古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十二章 家内安全編】

37 いつになく、平和な日々が続きそうです



 平和だ……気を抜くとついボーッとしてしまうくらい平和だ。
 ちょっと前のごたごたが、嘘のように平和だ。

 家令は通いとはいえ、ちゃんと必要な時にそばにいてくれるし、筆頭侍従も元気になったし、屋敷中がなんかソワソワザワついているということもなくなった。
 奪爵を仕掛けてくる者もいないし、誰からも同盟を申し込まれることもないし、ベイルフォウスがちょっかいだしにくることもない。
 ただ普通に雑務をこなしていればいいだけの毎日――ずっとこうならいいのに……。

「お兄さま、お兄さま!」
 静寂を打ち破る大声をあげ、妹がいきなり執務室に飛び込んできた。
「こら、マーミル。せめてノックをしなさい、ノックを」
「あ、ごめんなさい……」
 ただ妹の不作法に注意をすればいいだけの日常。本当になんて平和なんだ……。

「で、どうした?」
 俺は書類に紋章を焼き付けながら、妹に尋ねる。
「私〈修練所〉に行きたいですわっ!」
「え? 修練所?」
 ……ああ、修練所。一瞬、なんのことかわからなかった。
 さすがに気を抜きすぎだな。気をつけよう。

「最近ベイルフォウス様もあんまり来てくれなくって、剣はまだいいですけど、魔術のお勉強の方が……えっと……言いにくいんですけど……」
 マーミルは少し遠慮がちに、それでもこう続けた。
「物足りないんですの」

 確かにマーミルも最初の頃に比べると、随分魔力も増えてきた。今の教師はどんな奴だっけ……あんまり覚えてないが、無爵だったのは間違いないし、そうなると魔術のバリエーションも少ないだろうから、そろそろ交代させた方がいいのかもなぁ。
 だがしかし、有爵者で教師を探すとなると……誰か請け負ってくれる者がいるだろうか?
 俺が男爵時代の知り合いなら、少しはいるが……それはそれで、この間のクリスみたいなことになっても困るし……頼む相手は慎重に選ばないと。
 ――そうだ、たとえばダァルリースとかどうなのだろう。娘を鍛えるのと一緒に、うちの子らの面倒もみてくれないだろうか?
 まあ、それは後で考えるとして。

「わかった。別の教師を探してやろう」
「えっと……それはもちろん、嬉しいのだけれど、お兄さま。さっきも言いましたけど、修練所に行きたいですわ」
 今、修練所の運営担当はプートのはずだ。ということは、次は俺の番ではないか。

「もう少し後でな。そうすればお兄さまの番になるから、その時にしなさい」
「えー。明日行きたいたのに……」
 えらく具体的だな。
「なぜ、明日なんだ?」
「だって……」

 マーミルは頬を赤らめさせ、もじもじと手を組み替えし始めた。
 まさか……この反応……。
 俺はちらりと今日も妹に張り付いてくれている、アレスディアに視線を送る。侍女はその意図を理解し、説明のために口を開いてくれた。

「明日、宝物庫のお手伝いがお休みのケルヴィスくんが、修練所に鍛錬しに行くそうです」
 やっぱり!
 やっぱりそうか! それか!
「ちょ、アレスディア!」
 妹は真っ赤になりながら、侍女を責めるように振り返る。
 そうか……マーミル、まだケルヴィスのこと……。やっぱり宝物庫で働いているのも、知ってたんだな。
 そっか……時々二人で話してたりもするんだ……だが、そりゃあそうだよな。二人は友達同士なのだ。何を不思議なことがあろうか!

「友達と一緒に行きたい、という思いはよくわかる。ああ、友達と一緒に出かけるのは、さぞ楽しいだろうしな!」
 俺はほとんど経験したことないけど!!
「え、ええ、そうなのよ! お、お友達ってほんと、いいものですわ!」
 なぜどもる。
「なんでも修練所って、子供は数人で協力して挑戦してもいいんですってね。それでケルヴィスが、私に付き合ってくれるっていうから……」
 なんだと、付き合う!?

