古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十三章 魔武具騒乱編】

58 ラマの呼吸は「ヒッ・ヒッ・フー」


「エンディオン!!」
 虎は俺の元に達するや、口を大きく開けた。牙から放たれた家令を受け止め、間近で見た途端、安堵のため息が漏れる。
 大丈夫、意識を失っているだけで、命はある。首も、ちゃんと無事だ……服には穴が穿たれていたとしても、俺の見る限り、大きな怪我はしていない。
 だからといって、一瞬だって気を抜くつもりはない。

 エンディオンを今度は虎の背にそっと横たえ、右腕でジブライールを抱き上げる。
「きゃっ!」
 左手でモーデッドの首根っこをひっ捕まえ――「ぐげっ!」すまない。だって男を抱き寄せるとかちょっとあれだし――、すかさずエンディオンのすぐ後に飛び乗った。
 同時に、虎は宙へとその身を跳躍させる。

 一瞬の後、俺たちの退いた大地から、無数の針が生え並んだ。
 その有様は、まるで剣山のよう。少しでも遅ければ、串刺しになっていた、と思えるような景色ではないか。

「ひぇぇ……」
 逃げ遅れた自分の姿でも想像したのか、エンディオンと俺の間に座らせたモーデッドは、青ざめ、呆然となっている。
「あ、あのぅ……閣下……」
 一方のジブライールも、どこか気弱な様子に見えた。
 相手を油断させるために、芝居を続けてくれているのだろうか。もうそんな必要、ないんだけども。
 それとも単に、魔力が弱くなった弊害、とか。

「私、重く……ないですか……?」
 ああ、気にしているのはそっちか。
「いや、全く」

 プートほどではないにしても、俺もそこそこ鍛えている。
 今のジブライールなら、マーミルを抱き上げているのと変わらない。そのくらいで俺が、重いなどと思うはずがないではないか。
 あ、いや! 元のジブライールだって、全く重くないけども!
 そんなことより、耳元で小声を囁かれるほうが、こそばゆくて気になる。

 それにむしろ震えて足にしがみついてきたモーデッドの方が、重いし邪魔だ。たぶん、無意識だろうから言わないけど。
 もしかすると、彼は高所恐怖症なのかもしれない。竜の背から飛び降りる時だって、ずいぶん怖がっていたしな。

 現状、俺たちは天井までのわずかの高さとはいえ、宙に浮いているのだから。
 小ぶりに作りすぎた虎の背だって、ちょっと手狭だし。せめて四人が並んでゆったり座れるくらいの大きさには造っておくべきだった。
 いや、どのみち広くしたところで、暢気に座っているつもりもないけども。
 ……そうだ、どうせなら。

「ジブライール」
「はい!」
 俺が呼びかけると、ジブライールは幼い表情をキリリと引き締める。
 大人の時に比べると音は高いが、それでもジブライールの声はマーミルほどキンキン響かない。

「方法は問わない。虎を消すとして、しかも俺の姿は見えないままだが、君の魔術でこちらの四人を浮かせておくことができるか?」
「で……できます!」
 思った通り、ジブライールは瞳を輝かせた。

 正直に言うと、虎を造形したまま、敵二人の相手をしたところで全く負担などない。
 だが、俺の足手まといと思い込んでしまっているジブライールに、今こそ魔術を駆使してもらうことで、その負い目も薄れるのではなかろうか、加えて、そうしておけば万が一、彼女が記憶をなくした際には、その魔術が消えることで、問わずとも確認できるだろう、と考えたのだ。
 もちろんそうなった場合は、俺がただちに対処する。

 エンディオンの前……虎の首元に下ろしてやると、ジブライールは早速、両手を広げた。
 術式の構築速度は、魔力の強弱には関係ない。むしろ当人の術式に対する理解の度合いと、常の修練に左右される。
 その点において、ジブライールは副司令官の中ではフェオレスと並ぶ。

 今は弱者であれ、彼女が四人全員を空中に留め置くために構築した浮遊術式は、モグラ男が妨害のために放ったワンパターンな攻撃が届くより早く発動した。
 もっとも攻撃より後に有効となっていたところで、防御は俺が負っているのだから、妨害されたはずもないが。

「ちっ!」
 土から顔を出したモグラ男は、阻まれる攻撃を放つばかりの身に、さすがにふがいなさを覚えたのか、目元をひそめる。
 ところで、モグラ顔には結構クリックリでパッチリつぶらな目がついてるんだけども……これって、何の動物の目なんだろう。
 ……いや、どうでもいいんだけども!

