古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十一章 家令不在編】

9 問題は、むしろこれからなのです



 あー、頭が痛い……。
 いや、別に、夜通し起きて朝を迎えたからと言って、頭痛がするとかそういう訳ではない。さすがに繊細な俺でも、そこまでヤワではないのだ。

 朝方のことだ。アリネーゼの治療が無事終わったという報告を、医療班から受けた。それについては、安堵していたところだ。
 もっとも、体力の回復には少し時間がかかるそうなので、すぐに本人に話を聞きにいくわけにもいかない状況だ。一休みして落ち着いた後にでも訪ねると、医療員を通して言付けてある。
 だいたいその件に関しては、彼女の夫にも言ったとおり、同盟者としての義務を果たすだけのこと。今更急ぎで確認すべきこともない。

 そう。だが、同盟者――今、俺の領内にいる同盟者は周知の通り、アリネーゼ一人ではないのだ――
 せめて、一日二日、ことが起こるのが遅ければ――せめて、一日二日、ウィストベルを早くに招待できていれば――!!

「旦那様、今し方先触れがございました。ウィストベル大公が、男爵邸をそろそろ出立なさると――」
 今、俺の執務机の前には、筆頭侍従と家令代行が揃って立っている。
 どちらも不安げで、どちらもやや青ざめた表情で――

「なんだって二人とも、そんな顔をしてるんだ。心配はいらない――これでも俺は大公第二位で、ウィストベルは四位だぞ?」
 そうとも。二人にとっては唯一それだけが、真実のはず。であれば不安や恐怖など感じること自体、おかしな話ではないか。
 セルクの不安が昨晩のネグリジェに起因するものでなくば、だが。
「いくらウィストベルとアリネーゼの仲が悪いからって、何一つ――ウィストベルの勘気を心配する必要なんて、どこにもない」
「はい――まことにその通りでございますので、ウィストベル大公閣下については、ご心配申し上げておりません」
 セルクが言い、同調するようにキミーワヌスが深く頷く。
 なら、なんでそんな不安そうに……?
「ですが、旦那様には何か他に御懸念があるのではございませんか? お顔の色も蒼白ですし、時々この世の終わりのような表情をなさっておいでと見受けられますが……」
 えっ!

「まさか懸念だなんてあるはずが……!」

 まさかの俺の不安が、二人に伝染してた的な!?
 ああ、こういう時はデーモン族同士というのが悔やまれる。お互い表情を読みやすいせいで、虚勢を張ってるつもりでもバレバレだなんて!
 せめてどちらか一方はデヴィル族であったなら、もう少し表情をごまかせただろうか?
 いいや、バカなことを考えるのはよそう、俺。
 本当のところ、ここにいたのがエンディオンなら、きっともっと正確に俺の不安は言い当てられていたはずだし、そもそも俺だって素直に「だってウィストベルが怖いんだもん!」と訴えたことだろう。

 ああそうとも……正直にいうと、俺は今、ちょっとドキドキしてる。ウィストベルを待ちながら、ドキドキハラハラしている!
 いつもはしない貧乏揺すりまで、止めることができない有様だ。

 アリネーゼとの同盟やその他諸々の事情について、俺はウィストベルの反応を見ながら、それでも大公としては断固たる態度で自分の考えを語るつもりだったのだ。なのにもう騒動が目の前で起こっちゃった状態でとなると、こちらの心構えも変わるというものではないか。
 なぜって、事件の前に話しておくのと後になったのでは、ウィストベルの心証にだって影響があるに決まっているからだ!
 とはいえこれは俺とウィストベルの間の問題。配下にまで悪い影響がでるとなると、看過はできない。
 今はとにかく、二人に頼るところも多いのだから。

「いや――私的なことで申し訳ない。実は、俺の父が奪爵されたとき、母も一緒に逝ったんだ。今回のアリネーゼの件は、どうもそのことを思い出させるものがあってな……少し、感傷的になっているようだ。いつもと違うように見えるなら、そのせいかもしれない」
「さようでしたか」
 俺の言い訳じみた説明を、二人は納得したように頷いて受け入れてくれた。少なくとも、そう見える。

「とにかくキミーワヌス。アリネーゼの容態が落ち着いたら、かねての打ち合わせ通り、用意した別館に滞在してもらってくれ」
「かしこまりました」
 キミーワヌスが神妙な面もちで頷く。
「セルクは……」
「はい」
「マーミルが居住棟からあまり離れないよう、気を配っていてくれないか?」

 妹には今日のウィストベルだけではなく、暫くはアリネーゼたちとも接触させたくない。マストヴォーゼの奪爵の時だって、妹は暫く元気がなかったというのに。
 それに、さっき俺が語った父の奪爵の件は、真実に基づいている。
 今回のことで両親のことが連想されるのは事実だ。俺の心境には影響がないが、妹はそうはいかないだろう。

「かしこまりました。ですが、ウィストベル閣下のお出迎えはいかがいたしましょう?」
「今日は領内から戻ってくるだけだから、かまわない。俺一人で出迎えるし、ちょっと大事な話もあるから……逆にその時間は、暫く誰も前庭に踏み入れないでいるよう、頼むよ」
「はい。では、そのように」
 二人がそれぞれの役目を果たしに執務室を出た後、俺は暫く一人で思い悩み――それから自分を鼓舞して立ち上がったのだった。

