古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十一章 家令不在編】

6 観客のない小芝居は必要ですか?



 現在、俺たちは広大な毒沼の岸辺にいる。
 それも、結構なその腐臭漂う泥水を、頭から浴びた状態で……。
 いいや……泥まみれなのは、俺だけか。

 ウィストベルはちゃっかり、ミディリースをもかばって結界を張っている。
 ついでに俺のことも、守ってくれたらよかったのに……。やっぱりまだ、機嫌が悪いのだろうか。
 いや、そりゃあお前大公なんだから、自分の身は自分で守れよ、と言われたら……うん、返す言葉もない。

 そもそもなぜ、こんなことに……。

 ここに来たのは、打ち合わせ通りだった。
 アリネーゼとの密約のせいで他の場所を検討する時間がなくなり、問答無用でダァルリース推薦の毒沼に場所が決定してしまった。
 そこから導き出した、当日の運びはこうだ。

 ウィストベルがいつも大公城ばかりではつまらぬ、たまには外の――それも、少し変わった風景でも見てみたい、と言い、ミディリースがそれならば、と、自宅近くの名所に案内する、という脚本ができあがっていた。
 実際に俺たちは図書館から出た後、家臣たちの前でしらじらしい小芝居をして、それからこうしてこの毒沼のほとりにやって来たのだった。

 そこまではよかった。
 打ち合わせではここから手漕ぎの船で沼に漕ぎ入り――本当は入りたくないが――、ダァルリースの言っていた毒蛇を一匹俺が捕まえて――捕まえたくもないが――、ミディリースが「これはおいしいんです、うちに寄ってもらえれば母が調理します」
と勧めてき、結果、男爵邸に寄るということになっていたのだ。

 え?

 そもそもそんな小芝居は必要だったのかって?
 ズバリ、別に必要じゃない。ただ、設定を考えていたら、色々思いついたんで、せっかくだから遊んでみようかと……いや、違う、そんなことは本題ではない。
 問題は、毒沼についたらすでに……。

 ダァルリースが大蛇と格闘していたことなのだ!

 竜とその毒含む大蛇は、天敵らしい。近づけると面倒なことになるというんで、少し離れたところで竜から降り、件の沼に近づいていったその時……。

 誰が思う?
 沼の真ん中から、大蛇の生首が牙をむいて飛んでくるだなんて!!
 あと少しで、口の中にすっぽり収まるところだったんだぞ!
 それはすんでのところで避けたからいい。
 だが、沼の中央から、すっぱり首を両断された、それでもまだ生きているかのようにその身をくねらせた胴体が、すさまじい速さで天に向かって立ち昇り――あげく、泥水が盛り上がって、水際を打ち付け大地に毒をまき散らしたのだ。

 いや、その大波だって、ちゃんと避けられた。これでも大公だ!
 けれど思えばその時、すでにウィストベルは結界を張っていたのだった。俺もそうすべきだったのだとは思う。
 なぜって、その切断面に、大鉈と呼ぶに相応しい自身の身長を越す刃を、操縦桿(そうじゅうかん)のように突き立てたダァルリースの姿を見つけてみろ。思わず呆気に取られたって、無理ないと思わないか?
 それで体長五十mはありそうな大蛇の尾が、最後の断末魔のように水面を叩くのを、俺は目にし損なってしまったのだった。で、結局、毒成分の濃い泥水を、頭から被ってしまい……。

「閣下……臭い……」
「……」
 鼻をつまみ、眉を顰めて後退さるミディリースが目の前にいた。
「どんくさいの」
 ウィストベルも冷たい。やっぱりご機嫌ナナメのようだ。いや、いつもそんなものか。
 さらに、泥水も冷たい。べったり重くて不快だし、毒がシュウシュウいいながら俺の肌を焼こうと頑張るから、ちょっとチクチクする。
 ハッ! ちょっと待て!
 この毒、まさか髪は溶かさないだろうな!?

「おや、閣下」
 俺たちに気づいたダァルリースは、大蛇の切断面を蹴って、大鉈を引き抜いた。そうして、まるで風にさらわれた羽のような軽さで一回転し、俺のすぐ近くに着地する。
 一方で刃の抜けた大蛇の胴体は、まるで小さなミミズかのようなあっけなさで大地に投げ捨てられ、その巨躯は地面を揺らし、すでに先にしとめられていたのだろう、同じように首のないお仲間の体躯に行き当たって、やっと停まった。

「お早いお越しですね」
 毒沼の中から現れたはずなのに、ダァルリースは一滴の泥水も被っていない。まあ、ふつうに考えて結界を張っていたのだろうが……。
 こんなの余計、俺一人が目立つではないか。

「……なぜ、君がここに……」
「あっ」
 とりあえず髪の泥を落としながら聞くと、ダァルリースはハッとしたように目を見開いてみせる。それからいかにもわざとらしく――
「今日はどうも――そう、なんだか不意にお客様がいらっしゃる予感がしたので――ごちそうを召し上がっていただこうと、名物の蛇をしとめに――」
「母さん……」
 ミディリースがため息をつくのも頷けるほど、見事な棒台詞っぷりだった。
 そもそもここにいるの、俺たちだけだし、別に小芝居そのものの必要がない気がするんだが。
 まあいいや。途中までノリノリだった俺が言えることでもないだろう。この脚本を考えたのも、実は俺だしな。
 だが、そんなことよりも……ダァルリースも大蛇とは言っていたが、こんな大きいとは聞いていなかった。一体どれだけ食わせるつもりだ。