「虎を消しても大丈夫かな?」
「もちろんです! ご期待に添うてみせます!」
 頬を朱に染め、弾んだ声で応じるジブライールを信頼し、造形魔術を解く。
 浮かせて欲しい、と言ったが、方法は指示していない。

 ジブライールはその手段として、虎の足下に土台を造ったようだった。そこを透明にしたのは、俺の視界を遮らないように、という配慮からだろう。
 その足場までは通常の速度で落下するかと身構えたのだが、予想に反し、四人とも浮遊感を保ったままゆっくり足場に着地した。
 これも、彼女の気遣いの賜物に違いない。
 高所恐怖症かもしれないモーデッドは、一層恐怖を感じているかもしれないが……。

「この役立たずがっ!」
「あっ!」
 片やしがみつく息子を足蹴にし、体勢を立て直したリシャーナが、ここにきて初めて悠然とした表情を崩し、怒りを顕わに歯をむき出していた。

 そういえば、リーヴ……どうしよう。
 うーん、でも、彼はリシャーナの側にいるわけだし、その攻撃で危険にさらされることはないよな。
 リシャーナだって罵倒したり蹴ったりはしても、さすがに実の息子に害はなさないだろう……だよね?

 こちらの躊躇した気配を悟ったわけでもなかろうが、母子が先手を打たんと攻撃をしかけてきた。
「母さん!」
「わかってる!」

 リシャーナがモグラの要請に応えて大きく口を開く。
 あの嘔吐物かと思ってとっさに身構えたが、だとしてもこの上空に届くはずがないし、届いたところでただの臭い液体だ。かかってもたいしたことはない。
 だが、念のためと思って張った防御障壁は、それが物理攻撃のみ阻むものであったため、役に立たなかった。

 ラマは液体を吐き出したのではなく、見えない波動――超音波を発したのである。
 瞬間、耳鳴りに襲われる。
「あっつ!」
 リシャーナの攻撃は、特にモーデッドに覿面だったらしい。彼は耳を塞いで足場に伏せた。
 目も瞑ったのは、目眩でも引き起こされたからか――
 なんにせよ、俺の足から離れてくれてよかった。しかもエンディオンの上に覆い被さるようになったのが、余計に僥倖だ。
 敵が術式を用いて超音波を発したのであれば、こちらはそれを打ち消す術式を構築すればよいだけのことだが、あいにく今回の攻撃は相手の身体能力によるものであるため、その手は使えない。
 まして、モーデッドの態度を見て有効と考えたのか、ラマは小刻みに息を吸うタイミングで、超音波を送ってくる。
 だから俺は攻撃が当たった瞬間、それを解析し、打ち消すための波動を瞬時に自動発生させる魔術を、防壁に追加したのだった。
 術式の定着がうまくゆき、耳鳴りはすぐに止む。

 一方、母と息を合わせた息子は、また同じ攻撃を放ってくる。つまり自身の鋭い爪と、大地を尖らせた土針でこちらを串刺しにしようと狙ってきたのだ。
 いくら生成速度に成長は見られるとはいえ、何度も阻まれているのと同じ攻撃――単調すぎやしないか。

 だが、そうみせかけたのは、こちらの油断を誘うためだったらしい。
 土針でこちらの注意をひきつけた、と思い込んだモグラ男が、その攻撃に隠れて地中に姿を消したのである。

