古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十一章 家令不在編】

24 ジブライールさんの初日



 俺はせめて、ジブライールは午後くらいからやってくるものだとばかり思っていた。
 なぜって、午前中はだいたい謁見中だし、副司令官や軍団長による会議の報告も受けるなら、それが終わった後になるだろうと思ったからだ。
 だがジブライールは謁見の始まる前にはすでに、我が城にやってきていたらしい。
 それどころか薄明かりの射す早朝から、謁見室で待機していたというのだ。
 ちょっとその思い入れの強さはどうなの?

「本日より、よろしくお願いいたします!」
 ジブライールは彼女の華奢な上半身が隠れそうなほどのスケッチブックを小脇に挟みながら、大きく振りかぶって頭を下げた。

 なにこの、今から魔術の稽古でも受けるような、気合いの入った挨拶。
 格好はいつもと同じ、かっちり軍服である。パンツの時もあるが、今日はタイトな膝上スカートだった。黒のタイツが艶めかし……
 ごほん。当然、制服の上にフリフリエプロンなどもつけてはいない。
 まあ、鉛筆でスケッチするだけみたいだし、汚れる心配はないか。いくらジブライールでも……。
 そうとも。料理が飛び抜けて不得意なだけなのかもしれない。会議で書類をぶちまけてるところとか、見たことがないもんね!
 ありとあらゆる面で、ドジな訳じゃないよね、きっと!

「よろしく……。ただ、今から謁見なんで、昨日の会議の報告とかは、できれば後にしてもらいたいんだが」
「もとよりそのつもりでございます。午前中は謁見に励まれる閣下のりりしいお姿をなが…………」
 ん?
「こほん。スケッチさせていただきたいと思っております。お邪魔にならないよう、いたしますので! 座っておられる時間が長いということで、私のような素人でも描きやすいかと思ったものですから!」
 なんだか言い訳じみて聞こえるのは、気のせいだろうか。
 それとも俺自身に邪な気持ちがあるからなのだろうか。

 とにかくその日の謁見は、スケッチブックを持って佇むジブライールを含めて始まったのだった。

「……あの、閣下……」
 いつも陽気なラーゲンが、とまどいまみれの表情で、しきりに俺の右手向こうへと視線をやっている。
 その部屋の隅にいるのは、もちろんジブライールだ。長い髪を頭上高くで一つに結び、用意された椅子に姿勢正しく腰掛け、鉛筆を剣でもあるかのように力強く握りしめ、俺の方を凝視しているジブライール――
 軽快な紙を撫でる音の代わりに聞こえてくるのは、ざっざっという、力強い描写の音だった。
 ラーゲンは気迫のこもったその姿に、どうやら怯えているようだ。

 彼は謁見を始めて間もない頃から、だいたい六日に一度ほどやってくる常連だ。
 髭を生やした小太りの無爵のデーモン族男性で、日常のささいな問題なんかを話しにくる。
 前回の相談はなんだっけ……ああ、直属の男爵が奪爵で変わった話だった。
 訴えは、その男爵邸で夜毎開かれるらんちき騒ぎのせいで、周囲五キロ圏内の領民の安眠が妨げられている、せめて魔獣の声を轟かせるのはやめさせて欲しい、だったかな。
 そんな相談以外は、育てている作物――数種の芋を育てている――の出来や、周囲の暮らしぶりといった、割と穏やかな報告やささいな相談が多い。

「ジブライールのことは気にするな」
「ああ、あの方がジブライール副司令官閣下……」
 誰だと思ったんだろう。
 まあ、領民はすべて大演習会に参加するとはいえ、間近で見知るのは近隣に配置された顔ぶれくらいだから、場所によっては副司令官を遠目すぎてはっきり視認できなくとも不思議はない。他で接点のほぼない無爵ならよけいだ。
 実際俺も、男爵時代はウォクナンとかヤティーンとか、はっきり知らなかったし。
 ちなみに俺が男爵だった時は、大きくはフェオレスの所属だった。それでも小隊長くらいだと、副司令官と直接話す機会もなかったから、近くに寄ったことさえない。向こうだって俺のことは知らなかったはずだ。

「お……お綺麗な方ですね」
 怯えていても、そこら辺はちゃんと認識できるらしい。
 俺がウィストベルを見たときのような感じなのかな?
 だがせっかくの賛美も、ジブライールの耳に入った様子はない。
 俺の右頬が、ひたすら視線を感じて熱い状況に変わりはないのだ。

