古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十一章 家令不在編】

8 雀がチュンと鳴いていないので、まだ夜のはずです



「……様……様……んな様……旦那様! ジャーイル大公閣下!!」
「うわっ!?」
 肩を揺すられ、耳元で名を大声で呼ばわれて、それでも気にせず寝ていられる者などいまい。繊細な俺ならなおさらだ。
「奪爵かっ!?」
 思わずそう叫んでしまったとて、誰に責められよう。

「いえ――あ、はい、奪爵です」
「えっ! 奪爵!? こんな夜中に!?」

 自分でそうと言っておきながら、不覚にも驚いてしまった。
 正確な時間はわからなかったが、真っ暗なのでとっさに夜中と判断した。だが、おそらく外れてはいまい。
 なぜって、セルクの格好を見るがいい――成人男性なのに、胸元と三角帽の先にポンポンのついたネグリジェとナイトキャップ姿なのだから!

 つまり彼も寝ていた所を起こされた、ということだろう。それも、ぐっすりと――まるで子どものような寝間着を俺に目撃されるという不名誉さえ厭わぬほど、慌てて飛び起き、俺の元へ走ってきたのだろうから。

 セルクは筆頭侍従の仕事に就いて、暫くした頃から通いになっていたのだが、エンディオンが不在の少し前から、また大公城で寝泊まりしているようだった。
 それにしても神妙な表情をしているだけに、ギャップがすごい。
 だがとりあえず、それにはつっこまないでおいてあげよう。

「非常識な奴だな。いったい、挑戦者は誰だ?」
 俺は寝台から飛び降りた。断っておくが、俺は帽子もかぶってないし、ネグリジェも着ていない。
「いえ、旦那様、挑戦者ではございません」
 寝起きのせいか、セルクの声はかすれている。
「でも今、奪爵って……」
「いえ、つまり――アリネーゼ大公……閣下が、いらしたのです」

 そっちだった!
 え、っていうか、そっち!?
 このタイミングでもうそっち!?
 俺、まだウィストベルに何も話してないんだけど……。

「奪爵され――傷つかれたご家族と、ご自身はさらに非道い手傷を負っておいでです」
 しくじった、という思いは、その言葉を聞いた途端に霧散する。
「アリネーゼが負傷している?」
「はい。かなりの重傷です」
 命までは取られまい、という予想を彼女は語っていたはずだが、さすがに事は奪爵。そう甘くはなかったということか。

「医療棟には?」
「お運びしております」
「助かりそうか?」
「……おそらく」
「なら、俺もすぐに着替えて、そちらに行く」
「かしこまりました」
「セルクも着替えてくるといい――今日はもう、寝ている暇などないだろう――」
「はい……申し訳ありません」

 苦痛の面もちで言い、筆頭侍従は俺の寝室から退室した。
 きっとネグリジェ姿を見られたのが、相当ショックだったに違いない。そのことには今後、触れないでおいてあげよう。

 ともかく、俺は素早く軽装に着替えて、医療棟へと向かった。
 もうすっかり馴染んだ玄関扉を開けると、途端にムッとした熱気と血の臭いが鼻をつく。
「旦那様」

 肩胛骨のあたりまで伸ばした新緑色の髪を、黒いリボンで一つにまとめた顎の割れたデーモン族男性が、背広のしわを手で伸ばしながら奥から歩み寄ってくる。この数日ですっかり顔なじみになった、家令代行のキミーワヌスだ。
「で、アリネーゼは?」
「こちらでございます」
 彼は緊張でこわばった表情で、今出てきたばかりの奥へと俺を誘う。

「アリネーゼ閣下は、まだ治療中でらっしゃいますゆえ、待合室でお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
 俺だって、治療の邪魔をしたい訳じゃない。
「ではこちらでどうぞ」
 キミーワヌスは診療室の手前にある、待合の扉を開く。そこには予想と違って、ほかに誰の姿もなかった。

