古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十一章 家令不在編】

29 なんか居心地悪い……とても悪い



 俺は今、クリストナの伯爵邸で、主人である彼女とその夫――ゾノ、というらしい――、ジブライールに囲まれて昼食をとっていた。
 和やかな雰囲気など、どこにもない。それはそうだろう。

 かつて関係を結び、しかもその件でいざこざの覚えもある自信家の女性、血走らせた目に敵意を込めてこちらを凝視してくる愛妻家、複雑な心境であろうが、ただひたすら無表情な少女趣味の副司令官……その顔ぶれで、居心地などいいはずがないのだ。

「本当に、大公が変わったと聞いて、それがあなただと知ったときには驚きました。だって私たちのよく知るジャーイルは、強いくせに上位への野望など欠片も見せなかったものだから」
 私たちって誰だよ。どういう関係の私たちなの。
 端々に含みのある言葉が怖い。
「私は無爵ですが、彼女を誰より愛する夫として、この命さえ懸ける覚悟です」
 その上末席の夫は、こんな物騒なことばかりボソボソ呟いている。

 彼は本当に弱い。魔力がほとんど見受けられないのだ。それはもう、マーミルよりさらに弱く、人間の魔術師もかくやといった程度のものしか。
 つまり、魔族として彼は間違いなく弱者に分類される。無爵の中ですら。
 だが体格はといえば背は高く、筋肉隆々の逆三、所々血管が浮き出ていて、殴り合ったら腕力では負けそうな迫力だ。いや、実際には負けるとも限らないけど! 魔族の腕力は、見た目が絶対じゃないからね!!
 そしてジブライールさんは――死んだ魚のような目でひたすら食卓を凝視し、食事を口元に運んでいる。出された料理がまずいから、とか、嫌いな献立だから、という理由ではないと思う。たぶん……。
 やっぱり同行を許すのではなかった。

「聞いたところでは、今は勝手にベッドに入り込む女性がいようものなら、冷酷にも追い出すのですってね?」
「冷酷じゃなくて、普通の対応だと思うが」
 俺はボソリと呟いた。いつもならもっと堂々と言うところだが、今日に限ってはなんだか立場が悪い。それもこれも――
「だって昔は来る者拒まずだったじゃないですか。毎日のように違う女性と寝てたでしょう? 私とだって、そうやって始まったんですものね?」
 君、夫を愛してるっていったよね!? その愛する人が顔面蒼白でプルプル震えてるんだがいいのか!? むしろ心理的に追いつめて、ゾクゾクでもしてるとでもいうのか!?

「君は懲りたといったが、俺も懲りたんだ。今は積極的な女性は、逆に苦手でね」
 ああそうだとも。今も絶賛懲りてる最中だ。
 百年近く経った後に、こんなことになるとわかっていたら、俺だって若さに任せて遊んだりなんてしなかったさ。
 その点、ベイルフォウスってすごいよな! きっと生まれた時からあれだろ!

「万が一っ……万が一っ、この屋敷で我が愛する妻と、閣下が我らが寝室で生まれたままの姿で……そんなことになろうものなら、私は二人の目前で自身の臓物をえぐり出し、血の涙を流して、怨嗟にまみれた死を迎え……」
 夫がいよいよおかしくなったのか、自虐に偏った言葉まで口走る。
 クリストナ、お願いだからそろそろフォローしてあげて!

「とにかく、こんな話は食事の席でするようなものじゃないだろう」
「あら、じゃあどんな話ならふさわしいんですか? 昔話以上に食卓を潤すものなんて、あるのかしら」
 潤してない、全く潤してない! 逆に空気が乾ききっているではないか!
 俺がさっきから、何杯酒をあおっていると思っている。
 いや、だがそうだな、この重々しい雰囲気を、一掃する話題を俺が提案すればいいのだ。

「せっかくだ、この剣の話でもしようじゃないか」
 俺が新たに手に入れた剣の柄を叩いて言った途端、三人は明らかに興味のなさげな表情を浮かべてみせた。
 ……いや、というより、拒絶感というべきだろうか。
「気味の悪い剣だこと……それこそ食事の席にはあわないわ」
 クリスは嫌悪を隠そうともせず、剣が視界に入るのさえ厭うというように手を振った。さっきまでぶつぶつ言っていた夫も、剣を目にして口を噤む。

 洞窟で手に入れた反った剣は、宝物庫で保管するようにといって職員に渡そうとしたのだが、男女どちらにも半泣き土下座で断られたのだ。
 彼らは剣の力を封印する術を施した正式な鞘と保管庫ができるまで、宝物庫では預かりかねます、と、口を揃えて低頭した。側にあるだけで発狂しそうだ、などと無爵たちに言われた上、それなりに力のあるケルヴィスにまで同意されたら、あきらめるしかないじゃないか。
 それでレイブレイズとしばらく二本挿しで、俺が携行することにしたのだった。まあ正直、俺のテンションは逆にちょっとあがっている。その剣に関する部分だけは。

「なぜ、閣下には防御魔術が発動しなかったのでしょう?」
 夫君が、挨拶以来はじめてまともな台詞を口にした。
「力の強い魔剣には、ある程度それ自身の意志のようなものが感じられるからな。剣もまた竜のごとく、己の認めたものには従うのだろう」
「剣が……生きている、とでもおっしゃるので?」
「そう感じたことはないか?」
「いえ、全く」
 ゾノは首を左右に振った。
「そういえばあなた、昔からそんなことを言ってらしたわね。私も夫と同じで、何も感じないけど」
 いちいち台詞に過去を連想させる言葉を挟む必要は、ないのではないだろうか。