「で、その後どうなった? 男爵邸の騒音は解決したか?」
「はい。閣下にご相談申し上げて以降、魔獣の声が夜中に轟くことはなくなりました。らんちき騒ぎは相変わらずのようですが……」
「まあ、そこは勘弁してやってくれ」
 魔族にもいろいろいるからね! 参加者みんなが合意の上のらんちき騒ぎなら、大目に見てやってほしいのだ!
「もちろんでございます。魔獣の咆哮に比べれば、魔族の叫声など雨音のようなものですし」
 確かにそうだろう。

「あの、男爵閣下はどうしてあのように、夜中に魔獣を騒がせていらっしゃったのでしょうか?」
「ああ。魔獣を薬で興奮させて、掛け合わせていたらしい」
「……掛け合わせて? 交尾させていたっていうんですか? 夜中に……? いや、夜中ですからおかしくないのかもしれませんが」
「うん、まあ……さらに言うなら」
 固い衝撃音が右から響いた。
 見てみると、ジブライールが真っ赤な顔をしてスケッチブックに視線を落とし、手に握りしめた鉛筆をバキバキに砕いているではないか。

「……それ以上の詳しい理由の説明は、ここでは省くことにする」
「あ、はい」
 今の内容だけでその反応なら、まさかその猛った魔獣たちの様子を見て、自分たちも興奮してナニする変態たちが夜毎全裸で集まって騒いでいるらしい、だなんて話を続けるわけにもいかないじゃないか。鉛筆がもったいないし!
 ちなみに俺はその男爵をこの謁見の間に呼び寄せて話を聞いたのだが、その趣味趣向、性癖を涎を垂らしながら熱く語るその情熱に、困惑しか抱けなかった。
 社交辞令かその夜の会へ誘われもしたが、当然のようにきっぱり断っておいた。
 ちなみにその男爵も含め、参加者は全員、デーモン族であるらしい。だからって誘われてもなぁ。

 その後はいつものような穏やかな話題になり、ジブライールもまた新しい鉛筆を握りしめ、落ち着いた様子でスケッチブックに向き直っていた。
 この日の午後は彼を含めて五件の相談や報告のみだったため、俺は少し早い昼食を、ジブライールと二人でとることにしたのだった。

 ***

「申し訳ありません、私の分までお食事をご用意いただいて」
「いや、それはいいんだが……」
 いいっていうか、横でガン見されながら一人落ち着いて食事なんて、できるはずもないからね。
「それで、〈修練所〉の運営会議の内容だが――」
 基本的には俺は食事の時間に仕事の話をするのは好きではない。
 話に集中しすぎて、せっかくの料理の味がわからなくなるのが嫌だからだ。
 だが今回ばかりはジブライールの、「他はなるべく絵ための時間に充てたい」という想いを汲んで、昨日の会議の報告を昼食中に受けることにしたのだった。
 ……間違っても、二人きりの食事の席で会話に困るから、とかではない……ないとも。

「はい。初回の運営についてはまずは、副司令官全員で運営にあたることにいたしました。とはいえ毎日全員が意見を主導しては話もまとまらないでしょうし、主たる担当を三日ごととすることに決定しました。順番ですが」
「あっ」
 しまった。そういえば、伝えてなかった。
「どうなさいました?」
「悪い……言ってなかったな。とりあえず〈修練所〉自体が初めての試みだし、そもそもの発案者として、せめて初回の運営には俺もがっつり参加したいんだ。みんなの三日ずつをもらって……最初の十二日間を、まず俺がやってみてもいいかな?」
 とりあえず、最初の手応えを自身で把握しておきたい。その後も続けるか、副司令官その他に任せるかはそのとき判断するつもりだ。

「かしこまりました。そのように調整いたします。では閣下が最初の十二日間。その後は三日交代で、ウォクナン、私ジブライール、ヤティーン、フェオレスという順に運営いたしたいと存じますが」
「ああ……公爵になった順だな。それで問題ない」
「では次に、内容の部分ですが、禁止事項を考慮した上で――」
 報告はデザートの手前まで続いた。
『公務に私情は挟まない』と宣言した通り、ジブライールの態度は淡々としており、俺への告白など夢だったかと思えたほどだった。


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