「しかしケルヴィスだってせっかくの休みなんだろう? だったら修練所なんかより、ピクニックにしたらどうだ? マストレーナも誘って、みんなで近くの山にでも行けばきっと楽しいぞ? そういえば彼の妹を招待して、お茶会を開きたいとか言ってたじゃないか。あれはどうなったんだ?」
 いや、わかってる。ケルヴィスはいい子だ。初恋があの子なら安心と、警戒心の強そうなミディリースでさえお墨付きを与えた位だ。しかもマーミルは別に二人きりで行きたいだなんて、一言も言ってもいない。協力して挑戦すると言ったって、マストレーナとかも一緒かもしれないじゃないか!
 でも、わかるだろう? 不安要素なんてないはずでも、なんとなく心配だったり、焦ったりしてしまう俺の気持ちも!

「お兄さま……今更ですの? お茶会なんてとっくにやりましたわ……それも何度も!」
 ああ、そうなのか……そういえば野いちご館の使用許可を与えた気もするし、誰かからそんな報告を聞いた気もする……。
「アリネーゼ閣下のお子さまも招待して、よ! それを知らないだなんて……!」
「あ、いや、知らない訳ではもちろんないが――」
 俺はごほん、と一つ咳をしてみせた。

「とにかく、明日は駄目だ。俺の担当になってから、それからなら……ケルヴィスと……マストレーナたちも一緒なら、護衛をつけての上で行ってもいい。だが、明日は駄目だ」
 そうだとも。明日が悪いのでも、ケルヴィスが悪いのでもない。俺の運営担当でない日に行くというのが悪いのだ。
 それが理由で拒否しているにすぎない。そうだとも!

「マーミル様。お兄さまがこうおっしゃっておいでなのですから」
 アレスディアに促されて、マーミルはぷっくりととんがらせた唇をほどいた。
「わかりましたわ……残念だけど、明日はあきらめますわ」
 妹はしょんぼり気味だ。ちょっとだけ罪悪感が浮かぶ。いや、俺の反対理由は正当だけれども!

「で、術式はどこまでできるようになったって?」
「えっと……二層三十五式……」
「そうか、二層三十五……」
 うん?
「随分前に、そこまでできるようになったって言ってなかったか?」
 確かそこまでは、とんとんと成長も早かった気もするのに。
「だから……今教えてくれている教師が、そこまでしか術式を展開できないのですわ……それで、基礎的な魔術ばかり……」
 なんと……そういうことか!
 なら、本当に早く教師は替えてやらないとな。

「複合魔術は習ったか?」
「ちょっとだけ……たぶん、単純なもの……」
 妹は別に自分が悪いわけではないのに、どこかばつが悪そうだ。
「造形魔術は?」
「えっと、まだ……」
「そうか。なら、明日は造形魔術を混ぜた術式を教えてやろう」
「……え……?」
 一瞬マーミルは、俺の言った言葉の意味がわからないようだった。

「俺が明日、魔術の練習につき合ってやろう。どうだ?」
「えっ」
 不機嫌さを一転させて、マーミルが瞳を輝かせる。
 よしよし。妹はまだ、ケルヴィスとより俺と過ごす時間の方が嬉しいらしい。
「ホントに!? お兄さま!」
「ああ、ホントだ」
 それで俺の罪悪感も少しは消えるし。最近は割と暇だし。

「だったらいっそ、ケルヴィスも誘っていい? 一緒にお兄さまから魔術を習いませんって!」
 ……え?
「ケルヴィスったら、本当にお兄さまのこと尊敬しているんだもの! たまにイライラするくらい……。だからお兄さまが誘ってるって言ったら、明日は修練所じゃなくて、こちらに来ると思うわ!」
 ……えぇ……なにこの展開……。
 マーミルお前、そうまでして……。

「あー、ごほん」
 アレスディアが咳払いをする。
「旦那様、マーミル様がこうおっしゃっておいでなのですから」
 えぇ……アレスディアまで……。俺の味方だと思ったのに……わかったよ……。
「……いいだろう。ケルヴィスを誘っておいで。ただ、もちろんネネネセも誘うんだぞ……」
 そう条件をつけるのが、精一杯だった。もっともマーミルは、条件とも思っていないだろうが。
「当然ですわっ! そんなの、二人きりだなんて……恥ずかしい……」
 マーミルはまたもじもじし始めた。

 だがちょっと待て、妹よ!
 仮にネネネセがいなくたって、お兄さまもいるからね!
 二人きりじゃないからね!


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