「ジブライールは?」
 ジブライールに目をやると、話題が変わったせいか、さすがに死んだ魚のような状態からは回復していた。
「私もいくらか魔武具は所有しておりますし、抵抗を感じることはもちろんありますが、それを閣下のようにその道具の意志と捉えてみたことがありませんでした。今後はその点に注視してみたいと思います」

 ジブライールが素直な感想をくれた。
 しかし確かに――そういわれてみれば、俺の意見は感覚的なものだ。
 そうか。道具は道具、ほとんどの者はそれに意志があると、そもそも考えてもみないものなのかもしれない。
 父やベイルフォウス、なんならケルヴィスにも話が通じたから、当たり前だと思っていた。
 それこそロギダームのように、喋り出して自分の意志を主張するような剣でもなければ。

「閣下は、今も何かをその剣に感じていらっしゃるのでしょうか? 魔力以外の何かを……」
 ジブライールまでが魔力の発露を抑えた剣に対し、警戒した様子をみせている。それほどか……。
 だが確かに、この剣は今まで見たどの魔剣より、自己主張が激しい。レイブレイズと比べてさえ。
 それを剣の意志とは捉えずとも、本能に訴える何かとして感じているのだろうか。
「覇気のようなものを感じる、とでもいうか……」
「覇気、ですか」
「いや、というか……この場合、まあ一種の拒絶感みたいなものかな」

 諾々と従う魔武具が多い中で――レイブレイズでさえそうだった――、この剣は最終的には同意をみせるものの、絶対服従のような意志までは示してこない。やむを得ず今は手に収まってやる、といった風な反逆心や抵抗を、常に底に感じる。
 おそらく誰か、他に主と定めた者がいるのだろう。その相手が生きているかどうかはわからないが……。
 なぜって、抵抗感と同時に剣からは絶望と悲嘆も伝わってくるからだ。

「砕いて……」
 しばし黙りこくっていた夫が、再び口を開いた。
「砕いてしまえば、後の憂いはなくなります……」
 彼は声に乗せる台詞の、すべてが物騒だ。
 せっかくのいい魔剣を砕かれてはたまらない。
「憂い? どんな憂いがあるというんだ。何もないさ。少なくとも、俺には」
 慌ててそう断言すると、みんな押し黙ってしまった。
 ……まあ、いい。余計なことを言われるより、いっそ静かな昼餐会を終えて、とっとと帰ってしまうことにしよう。

「それで……ジャーイル閣下と伯爵は、いつ頃親しくされていたのですか?」
「ぐっ……ごほっ、ごほっ!!」
 ジブライールの突然の質問に、俺は喉に肉を詰まらせた。
 まさか彼女がそんな突っ込んでくるとは!
「そうですね、あれはジャーイルが……あら、失礼。ジャーイル大公が男爵になられて間もない頃だったでしょうか。私はまだ子爵で、大演習会でのことでした。もともと、噂は聞いていたんです。とても綺麗な女ったらしの男爵がいるって」
「ちょ、待っ……」
「うわああああ!」
 俺がクリスを制止するより早く、ゾノが突然、狂ったような叫び声を挙げて立ち上がった。

「止めてくれ! ああああああ! これ以上は!! 聞かない! 俺は聞かないぞ!!! 聞いてなるものかっ!」
 一瞬大声にびっくりしたものの――でかした、ゾノ! そのまま会話を邪魔してくれ! なんなら君の妻の唇を、口づけで塞いでくれてもいい! 今日に限っては公然の場での破廉恥な行為にも、目をつむろうではないか。
「否が応でも聞かせるというなら、いっそ耳をそいでくれ! 俺の耳を!! 両耳とも!! 耐え難い! 耐え難い!!」

 えー……。
 さすがに俺、どん引き。内心応援したものの、口走る内容にどん引き。
「そして愛いっぱいに味付けされた我が血をソースに、俺のまろやかな肉を頬張り、恍惚と貪るがいいのだ!!」
 そこまではどうだよ……興奮しすぎたにしても、なんだってそんな自虐的な言葉が次々出てくるんだ、この夫……。
 もしかしてこれがあれか、本物のドMってやつなのか。

 ジブライールですら、血の涙を流して耳を塞ぎ、わめく夫の有様に、若干怯んで見えるではないか。見慣れているかもしれない給仕係たちですら、表情を強ばらせている。
 そんな中ただ一人……クリスだけが、うっとりしたように頬を赤らめ、瞳を潤ませていた。

「ああ、あなた……あなたの愛が、私の全身を駆けめぐる……もう、たまらないわ!」
 わき上がる震えを抑えるとでもいうように、両手で自分の身体をかき抱き、陶然とした様子で言葉を紡ぐ。
 やがて感極まったような表情を浮かべた後、彼女は食卓から一本ナイフをとって手に握りしめ――
「ええ、お望みの通り耳をそいであげましょうね、それからたっぷりと、痛みと苦痛にのたうち回るあなたを可愛がってあげましょう!」
 どん引き、どころの騒ぎじゃなかった。
 まさか本気じゃないよな? いきなりそんな、食事の席で惨劇が繰り広げられたりなんて――

 だが、ナイフを手に夫に抱きつき、その大きな背をなでるクリスの、あの嗜虐に満ちた表情を見てみろ。冗談ですむとは思えない。
「帰るぞ、ジブライール」
「あ、はい……!」
 夫婦による異常な倒錯劇が目の前で繰り広げられるその前に、俺は呆然としたジブライールを強引に立たせ、彼女らが自分たちの世界に浸っているその間に、伯爵邸を逃げ出したのだった。


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