古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十二章 家内安全編】

40 ウィストベルの城を訪れるのも久しぶりです



「どうかうちの妹を、帰してください」
 俺は〈暁に血濡れた地獄城〉を訪れ、その城主である彼女に初めて会ったときと同じ格好で、そう請願した。
 その相手とは、そう、ウィストベル。つまり初めて会ったときの格好とは、土下座だ!

「……まるで私がさらったかのようではないか」
 声音が固いのを察して、内心冷や汗をかく。
「いや……そんなことは微塵も思ってません。ませんが、しかし……」

 勇気を振り絞って顔を上げてみると、そこには女王然と長椅子に腰掛け、赤金の瞳を嗜虐的に彩って微笑む、絶世の美女の姿があった。
 しまったぞ、俺。ちょっと出だしを間違えたかもしれない。ああ、久々にヒュンヒュンする……。

 いきなり土下座をしておいて今更だが、そろそろと立ち上がり、今度はウィストベルを見下ろしてやり直す。
「妹が多大な迷惑をおかけし、心底から申し訳ないと思っている。迎えにきたので、帰して…………もらえませんか?」
 懇願から……やっぱり懇願へ。

 ウィストベルは小さなため息を一つ、座れ、という風に手に持った扇を振る。もちろん俺は大人しくそれに従って、テーブルを挟んで彼女の正面にある長椅子に腰掛けた。
 これまで何度も利用したことのある応接に間違いないというのに、透明度の高いガラステーブルも、手入れの行き届いた天鵞絨張りの長椅子も、毛足の短いえんじ色の絨毯も、まるで初めて見る家具のようによそよそしく感じられる。一体これは、どうしたことだろう。

 魔族最強の女王様は、手に持った大きな扇を開き、その口許を覆い隠した。思わず浮かんでしまった残虐を、そうするかのように。

「帰すもなにも、もとより私がさらってこさせた訳でも、招待したわけでもない。主の好きにするがよかろう」
「ありがとうございます。で、妹はどこに?」
「……私は子供が苦手での。とはいえ、マーミル嬢は我が同盟者たる、主の大切な妹御……ゆえに大事をとって」

 ウィストベルは扇をピシャリと閉じ、それからその房飾りのついた先端を、窓の外へと向けた。
 その延長線上を追って、視線は日中の抜けるような青空を背負った、高い高い円塔に行き当たる。

「私自ら結界を張り、外からの侵入を阻んでおる」
 ……えーと、つまり……うちの妹、塔に閉じ込められてる、的な?

 その円塔は、〈暁に血濡れた地獄城〉の果てを示すかのように、城壁近くの丘の上に、ポツンと建てられていた。
 それほど面積は広そうではないが、地上から見上げるその高さたるや、首が折れるのではないかと危惧するほど――マーミルなら間違いなく見上げた拍子に尻餅をつくだろうな……そう確信を持てたほどの高さだった。

「妹御は最上階じゃ。早う迎えに行ってやるがよい」
 ウィストベルはまた扇で口元を隠し、艶然と微笑む。その態度に不穏なものを感じ取り、俺は再び塔を見上げた。
 きっと、ここはただ高いだけの塔ではない。延々と続く階段を単純に上るだけで、妹にたどり着けるようなただの塔では……。
 だが、そうと予測できるからといって、ここで躊躇するわけにはいかないではないか。
 この場に留まれと囁く本能の声を振り払い、俺は頑丈な鉄の扉を開く。
 最上部にしか窓の認められない塔の一階は、外が明るいせいで余計か、そこだけ夜が訪れているかのような暗闇に支配されている。

「参考までじゃが、以前ベイルフォウスが入ったときには、出てくるのに三日を要した」
 えっ!?
 ベイルフォウスが三日もかかった……だと!?
 俺は思わずウィストベルを振り返る。が。

「早う入れ」
 振り向きざま肩を押され、俺は塔の中に一歩を踏み出していた。
「もっとも、主は存外、早いかもしれぬ。待っている相手のことを忘れねばの」
「それはどういう……」

 答えはもらえなかった。無慈悲にも質問の途中で扉は閉められ、押そうが引こうが、二度と内側から開かなかったからだ。
 やばい、兄妹そろって閉じ込められた。なんたる不覚……。
 俺は反省も含めて早々に諦め、背後にそびえる闇を見つめた。
 上を見上げても、遠くまでは見通せない。ただ、円塔の中心から螺旋状に伸びる階段の影が、視認できただけだ。
 俺は明かりの魔術を灯し、覚悟を決めて一段目に足をかけた。

 ***

 結果からいうと、俺は早かった。
 いや違う。早いと言ったって、つまり別にそういう意味でじゃない。別に早くないけども、そういうことじゃなくて……え? 意味がわからない?
 とにかく、俺は別に早くはないのだが、早かったのだ。
 もっともベイルフォウスに比べれば、という意味ではある。塔に入ったのはまだ日の高い日中だったが、最上階にたどり着いた頃には、すでにどっぷり日が暮れていたのだから。

「お兄さま、どうしたの?」
 部屋にたどり着いたとき、最初はツンツンしていたマーミルが、こちらの様子を見て心配のあまりそう尋ねてきたほど、俺の疲労はすさまじかった。
 きれいに整えられた客間で、平和にお菓子を頬張る妹の姿を見た途端、脱力してすぐ横にあった椅子に腰掛けてしまったくらいの疲労だ。

