古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十三章 魔武具騒乱編】

53 困ったときの執事くん


 ジブライールの魔力を帯び、すさまじい渦を巻きながら飛ぶ破壊の矢――それが俺の横を過ぎようとする瞬間、ヴェストリプスを突き出し、羽根にかすめさせる。
 逃走する母子を貫くべき矢は軌道を変え、彼らの進み入った通路の天井に当たり、辺り一帯を落盤させた。
 そのせいで通路の入り口はふさがってしまったが、そんなことは問題にならない。たかが石や土塊の障害物ごとき、魔術でどうとでもなるのだから。

「すまない、ジブライール。だが……」
「いえ。こちらこそ、出過ぎたことをして申し訳ありません」
 てっきり「なぜ邪魔を!?」と責められるとでも思っていたのに、それどころか期待に満ちた視線を向けられたんだけども。
「閣下のことです、妙案がおありなのですね!」
 おお……。なんだか、あまりの信頼に心が痛む。今だって本来なら俺はもっとうまく立ち回れたはずなのだ。それをエンディオンの姿を見た途端、考えなしに反応してしまい、結果、意図せず相手を逃がしてしまったというのに。

 それに、俺がジブライールの矢の行く手を遮ったのは、彼女の言うような妙案あってのことではない。ならなぜ邪魔をしたんだって?
 答えは簡単だ。考えてもみてほしい。あの攻撃が直撃したら、どうなると思う?
 リーヴや、姿は見えないものの、そこにいるだろう彼の母親ばかりでなく、エンディオンだって無事にすむはずがないからだ!
 だが、正直にそう白状してしまうことはできない。ならばここはせっかくのモーデッドを、その妙案のように扱わせてもらおうではないか!

「モーデッド! 追えるな?」
 図らずも声が弾んでしまったからといって、キョドった証拠にはならない……はず……。
「恐れながら、大公閣下……わ、私は、もう駄目です……こんな攻撃を受けてしまっては……きっと今に頭の皮が溶けだして……あぁ……」
 えー。
 大の大人が、たかが液体を頭にかぶっただけで泣きださんばかりの勢いってどういうこと。まあ、気持ちはわかるけども。

「魔族からの攻撃とあっては誤解する気持ちもわかるが、安心しろ。それはただの吐瀉物で、身体に害はない」
「…………え? ……え、吐瀉物……?」
「そう、ただの吐瀉物だ。姿が見えないのでわからなかったろうが、相手はデヴィル族――一部がラマでな」
 ここに来るまでの間に、モーデッドには姿の見えない相手と対峙するであろうことは伝えてある。だがその正体までは、まだ伝えていなかったのだ。

「彼らの習性として、危険を感じると唾……というか、胃の中のものを吐瀉し――」
「大公閣下! 恐れながら、説明は結構です!」
 今まで彼から発せられた中で、一番の大声だった。続いて「逆に……聞きたくなかった……」という弱々しくも絶望に満ちた呟きが届く。

「とにかくそんな訳だから、身体の負傷を気にする必要はない。さあ、その能力を十分に発揮してくれ!」
 ジブライールが期待に満ちた目で君を見ているぞ!
「大公閣下、誠に申し訳ありませんが、それでも集中力が……大事な局面とわかってはいるんですが、この臭いのせいで集中力が……」
 確かになぁ。すぐに振るって汚れを落としたヴェストリプスからでさえ、眉を顰めたくなるほどの臭気が漂ってくるのだ。それが頭にこびりついているのだから、さぞ耐え難いだろう。とはいえ、ぐずぐずしていてはせっかくの彼の能力も無駄に終わる。

「……いっそ、折ってしまえばよいのです」
 ……ん? 今なんか、不穏な言葉が聞こえた気が……。
「この大事にあって、閣下がこれほどの寛容をお示しだというのに、たかが動物の唾を吐きかけられただけで動けぬ、などと言う軟弱な者の鼻など、折ってやればよいのです! 嗅覚自体をなくせば、臭いを気にする必要などなくなるのですから!」
「ああ、なるほど……」
 ……って! いやいやいや、ジブライールさん!!
 むしろ折った痛みでよけい動けなくなるに違いないから!

「ひっ!」
「ジブライール、ちょっと待て!」
 実際に握り拳をあげたジブライールの腕を、あわてて掴む。折るといって方法がグーパンなのが、ジブライールらしいといえばらしいではないか!
「ですが閣下! この男が追跡の要だというのなら、役に立ってもらわねば連れおく意味がありません! 時は一刻を争います。無駄に時間を過ごすだけ、エンディオンの身に危険が及ぶ可能性は大きくなるばかりです!」
 ジブライール……そんなにも我が家令の身を案じてくれていたとは!

