古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十三章 魔武具騒乱編】

56 本当に恐ろしいのは誰か、よく考えるがいいのです


 他人の気配が判別できる。居場所を特定できるほど、一人一人の違いさえはっきりと。
 俺、モーデッドに生まれた時から備わったその能力が、特殊魔術だと知ったのは、まだほんの子供の頃だった。
 いいや。それが自分だけが持つ特殊な能力であることに最初に気付いたのは、実は俺自身ではない。
 俺はその能力を、同族なら当然のように持っていると思いこんでいたし、血統隠術でもなかったため、両親も単に「他人の気配に敏感な子だ」としか思っていなかったそうなのだ。

 お嬢……現在の俺の主であり、今後もお互いの生命(いのち)ある限りそうあり続けるであろうティムレ伯爵が、
「それって特殊魔術ってやつじゃないの」
と言い出さなければ、もしかすると一生気付くことはなかったかもしれない。
 いつだって、肝心なことにまず気付くのは、お嬢なんだ。

 最初は、なんて有利な特殊魔術なのだろうと思った。
 しかし成長するにつけ、ぐんぐん強くなっていった幼なじみの二人と違い、俺の魔力は無爵の域を出なかった。そうであればこそ、余計この能力はありがたかった。
 白状すると、お嬢の家で執事を勤めるようになって以降なんて、これほど主のために役立つ能力はないんじゃないかと、鼻にかけてさえいた。
 けれど、俺の願いはあくまでも、『お嬢の役に立ちたい』それだけ。
 そのためだけに、この能力は使えればいい。

 他の誰かのために役立とうなどとは考えてもいない。それどころか、お嬢と猫公爵――フェオレス以外の強者には、関わり合いたくないとさえ思っている。
 それなのに誇ったその能力のせいで、俺がもっとも避けたいと願っていた相手と、こんながっつり関わらざるを得なくなるとは――

 けれど、後悔や感傷に浸っている余裕は、今の俺にはない。
 頭を湿らせた液体が発するひどい悪臭に、涙がこぼれそうだから、というのがその理由ではない。
 万が一、そんなことに気を取られて、ミスでも犯してみろ――後でジャーイル閣下にどんな目に遭わされるか、考えただけで怖気が走る。
 それに、本当にそんな余裕もない。自分の睫毛さえ見えない完全な闇が訪れた瞬間、遙か地中にあった気配が、こちらに猛スピードで浮上してくるのを感じたからだ。

 そいつの目指す先は、俺というよりジブライール閣下。
 けれど、俺は警告しなかった。なぜなら、公爵という高位魔族、しかも副司令官まで上り詰めている実力者に、弱者たる俺の助言が必要だとは思えなかったからだ。

 そもそも、地中にあるその不審な気配については、すでに把握し、大公閣下と合流した時点で、ちゃんと報告してあったのだ。つまりジャーイル閣下もジブライール閣下も、そいつの位置を知ることはできなくとも、その存在があることは知っていた。
 だから俺は警告しなかった。きっと避けられる――そう信じて疑わなかった。
『潜伏者がいる』
そのことを知っている状態なら、普段のお嬢――ティムレ伯爵でさえ、相手など見えなくとも、その攻撃をなんなく避けただろうから。
 なのにまさか、あのジブライール閣下が、その何者かの攻撃をくらってしまうとは!

 暗闇の中での出来事とはいえ、事実を把握するのは容易だった。
 辺りが再びの魔術光によって明らかとなったその時、裸足の美少女がこちらに駆け寄ってきたからだ。銀髪と葵色の瞳を見るまでもなく、手に魔弓を握りしめたその少女は、ジブライール閣下に違いなかった。
 それはジャーイル閣下より聞き及んでいた、ガルムシェルトの能力が発動された状態――つまり潜伏者がジブライール閣下の魔力を奪い取ってしまった状態に違いなく――
 その潜伏者はというと、ジャーイル閣下や汚い液体をまき散らせた女とは違って、ちゃんと俺やジブライール閣下にもその姿を見せているのだった。もっとも、見えているのは土にまみれたモグラの顔をのせた、脇から上のみ。

「ジ、ジブライール閣下っ!」
「問題ない、かすり傷だ!」
 背は俺の肩よりも下、声も若い……というか、幼くさえあるが、相変わらず性格はキツそうだ。うちのお嬢と違って!

