恐怖大公の平穏な日常
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39 弟っていうのも、いいものなのかもしれません
魔剣に詳しいだけでなく、手入れも行き届いていただけあって、常日頃から鍛錬にも励んでいるのだろう。ケルヴィスの剣の腕は、未成年の魔族にしては見事といってよかった。
やや力に頼る部分が多いのと、剣筋がまっすぐすぎて単一なのは、未だ年齢を考えれば仕方ない。というか、逆に剣技をそれほど重視しない魔族にあって、独学だろうによくこれだけ鍛えたと誉めてやりたい。
こちらも単調に徹しているとはいえ、急な打ち込みにも対応してくる。
「右!」
「はいっ!」
「左!」
「はいっ!」
指示への反応も悪くない。
「ケルヴィス。今、俺がやったようにできるか? ちょっと逆をやってみよう」
「あ、はい」
覚えもいいようで、俺がやった通りに打ち込んでくる。
「もう一回」
一度目は彼がそうしたように再現してみせ、二度目は俺ならこうする、というように受けてみせた。
「――ああ、なるほど――」
二回通しでやっただけで、俺の言わんとするところがわかったらしい。
こんなにカンのいい子は初めてだ。教えてる俺まで楽しいではないか。
「よし、じゃあもう一回いくぞ」
「はいっ」
なにこれ……もしかして弟とか息子とかいると、こんな感じなのだろうか! ……いや、だからって、ケルヴィスに弟になってほしいとか、誰かと違って言い出さないけど!
となると、息子……まあそれは、今焦ってすぐどうこうなるものでもないしな。
「……いさま、お兄さま!」
「おっと……」
俺は振り上げた剣を止める。マーミルが俺を呼ぶ声に気づいたためだ。
それに反応して、ケルヴィスもこちらへ打ちかかってくるのをピタリと止めた。彼は額から流れる汗を拳で拭いつつ剣をおろし、肩を揺らして息を吐く。
瞳は相変わらずきらきらとしていたが、疲れてはいるようだ。ここらで休憩を挟むのも、悪くないかもしれない。
そう考えつつ、妹を振り返る。
「どうした、マーミル」
「私たち、さっきの魔術をなんとかできるようになりましたわ!」
妹はケルヴィスの前だからか――いや、そんなことは関係ないに違いない――少し誇らしげに報告した。
「ケルヴィス、待っていてくれ」
「はい――」
少年は息を整えながら、剣を鞘に収める。
「座って休んでてもいいぞ」
「いえ、大丈夫です」
「アレスディア、水でも飲ませてやっていてくれ」
「はい」
じっと傍らで俺たちを見守っていた侍女が、水の入った大きなガラス瓶を一本持ってきて、ケルヴィスに手渡す。
「ほら、ぐーっとおいきなさい、ぐーっと」
「えっ……あ、でも……他の方の分が……」
「大丈夫! 子供が遠慮するんじゃありません! それに一人一本飲んでも、まだありますから!」
「……すみません……」
うん、アレスディア……本数はあるっていっても、ほら、コップに入れて飲ませてあげるとか……まあ、いいけど。なんだか、未成年の子供に悪い酒でもすすめている親戚のお姉さんのようではないか。
ケルヴィスもほら、微妙な困惑顔だぞ。
それはともかく、俺も剣を鞘にしまい、土柱の方へ移動した。
「じゃあ、順番にやってごらん」
妹の視線はガラス瓶をあおり飲むケルヴィスに釘付け――いや、彼を一瞥していたようだが、俺からじっと見守られていることに気がつくと、慌てたような表情を浮かべた。
「じゃあ、私から――」
緊張をみなぎらせ、ゆっくりと、術式を描き出す。妹は何度も繰り返すうち術式を覚えてしまったようで、展開図を見ずとも間違いもせず、魔術を発動させたのだ。
俺の見せたのと寸分違わぬツタを這わせた土柱が、大地から姿を現す。
「よくできている。後は速度を上げられるように、練習しなさい」
「はい!」
次はネネリーゼの番のようだった。
彼女はちらちらと展開図を見ながら、少し不安の残る様子で術式を展開させた。しかしそれでも、完璧に模したとは言えない状態だ。けれど違いといっても、配置がかすかにずれたり文様の大小が変わっていただけのことで、やや細くなった土柱に手本より大きな花を咲かせたツタが巻き付く、という結果に終わった。まあ、許容範囲だろう。
最後がネセルスフォ。
「頑張って! あなたならできるわ!」
「ええ、そうよ。さっきも成功したじゃない。あの通りにやればいいのよ!」
マーミルと姉妹に励まされ、緊張の面もちでネセルスフォが術式を描き出す。ゆっくりだった先の二人より、さらにたどたどしい遅い速度で。
「はあ、はあ」
彼女の魔力の量からいって、その規模のものを描くのが、困難だという訳ではないはずだ。三人の魔力量は、俺から見ればほぼ同じなのだから。だがそれでもネセルスフォはこわばった肩を揺らしており、額には脂汗を浮き上がらせていた。
そうして出来上がった術式は、姉妹のものより文様の位置や大きさ、形などがよりズレたものだった。
さらに彼女の土柱は、マーミルの背ほどの高さしかなかった。土台こそ俺の手本より太くはあったが、上に向かって先細りした円錐型。そこへ巻き付くツタの本数は多いわりに花は少なく、かつ、なぜか枯れていた。本物を咲かせた訳でもないのに……。
とはいえ魔力量が不足している訳ではないのだし、単に術式を模すということが不得意な者もいるから、ネセルスフォもそのタイプなのかもしれないと考えることもできる。
たとえば文様を指定せず、全く同じとは言わなくても似た結果になるよう術式を構築してごらん、と言えば、うまくできる可能性はないだろうか?