「今この瞬間にも、相手がエンディオンを足手まといと、あるいは時間稼ぎのためと、殺して通路に置き捨てているやもしれません!」
 え、なにその想像! 泣きそうなんだけど!
「それとも、閣下自ら手を下されますか?」
 え、なに。俺にモーデッドの鼻を折れと?
「エンディオンに苦痛を与える者がいたとして――それに関わった者には、それ以上の苦しみと絶望を与えてやろう」
 そうだとも。我が家令を傷つけてみるがいい。彼が味わった以上の苦痛を、味わわせた者に与えてやろうではないか。

「だが――」
「ジブライール閣下のおっしゃるとおりです! 軟弱で申し訳ありませんでした! いつでもいけます、頑張れます!」
 ジブライールの脅しという名の激励は覿面にきいたらしい。モーデッドは直立すると、目尻に涙をためながら、青ざめた顔でそう叫んだ。
「ただ、少しだけお時間をちょうだいできませんか。大変申し訳ないのですが、さっきあれをかけられたせいで、彼らの気配を探れておらず……」
「手早く頼む」
「はい、力の限り!」

 モーデッドは集中力を高めるためか、目を固く閉じた。その気迫に満ちた姿は、さっきまでの弱気で消極的な態度とはえらい違いだ。
 俺が命じてもこうはならないというのに、やはり美人からの発破だと、やる気の湧き方が違うものなのだろうか。大公の……いや、俺の権威って……。
 ちょっと寂しくなるから、考えるのはやめておこう。

 モーデッドの能力は、初めての場所での気配探索にあたって、まずは大まかに範囲を設定しなければならないそうだ。その適応距離は自分を中心点とし、四方八方に最大三十km。つまり、直径六十kmの円球が、彼が一度に探れる最大範囲とのことだった。
 それだけの広範囲とあれば、「自分の能力はよく知る者のいる場所でなければ役に立たない」との弁明も、理解できるというものだ。

 幸いにも、この近辺に魔族の家はほとんどない。二十kmほど先までいくと人間の村はあるが、さすがに今のわずかな時間で、そんな遠くまで逃げおおせるはずがない。
 万一、何らかの方法でその辺りまで行っていたとして、「人間と魔族の違いはわかる」そうだし、一度きりとはいえ、これだけ近くに迫ったんだ。特定は容易だろう。

 モーデッドが少し離れた敵を索敵するまでの時間は僅かと聞いている。その間に、ジブライールに確認しておきたいことがあった。
「ジブライール、ウォクナンに勝つ自信は?」
 俺の突然の問いに、ジブライールはきゅっと口を結び、頷いた。
「あります!」
 その瞳は「私が()ってよいのですか」と言わんばかりの期待に輝いて見える。

 そもそも、ジブライールとウォクナンを単純に魔力で比較すると、実はジブライールの方が強い。とはいえその差は歴然としたものではなく、そういう僅差の者同士の戦いでは、経験と技術が相手を打ち負かすこともある。
 もっとも、本来のリスが相手ならその危険はあっても、今、その魔力を保持しているのは、ついさっきまで弱者であった一人のラマ。奪った瞬間、その強大な魔力を暴走させなかったのはたいしたものだが、だからといってすぐさま使いこなせるというものでもあるまい。
 反撃として唾は吐いても魔術を放ってこないのは、未だその魔力のコントロールに苦心しているから……そう、読んでいた。
 それが、ただの希望的観測に終わらないことを、祈るばかりだ。

「ウォクナンの魔力を奪った者がいることは、ジブライールも知るとおりだ。それを成した相手の正体は、隠蔽魔術によって姿を消したリーヴの母親、リシャーナに間違いないだろう」
「えっ……リーヴの母親が、ウォクナンの魔力を?」
「ん?」
「ウォクナンの証言によって、リシャーナなる者が彼をそそのかし、居住棟に忍び込ませたことはもちろん知っておりました。けれどガルムシェルトは投擲武器ですし、ウォクナンの魔力を奪ったのはてっきりリーヴかと……以前も彼は、母親の命で卑怯にも背後から閣下のお命を狙ったわけですから……」

 なるほど。
 俺はこの目があるからリーヴの魔力量に変化がないのを知れるが、見えないジブライールからすると、前科があるだけに今度もリーヴが実行犯だと考えるのも無理はないわけか。
 ん?
 ジブライールはリーヴこそがウォクナンの魔力を奪った相手と睨んだ上で、あんなに殺る気満々で……あれ? えっと……? ってことは、だよ?
 そのリーヴをガチで狙ったということは、つまりジブライールさん……ウォクナンに魔力は返さないでいい、と……そう考えて……………………オホン。

「とにかく、この状況はかえってこちらに都合がいい……かもしれない。エンディオンを人質にしている以上、俺がおいそれと手を出せないと知ったろうし、その上で時間稼ぎができていると油断してくれていれば、の話だが」
 とはいえここまでのラマ母・リシャーナの動きを見るに、どう考えても俺たちはここにおびき寄せられた、とみるべきだろう。そうなれば、この先に罠があるのは確実。
 願わくはそれがジブライールのさっきの攻撃で、跡形もなく吹っ飛んでいてくれればいいのだが、そううまくいくかどうか……。

 しかし実際にはどうあれ、向こうの予想に反してこちらには追跡の手がある。
 こうして考えてみると、モーデッドを連れてきたのは正解だった。この件が片づいたら、何か特別な褒美をやることにしよう。
 そんなことを考えながら、ジブライールに現時点で判明している事実と、今後の展開予想、俺たちの取るべき対応を、かいつまんで伝えたのだった。

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