 次の瞬間、天井――穹窿全体を覆う石が、崩落してきた。
 それも単に落下してきた、というだけではない。綺麗な二等辺三角形に分裂した天井が、頂角を下に向け、音速の速度で迫ってきたのだ。

 対して俺が構築したのは、巨大な球体の防御結界、ただ一つ。そこに天井石が触れるや、大爆発が起こる。
 穹窿は防壁や大地に触れてあっという間に砂塵と化し、それと同時に広間は再びの闇に包まれた。明かりが天井に付随していたためだ。

 続いて肌で感じたのは、ピリピリとした重圧。モグラの攻撃は、むしろここからが本番らしい。
 それは石を砕いたその向こうにあったろう、頭上の地層が迫り来る気配に違いない。
 いいや、気配は上方からばかりではない。下方から迫り上がってくる槌音も認められた。
 いかに俺の眼が魔術を視るといえ、(まった)き暗闇の中ではその能力も発揮できない。だから察するにとどまるが、おそらくモグラ男が講じたのは上下からの挟撃――

 今までの動きからも明らかなように、彼は土魔術を得意とするようだ。それには身体がモグラであることが、大いに関係しているのだろう。
 そしてこの地下の広間は、モグラが己の有利にことを運べるよう、用意された舞台であるに違いなかった。
 誘い込んだ敵を上下からの地圧で飲み込み、骨まで砕く――つまり俺たち四人全員を、跡形もなく土塊と同化させる。それが今日この場で彼が……いや、母子が思い描いた筋書だったに違いない。

 プートの土塊傀儡は、接した大地の力を借りて、もとは土が存在しない場所に構築、もしくは大地、そのものの容量を増幅させ、傀儡を造作する魔術。
 一方でモグラ男の使う魔術は、大地そのものを操作するもの――つまり元からそこにあるものを、そのままの容量で移動させるだけの単純なものだった。

 だが、古来より究極の威力を欲せば単純な装置と術式に依る、と言われることもあるように、そこにあるそのものを利用する魔術の方が、複雑な魔術(まじゅつ)よりよほど強力な効果を発揮することがある。
 この場合がまさにそうだった。

 まるで竜の顎が獲物を食むよう、俺たちの肉を断ち、骨を砕き、血をすすり、闇と飲み込む。
 敵の魔術はこの瞬間、プートの土塊傀儡の咀嚼力を上回る重圧をみせるはずであったろう。
 そうだとも――モグラの魔術が思った通りに発動されてさえいれば、そうなった可能性も皆無ではない。

 だが、エンディオンを取り戻した今、俺が相手に遠慮してやる必要など、もはやどこにもないのだ。
 俺は円球結界を解除し、攻撃のための術式を構築する。

「なにっ!?」
 驚愕に彩られた悲鳴が上がる。それは、モグラ男の口をついたもの。
「そんな馬、鹿な……」
 さっきまで、魔術の明かりを失い、完全な闇が訪れていたはずのその場所が、見渡す限り下方は抉られた地層がのぞき、上空は蒼天を戴いている現状を見て。

 俺たち四人を形も残らないほどの地圧で襲うはずであった天井と大地。
 だが、百式二陣をもって、そのことごとくを影形もなく消し去ったのである。
 もちろん、この俺が――ああ、いいや。ことごとく、ではないな。

「真偽の程は知らないが、モグラは身体が何かに触れていないと落ち着かず、死ぬこともあるのだと聞いたことがある」
 俺の言葉に、モグラ男はピクリと目元を震わせる。
「だから慈悲をかけてやった。ありがたく思うがいい」

 モグラ男の全身が潜んでいられるだけのわずかな穴、それにリシャーナとリーヴが立っていられるだけの大地。
 その二箇所のわずかな土塊だけを残し、なんなら一時的に結界までつくって守ってやった上で、それ以外――家屋のあったあたりからこの広間までの距離を半径とし、円形に捉えた範囲すべてを蒸発させたのである。
 しかも、残った土塊が落ちないよう、浮遊魔術までかけてやって。