「ダァルリース。こちらが大公ウィストベルだ」
 ともかく、ウィストベルを紹介する。
 俺自身はこんな姿だけれども――

「これは――」
 ダァルリースは湿った大地に片膝をつくと、それでもウィストベルの瞳を下から見据える。
「大公ウィストベル閣下。このようなところで、御身にお会いできるとは――この上もない僥倖に、将来の不運が怪しまれます」
「主がダァルリースか……想像していた風体とは大いに違ったが――」
 ウィストベルも、もっとか弱い女子を想像していたのだろうか?
「嫌いではない」
「恐れ入ります」
 ダァルリースは畏まって頭を下げた。

 なんだろう、この、俺だけ置いてけぼり感。
 一人違う芝居をしているような気がするではないか……。
 いいや、気のせいだ。畏まった雰囲気に、俺だけがそぐわないだなんて、そんなことあるはずがない。
 ほら、ダァルリースだって立ち上がって、今度は俺に仰々しく――

「……とりあえず、我が家にいらして、汚れを落とされませんか?」
 憐れまれているように見えるなんて、絶対俺が穿った見方をしてしまっているだけに決まってる!
「うん……ぜひ、お願いするよ……」
 最初の予定とはちょっと違ったが、とにかく俺たちはダァルリースの男爵邸にお邪魔することになったのだ。

 ***

 その男爵邸は、毒沼からまあまあ離れた丘の上に建っていた。
 最上階の露台に出て眼下を望むと、狭い荒野を挟んで街壁を巡らせた、人間の小さな町が見渡せる。どうでもいいことだが、先々代の男爵は、ここからあの町を一度ならず焼き払ったそうだ。
 それでもまた、懲りずに同じ所に町を造るのだから、人間という生き物は強いんだか弱いんだか、よくわからない。

 え?
 なんでそんな所に、お前はぽつんと一人で立っているんだって?
 そりゃあ、俺も町を焼き払うため――ではない、もちろん。
 うん、だって……。

 俺は背後を振り返る。
 露台から続く広い部屋では、三人の女性がお茶を愉しみながら、和気藹々と会話に興じていた。

「そうか、夫の居場所が掴めぬか……我が領地であれば、協力もしてやれように」
「そのお気持ちだけで、感謝の念にたえません」
 どうやら、ダァルリースが以前彼女の父のものであったという伯爵邸の、そこで働いていたという夫に向けて出した手紙は、宛先人不明で戻ってきたようだ。
 ミディリースがなんとも言えない複雑な表情を浮かべている。

 俺が泥水を落とすため、風呂を借りている間に――余談だが、俺の髪が無事だったことは断言しておきたい――、ウィストベルとダァルリースは親交を深めたようだった。
 その事自体はもちろん、憂えるべきことではなく、喜ぶべきことに違いない。
 だが、状況については考えてもみてほしい。
 女子会に、たった一人の男――最初から混ざっていたならまだしも、途中参加とあっては、俺がその雰囲気になじめないとしても、それはそれで仕方ないのではないだろうか。

 一応、努力はしてみたんだ。
 ああ、そうさ。それが、ただ、うまくいかなかっただけのこと――
 女性三人の盛り上がりに、男が途中から口を挟める訳などないのだから。
 ちょっと風に当たると露台に出たからといって、何が悪い。
 女性三人の――あ……。

「だいたい、あなたは体力がなさすぎるんです。ほとんど自由のなかった私より、まだ弱いとは……」
 おっと……主題が父親から、目の前にいる娘のことに移ったようだ。ミディリースが涙目でこっちを見てくるではないか。
「これからは引きこもる必要もない、それどころか、最低限、自分の身は自分で守れるよう、逆に努力すべきなのです。ビシバシいきますからね!」
「も、もう、すでに……」
「それがよい。そのうち、内気な性格も矯正できるやもしれぬ」
「そんなぁ……」

 ……悪いな、ミディリース。
 俺にはウィストベルに対して覚悟が必要な話し合いが、今日明日のうちにも控えているのだ。その前に疲れてしまいたくないではないか。ここは思う存分、女性三人で仲良く話をしていてくれ。
 司書の境遇には大いに同情を覚えながらも、その助けを求めるような視線には気づかないフリをし、俺はまた眼下の風景に視線を戻した。
 ああ、隣家の寝室は魅惑的、という俗語があるが、人間の街のなんと平穏に見えることだろうか。

「主はいったいいつまで、そうして一人で涼んでいるつもりじゃ?」
 他ならぬウィストベルの背後からのかけ声に、涼むどころか肝が冷える。
「で、そろそろ考えついたか? うまい言い訳を――」
 女性らしい細く柔らかい手が、俺の首筋に触れる。そこを軸にしたように、彼女は手を置いたまま正面に回り込んできた。
「言い訳だなんて――」
 もちろん、問われているのはアリネーゼ来城の件に決まっている。

 さて、事の発端はミディリースとダァルリースに求めることができるわけだし、彼女たちの存在が緩衝材となってくれることを期待して、誓約の話をすべきか……それともやはり自身の城に帰ってから、差し向かいできちんと話をすべきか……。
 やっぱり、後者かな――

「では、正直に話してみるがよい。私がデヴィル族を嫌悪するごとく、デーモン族を嫌っているあの女が、なぜよりによって主の城を唐突に訪ねてきたのか――」
 首筋を撫でられて、背を震えが走った。

 ウィストベルのその口元には、微笑が浮かんでいる。だが、俺と同じ赤金の瞳には、容赦のない責めの色が見え隠れしていた。


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