古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十三章 魔武具騒乱編】

52 追い詰められているのは


 目的地への到着を告げる竜の鋭い声で、覚醒する。こうして考え事をしていられるのも、昼は竜に行き先を任せておけるおかげだ。
 モーデッドを振り返ると、彼は跪いたまま、うなだれるように俯いていた。その右手首を掴み――

「行くぞ」
「え? えええええ? ええええええええっ!」
 一軒の小さな家を目指し、飛び降りる。
 だが、その空中に身を翻した直後、『ドゴォン』という大地をも震わす派手な爆発音がしたかと思うと、その家の屋根が――いいや、壁や床もろとも、一軒の家そのものが吹き飛んだのである。

「ひぃぃぃぃ! お嬢、助けて!!」
 情けない声を出すモーデッドもろともを護る防御結界を張り、飛んでくる瓦礫をはじきつつ、下方に目をやる。
「これは――」
 そこに広がっていたのは、魔術によってえぐられた直径一kmほどの穴。しかし単に大地がえぐれ、断層が明らかになっているだけの場所ではない。

 その眼下には俯瞰してようやくその規模に気づけるほどの、入り組んだ石造りの通路の跡が見てとれたのである。
 曲がりくねった細い路が、ある場所では行き止まり、ある場所では別の通路と合流し、枝分かれしている。さらにはいくつか小部屋に通じた場所もあるようだ。
 膝より下の壁と床しか残っていないが、それを見るだけでも『知らずに足を踏み入れたが最後、案内人の助けなしに脱出するのは容易ではあるまい』と確信できたほどの複雑さだった。
「まるで蟻の巣じゃないか」
 一体誰が、なんの変哲もない小さな狭い家の地下に、それの数十倍に及ぶ迷宮が広がっていると考えたろう。

 家のあったちょうど真下あたりが広間のようになっており、路はそこから四方に延びている。地上より続いていたのだろう階段の土台が残るそこを目指し、俺は降下した。
 そうして実に安全、かつゆっくり降り立ったというのに、なぜかモーデッドはその場にへたりこんでしまったのだった。軍団長の城の執事がこんな弱腰で大丈夫なのだろうか。

 しかし今、注目すべきは同行者の彼ではない。
 階段の前に立つ、最前の破壊魔術を放ったであろう我が銀髪の副司令官、そして彼女が構える弓矢の鏃が狙い、葵色の双眸が射抜くその先に、脅えた顔で立っている――

「リーヴ!」
 ジブライールが責めるような口調で呼んだその相手こそ、ネズミ顔をした我が城の医療棟事務員――そう、エンディオンと共に〈断末魔轟き怨嗟満つる城〉から姿を消したのは、ネズミ大公のたった一人の息子にして、我が医療班の事務を引き受けるリーヴ、その人だったのだ。
 彼が立っているあたりで地下通路の崩壊が止まっているのは、ジブライールがその規模で止めたからか、それとも相手が彼女の攻撃を防いだからか。

「ジャーイル閣下より身に余るほどのご厚情を賜っておきながら、よくも――」
 ジブライールさんの、地を這うような低い声が怖い。もしかして、すぐ後ろにいる俺にも気づいていないのではないかと思うほど、リーヴに視線と的を定めたまま殺気立っている。
 それを一身に受けるネズミくんは、遠くからでもわかるほどの震えを帯び、ようやく立っているという風情だった。

 そう。俺が訪れたのは、医療員となる以前のリーヴがその母親と住んでいた、小さな小さな家だったのだ。とくれば、『ヨルドルをそそのかした女性』が誰かも自明の理だろう。
 つまりウォクナンを甘言を用いてそそのかし、共謀して我が城に忍び込んだばかりか、その魔力さえ奪い取り、さらには大事なエンディオンをさらって逃げおおせたのは、デイセントローズの叔母、そしてあの恐るべきペリーシャの双子の姉――つまりリーヴの母であるリシャーナであるに違いなかった。
 もちろん、彼女の罪はそれだけではない。すべてが明らかになったわけではないとはいえ、ヨルドルに大逆を持ちかけ、詭弁を弄して人間を利用してみせたのも、すべて彼女の企みによるもの――
 しかし今はまだ断罪の場ではない。その詳細は、捕らえて後つぶさに確かめることとしよう。