「アリネーゼの家族はどうした? そちらも治療中か?」
 確か家族も怪我をしていると言っていたもんな。
「いえ。アリネーゼ閣下に比べれば、ご家族は軽傷ばかりであったので、治療はすぐに終わったようです。現在は別室で待機いただいております」
「なら、ここに呼んできてくれ。彼らから直接話を聞きたい」
「あ……はい!」

 家令代行は慌てたように踵を返し、すぐに大小八名のデヴィル族をつれてきた。皆、怪我をした場所なのか服がどこか切れており、よれよれでぼろぼろ、その上乾いた血の跡がついている。
 八名のうち、背の高い二名が、アリネーゼの夫なのだろう。茶色いふさふさのたれ耳をした犬顔の彼と、チーターの顔にコアラの耳を生やした彼だ。
 あとの六名のうち、二名だけが明らかに他の者たちより年齢が上のように見える。とはいえあどけなさが残ることから、まだ未成年であろうとは判断できた。
 二人は対照的だった。片方は思い詰めたような厳しい表情を浮かべており、一人は今にも泣きそうな気弱な表情を浮かべていた。
 残りの四名は二人よりずっと幼そうだった。マストレーナたちを基準に考えると、マーミルより年下ばかりではなかろうかと予想できた。そのうち三人は特別仲がよいのか、ぎゅっと手をつなぎ合っている。
 男女はわからないが、六名とも見事な犀顔だ。

 マストヴォーゼのところは全員娘で、父親似だったが……ということは、母親似の子供たちは、もしや息子ばかりということなのだろうか?
 デヴィル族は、自分と逆の性別の親に顔が似る、とか?
 いや、それではヴォーグリムとリーヴ父子に当てはまらない。まさかあいつ、ああ見えて女性だってことはないだろうし……ないよな?
 まあ、たまたまにせよ、法則性があるにせよ、今気にすることではないが。っていうか、実際どうでもいいし。

 アリネーゼの家族たちは、不安と恐怖に支配された様子で、俺の前に並んだ。
 子供たちの幾人かは、他所の大公が怖いのか、震えてさえいるではないか。
「ジャーイル大公閣下……このたびは、まことに……」
 普段であればりりしい顔付きなのだろう犬の彼が、気弱な声音ながらもそう音頭をとって跪く。倣うように残りの七名も地に膝をついた。

「こんな大事に大仰な挨拶は結構だ。アリネーゼが瀕死と聞いたが、誰か経緯を説明できるか?」
「僭越ながら、私がご説明させていただきます」
 そう力強く宣言し、顔を上げたのは、さっきの犬の彼ではない。チーターの顔にコアラの耳を生やした、もう一人の成人男性だった。

 チーターの彼がいうことには、奪爵者は今日の夕刻に、〈水面に爆ぜる肉塊城〉へとやってきたそうだ、
 そうして大公アリネーゼと戦い――誰が見ても圧倒的な強さで、彼女を無惨に下したらしい。アリネーゼは一度失った足を、接いだ箇所よりさらに内側で再び切断され、全身を切り刻まれて、一時は〈水面に爆ぜる肉塊城〉でも重体に陥ったとのことだ。
 それでもその挑戦者はアリネーゼの予想通り、彼女に止めを刺そうとはしなかった。逆に手傷は医療班にきっちり治させらしい。
 その上で、一旦自分の現在の住居に退く前にと、アリネーゼとその家族と共に、最後の晩餐を楽しもうと申し出てきたというのだ。
 最後の晩餐――そう、挑戦者は彼らに、その食卓でこう言い渡した。

 自分がこの城に移って後、残っているべきなのはアリネーゼ、ただ一人――と。

 そう宣言するや、デザートの席で夫の一人を惨殺したらしい。その彼は、夫の中では唯一爵位にふさわしい魔力の持ち主であったとか。
 その説明を聞いてようやく、そういえばアリネーゼの夫は三人だったか、と思い出された。
 残った二人は、自分たちは弱者なのだと告白した。
 俺の目で見ても、無爵の域を出ない彼らの主張は正しい。

