古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十一章 家令不在編】

28 話が魔剣だけで終わっていればよかったのですが



 その剣は、こちらの実力を試すかのように――あるいは自分に対する認識の在り方を要求するかのように、引き抜かれまいとする抵抗の意志をみせた。
 だがそれも一瞬で取り下げて、まるでただの力ない剣のように大人しくなすがままに従う。
 そうして呆気なく、反った剣は大地からその全容を現した。

「いい剣だ――」
 やはり、その鋭角に尖った先まで美しい――
「なあ、ケルヴィ……あれ?」
 すぐ後ろにいるはずの愛剣家の同志を振り返ると、彼はそこから姿を消していた。
 いつの間にだか、ジブライールたちと同じところまで下がっていたのだ。しかも警戒心の表れか、腰のロギダームに手を置いて。

「あっ、はい、閣下!」
 彼は俺が声をかけたのに気が付くと、剣の柄から手を離して、慌てたように駆け寄ってきた。
 それでも、一定の距離で壁を感じたように立ち止まる。
 今はその表情から興奮は消え、恐怖と緊張がほとんどを占めているようだった。

「この魔剣がなにか、君の知識の中で心当たりはあるか?」
 近づいてこない少年によく見えるよう、その魔剣を高く掲げる。
 魔武具全般というならともかく、こと魔剣に範囲を絞っていえば、俺よりケルヴィスの方が知識もありそうだと判断し、聞いてみた。
 ちなみに、俺には見当もつかない。
 正直なところをいうと、この剣は〈魔剣〉と呼ぶにはどうも通常の魔力のようなものは感じないのだが、それでもこんな力のある剣を表す言葉が他にないのだから、とりあえずそう言い表すことにする。

「……もしかすると、これは……」
 案の定、魔剣オタクの少年には心当たりがあったようだ。
「……いえ、一度調べてみてからのご報告では駄目ですか?」
「ああ、それでいい。なんなら――」
「あ、いえ。剣は――」
 調べるというから実物を渡そうとしたら、さらに後退された上に激しく首を左右に振られ、強固に拒否された。
 彼の好奇心をもってしても、それを上回る恐怖心を与えるというのだろうか、この剣が……。

「クリストナ」
「……はい!」
 呆然としていた伯爵が、夢から覚めたように目を瞬かせて近づいてくる。
 さすがに無爵のケルヴィスよりは、距離を詰めてきた。
「もらっていくが、いいな?」
「もちろんです――元より献上する予定でしたし、他の者にはとうてい扱えそうにありません」

 俺は頷き、術式を展開させる。
 剣の刺さっていた大地をいくらか砕き、俺の魔力を定着させた鞘を形作る。そこに壁の夜光石をまとわせて仕上げ、剣身をおさめた。
 もちろんこれは、仮の鞘だ。しかしこうでもしなければ、みんな近寄ってきてもくれなさそうだし……。

「ところでクリストナ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 ケルヴィスも少し離れたし、彼女だけが近づいてきたのを幸いと、俺は声を潜め、その意志の強そうなオレンジの瞳を見つめる。
 彼女は鞘ができたのを見ると、少し警戒しながらも近寄ってきた。
「なんでしょう」
 やっぱり……。名前を呼ばれた時にハッとしたしたのだが、よくよく見れば彼女の顔立ちには覚えがある……。

「君……その、昔、俺と…………」
 決定的な言葉を口にする代わりに、唾を飲み込む。
「クリス……?」
 愛称を呼ぶと、クリストナはようやく恐怖から解放されたように、艶やかな笑みを浮かべた。
「ようやく気づいてもらえた!」
 ああ、やっぱり……知り合いだった!
 いや、知り合いっていうか! “クリス”という名の女性といえば……。

「たとえ髪を短く切ったからだとしても、他の女性とあなたのことで派手に争いまでしたのよ。あれから百年近く経ったとはいえ、何度か寝た程度では記憶にとどめておいてすらもらえないのかと思っ」
「ちょ……!」
 俺はあわてて彼女の口をふさいだ。
 そうして、おそるおそるケルヴィスの様子をうかがう。彼に聞こえていなければ、他の者にだって声は届いていまい。
 だが少年は俺と目が合うと、この上なくバツの悪そうな表情を浮かべて視線を逸らした。そのうっすらと赤く染まった頬には、「僕は何も聞いていません」
と、透明な文字で書いてあるのが見えるようだ。
 このときばかりは、少年の素直さが恨めしい。
 どうやら聞かれたし、意味も正確に理解しているようだった。