 本気で相手に慈悲の心を覚えてそうした、というわけではない。
 だが、なにせジブライールの魔力を持ったモグラの命を、このタイミングで奪ってしまう訳にはいかないではないか。それに、ウォクナンへは魔力が戻らなくともかまわないが、リシャーナには顛末を語ってもらう必要がある。
 我が城の医療員であるリーヴの無事についても、思いやるのが城主の務めというものだろう。もし彼を罰する必要があるとしても、まずは話を聞いてみないことには。
 それにしても、地下にこもっていたのは少しの間だけだというのに、開けた場所に出て感じるこの爽快感はどうだ――

「そんな、どうや、って……」
 モグラ男の感情は、驚愕と恐怖と焦燥の狭間でせめぎ合っているようだった。
「なにをぼうっとしているの! お前は役立たずじゃないはずでしょ!」
 息子の心を折ったかもしれない百式だが、母の心は折れなかったらしい。リシャーナが叱咤の声をあげた。
 その上、彼女はわずかに残った足下の大地を蹴り、モグラを目指して跳躍したのだ。
 だが、この期に及んで敵が思うよう行動するのを、俺が許すはずがない。

『穂先で敵を貫け』
 ベイルフォウスの言葉が脳裏に蘇る。俺は大地を蹴り、空中でリシャーナに肉薄するや、彼女に向かってヴェストリプスをふるった。
 単にリスから魔力を奪ったというだけの、元は無爵の一女性が、その攻撃を避けられるはずがない。

「ぎゃっ!」
 リシャーナはひしゃげたような声をあげる。
 先細りした尾の中央を、ヴェストリプスで貫いたのだ。
 見かけより頑丈らしい尾は、足場への着地の衝撃にも引きちぎれることなく、貫いたままの格好でついてきた。

 しかし、衝撃に耐えたのは尾だけだったらしい。
「あがぁぁぁぁ!」
 痛みを散らすかのような叫びをあげたっきり、ラマの全身から力が抜ける。
 まさか尾を刺し射抜いたくらいで事切れたわけはなかろうが、意識は手放したようだ。

「あ……相変わらず、容赦が……」
 モーデッドがボソボソ言いながら、ラマを青ざめつつも見上げている。
 ということは……。
 俺には隠蔽魔術がかかっており、この手に握っている間はヴェストリプスも、同じくその恩恵にあずかって見えずにいる。隠蔽化した者の着ている服や所持している物が、そうでない者には見えないように。
 だが、そのヴェストリプスが貫いたリシャーナの姿は?

 ヴェストリプスの能力によって、今のリシャーナには隠蔽魔術が二重にかかっている状態だ。モーデッドの反応を見ても、その姿は誰の目にも明らかとなったはず。
 さっきまでと違い、俺からもラマの姿が揺らいで見えることはない。

「ジブライール。リシャーナは君から見えているか?」
「あ、えと…………」
 ん? 反応が鈍い……俺の姿が見えないからだろうか? ジブライールは少しとまどった表情で、口ごもった。
「バッチリ見えています!!」
 代わりにというか、モーデッドが耳が痛くなるほどの叫びをあげる。

「母さん……!」
 他方、こちらもモグラ息子が大声をあげた。
 リーヴと違い、モグラの原動力は母に対する恐怖心ではなく、愛情なのだろうか。リシャーナがさらした無残な姿によって、一度は自身を支配しかけた俺に対する恐怖心を、ねじ伏せることに成功したようだ。

「母さ、んをはな、せっ!!」
 威勢よく叫ぶや、モグラはわずかに残った身体周りの土を、これまでと同じように尖らせたのだ。
 しかし、圧倒的に土の量が足りなかったのだろう。か細いだけの棘は、こちらへ半分の距離までも伸び足りない。

 いかに公爵級の魔力をその身に宿しているといえ、彼が行使できるのは、ごくごく単純な攻撃魔術のみであるようだった。
 これ以上、この程度の相手に時間を割くのは惜しい。

「ジブライール、そろそろ君の魔力を取り戻そうじゃないか」


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