 そのあたりで小さな子供たちのすすり泣きが大きくなり、語る本人も辛そうだったので、とにかく今は大筋だけでよいと伝え、続けさせたところによるとこうだ。

 奪爵者は残った夫二人と五名の子にもそれぞれ、すぐには死に至らないまでも傷を負わせたらしい。
 さらにアリネーゼの身は、彼女に残されたたった一本の脚の根本に足枷を巻き付け、拘束したのだという。
 この足枷は魔道具で、効果は装着者の魔力を封じ、それへの攻撃を跳ね返すのだとか。

 その上で城勤めの家臣たち、特に医療班にはこの八名には手を出すなと厳命し、あとは魔王城よりの知らせを待つと言い残して、城を退去したそうだ。
 絶対の自信を持って言い放った通り、枷はどのような魔術を向けても砕くことはできなかった。それだけではない。その枷の内側には、動かすことも苦痛に感じる鋭いとげが、びっしりと生えてアリネーゼの肌を刺していたそうだ。
 その結果、家族と共に逃げおおせる最後の手段として、アリネーゼがとった方法が――たった一本残った脚を、根本から落とすことだったという。それも魔術も使えない状況から、どうやって……かは、語らずとも明白だろう。

「幸いにも――」
 チーターの彼は、弱々しい声でそう続けた。
「枷は切断面に向かって、脚を傷つけながらも通すことで、破棄することはできました」
 切断の末に自由になったその脚を拾い、残った家族全員で、闇夜に紛れて無理矢理竜をとばしてきたのだという。

 奪爵者がアリネーゼ一家に手を出すなと家臣たちに厳命したことが、逆に彼女らを忌避する態度を招き、隙をついてうまく逃げおおせることができたのだとか。
 必死の思いで彼女らは俺の城にたどり着き、アリネーゼは落ちた脚を元の場所につなぐべく、我が医療班の治療を受けているところ、というのが現状のようだった。

 今回の相手の処遇は、我ら魔族の基準に照らせば、特別残酷だという訳ではない。
 奪爵というのはまあ平均してこんなものではあるが、だからといって家族が傷つかない道理はない。
 まして、挑戦を受けた当人だけではなく――もっとも、この場合は逆にアリネーゼ本人は存命だが――、それ以外の家族を亡くしたとあっては余計だ。

「そうか――それにしても、よくここまで竜を操作したものだ」
 アリネーゼが瀕死どころか弱った状態で、しかも残った家族が無力で、暗闇を飛ぶのを厭う竜がよく従ったものだと感心する。
 なにせ、竜は弱い魔族には従わないらしいのだから。
「我が妻が、力を振り絞って必死に竜を従えたのです――手綱は私が――」
 そう答える声は、涙声に変わっていた。

「ジャーイル大公閣下にはこのような夜半に、ひとかたならぬご迷惑をおかけすることになり、なんとお詫び申し上げるべきか――ですが、どうか御慈悲を。我らは他に、縋るお方を持たぬのです」
 そういって、ついに彼は耐えかねたようにその場に再び膝をついた。
「安心しろ、とまでは言えんが、同盟者としての義務は果たす。しかし今はとにかく、君たちも疲れたろう。休息が必要なら、他に部屋を用意するが――」
「お心遣い、ありがとうございます。ですが、お許しいただけるのであれば、我々はアリネーゼの近くで――彼女の無事を祈って、こちらで待たせていただきたいと――存じます」
「ああ、君たちがそう願うのなら――」

 ここは家族だけにしておいてやった方がよいだろう。ただでさえアリネーゼが心配でたまらないだろうに、俺にまで遠慮しないといけないとなると、一時も気を抜けないに違いない。

「それでは、最後に一つ、教えてくれ。その、奪爵者の名は?」
「彼女の名は――」
 それだけを聞いて、俺は執務室へと場所を移動したのだった。


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