恐怖大公の平穏な日常
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60 さて、ジブライールさんに魔力を戻しましょう
落ちくぼんだ大地を魔術で平坦に戻し、ジブライールの足場は解除してもらう。やっぱり普通に土の上に立つ方がホッとするからね。
その意味では穴底に降りてもよかったのだが、抉った箇所が大きすぎて、どうせそのまま放っておくわけにもいかなかったのだ。
造った大地は元通り緑豊かに、とはいかないが、〈荒れ地〉と呼ばれるほどひどい状態ではない。放っておけば、きっと誰かが好きに造成してくれるだろう。
今はそこへ――
「んーーんーーーんーー!」
気を失ったままのハシャーンはともかく、姦しいだろうこと確定のリシャーナに、猿ぐつわをかませて転がしてあった。
さっき「助けて」と発言したことは気になるが、万が一、他者の介在がありそうなら、モーデッドが警告してくれるだろう。彼を連れてきて、本当に正解だった。
この上は、拘束した二人を魔王城に連行すればいいわけだが、今はまず――
「ジブライール。このエルダーで、モグラを刺すんだ」
ジブライールの小さな手に握らせたのは、モグラから奪ったエルダーガルムではない。本物であることが確定のそちらは、すでに腰の袋にすべりこませてある。
代わりに出したのは、もともとその袋に入っていた、こちらもエルダーガルム。俺がベイルフォウスから取り上げて、そのまま持っていたものだ。
さっきのリシャーナの話では、その三本のうち、本物は一本だけらしい。
ベイルフォウスも有効なのは一本のみだといっていたが、どれがそうだかパッと見じゃわからない。なにせ俺の目で見ても、魔力はエルダーガルム全体を覆っており、判別できないのだから。
ならばいっそここで確定し、残りの二本は砕いてしまおうと思ったのだ。
「とりあえず、それでやってみてくれ」
「あの……えっと、はい……」
少女ジブライールの表情には、とまどいの色が濃い。
視線は自身で握るや、突然姿を現したエルダーガルムと、声しか聞こえないだろう俺、その双方を何度も往復している。
記憶を失ってしまえば、そりゃあそうなるよな。
「いきなり見も知らない男に……いや、姿すら見えない相手から訳のわからない指示をされて、不安なのはわかる。だが、決して悪いようにはならないから、俺を信頼して実行してくれないか」
我ながら、なんて怪しい台詞だろう!
だが、どうせ魔力が戻れば記憶も戻るのだ。長々、状況を説明したくないじゃないか。
「不安なんてそんな! どなたか存じ上げなくとも、一時も疑ったりしません!」
「ん? でも今、君から俺の姿は見えないはずだし、俺の正体に心当たりさえないよな?」
「貴方の事を知らず、お顔が見えなくったって、お声を聞くだけでわかります。し……信頼、できる方だって……。ほ、本能? みたいな……?」
モジモジ、頬を赤らめ言うジブライール。大変、可愛らしいが……いや、俺はロリコンじゃないけども!
ごほん。
「なら、やってみてくれるかな? 刺す場所はどこでもいいが、失敗した場合のことを考えて、致命傷にならない場所を……と、少しだけ待ってくれ」
刺した痛みでモグラが目覚めるとして、大地に転がしておいたのでは、またすぐ地中への逃走を試みないとも限らない。俺の拘束がある以上、努力は無駄に潰えるが、どうせなら最初から希望は抱かせない方が、いっそ親切というものだろう。
それでジブライールの胸あたりまである高さの岩の寝台を作り上げ、モグラの身体をそこに横たえた。これまでハシャーンが高速移動で出現したのは、すべて土がむき出しの地面から。天井からは現れなかったことを鑑みて、石は通り抜けられないと判断したのだ。
「よし、これでいい」
「はい。ではここに!」
岩の台など不要だったではないか……。なにせ、少女ジブライールは容赦しなかったのだ。いきなりモグラの右瞼に鏃を深々と突き刺すや、引き抜いたのだから。
「んんーーんーーーんんーー!!」非難するようなリシャーナの声と、
「うわぁ……」モーデッドの若干ひきぎみの呟きは、続くハシャーンの、鼓膜を破らんとするほどの絶叫にかき消された。
「ぎゃああああああ!」
案の定、新たな痛みのため、モグラ男は意識を取り戻したが、血の流れる顔を左右に振り――またすぐに意識を失った。
ショック死、しないだろうな……。
「どうでしょう!」
ジブライールが少女の姿のまま、誇らしげにこちらを見てくる。視線はあわないけども。
「うん、失敗だな」
「……そうなんですね……」
シュンと目尻を落としたその状態でも、俺の方をガン見してくるのは止めないんだが……。健気さを感じるより、ちょっと怖い。
とりあえず、偽物と判明した鏃は外しておこう。
「……そこ、やる? やっぱ高位魔族ってえげつねーよな……」
おーい、モーデッドくん。ジブライールに聞こえてても知らないよ?
