恐怖大公の平穏な日常
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5 図書館も無事出来上がり、となると後は……
あの広大な凝った魔王城を、たったの百日ほどでしあげた魔族だ。城の片隅にある図書館の増改築など、かかり始めればあっという間に仕上げてしまう。
実際、俺が「良し」と言ってから、たった五日で竣工までもっていったのだから。
礼として、設計してくれたフェンダーフューには作図のためのペンと作図用紙、現場の工事を請け負ってくれた面々にはそれぞれ専用の工具に、俺の紋章を入れて贈ったら、とても喜んでくれた。中の数人は、大げさにも涙を流して感激を表してくれたほどだ。
さてそうなると、次はいよいよお披露目、ということになる。
ウィストベルには目途がたった三日目には、招待状を出してあった。
今度こそ手紙はきちんと届けられたらしい。よろしければ五日後にでも……という、急な誘いであったにも拘わらず、彼女は俺の指定した日に招待に応じる、という返答をくれていた。
その五日後が、今日だった。
だがその前に、できたばかりの図書館を見せておかねばならない相手がいる。
もちろん、その管理を任せることになる、図書館司書だ。
「すごい……すごい!」
ミディリースは両手を胸の前で握りしめ、頬を真っ赤にし、両目を大きく見開いて、ぶるり、と身を震わせた。
彼女が興奮するのも尤もだろう。
入り口の扉は以前と同じものを利用している。だが、その扉を開けると、中は別世界だ。
もともと、意外にもこの図書館は魔族の城にあるものとしては、まあまあな広さを誇っていた。それでも、一階と天井の低い中二階程度の回廊があったばかり。
その敷地を横に広げ、天井を高くあげてきっちり二階をつくり、棚の数を増やして棚板の間隔を移動式にしたことで、総面積は約五倍、本の収蔵量は実に十倍にも及ぶ。
仕方なく読書机の上に置いてあった本を収容しても、まだ四分の一も占めていないほどだ。
こだわったのは、本の所蔵量だけではない。本棚や読書机の色と形、その棚板の表にさりげなく彫られた繊細な模様、分類や位置を表示するための札など、意匠が凝らされている。空いた壁や柱には圧迫感のないよう距離を計算し、花を主とした絵画が飾られている。
魔王城を造るときにも実用性にこだわっていたフェンダーフューらしい、実に使いやすい工夫と邪魔にならない装飾が随所に配置されてあった。
ちなみに、以前ミディリースが私室として使用していた地下も、敷地面積として組み入れている。
ここにはちょっとした重要な書物や希少本、それから成人……ごほん、子供の目には触れない方がよい書物が所蔵されていた。
その代わりといってはなんだが、ちょっとゆっくりできる司書室を、それほど広くはないが一階部に別に設けてあった。簡易ベッドにもなる長椅子を二脚、それにちょうどいい大きさのテーブルが一台、一人掛けの椅子がやはり二脚、それから書き物机と椅子、小さなチェストと背の高い戸棚。
チェストには客用の食器も揃っている。これは以前から、ミディリース自身が使用していたものだ。
寝具やなんかのかさばる物は、作り付けの広い戸棚に仕舞えるようにしてあった。
窓は出窓で大きく、小さなテラスに続く扉もある。
図書館からその場所への入り口は、今度は壁と同じ色の扉を利用して密やかではあるが、隠れてはいない。
司書に用がある者は、いつでも扉を叩いて彼女の助力を請うことができるように。
もっとも最初から誰とでも対面でというのも躊躇われるだろうと、扉には小窓がついており、そこを通じて相手と書面でのやり取りができるようにも考えてあった。
「これからいくらでも、本を集められるぞ」
俺もミディリースもな。
「み……見てきていい、です? あっちこっち……」
ミディリースは自分のための部屋より、やはりまずは図書館の中身が気になるようだ。
「いいが、今日はこれからウィストベルもやってくるし、簡単にざっと、な」
「はい……!」
ミディリースは何度も何度も頷き、それからそわそわした様子でどこから攻めようかかとぐるりと周囲を見渡し、右手の方へと小走りに去っていった。
そして――いつまでも、帰ってこなかった。
***
「……おい……おい、ミディリース!」
「ハッ!」
「見るのは簡単にって言ったろ?」
ミディリースはいつまでも戻ってこなかった。
あんまり帰ってこないので、探しにいったらやっぱり本棚と本棚の間に座り込んで、本を読みふけっていたのだ。
前にしゃがみこんで、名を呼んでも反応がない。
何度目かの呼びかけの後、肩を揺すってやっと、彼女は顔をあげた。
「あ、ご、ごめんなさい……知らない本があったから、つい……」
「ああ。新しく取り寄せた本が何冊もあるはずだ」
俺は立ちあがる。
まあ、予想できたことではあったし、別に怒っても呆れてもいない。
「ごめんなさい……あ、ありがとう、ございます」