「んー!」
 クリストナがぱしぱしと、手の甲を叩いてくる。
「あ、悪い」
 手を離すと、責めるような視線を向けられた。
「安心してくださいます? 私は別に、昔のことを持ち出して復縁を迫ったりはしませんから。ただ、いくら昔のこととはいえ、一度は懇ろな関係に――んーんー!」
 なんでちょいちょい、余計な一言を挟もうとするの、クリストナ!
 何もこんな、声の反響する洞窟内で話すことはないじゃないか!
「その件についての話は、後にしよう! いいだろう?」
 クリストナは眉を寄せながらも首を縦に振る。
 俺は再度手を離した。

「はぁ」
 解放されたクリストナはあきれたように俺を見て、それから大きなため息をつく。
「ほんっと相変わらずだわ……」
 白い目を向けられて、多少負い目を感じないでもなかった俺は、内心冷や汗をかいていた。

「あーおほん。じゃあ、ここでの用事も終わったし、そろそろ出ようか」
 心中を悟られないように満面の笑みを浮かべ、随員を振り返る。
「あー、あー、そうですね、剣も無事、旦那様が回収なさいましたしー」
 宝物庫の男性職員が、さも空気を読みましたといわんばかりに棒読みでそう応じた。
 ペンギン記録官は、熱心に手帳に何かを書き込んでいる――ふりかもしれない。
 一方で女性職員は好奇心を隠そうともせずに、俺とクリスをキラキラ輝く目で見比べてきた。
 ジブライールは…………なんか、様子を確認するのもはばかられた。
 いや、たぶん大丈夫。ここは声が反響する上、魔族は基本的に耳がいいが、距離もあるしさすがに話の内容まで聞こえてはいないはず……。
 そう信じておこう。

 洞窟を出るにはもともとくぐってきた狭い洞穴を、魔術でぶち抜いてやるつもりだったが、崩落の危険性もないわけではないし、それ以前に天井にすでに大きな穴があるのだし、大人しくそこから脱出することにした。
 地上に出てから、なぜわざわざあの細いところを通ったのかと聞いてみたら、クリストナは薄く笑って「全く気づいてくれないから、嫌がらせ」と言われた。
 どうやら最初から険のある態度だと感じたのは、気のせいではなかったようだ。
 けれどああ、そうされる心当たりならある。彼女が誰か、ハッキリわかった今となっては。
 その節は申し訳なかった……と小声で謝罪しかけた俺に、彼女は満面の笑みを浮かべ、こう言い放ったのだ。

「いいんです。私、あなたのおかげで、男性は見た目じゃないと思えるようになったんだもの」
 心臓にぐさりと見えない矢が刺さる。
「あの時期があったから、今の夫の存在と魅力にも、気づくことができたの。ほら、見て」
 そういって自分と夫、二人仲睦まじく描かれた小さな絵を懐から取り出してきたのだ。
「彼ったら、私しか目にない人で……無爵で弱いのに、今日も閣下とお会いすると言ったら、ぜひ自分も連れていってくれ、閣下の横で目を血走らせて、私に手を出さないよう見張るから、なーんていうんですの」
 とろけそうな笑みを浮かべ、クリストナは俺の腕を叩いた。

「心配しなくていいのに。私だって彼一筋なんですから」
 クリスは豊満な胸にその絵を押しつけ、夢見るような瞳で遠くを見ながら続けた。
「そうそう、出会ったのもこの採石場で……彼は採石職人なんです。それらしい男らしさでしょう?」
 クリスって、こんな感じだったっけ……もっとピリピリしていたような……。ずいぶん昔とは印象が違う。その旦那とやらの影響だろうか?

