女は私を殺さない……。絶対に、そうなの」
弱体化を狙っての奪爵なのに、殺されない、だって?
「なぜ、そう言い切れる」
「なぜなら彼女は……つまり、私への求婚者の一人でもあるからよ」
……え?
奪爵者は女性で……でも、アリネーゼへの求婚者……?
え?
つまり……。
つまり、それって……?
「彼女はとても嫉妬深くて……」
「えっと……?」
「ああ、話の前提として、もちろん私にはそちらの趣味はありません」
俺のとまどいを受けてか、アリネーゼは前置きのようにそう断った。
「けれど相手の意向など、彼女には関係ないのよ。今までも、自分好みの女性と目を付ければ、相手の趣味嗜好は関係なく力のままに振る舞ってきましたわ。例えその相手に夫や恋人がいようとも、その間を引き裂き、強引に関係を結んで。その女性を監禁同様の状態で束縛し、それでも嫉妬のあまり殺した相手は二桁に及ぶと聞きますわ」
えっと、女版ヴォーグリムかな?
俺が混乱している間にも、アリネーゼは淡々とした口調で話を進める。
「つまり私は彼女に敗れたが最後、自身は殺されはしないものの、家族と間違いなく引き裂かれ、そうして彼女に奉仕を強要される虜囚となるのですわ。そんな屈辱が、許容できると思って?」
あの……すみません、なかなか理解が及びません。
「一度、まとめていいかな?」
「……どうぞ」
「えっと……まず、アリネーゼから大公位を奪爵しようとしている相手は女性で、つまり同性だが、アリネーゼに恋慕している、と」
「ええ」
「彼女は君を殺さず自分のものとして、夫や子どもは追い払われるだろう、と」
「あくまで彼女が寛容に傾いている場合はね。そうでなければ、夫や子は殺されるでしょうね」
「そうならないように、同盟者の城に自分ともども含めて、奪爵後すぐに身を寄せたい、と……」
「はっきり逃げ込むと言っていただいて結構よ」
アリネーゼは眉間に力を込めた。
「そうするのはもちろん、可能であれば、だけど。彼女がもし、奪爵してすぐに自分の権利を主張し、城に居座れば、それも叶わないでしょうね。その場合は……もちろん、自分たちの運命を受け入れるしかないわ。もっとも通例では、形だけのこととはいえ、選定会議を受けなければ大公とは認められないのだし、いくら彼女でも大公位を前にそんな無茶をするはずはないわ。そうなれば、私たちはこの身一つで、例え弱虫、卑怯者と後ろ指を指されようとも、逃げおおせてみせますわ」
クワッと開かれた、猫目。その迫力に、俺は生唾を飲み込んだ。
「プートやサーリスヴォルフのところへ逃げ込めば、立場上、私はその求婚に心なくも応じねばならないでしょう。それでは結局、彼女のものになるのと何が違うの」
……そういえば、アリネーゼは身持ちが固い、のだったか。
どうしても気持ちの添わぬ相手とは、身体も結びたくないらしい。
そしてデイセントローズは論外、か。
残りはデーモン族で、誰一人同盟者ではない。
そもそも、ウィストベルにはこんな申し出はできないだろうし、ベイルフォウスが相手では、プートやサーリスヴォルフに頼むのと同じだと判断したのだろう。
「それで、俺か……」
「幸いにも、ここは私の城から最も近い大公城。逃げ込むには最適の場所……」
なるほど。
「それに……」
どうしたことか、アリネーゼはややうっとりとした、はにかんだ様子で……俺を……俺を、見たではないか……!
その目に浮かぶのは、紛れもない――紛れもない、好意。それも、ただの好意ではない――恋慕に満ちた……。
まさか例のあの一夜で、大嫌いだと思っていたデーモン族への興味に、うっかり目覚めてしまったのか!?
あんな目で俺を見て、まさか……まさか!
ぞくり、と背筋が震えた。
「ごめん……気持ちは嬉しいけど、それはちょっと……」
「あの、凛々しくも愛らしい雀のお顔……」
……え?