けれどむしろ彼の呟きで遠慮したのかどうか、ジブライールは二度目の刺撃をモグラの肩に与えたのだ。
今度の鏃は本物であったらしく、無事に魔力の交換が行われた。
姿がゆらぎ、ジブライールが元の姿と魔力を取り戻す。だが、弱くなったモグラは――子供の姿に変じたのだった。
ハシャーンはもともと子供だった?
いいや、相手の魔力を奪った者は、その姿を変えるわけではない。子供がガルムシェルトで大人の魔力を奪ったところで、成育したりしないだろう。ということは、こいつは本来、爵位を持てるほどの魔力を持った大人だったが、強者の魔力を奪うため、わざわざ弱者に堕ちていた、ということだろうか?
もしそうだとすると、ハシャーンと魔力を交換した者が、他にもう一人、いることになる。その相手がすすんで協力したかどうかはともかく、生きていない、ということはさすがにないだろう。
もしやそれがさっきリシャーナが助けを求めた相手なのだろうか?
もっとも、子供を交えた検証は、さすがのベイルフォウスだってしていない。だからこれは、あくまで俺の予想の上だが。
ちなみに眼球に比べれば肩への痛苦などたいしたこともなかったのか、モグラは今度は目も覚まさなかった。
「う……」
一方、元に戻ったジブライールは、左手をこめかみにあて、右手を石台についてもたれかかっている。
「大丈夫か? 頭でも痛いのか? まさか目眩がするとか? 記憶は無事、戻ってるんだろうな? どこか身体に異常は……待て待て待て!」
俺が焦ったのも無理はないだろう。
ジブライールはカッと目を見開いたと思うや、今度はモグラの心臓に向けて、その手に握りしめたエルダーガルムを振り下ろしたのだ。
もちろん止めた! すんでのところで止めた!
いくら鏃が短いといったって、ジブライールなら絶対、心臓に達するまで、拳ごとめり込ませるに違いないからね!
「ジブライール、気持ちはわかるがちょっと待て!」
「はっ! す、すみません、つい……」
「うん、ついだよね! でも、ならどうしてその手に込められた力が緩まないのかな!?」
モグラの心臓を目指す力が、一向に弱まらないのだが!
つまりジブライールは元気ってことだね! それはよかった!
「ですが、閣下! もはや生かしておく理由もないのではありませんか?」
確かにそう思うのもわかるけども!
「駄目だジブライール。こいつは母共々、魔王城まで連行し、その処遇は魔王様の判断を仰ぐこととする」
俺はジブライールの手からエルダーガルムを強引に取り上げた。ついでに、偽物らしい鏃も外しておく。
「それとも、俺の判断に異論あるか?」
「……いえ、そんなまさか……」
ジブライールさん……さっきまでの反抗的な態度が嘘のように、急に頬を赤らめてウットリ見つめてくるの、やめてもらえないでしょうか……その態度の急変っぷり、きっかけがわからなくてホント怖いんですけど……。
「モーデッド」
「は、はい!」
「君も一度、強者になってみるか?」
「え!? まさかそんな!! 結構です!」
ウォクナンの魔力を当人に返すまで、一旦、モーデッドに移しておくというのはどうだろう? そう思って聞いてみたのだが、力一杯、遠慮された。
「んんんんんっ!」
俺の言葉に、リシャーナは怒りを覚えたようだ。「ふざけるなっ!」とでも言ったのかも知れない。
「……リシャーナ……?」
はっ! この声は!
「エンディオン、気がついたのか!?」
俺は家令の元に駆けよった。
「んんんんんーーー!」
自分の名を呼ばれたのがきっかけか、リシャーナの叫びが一層大きくなったような気がする。
「よかった、ちゃんと目が覚めて……」
「旦那様……?」
エンディオンは上半身を起こしていた。むき出しの大地に横たわっていたせいで、背中が汚れている。
しまった……なんならエンディオンのためにこそ、寝心地のいい寝台を造っておくべきだった! 大理石にふかふかの毛皮なり敷き詰めたりして……俺としたことが!
「見えないだろうが、俺だ」
声をかけてから傍らにしゃがみ込み、背についた土を払う。
「申し訳ありません。私の失態で多大なご迷惑をおかけしたばかりか、御手まで汚してしまい」
いつも冷静な家令が、珍しく痛恨の表情を浮かべている。
まあ、そりゃあね……気持ちはわかる。爵位持ちといえば、魔族の強者だ。それが、公爵の力を奪ったとはいえ、元は弱者である無爵の女性に拐かされたとあって、屈辱を覚えないわけはなかった。
「手の汚れなんて、はらえばすむ。それより、どこか痛いところはないか? 怪我は……」
エンディオンは瞼を少し長めに閉じた後、決意を固めたような光を浮かべ、見開いた。
「いえ、大丈夫です」
いつものキビキビした動作で立ち上がるや、家令はなぜかリシャーナに歩み寄ったのだ。
「リシャーナ……あなたが私を恨んでいたとしても、旦那様を巻き込む必要などなかったでしょうに……」
「…………」
静かな声で諭すようなエンディオンを、リシャーナは睨みあげていた。さっきまでの騒々しさが嘘のように、黙りこくって……。
というか、今、エンディオンはなんと言った?