パタン、と本を閉じたミディリースの小さな手をひいて、彼女も立たせてやる。
「これからいくらでも堪能できるんだから、とりあえず我慢してくれ」
「はい……」
シュンとした様子で本を棚になおしたので、宥めるように頭をぽんぽんと軽く撫でてからハッとする。
しまった、また子供扱いしてしまった。ミディリースは気にしてないようだが、この背丈がなぁ……。
「あー、ごほん。そろそろウィストベルを迎えに出るぞ」
「う……私も、やっぱり外で待たないと……だめ? ……です?」
「別に図書館で待っててもいいが、ウィストベルにまた外に出ろとか、大公に対して無礼だとか、説教されるんじゃないか? それに、近頃はお母さんにもよく外出に付き合わされているんだろう? ここでも徐々にでいいから、人目に慣れていったらどうだ?」
「う……はい……」
渋々、と言った感じで、ミディリースは俺の後をついてきた。
そうして、ぽつりぽつり、と、愚痴をこぼす。
「母さん……一緒に暮らせるのは本当に嬉しいけど、でも、生活ペース、違うし……あの人、なんか、異様に元気だし……結構、疲れる……」
うん。解放された喜びからか、やる気と元気に溢れてたもんね。
「基礎体力がなさすぎとか言われて、朝から変な体操させられるし、走らされたり、山に登らされたり……剣とかだって、握ったこともないのに……うう……」
小さな手に豆でもできているのか、しきりにさすっている。
「ああ、それで痩せたのか」
振り返って言うと、ミディリースは勢いよく顔をあげた。
「や……痩せ、た……? ほ、ほんとに……?」
「そう見えるが」
途端に元気のなかった表情が、明るく輝く。
「そっか……痩せてるんだ……えへへ……」
照れたように、けれど嬉しそうに、頬をかいている。
「ミディリースでも体重とか気にするんだな。別に太ったりもしてないのに」
「! ふ、太ってる!」
「どこが?」
「えっと……隠れてる、ところ……。でも、それ以上は、閣下でもダメ……です」
おっといけない。相手が子どもに見えるからって、これ以上は確かに失礼だな。
それにしても不思議だ。
なぜ、太ってもいないのに、女性はみんな痩せたがるんだろう。
以前ジブライールも、贅肉なんてひとかけらもなさそうなのに、ダイエット中だとか言ってたもんな。
そうとも、贅肉なんてヒトカケラもなかっ…………………………ごほん。
いや、ほんと! うちの妹ですら! まだ小さいのに、最近お腹のお肉が……とか言ってるしね! 全然まだぷにぷにでもかまわない年頃だというのに!
あ、そうだ。
試しに『あなたもレイブレイズで激やせ!』とかいう会を開いてみたら、参加者が殺到するんじゃないだろうか。
だが、全然俺得じゃない。だって実際、ガリガリよりはちょっとくらい柔らかい方が好みなんだもん。抱き心地だってその方がいいし……。
そんなくだらないことを考えながら、俺はミディリースとウィストベルを迎えるために、前庭を目指して歩いていった。
今日もまた、大公の来訪……それも同盟者のウィストベルをこちらから正式に招待した、というので、アリネーゼの時の倍の人員を割いてのお出迎えだ。
本来ならば、副司令官や高位の有爵者あたりも召集したかったのだが、そうなるとデヴィル族が多数を占める現状では、却ってウィストベルの機嫌を損ねるのではないだろうか。城勤めの者だけでも、十分にそんな状況だというのに。
そう危惧したために、召集はやめておいた。
そうとも。言っておくが、別になんとなく顔を会わせ辛い相手がいるから、とかいう情けない理由ではないのだ。そうだとも。
アリネーゼの時には玄関前で待っていたが、相手がウィストベルということもあり、俺とミディリースは竜の着陸地まで移動している。
司書は本棟まで居並ぶ家臣団の目が気になって居心地悪そうだが、それでも以前のように俺の背に隠れようとはしなかった。
やがて雲一つない空に、竜影が現れ、瞬く間にぐんぐんと近づいてくる。
灰色の竜は、あっという間に我が城の上までたどり着くと、あたりに翼風をまき散らしながら降下してきた。
そのまままっすぐ静かに着陸すると、灰竜は片側の翼を伸ばしてその端を大地に接地させる。そこを坂道と目し、ウィストベルが悠然と降りてきた。
どうやら登竜機はいらなかったようだ。
彼女の足が地面につくその前に、俺は当然のように差し出された手を取り、着地を助ける。
そのまま手を放そうとしたが、逆に握り返されぐいっと引かれ、俺が抱きついたような形になってしまう。
「ウィ……」
「アリネーゼが来そうじゃの」
耳元で囁かれた苛立ちを含む声音に、背筋がぞくり、と震えた。
うわぁ……怒ってる。
ああ、バレないとはさすがに思っていなかったさ。大公の動向など、当人同士が秘している訳でもなければ、注目の的だ。
そうでなくともウィストベルの家臣は、俺に悪意を抱いている者も多そうだから、こういう情報はすぐにも耳に入るだろうと思っていた。
そうとも、これは想定内の反応なのだ。
だからしっかりしろ、俺!
