恐怖大公の平穏な日常
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33 ちょっと予想していなかった展開です
大公第七位のメイヴェルが、デイセントローズより六位を奪位した――その報が流れたのは、エンディオンが一日の終わりには自分の領地に帰っていくという日常に、ようやく慣れてきたころだった。
「へえ――いきなり上位を狙うのはやめて、分相応に下からあがってくることにしたのか」
紋章を焼き付けていた書類から視線を外し、執務机の正面に立つセルクを見上げる。
「分相応に、ですか」
セルクが神妙な顔つきになる。
おっといけない。俺が相手の強さを一目で知れるのは、セルクには内緒にしているんだった。単に、上位が下位を侮っているように見えただろうか?
「しかし、問題にはならないのでしょうか?」
「と、いうと?」
「確かメイヴェル大公閣下と、デイセントローズ大公閣下は同盟を結ばれていたのでは?」
「ああ、そういえば――」
会議の時に、不穏な感じで同盟相手がどうこうとか言ってたもんな。
同盟というのはお互いに友好関係を結ぶ、という意思表示のはず。その一方が一方に戦いを挑む、というのは、確かにマトモな事態ではない、か。
しかし……実際のところ、あの二人がいがみ合って序列が入れ替わったからといって、それを気にかける者などいるだろうか?
俺はそう考えて、のほほんと過ごしていたのだが――
「ベイルフォウスからの信書?」
それが届いたのは、奪位の報が流れて、三日後のことだった。
前触れすら寄越してこないベイルフォウスが、寄越した手紙――そう聞いた瞬間、いやな予感がした。
だってこの間あいつから来た手紙っていえば、俺を大祭主に決めたからっていう、一方的な通告だったからな!
俺はエンディオンから手紙を受け取り、封を開ける。中にはこう記されていた。
“〈大公会議〉を我が城にて開催する”
“議題:同盟の意義について”
開催日時は五日後の午後、とある。
「意外だな……ベイルフォウスが二人のことを問題にするだなんて」
俺はエンディオンに書簡を渡す。
「ベイルフォウス大公閣下はプート大公に次いで長らく、その地位におられます。同盟の重要性は、誰よりよく身にしみていらっしゃるでしょう」
我が家令が理解を示しているところをみると、どうやら同盟というのは俺が思っているよりも遙かに重要視されるべきものであるらしい。いや、重要だとはちゃんと思ってるんだよ、もちろん。でなければその家族や本人の世話までみてはいないし。
しかし今回の二人は俺自身の同盟とは全く関係がない。
それなのにまさか〈大公会議〉が開催されるほどのものとは、正直思ってもいなかったのだ。
俺が体験した初めての〈大公会議〉は、〈魔王ルデルフォウス大祝祭〉についてという穏やかな議題のものだった。だが――
「つまり今度の〈大公会議〉は――」
「紛糾するかもしれませんね」
いったいどんな内容になるんだろう。
何にせよ、めんどくさそうだなぁ。
そうだ、こういうときこそ!
「アリネーゼに元大公としての意見を聞いてみるってのはどうだろう?」
「賢明なご判断かと」
エンディオンは一礼し、執務室を出て行った。
そうして、翌日の午後にはアリネーゼがやってきたのだが――
「ええ、貴方がお望みだというのなら、私としても副司令官の任をお受けするというのも吝かではありませんわ」
セルクに案内され、この執務室に足を踏み入れるなり、彼女はそう言った。
「……は?」
言っておくが、俺はまだ何も言っていない。まだ一言も――ああ、今の「は?」以外は。
「でも……少し悩みますわ。確かに私はあのリスめより、よほど副司令官にはふさわしいでしょう。けれど、副司令官になるということは、時には大公たちの会議に同席する必要もあるということですし、そうなれば……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、アリネーゼ」
俺はとにかく彼女の一方的な意見を制止した。
「いったいどこからそんな副司令官とかいう話が出てきたんだ……」
「あら……違いまして?」
アリネーゼは右目だけを大きく見開く。デーモン族でいうなら、片眉だけを上げたような感じだろうか。
奪爵の折の憔悴しきった姿を覚えているだけに、元気な姿を見られるのは喜ばしいことだとは思えるが。
ちなみに、無くしたはずの片足は、以前のように今も他の足を継いでいるのだろう。長いスカートとブーツで種類さえ見えないが、アリネーゼはきちんと二本足で立っていた。
「今日来てもらったのは、元大公としての意見を聞きたかったからだ。デイセントローズがメイヴェルから挑戦をされ、序列が変動したことは君も聞き及んでいるだろう?」
「ああ、そのことですの……」
彼女はメイヴェルなどという名前すら忘れたかのように、つまらなさそうに息を吐いた。
「ええ、もちろん聞き及んでおりますわ、ジャーイル大公閣下。それで私にご意見とは、メイヴェルの健闘を褒め称えよとでもおっしゃるのかしら?」
なんだろう、この冷笑的な感じ。
「その奪位の件に関して、ベイルフォウスから〈大公会議〉の召集があった。もちろんそれは、彼女を褒め称える目的で開かれるのではないだろう」
「ああ、ベイルフォウスが〈大公会議〉を――」
嘆息を漏らすように――彼女のその声は、かすかに震えているようにさえ聞こえた。