 そうはいえ、彼女の姿は誰の目にも見えない。ヨルドルによる隠蔽魔術が、ラマのその身に施されているからだ。
 もっとも見えたところで俺がその姿に注目したかどうか!
 なぜって、リーヴが背にかばうそこに、我が家令の姿があったからだ。

「エンディオン!! 無事で――」
「旦那様! 避けてください!」
 え?
 訳が分からぬまでも、我が家令の発した必死の叫びに反応し、とっさにジブライールもかばって壁に沿うよう身体を翻す。
「っ!」
 間一髪!
「うわっ!!」
 目に見えない何かが俺の横をすさまじい速度で通り抜け、後ろで座り込んでいたモーデッドに命中したようだった。その途端――

「くっさ!!」
 !?
「くっさ! なにこれ、くっさ!! ひぃぃぃぃ!」
 涙声に振り返って見ると、モーデッドの頭を覆うようにべっとりと濁った色の汚い液体がかかっている。
 そして、それが…………くっさ!
 確かに臭い……それも尋常な臭さではない。鼻がひん曲がりそうなほどの臭さではないか!!!

「う……」
 さすがのジブライールさんでさえ、眉を顰めてその手で鼻を覆ったほどの臭い。
 我が家令の忠告がなければこれが俺の頭に――そう思うとゾッとした。モーデッドには悪いが、液体を浴びずにホッとしている自分がいる。
 これはどう見ても魔術ではない、よな?
 だから俺も反応できなかったのだ。そうに違いない。

「うぐっ!」
 苦しそうな表情を浮かべ、後退さるエンディオン。だが、その足底はやはり大地を蹴ってはいない。宙に浮いているのだ。
 こちらのラマ母は、マッチョなのだろうか? もしかして、メイちゃんとかモラーシア夫人のようなタイプなのだろうか?
 なぜって、どこからどう見ても、エンディオンが吊されているのはあきらかだからだ。しかも、俺への警告を責められてか、見えない手に首を絞められ、血の気を失いながら――

「エンディオン!!」
 家令を救うべく、俺は駆け出す。
「リーヴ、退け!」
 リーヴは右往左往しつつも、エンディオンの立つ横穴の前から退こうとしなかった。そのあたふたする様子からは、俺の行く手を遮る目論見があってのことか、それとも単に反応の鈍さが災いしてのことか、判別できない。
 相手の見かけが気弱だからとて、それがこちらに敵対する意志の有無を断じる材料にならないのは、ついさっきいい例をみたところだ。

 しかし、さすがにヨルドルとリーヴは違う……今までの付き合いを鑑みて、そう信じたい。
 そうだとも。彼を医療棟で事務員として雇って以降、感謝の思いを伝えられたことはあっても、薄暗い負の感情を向けられたことなど一度もない。そんな彼を、事情もわからないうちから傷つけるつもりはない。確と手向かう態度を取りでもしない限り。

 だから俺はヴェストリプスの穂先ではなく、石突きを突きだしたのだ。
 けれどそのおかげで、魔槍は偶然にもあの液体を捌くこととなった。またも物体に着弾した途端、その液体は姿と臭いを現したのだから。
 二度目も直撃は避けられたが、それでもさらなる悪臭があたりに立ちこめる。
 そのせいで――まずい、ひるんだ。生理的嫌悪を催すほどの強烈な臭さに、俺はひるんだばかりではなく、踏鞴を踏み、後退してしまったのだ。
 だがそれも幸いだったと言えよう。なぜなら今まで以上に大量の液体が、俺が退いたあたり一面にまき散らされたからだ。

 その液体に実害はないようだ。なぜってモーデッドの髪は抜け落ちるどころか変色する様子すらなく、その肌だって別にただれてもいないからだ。
 しかし身体には無害と知れても、それでも本能が避けずにはいられないおぞましさが、その液体にはあった。

「あっ!」
 驚いたような声をあげ、リーヴが後ろにひかれる。こちらもまた、エンディオン同様見えない手に操作されているかのように。
「おのれ、痴れ者が!」
 ジブライールが番え直した矢が、通路の闇に消えたリーヴを追って放たれた。


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