 とまどう俺のことなどおかまいなしに、いつもより二十センチほど背の低いジブライール閣下は、すぐ隣で身を翻すや矢を番え、放った。地中からモグラ顔を突き出した、その敵に向かって。
 だが、今度は天井を崩落させたさきほどの威力はなく、モグラが超高速で振り回した鎖の盾で、あっけなく弾かれてしまう。

 相手の攻撃をまんまと食らわされた上に、自身の攻撃は軽くいなされ、とあっては、俺ならば落胆してしまいそうだ。しかしそこで落ち込むような者は、そもそも強者にはなれないのだろう。
 間違いなく強者であるジブライール閣下は、焦りや落ち込むようなそぶりは露とも見せず、むしろいっそう奮闘する姿を示してみせたのだから。
 公爵閣下は一本で駄目なら、とばかりに今度は一度に五本の矢を番え、一斉に放った。
 魔力を帯びた矢は単純な軌道は描かず、四方八方から回り込んで、モグラ男に襲いかかる。

 だが、今の渾身を込めたであろうその攻撃さえも、元は自身のものである魔力によって張られた結界により、ことごとくが阻まれ落とされた。
「くっ……!」
 さすがに、隣からギリ、と、歯をかみしめる音混じりの唸りが響く。
 次の瞬間――二つ、続けざまに鳴った甲高い音の正体に気付くや、俺は背筋を凍らせた。矢のお返しとばかり、モグラ男の爪が瞬時に伸び、ジブライール閣下を襲っていたのだ。
 見えなかった……届く瞬間とか、ぜんっぜん見えなかった! 万が一、その凶刃が俺に向けられていたかと思うと――!

「……っ!」
 眉間に深いしわの刻まれたジブライール閣下の額にさえ、脂汗が浮かんでいる。
 それでも、とがった爪はその未成熟な身体を貫いてはいない。見えない壁に阻まれたかのように、ジブライール閣下の目と鼻の先で、震えながら止まっているのだ。
 姿は子供になったところで、さすが副司令官閣下――いいや。

「力及ばず、申し訳ありません。閣下」
「気に病む必要はない」
 少々息の荒いジブライール閣下が謝罪し、ジャーイル閣下の平静な声がそう応じたところをみると、爪を阻んだ防壁は大公閣下の手によるものなのだろう。

「くっく……さすがに簡単に、はいかん、か」
 攻撃の一手を阻まれ、それでもモグラ男は気を落とすことなく、むしろ愉快そうに笑いながら爪を引っ込めた。

「ウォクナンの様子から、そうではないかと思っていたが……やはりガルムシェルトの仕業、か」
 気配でジャーイル閣下が背後にいるのはわかっていても、やっぱり姿が見えないと、ちょっと身構えてしまう。相手があのジャーイル閣下というなら、なおさらだ。
 もっとも、俺が警戒したところで、身のあることなどなにもできないのだが。

「しかもそれは……まさか、エルダーガルム?」
 あれ……大丈夫だよな? ここからの攻勢を、信じていいんだよな? ジャーイル閣下の声が驚愕に彩られて聞こえるのは、気のせいだよな?
「そ、の通りこれ、はエ、ルダーガルム。ガルマロスが最、後に作った三つ、の投擲、武器の一、つ」
 モグラデヴィルも俺と同じように感じたらしい。短い鎖をブンブンと振り回し、勝ち誇ったようにニヤける。
 あの恐ろしい輝く金の瞳に射抜かれているというのに、見えないって幸せだな。