俺だって大公なんだ。そうだとも!
頑張れ、俺! 負けるな、俺!
いくら相手が本当は魔王様よりはるかに強い、真の意味での最強の相手でも。
それに今は……。
「また、ボダスを使いましたね?」
今日のウィストベルの魔力は、本来の十分の一ほどとなっていた。
で、あれば、今日はすごまれても、いつもほど怖くないのだ!!
後のことを考えなければ、可愛くさえある!
魔力の弱いウィストベルなんて、ただの絶世の美女なのだから!
そもそも一体どうやって減力量を操作しているのか……できれば今回は、そこも聞いてみたいなぁ。
ウィストベルは身体を離し、俺の質問は黙殺して、今度は至近距離から射抜くような視線を投げかけてきた。
「言い訳はあるか? 聞いてやろうぞ」
「……ありません」
よし! よく言った、俺! 言い切ったぞ、俺!
「ほう……ない、と、申すか」
魔力的には怖くないが、さすがに美人がすごむと迫力はある。
「言い訳はありませんが、事情はお話しするつもりです」
別に弱気になった訳ではない。断じてない。事情の説明は言い訳じゃないのだから!!
「事情……のぅ」
「ですが、その話は後で、改まってのことにしましょう。ミディリースもいることですし」
俺が振り返ると、ミディリースはビクッと身体を震わせた。それから無言で、大きく勢いよく頭を振り、地面に着くのではないかというほどの深いお辞儀をしてみせる。そうして――
「ようこそ! あかっ……大公ウィストベル閣下っ!」
今までに聞いたことのないほどの大声を出し、俺をびっくりさせた。
「ふん……よかろう、まだ時間は十分ある。せいぜいそれまでに、うまい説明でも考えておくのじゃな」
……とりあえず、ミディリースがいてくれてよかった!
その後、まずは出来たての図書館に案内したのだが、ミディリースの存在に気をよくしたためか、大好きな本に囲まれたからか、ウィストベルの機嫌は持ち直したようだ。
俺はひとまず、ホッと胸をなで下ろした。
「高位魔族にしては、珍しくもずいぶん立派な図書館を造ったものじゃ。棚が埋まれば、我が城のものにも匹敵するであろうな」
へぇ。ウィストベルの所はこれよりもっとすごいのか……なんだろう、改築したばかりなのに負けてるって、ちょっと悔しい。
何度もウィストベルの城には訪れているが、図書館には足を踏み入れていない。参考のためにもぜひ、次の機会には見学させてもらうことにしよう。
「それじゃあそろそろ、出ましょうか」
本当ならずっと図書館で過ごしていたいところだが、今日は外出することになっている。もちろん、ミディリースの……というよりは、ダァルリースの男爵邸へだ。
もっともそれまでにちょっとした小芝居を――
「のう、ミディリース」
「なんでしょう、ウィストベル大公閣下」
おっと、小芝居が始まったかな?
それにしても毎回不思議なのだが、どうしてミディリースはウィストベルの前だとそんなハキハキ喋れるんだ?
「主の母はどう思うであろうな? 己の主――世界でわずか七しか数えぬ大公、その中でも二位に位置するはずの強者が、圧倒的強さで勝利したはずの相手に対し、まだ畏まった口調で接するのを見て」
あれ? 予定してた脚本と違う。
「なんと弱腰であろう、と、幻滅せぬかのう」
「いえ、母は特にそんなことでは――幻滅、すると思います!」
おい、ミディリース!
ウィストベルにじろり、と睨まれると、あろうことかミディリースは瞬時に言を翻したのだ。
「申したであろう。大公位争奪戦をよい機会として、私への言葉遣いを改めよ――と」
「確かに言われましたけど、そんな急に……」
「急ではなかろう。あれから何十日経っておる。気持ちを切り替える、十分な時間があったはずじゃ」
そう言われればそうだが、正直そんな心づもりはしてこなかった。っていうか、忘れてたし。
だが、彼女の主張はわかる。デイセントローズのような、誰にでも慇懃無礼だというならともかく、同位の大公で、しかも序列が下になった中でウィストベルに対してだけ、いつまでも敬語というのも違和感の元だろう。
それに――表だったことだけではなく、今抱えている問題の対応を考えても、その方が俺の心理的にもいいかもしれない。
ここは提案に従うか。
「承知した。だが、最初は慣れないせいで、ついつい前の癖が出たり、言い回しが硬くなったりすることもあるかもしれないが……」
っていうか、もう今すでになんか気持ち悪い。
平気になるまでは、時間がかかりそうだなぁ。
「まあ、仕方あるまい。あまり非道ければ、そのときには罰則も考えてみることにしよう」
うわぁ。それはそれでイヤだな。だってロクな要求じゃない気がするもんね。
……こら、ミディリース! ニヤニヤするんじゃありません。
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