…………え?
「あの酒宴であの方と初めて交わした言葉……きっぱりと、私の誘いを断る男らしい態度……あの、無邪気さと狡猾さに満ちたつぶらな強い瞳……大公位争奪戦でも何度かお見かけするうちに、私の心は……」
え?
え?
え?
男らしい?
誰が?
え?
雀?
今、雀って言った??
「こんな気持ちになったのは、随分久し振りですわ……あの方のことを想うだけで、胸が苦しくって……」
若干、赤らんだ頬に雌牛の蹄を当て、潤んだ瞳で遠くを見つめるアリネーゼ……。
マジか!?
「あの、アリネーゼ……」
「ええ……」
ほうっと息をつくアリネーゼからは、さっきまでの悲壮さは消えている。
「その……もしやその雀っていうのは……えっと……うちの……副司令官の?」
「ヤ……」
こくりと頷くや、アリネーゼはもじもじと、大きな蹄で自分の膝に小さな丸を描きだした。
「ヤティーン公爵……やだっ」
い……いや、「やだっ」って言われても……。
そんな縮こまって顔を覆われても……。
初恋を覚えた少女、みたいな態度をとられても……。
なんていうかこう、……シュールだ。
だが、ちょっと待て。
つまりアリネーゼが俺を同盟にと選んだのには、あの雀の存在も大きかったと……そういうことか?
「ねえ、あの方は容色を衰えさせた私になど、興味は示さないかしら?」
蹄の間から、猫目をのぞかせて聞いてくる。
「それともあの汚らわしいリスめと同じで、あなたの侍女にご執心だとか?」
汚らわしいリス……まあ確かに、口からいろんな物をこぼしまくって、不潔感はある……。
「いや……ヤティーンはあまり、アレスディアには関心がない……と、思う」
「まあ! やっぱり、私の見込んだお方ね!」
えー。
少女のように純粋に輝く瞳が、俺を貫く。なんか、痛い。
「それで、同盟の返答をまだはっきりもらっていないわ。もちろん、この話は受けてくれるのでしょう? この私が、ここまで明かしたのだから……」
ああ、そういや本題は同盟だった。
どうしよう……アリネーゼと同盟を結ぶ、ということは、今の話だと彼女の身柄をいずれ俺の領地で保護する、ということに他ならないようだ。
もしも、誓約書がこれを俺のこの間の願いと同価と判断すれば……拒否はすなわち、呪いを意味する。その結果、彼女の紋章が俺の身体のどこかに刻まれるということだ。
そうなると、結局は同盟を受け入れるしかない。そうしないと呪いは解かれないのだから。
ではあとは同盟と、以前のアリネーゼの尽力が釣り合うかだが……。
奪爵云々は同盟に付随する当然の結果というだけで、主たるものとは認められまい。と、すると……確かにこの間の俺の望みは、同盟者ならば応じてもらえるに相応しい内容ではあった。
逆に言うと、同盟者でもないのに頼むべき内容としては、大きかったという事だ。
まあ、だからこそ誓約書を用いたわけだが……。
結局、同盟に帰結することになるとは。
ただの同盟でも、ウィストベルの耳に入ればただではすみそうにないというのに……。
俺はため息をついた。
同盟を結ぶにせよ、釣り合わぬとして突っぱねて、誓約書の存在が公になるにせよ……どちらにしたって結局は、ウィストベルの不興を買うに違いないではないか。
ならば彼女のことは、いっそ気にしないに限る。
だいたい、いったん拒否して呪いをかけられ、慌てて相手の希望を受け入れる、そんな体たらくを見せる方が情けないに決まっている。
「どうなの? まさかこの場では決められない、だなんて、情けないことは言わないでちょうだいね」
業を煮やしたように、アリネーゼが猫目をつり上げて返答を迫る。
さっきまでの乙女はどこへいった。
俺は覚悟を決めた。
「いいだろう……同盟を受けよう」
俺の答えを受けて、アリネーゼはホッとしたように微笑んだのだった。
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