 そうして一人、前庭でウィストベルを待って、どれくらい経っただろう。あんまり考え込んでいたので、空に竜影が見えた時には、自分のいる場所がどこだか思い出すのにしばし時間を要したほどだった。
 影が大きくなる時間が、ミディリースと共に待っていた時より、何倍も速く感じられるではないか。

 昨夜、アリネーゼがこの城にやってきてから、早朝、ダァルリースの男爵邸に使いを出した。ウィストベルとは二人きりで話をしたかったので、万が一にもミディリースを連れ帰ってこさせないように、とダァルリースに言付けをしたのだ。
 俺の望みはきちんと伝えられ、受け入れられたようで、竜の背に見える影はただ一つ。
 遠目からでもその美貌によって輝いて見える、魔族の女王の姿だけだった。

「なにか、我の気に食わぬ話がありそうじゃの」
 ウィストベルは先の時と同じように、竜の翼をゆったりと降りてくると、細い腕を差し出す。俺はもちろん、その手を心を込めて握りしめた。
「現状から言うと――」
 これまでの経緯は長すぎて、順に話すには不都合だ。

「アリネーゼが、我が城に滞在中だ」
 表情は微動だにしなかったが、握った手がぴくりと反応した。
 何か一言あるかと待ったが、ウィストベルは無表情にも口をつぐんだままだった。
「彼女は昨夕、奪爵された」
 ようやくウィストベルは柳眉を顰めてみせた。

「それが現状だというならば――奪爵された者が、なぜ生きて主の城にいるのじゃ。道理が通らぬではないか」
 やはり奪爵の事実より、ここにいることが気にかかるらしい。
「生きている理由は奪爵の経緯に関わるが、俺が説明できることとしては、なぜ、彼女がこの城にいるのか、という理由だけだ」
「ああ、そうであろうとも――」
 薄く笑ったその真情が怖い。だが思ったより、俺は彼女に恐怖を感じてはいない。
 やはり相手の魔力を弱く感じるだけで、これほど心理に影響するものか――

「では聞こう」
 ウィストベルは一歩踏み入れ、俺の腕に収まるように密着して真下から睨めつけてきた。そうして腹にずっしり落ちる、低い声音でゆっくりと、こう、問うてくる。
「なぜ、アリネーゼはこの城にいるのじゃ?」
 俺はできる限り落ち着いた様子を装い、口を開いた。

「先日の来城の折、俺とアリネーゼは同盟を結んだ」
 そう言った瞬間、予想を超える怒りがウィストベルの全身を覆ったのを、俺はこの目で見た思いがした。
 いいや、実際に怒気をこの身で受け止めたのだ。

 ウィストベルが瞬間発した烈風は、あと一歩、防御魔術の展開が遅ければ、俺のうなじを切り裂いていただろう。
 それはプートとの見事な対戦の時より、凄みの利いた魔術だった。
 弾かれた風は轟音とともに周囲に散り、見事に整えられた植え込みの花を無惨に散らす。肩口で切りそろえられたウィストベルの白髪が、風になびいて秀でた額と華奢な肩を露わにした。
 誰も前庭に近づかぬよう、と言っておいてよかった……。
 誰かいたら、たぶん医療班の助けも間に合わなかっただろうから。

「その経緯については、中で説明を――」
「無理じゃ」
 ウィストベルは俺の手を乱暴にふりほどき、厭うように数歩、後退さる。
「ジャーイルよ……私があの鏡を使っていたことを、今は感謝するがよい。衝動で主を殺さずすんだ幸運をな――」
 ああ、確かにその通りだ。さっきの攻撃を防げたのだった、ウィストベルの魔力が弱かったせいに違いないのだから。
「どのような理由があるにせよ……発端が、たとえミディリースに関することでも、じゃ」

 ダァルリースを助けた件は、大ざっぱには手紙で伝えてある。だが彼の男爵邸で、公表されている以上のことを、本人たちから聞いてきたのかもしれない。
 もしかすると何かを察した母娘が、気を利かせて少しは俺の為になるような話をしてくれていた、という可能性もないわけではないだろう。
 それともほぼ全てを把握する魔王様から――いいや、報告したときのあの感じじゃ、その線はないか。

「今、それを聞くは能わぬ――たとえ主に叛意はないとしてもな――」
「それほど――ですか」
「それほど、じゃ。だが、ここで主とそのことについて争うような愚は犯さぬ」
 ええ、あ、はい……さっき首を切られかけましたけど、それは突っ込んじゃダメですね、もちろん。
「事情を得心させたいのであらば、いずれ私が冷静になってからにするがよい。それまでは、主を我が同盟者としては扱わぬ」
「わかった。そのつもりでいよう――」

 すかさず、くるり、と、ウィストベルは踵を返す。その背へ――
「アリネーゼに会ってはいかれないか?」
 最後にそう尋ねてはみたものの、返答はわかっていた。
「地に落ちた弱者のことなど、どうでもよいわ。不様じゃと、笑ってやる気も起きぬ」
 そういって、ウィストベルは今降りたばかりの竜の背に戻り、主の怒気に怯える竜を駆って、ウィストベルは自らの領地に帰っていった。

 とりあえず俺は、ウィストベルが俺の手の甲に残した爪痕を眺めつつ――
 平然とした表情を繕いながら――
 邪鏡ボダスを造ったというポダリスとやらに――そう。生まれて初めて特定の人間に、心の中でそっと感謝を捧げたのだった。


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