「リシャーナがエンディオンを恨む? それは一体、どういう意味で……」
「旦那様」
我が家令はこちらに向き直り、立膝で上半身を折る。
「どうか私も魔王城へお連れください。彼女がこの一連の事件に関わっているというのなら、私からも説明差し上げるべきかと存じます」
「エンディオン……」
リシャーナとエンディオンの間の特別の関わりなど、俺は一切疑ってきたことはなかった。
リシャーナはもともと大公城に働いていたところ、その美しさからヴォーグリムの目に留まったのだと聞いている。エンディオンは千年以上、大公城の家令であり、常に城の勤め人のことは末端まで把握しているのだ。一時的にとはいえ、部下であったリシャーナのことを、知らないはずはない。
だけど、まさかこの反応……聞くのが怖い。
「ふ……二人は恋仲であった、とか……?」
「いえ、決してそのようなことはございませんでした」
家令はきっぱりと断言する。
「うーーーーうーーーーー!!!」
「そう、だよな」
ホッとした。二人の間に何かあったとしても、そうでだけはあってほしくなかったのだ。
リシャーナの声が非難めいて聞こえたのは、気のせいに決まっている。
「閣下、こちらはどういたします。その二人同様に拘束しますか?」
ジブライールさんの厳しい声音が響く。どうしたのかと視線を向けてみれば、彼女は両膝をついてうなだれるリーヴの背後に、威圧感たっぷりに立っているではないか。
「リーヴ……もう一度聞く。君が進んで母に協力したのか、そうでないのか」
ぶっちゃけこんな風に聞かれて、「はい、あなたを裏切りました」だなんて、正直に告白できる者はいないよな。
リーヴなら尚更だ。
だが、敢えて俺はそう聞いた。もっとも、さっきも言ったとおり、俺は彼が自らこの反逆に加担したとは思っていないのだ。
「ぼ、僕が母に進んで協力するだなんて、そんなことあり得ません! そんな恐れ多いこと……旦那様には恩義を感じこそすれ!」
膝が汚れるのも厭わず前進するその必死な姿は、背後のジブライールに恐怖を感じて、というより、俺に誤解されるのを恐れているように見えた。
「母に来いと命令されて、ついて来ただけで……まさか、こんなことになるだなんて……」
「己の意志であろうがなかろうが、閣下に弓引いたのは事実。それも、今回で二度目……許しておける道理がありません!」
ジブライールはそもそも最初から、リーヴ自身を疑っているようでもあったしな。
「ジブライールの言うことも尤もだ。君が直接、俺に攻撃をしかけてこなかったとしても、相応の罰は受けてもらうことになるだろう」
「はい……」
リーヴは灰色のネズミ顔を青ざめさせ、うなだれた。
「だが、今はとにかく、大公城に戻るとしよう」
「……あ、あのぅ……俺、いや私は……」
不安そうなモーデッドは、預けたヴェストリプスを両手で包み込むよう、抱きしめている。
「今回は君が同行してくれて、助かったよ。なにか礼をしよう。とはいえ、世界の平和のためにも、その魔槍はやれないが……」
すでに俺のものではない上に、勝手に誰かに下賜したなんて言ったら、ベイルフォウスが怒り狂うに違いないからね。
「はっ……! も、申し訳ありません!」
俺の指摘でヴェストリプスに気づいたらしく、モーデッドは慌てて魔槍をこちらに差し出してきた。
手近なものに抱きつくのが、彼の癖なのだろうか……まさかその調子でティムレ伯にも抱きついてないだろうな。
「配下が大公閣下に尽くすのは当然ですし、お気遣いいただく必要などありません! むしろ私のことなど、今後一切、お忘れください!」
早口な上に、声が裏返っている。いくら俺が大公だからって、そんなに緊張しなくていいのに。
「あの、ちなみにこの後ですが、私はティムレ伯爵の城に帰していただけるのでしょうか……」
うーん……彼が同行してくれると、何かと助かるだろうが、そもそもはエンディオンを見つける助けになればと思っただけだしなぁ。
「ジブライール。モーデッドをティムレ伯の元まで送り届けてやってくれないか」
俺の言葉を聞いて、モーデッドはあからさまにホッとしてみせる。よほど争いごとの場が苦手なのだろう。魔族なのに、しかも軍団長の城の執事なのに、そんなことで大丈夫なのだろうか。
「その後もう一度、大公城に来て欲しい。自分の城に帰る暇もなくて、悪いが……」
「いえ、この者も申したとおり、大公閣下にお仕えするのは臣下のつとめ……すぐさまご命令を遂行し、大公城に馳せ参じます。お待たせいたしません!」
ジブライール……子供でも大人でも変わらないと思ったけど、やっぱりさっきまでの方が、雰囲気が柔らかめだった気がするよ……。
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