「クリストナ、話の途中で悪いが、そろそろ――」
 他人の惚気なぞ聞いていられるはずもない。とっとと去ろうとしたが――
「あの剣を見つけたときも、あの場所で二人で愛し合ってる時のこと、私が興奮のあまり魔術を発動してしまって――」
 俺は耐えかね、再びクリスの口をふさいだ。
「クリストナ――帰る」
 彼女は眉を寄せ、承知とばかりに何度か頷いた。
 そのくせ手を放すと、こう続けたのだ。

「そうおっしゃらず。時間も時間だし、このあと一緒にお食事でもどうです? 大公閣下と副司令官閣下をご招待したいわ」
 俺だけならともかく、なぜジブライールまで……!
「気持ちだけ受け取っておこう。この剣を早く城へ持って帰りたいしな」
 これ以上、惚気話を聞かされつづけるばかりか、真正面でいちゃつかれてたまるものか。夫に睨まれ続けるのも、ごめんだ。
「けど、私と閣下がお会いできるのも、これが最後の機会なんですよ。せめて最後くらい仲良く、昔話でもしましょうよ」
 昔話? なおさらお断りだ。だが。
「最後の機会?」
「ええ」
 クリスはにっこりとほほえんだ。

「私、奪爵するので。お隣のアリネーゼ……いいえ、今はメイヴェル閣下のその領地で、侯爵位を」
「そうなのか……」
 正直に言おう。ホッとした。
「ええ。だから本当は、あの魔剣のことも放っておいてよかったんですけど、最後に閣下に会っておくのもいいかなと思って、お知らせしたんです」
 こんな珍しい魔剣、放っておかれなくてよかった。
 まあどうせ誰も抜けないのなら、別の者からいずれ報告はあったと思うが。

「そういう訳だし、お茶くらいならいいでしょう?」
「いや、やはり帰らせてもらう。最後の最後だからって、目を血走らせた男に隣でずっと睨まれ続けるのも嫌だしな」
「あら、そうなの。残念だわ」
 クリスはさしてそう思ってもいないように飄々と言い、それ以上は滞在をすすめてこず……いいや――
「快くご招待に応じていただけないのなら、最後ですもの――」
 彼女は俺の胸元を掴んで引き寄せ、耳元で囁くようにこう言ったのだ。

「あなたと私の過去の関係を、ここで大声で語らせていただくことにしましょうか」
 それ、さっきからやってるじゃん!
「……そんな脅しがきくとでも?」
 すごんではみたものの、実際には心中余裕のない俺に対し、クリスは悠然と笑みを浮かべている。そうして――
「私の口をふさぐなら、手じゃなくてここでにしてね」
 俺の唇に人差し指を当ててきたのだ。よりを戻す気なんてないといったくせに!

「ふ……」
 その細い指から逃れるように、数歩後退さる。いやな汗が背中を伝い落ちた。
 やばい……昔の俺のバカ! だいたいこういうタイプだ……お前が遊んでた相手は、だいたいこういうタイプなんだよ!! 簡単にひくはずがないじゃないか……!
 その上今となっては反省するしかないが、あのときの俺はたいがい女性に不誠実だった……。だからって、そのアレコレをここで発表するのだけは、ほんとに勘弁してほしい。

「わかった……招待には応じる。ただし、俺だけ――」
「閣下」
 冷え冷えとした女性の声が背後からかかる。その声の主を確認するまでもない。
 もちろん、ジブライールさんだ。
「先ほど、彼女は私も一緒に、と言われたようですが」
 聞こえてたか……。
「もちろん閣下の副司令官として、ぜひそのご招待、受けたいと存じます」
 副司令官として?

「いや、しかしジブライール……」
 俺は振り向き、口を噤んだ。
 その口元は、にっこりと微笑を浮かべている。だがその葵色の瞳には、静かな怒りのようなものが漂っていた。
「まあ、嬉しい。これで決まりね」
 クリストナが手を叩き合わせる音で、俺は覚悟を決めた。

 微笑みあう女性二人からそっと離れ、愛剣家の同志の元へ向かう。
「ケルヴィス……悪いな。帰りは君がみんなを乗せて帰ってくれるか?」
 こうなると予想していた訳ではなかったろうが、結果的に竜二体でやってきたのは正解だった。さすがに、他の者まで招待するつもりは、クリスにはないだろう。
「はい、承知しました」
 なんだか締まらないこんな状況でも、少年は俺に対して軽蔑などみじんも感じられない真摯な瞳を向けてくれている。

「君はこんなことにならないように、気をつけてな……」
 思わず老婆心からそう口にしてしまった。
 もっともケルヴィスなら大丈夫だろう。どう見てもこの子、魔剣にしか目のないクソ真面目なオタク少年だもん。
「はい……こんなこと、ですか?」
 首を傾げる少年に対し、素直な魔族少年って素晴らしいな、と感心し、彼がこのまま成長してくれることを心の底から祈ったのだった。


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