「そうだ。それで、俺より遙かに他の大公とのつきあいが長い君に、今度の話し合いの席でそれぞれがどう反応するか、ということについての予想を聞きたいんだが」
「まあ、私の大公としての経歴を、ずいぶん買ってくださるのね」
アリネーゼはふふんと鼻を鳴らした。
「そういえば、あの二人は同盟を結んでいたのでしたかしら?」
「ああ、そうだ」
「ならばあの女もバカなことをしたものだわ。長く大公位にあるつもりなら、奪位する予定の相手と、同盟など結ぶべきではなかったのよ。ああ、けれど、これで私の身はより安泰と言うわけね」
アリネーゼは今度こそ、喜びの色を声ににじませ、震わせて、意味ありげに微笑んでみせた。
「どういう意味だ?」
「ベイルフォウスが〈大公会議〉を召集したとおっしゃったでしょう?」
「ああ」
「同盟とは、お互い相手の意志には反しないという契約のようなもの。大公のうちではことに、ベイルフォウスはその関係を重んじている」
ベイルフォウスが同盟を殊更重んじている? そう、なのか……。
「ベイルフォウスが過去に〈大公会議〉を主催したのは私の知っているだけでも二度。私が大公位に着く前を含めてもね。そしてその二回とも、同盟を反故とした者たちを、弾劾するための目的で召集されたもの。その後、一時的にであっても、一つか二つの大公位が空位となったのですわ」
意味はわかるだろう、と言わんばかりにアリネーゼが視線をくれた。
「なるほど……ベイルフォウスの意図はなんとなくわかった。それで、他の大公については、どう反応すると思う?」
「プートは……難しいわね。同盟の役割を、彼はベイルフォウスほど感情的に捉えてはいないわ。それに、議題に上るのがあの二人でしょう? どちらも彼にとっては塵芥と同様のはず」
仮にも大公にある者が、塵芥……容赦ないな、アリネーゼのプート像。
「けれど、デヴィル族の大公が減るのは彼にとっても歓迎できないのでは?」
今は魔王・大公をあわせて、デーモン族とデヴィル族はちょうど半々。誰かが図ったように、バランスがとれている。
「歓迎できないとしても、流れは止められないわ。結局はその後釜を、どう考えているかですけど……」
「後釜、か。大公位が空位になった場合、それを埋めるのは大公として立候補をし、それにふさわしいと認められた者か、魔王様からの指名……そう考えればいいのかな?」
確かベイルフォウスとウィストベルは、二人とも魔王様の指名で大公位に就いたと聞く。
「ええ、魔王陛下の指名はもちろん絶対ですけど、それが無かった時は、大公の推薦の上、審議をして決定される、ということもあり得るわ。もっとも、大公位が空いたとなると、誰一人立候補をしない事態など、考えられもしないけど」
確かにな。大公位はたったの7つしかない。自分がそれにふさわしいのではと考えている公爵は、きっと数多くいるに違いない。
実際の大公に挑戦するとまではいかなくとも、立候補するだけならいっそ容易だろう。
しかし、大公も同僚となりうる相手を推薦できるとなると、それぞれがベイルフォウスの意図を察して、候補をあげてくるつもりだとも考えておいたほうがいいんだろうなぁ。
俺もだれかを推薦するか?
いや、しかし正直、大公に相応しい実力の者となると……さすがに全領民を知っているわけではないが、今のところは思いつかない。
目の前のアリネーゼでさえ、すでに力不足だ。
だいたい、特別策も志もない俺にとっては、そんなことをする意味がない。
まあ、いいか。できればいざこざに巻き込まれないように、せめて最低限の心構えをしておこうじゃないか。
その後、アリネーゼから他の大公についての情報ももらい、俺はその話を聞きながら、自分の立場を思いやり、考えをまとめていったのだった。
そうして、一通り主題が終わった後――
「ところで、副司令官というと――ヤティーンと何か進展は――」
「あったように、見えて!?」
ギロリ、と鋭い視線を向けられた。
まあ、ですよね……だいたいヤティーン云々以前に、アリネーゼときたら、奪爵した相手を夫に迎えたんだもんね。なんなら今はそっちとラブラブなはずだよね。
「それを気にしていただいているのなら、大演習会はいつ、開催していただけるのかしら?」
なぜ、大演習会?
ヤティーンがその開催を強く望んでいるからこその質問だろうか。俺はそう思ったのだが。
「少なくともまだ半年以上は先の話だが……なぜ?」
「決まっているではないですか。大演習会となれば、副司令官であるヤティーン公爵と同位の私、業務上必須の交流が、盛んに行われるに違いないからですわ!」
アリネーゼは目を見開き、鼻を膨らまして、そう力説した。
「なのに、半年後……」
力強い鼻息が、机上の書類をそよがせる。
「でもまあ、よろしいわ。《男女の仲は急いては仕損じる》といいますものね」
そうかな……魔族的には急く者がほとんどだと思うんだけど。だってたいてい直情的だもの。
まあ、しかし、いい言葉だな。《男女の仲は急いては仕損じる》のか。
俺もよく覚えておこう。
「なんでしたら、軍団長くらいなら拝命してもよろしくてよ?」
あ、はい……。
「空席が出たらそのときには一考してみるよ……」
「ええ、ぜひ、よろしくお願いしますわ!」
アリネーゼは俺の言葉を前向きに捉えたらしく、満足げに帰って行ったのだった。
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