「だが、ベイルフォウスの領地で見つかった、あのエルダーガルムは本物だったが」
 あれ? ホントにちょっとどうだろう。ジャーイル閣下が……あろうことか、あの怖いジャーイル閣下の声が、ちょっと自信なさげに……なんなら、かすかに震えてさえ聞こえたんだけども……? き……気のせいかな?
「そうでしょうとも。彼が持っていたのも本物。けれど、こ こにあるのも紛れもない本物」
 女声が響く。さっきから見えないでいる、もう一人のジャーイル閣下の敵――迷惑にも汚物・汚臭をまきちらすラマ女に違いない。

「ガルマロスの紋章が刻まれているのは鎖の部分。無知なお前達は知るまいが、ガルムシェルトの能力を保持するのは鏃の部分なのよ。その三つの鏃のうち、後でベイルフォウスに見つけさせた二つを、ともに偽物とすり替えておいただけのこと――。だというのにお前達ときたら、こちらの思惑通り、もうガルムシェルトは存在しないと、すっかり油断してしまうのだから。全く、己の魔力の強さだけを頼るばかりの能筋どもの愚かなこと――ほほほ」

 悦に入った女の声は、強者でない俺ですら耳障りだった。ジブライール閣下には余計だろう。
 俺の隣で「よくも閣下に対してそんな暴言を……」とか低い声で呟いてるんだもん!
 今の姿がいくら年下の少女のものでも、元の力を知ってるから十分怖いんだけども!
 それより怖いのが、姿も見えず黙りこくってるジャーイル閣下だ。ご機嫌がいいかどうかもわからないなんて、どうしたらいいかわからない! とりあえず黙っておくに限る……。

「ほほほ。これで実質二対一、しかもこちらにはお前にとってかけがいのない人質がある――その上、足手まとい二人を抱えて、いつまで耐えていられるかしらね!」
 二対一?

 確かに――ウォクナン閣下の魔力を得たラマ女自身と、ジブライール閣下の魔力を得たモグラ男。言ってみれば相手は強者二名だ。
 一方、こちらはといえば、強者たるのはジャーイル閣下ただ一人。戦力的に二対一といえばいえなくもないかもしれない。
 そうして、強者二人で挟みうちにした自分たちに分がある、とでも思い込んでいるのだろう。女は勝ち誇ったような笑いをあげている。
 でも、だよ?
 そのたった一人の強者が誰なのか、もっとよく考えた方がいいと思うんだ。

「人質、だと?」
 ようやく聞けたジャーイル閣下の声は、腹に響くほど冷え冷えとしていた。
「大公たる俺が、たかが家令一人のために、お前達の攻撃を躊躇するとでも?」
 ほら、やっぱり!
 お嬢ならともかく、〈恐怖大公〉と恐れられている大公閣下だぞ!?
 そんな方が、いくらでも替えのいる一家令ごときの身を案じるはずがない!

 足手まといと評された俺とジブライール閣下のことだって……いや、ジブライール閣下のことはわからないが、俺なんてさっき「この場で役に立たねばすぐにでも処分してやる」って宣言されたところだからね! 守ってもらえるはずもない!
 汚臭に心が折れたとはいえ、閣下の前で弱音を吐いてしまったさっきまでの自分を蹴り倒してやりたい。殺されなくて幸いだった!

 公爵の力を持っている者がたかが二名いるからといって、それがなんだというんだ。命知らずにも程がある。
 だってそうだろう? あの大公位争奪戦での無慈悲な振る舞い、あの恐ろしいまでの魔力を、コイツらは見なかったというのか?

 思い出すだけで、喉がカラカラになる。だが、つばを飲み込むのも厭われる。下手に音を立てて、ご不興を買ってはいけないからだ。もちろん、敵ではなくジャーイル閣下の――

 そんな緊迫した空気を破るように――

「む、息子!? そんな、母さん!」
 この場にはなんとも不似合いな台詞が――けれど何よりこの場に似合いの絶望に満ちた叫び声が、唐突に響いたからである。それは地に膝をついたままのネズミ顔のデヴィルから漏れたようだった。


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