 俺はてっきり、塔の中には〈修練所〉のような攻撃魔術か何かが仕掛けられていると思い込んでいた。
 ああもうほんと、何かあるとは思っていたが、想像とはまったく真逆の罠が仕掛けられているだなんて! ……いや、あれもある意味、攻撃魔術と言えなくもないのではないだろうか。

 しかしあれをベイルフォウスが三日で抜けたって? いや、抜けたってそういう……ごほん。
 とにかくその塔の仕掛けは、俺の精神に多大な負担を与えたのだった。

「あの、ウィストベル大公閣下、お兄さまはどう……したんでしょうか?」
「主の兄は今、妹への愛情をかみしめておるのじゃろう」
「え、私への愛情をっ!」
 妹の声が弾む。

「まあ、危ないところではあったがの。見知った女性ばかりがあられもない肢体で現われたうえ、最後に待ち構えているのが私では、その手腕に籠絡しかけたのもやむを」
「ウィストベル!」
 俺は慌てて立ち上がり、女王様の口を塞ぐ。もちろん、手で。

「……?」
 マーミルは疑わしげな視線を向けてはくるが、ウィストベルが含ませた意味はいまいちわからなかったようだ。妹が子供でよかった!
 だが、言っておくが俺に恥じるところはない!
 その変な魔術で一旦意識をもっていかれそうになったが、ちゃんと妹が待っているのだということを忘れず、抵抗しきったのだから! 次々襲いかかる煩悩に打ち勝ち、誘惑を退けたのだから!

 ああ、そうだとも!
 俺の背を押して塔に入らせたくせに、結局ウィストベルは最上階の手前で俺を待ち受けていたのだ。それまでも本物と見紛う数々の女性が……ごほん。
 とにかく、それまでは全員幻術だったのに、まさか最後の最後に本物が待っているだなんて誰が考えるだろうか!
 ……それまでと違って、いやに生々しい感触だとは思ったんだ。だが俺はちゃんと、最終的には拒んだのだし!

 ……けど念のため、一応、心の中では謝っておこう。魔王様にこっそり「ごめんなさい!」と!
 …………えっと……それからジブライールにも……あと、ミディリース、リリアニースタ、ダァルリース、エミリー、クリストナ、あろうことかユリアーナまで。その他にも城の侍女たち……もう今までに出会ったすべてのデーモン族の女性たちに、心中で謝っておきたいと思う。
 でも俺、普段からあんなことを想像してるって訳じゃないから!
 ……無意識の表れだ、とか言われたらどうしよう……。

「マーミル、頼む……」
 俺は妹に二、三歩歩み寄り、彼女の目線に合わせるように腰をかがめ、手を差し伸べる。
「お兄さまが悪かった……謝るから、一緒に帰ってくれないか?」
 ぶっちゃけ、釈然としないわけではないが、俺は大人だ。内実については帰ってから話し合うとしても、寂しい思いをさせた、という事実に対して謝ることについては異論ない。
 それに何より、今は一刻も早く自分の城に帰りたいのだ。

 おなじみの〝あっかんべー〟でもしてくるかと思ったが、予想に反して妹は反抗してこなかった。
 マーミルはむしろばつの悪そうな表情を浮かべて俺の元に歩み寄ってき、手を握り返してくれたのだ。

「あの、私こそ……私こそ、お兄さま。我が侭を言って、ごめんなさい」
 え……今、なんて……?
 今、うちの妹が素直に「ごめんなさい」と言ったように聞こえたのだが……空耳じゃない、よな?
 しかもなんか、シュンとしてないか?

「思い通りにいかないからって、飛び出したりして……ごめんなさい」
 また言った!
「もう私のことなんて、憎たらしくて嫌いになっちゃったかもしれないけど……でももうそんな勝手はしないから、一緒におうちに帰っても……いい、ですか?」

 さらにはこちらの機嫌を伺うように、上目遣いで見てくるではないか。
 いつもの生意気な態度は微塵も感じられない、今にも涙をこぼしそうな、不安げな様子で。
 一体何が……。だがともかく詮索はおいて、不安がっている妹を安心させてやろう。
 ここでもちろん、お前の「もうしない」は何度目だ、とか余計なことも言ってはいけない。

「馬鹿なことを言うな、マーミル。お前はお兄さまの、たった一人の大事な妹だ。誰が嫌いになんてなるもんか」
 俺は膝をつき、妹を抱き寄せる。
「俺たちの城へ、一緒に帰ろう」
 そう言うと、マーミルは不安を押し出すように、俺の首元にぎゅっと抱きついてきた。
 その頭をなでてやりながら、ウィストベルに疑問の目を向ける。

「なに、主の妹であることの幸運を、軽く教えてやっただけのことじゃ」
 ……軽くってどの程度なんだろう。脅したりはしていないですよね?
 いや、妹はウィストベルに怯えてはいないし、大丈夫に決まっている。そんなこと、微塵も疑っていないとも!
「ありがとう……ございます」
 ウィストベルは心得たように、一つ、頷いた


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