「ふ……不出来で、すみません……私その……どうも、芸術的センスが乏しいらしくて……」
俺が黙っていたのを怒っているようにでも思ったのか、ネセルスフォが申し訳なさそうに陳謝する。本人のみならず、マーミルとネネリーゼも俺の判断を緊張しつつ待ち受けているようだった。
「もう一度、やってみせてくれるかな?」
「はい……」
ネセルスフォは今度もさっきと全く同じ、ちょっと文様のいびつな術式を描き、全く同じ土柱を出現させた。
もう二度やらせ、全く同じ土柱が四本並ぶ。
やるたびに毎回違うのならともかく、自分自身では同一の術式を描けるのであれば、やはり単に模すのが不得意と見なすべきではないだろうか。
うん。尖っているのはむしろ攻撃にはもってこいだし、妹たち同様基礎的な魔術は会得しているのだろうから、手本通りの術式を無理に仕上げろとは言わなくてもいいではないか。
どうせ高位の者と戦うには、自身で手を加えた魔術の存在が重要になってくる。ネセルスフォもこれはこれで、無理に矯正するよりは、魔術を不得意と思いこまないように、得意分野を伸ばす方向で育てたほうがいいのではないだろうか。
慣れれば彼女だって、もっと自在に形を操れるようになってくるだろうし。
「いいだろう。だいたい三人とも、自分なりにはできているようだし、次の術式を教えよう」
とにかく先に形だけ教えてしまって、より精度を上げるための練習は、後でまとめてすることにしよう。みんながみんな、同じ魔術を得意とし、不得意とするわけではないのだから。
「今度の魔術は氷だ」
術符を三人に配り、手本を見せる。俺が建てた土柱だけを残して子供たちの造った者をすべて壊し、次の術式を展開させた。
それは単なる氷だけのものではなく、また造形との複合魔術だ。土柱に咲かせた土の花に、氷の蝶を留まらせる、さっきよりさらに造形に重点を置いた魔術だった。
今度の術式は土柱より少し複雑だし、五回ではなく、最初の要望通り十回やってみせた。
「わかったか?」
「……はい……」
ん? なんか、元気がないな……。
「疲れたのなら、休憩を挟んでもいいんだぞ?」
「いえ、頑張りますわ」
妹は双子と顔を見合わせ、練習に励みだした。
再び俺はケルヴィスとの鍛錬に戻り、声がかかれば三人娘の魔術をチェックし、また剣、また魔術……そんなことを繰り返して四回目だったろうか。
「もういい!」
妹が、突然キレたのである。
「もういい! 私もう、魔術の練習なんてしない!」
妹はどうしたことか、怒りで真っ赤な顔をしながら、最初に建てた土柱を別の魔術で砕いたのだ。
「どうした、マーミル。さっきも言ったろう? 疲れたのなら一度休憩をして、それからまた模写を……」
「お兄さま、私の魔術の練習なんて、どうでもいいと思ってる!」
……なんだって?
「何言ってるんだ。そんな訳ないだろう。どうして突然そんなことを……」
「だって私たちより、ケルヴィスのことばっかり気にしてるじゃない!」
おい、うちの妹、なんだって?
これは――嫉妬なのだろうか? うん、だろうな。
自分のお兄さまが、他所の子ばかり可愛がって見える、とかそういう種類の。
けれど妹よ。そもそもケルヴィスを誘うといったのはお前じゃないか。
『とはいえ確かにその時の俺は、ケルヴィスとの剣の稽古楽しさに、妹の練習を真面目にみてやってはいなかった。その上、彼女の怒りを軽く捉えすぎていたのだ。
せめてその時、もっと真摯な態度で妹の想いを聞いてやっていたら――
妹にはこう見えたのだろう。ケルヴィスの稽古の片手間に、自分たちの練習の結果だけを見ている――さらに言うならば、ネセルスフォはそれほど上手にも出来ていないのに、それでも良しとして助言さえしないその姿勢が、もうなんか適当に対応しているようにしか見えない、と』
以上がアレスディアによる、今回の顛末の解釈だ。
反論したい部分はあったものの、「男性とは違って、女性には結論だけではなく、事情の説明が必要なのですよ。こうしろ、ああしろ、だけではたとえ相手のことを心から考えていたとしても、何も伝わらないのです。ちゃんと説明してくれなければ、ストレスばかりたまります」という説教じみた意見を後で聞かされ、ただ無関心に放置したように見えたことについては、反省することにしたのだった。
だがその時の俺は妹に対し、こう続けた。
「そんなぐずぐずいってる間に時間ばかり過ぎるぞ。もったいないだろう? 疲れていないのなら、次の魔術の練習を――」
「なによお兄さまなんてっ! もう知らない!!!!」
「おぅわっ!」
俺はまさか、マーミルがこちらに向かって攻撃魔術をぶっ放してくるなんてことがあるとは考えてもいなかった。
迫る火柱をもちろん余裕でよけたが、その間に妹は身を翻し、荒れ地からかけ去ろうとしていたのだ。
これは後で自ら反省した。
止められたのだから、せめてこのとき妹を止めるべきだった。
だが俺はそうしなかった。
まさかマーミルが、それほど本気で怒っているとは思ってもいなかったからだ。どうせいつもの癇癪で、甘いものでも作ってやればすぐに機嫌を直すだろう、なんたって嫉妬の相手はケルヴィスでもあることだし――そう軽く考えていた。
だってまさか予想できるはずがないじゃないか。
怒ったマーミルが、今度は〈暁に血濡れた地獄城〉を目指して家出をするだなんてこと!
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