恐怖大公の平穏な日常
目次に戻る | |
前話へ | 後話へ |
61 まず向かうは、自身の大公城です
ジブライールにモーデッドの送還を任せ、俺はその他の人員と、まずは我が大公城に向かっていた。
あんな目に遭ったのだから、ゆっくり座るか寝るかでもしてくれればいいのに、エンディオンは俺の後方、ちょうど竜の尾近くに姿勢正しく立っている。
その家令と竜首に立つ俺の間に転がっているのが、気を失った小ハシャーンだ。片腕はないが、レイブレイズが切断面を干上がらせたおかげで、鱗が血に汚れることはない。
ちなみに、放っておけば切った相手の生命力を吸いとるごとく、肉体をも衰弱させるレイブレイズだが、俺が単に切るだけにしたいと考えれば、ちゃんと希望通りに従うのだ。
その反応をみれば、ロギダームのように口をきかずとも、魔武具のいくらかは自身の意思を持っていると思うのも無理はないだろう。
逆に、他のみんなはなぜそう思わないのか、不思議ではないか!
猿ぐつわを噛ませ、身体を拘束したリシャーナは、ハシャーンの左隣にいた。彼女は前屈ぎみの正座の体勢で、俺を血走った目でにらみ付けていることだろう。その殺気を、ジンジン背中に感じる。
そんな母と異母弟を気にしながらも、どちらにも話しかけることのできないリーヴは、ハシャーンの右隣に座っていた。
つまりその時、俺とエンディオンを前後に挟み、リシャーナ、ハシャーン、リーヴの母子が横一列に並んでいたのだ。それでも手狭さなど感じないほど、竜の背というのは広い。
そこへ、珍しいことに、敵の万一の逃走を阻むため、俺は竜の背を覆うよう、緩い結界を張っていたのだった。
いいや、緩いといったって、もちろん単純な攻撃では傷もつかないほどの強度は保っている。
それを――
「なっ!」
あろうことか一筋の光線が、俺の結界を突き破ってきたのだった。
いいや、犠牲となったのは結界だけではない。遙か後方から襲いかかった光は、リシャーナの首から上を抉ったのである。
当人の悲鳴もなく頭部を消滅させた光――円盾型の防御魔術で上空に逸らすのが一時でも遅れていれば、それはまっすぐに俺の腰を貫いていただろう。
大公たるものが、そんな一方的な攻撃に、黙って耐えるいわれはない。
即座に百式一陣を展開。こちらを襲ったより更に強力な攻撃を、それが辿ったであろう方向に撃ち返す。
破壊の音も届かないほど遙か向こうの山影が一つ、この世から消滅した。
もっとも、単に一瞬捉えた軌道を頼りに、まっすぐ返るよう、撃っただけなので、光撃が本当に消えた山から放たれたものだかは不明だ。
「母さんっ……母さんっ……!」
リーヴがぐらりと傾いだ身体を抱き留めるためだろう、母に駆け寄る。
俺は竜を空中停止させ、リシャーナの身体を急速冷凍させた。首から噴水のように噴き出しかけていた血が、氷筍のように林立する。
硬い身体は冷たかろうが、母の血を全身に浴びるよりよかろう。
「旦那様」
エンディオンの声音にも、驚きと緊張が色濃い。
それはそうだろう。
今の攻撃は、生半可なものではなかった。放った相手が強者であるのは間違いなかろう。それこそ、公爵以上の実力をもった――
「油断はするな。まだ、追撃があるかもしれない」
「はい」
殺気は感じなかった。しかしそもそも、それを感じられる距離から放たれたものでもなさそうだ。
方向からいって、光線はロムレイドの領地がある方面――つまり、はるか西南西より放たれたものに違いない。とはいえもちろん、本当にロムレイドの領地から放たれた、というわけではあるまい。
とっさの反撃で消し去った山は、俺の領内にあったからだ。
その方向から、未だ二撃目の気配はない。
さっき窮地に陥ったリシャーナは、確かに「助けて」と口にした。モーデッドによると周囲に彼女の味方らしい存在はなかったとのことだが、単に近くにいなかっただけで、実在したとすれば……。
そして、そいつがもしも、モーデッド以上の索敵能力を有しており、捕まったリシャーナを始末しようと考えたのだとすると、目的は果たせたわけだし、追撃はあるまい。
あるいは、山と共に攻撃手は消えた?
しかし、そもそもあの山からの攻撃だったとすると、この距離を、狙って撃てるものだろうか?
木の一本すら、判別できない距離だぞ?
単に誰かが遊びに放った攻撃が、偶然、一人の命を奪った?
いやいや……あるか、そんな偶然?
これがもっと広範囲を巻き込むような規模の攻撃を放ってきた、というならわかるんだよ。
だが、光線はたった一人の頭を消し去るような幅しかなかったのだ。しかも、羽ばたく竜の背の上が標的の――ぶっちゃけ、俺でも狙って撃つのは無理だ。
そんな状態で、一人――あるいは二人目として、俺も狙ったのだとすると、よほどの腕ではないか。
もしくは、こう、考えられないか。
リシャーナの頭部を消滅させた光線は、威力はあれど単純ではあった。発動に膨大な魔力は欲しても、複雑な術式は必要なかったろう。
ならばもしや魔道具なりを使った人間による攻撃、という可能性はないだろうか。
そもそも姿も見せず、気配も察せられない距離、しかも後方から相手を狙う、などというやり方自体が、魔族らしくない。
いいや、魔族であってもヨルドルやリシャーナという先例があった以上、ないと思い込むのは早計だな。
距離の問題だって、魔族にはむしろ、固有の特殊魔術が存在するではないか。
だが、相手からの追撃がない以上、考えても答えはでない。
「リーヴ……」
名を呼んではみたものの、母の遺体を涙ながらにかき抱く息子に、なんと声をかけたものか……守れず悪かった、というのも違う気がする。
しばし逡巡していると、彼は首を左右に振った。
「取り乱して申し訳ありません……。けれど、母が閣下に嘔吐した時点で、覚悟はしていたんです」
思い詰めたような声は、かすれ、震えていた。
「ほんとです……母を失う覚悟はできていました……。魔王城ではちゃんと、僕の知っていることを、すべてお話しいたします……だから、もう少しだけ……」
「ああ…………」
一時は恐怖の対象であったとしても、母親は母親、ということなのだろう。リーヴは滝のような涙を流しながら、母の身体をかき抱いている。
彼の望み通り、少しの間でも放っておいてやれれば、どれだけよかったろう。
もしも俺の特殊魔術がなければ、そうしていたに違いない。だが俺の目は、魔力とそれに類する呪詛の形跡を視られるのだ。
「いや、待て、リーヴ! 離れろ!」
だから俺は見逃さなかった。リシャーナの遺体――その全身が、うっすらと呪詛をはらみだしたその兆候を。
ラマの身体に巻き付けてある薔薇の蔦。そいつが緩む。さらに拘束を追加しようと、造形魔術で出現させた鉄の枷は、空振りをくらった。狙った場所より標的が移動したためだ。
「あっつ!」
リーヴが痛みを感じたような声を上げた、それが原因で。
もっとも、拘束具を追加できたとして、意味はなかったかもしれない。
彼はその母や従弟同様、呪詛によって傷つく――突然、リシャーナの身体より立ち上った呪詛は、触れた息子の身体を焼いたのだ。その痛みに耐えかねたリーヴが、母の身体を反射的に弾く。
俺としたことが、我知らず焦っていたのだろう。
その時の最適解は、どんな物質をも通さない結界を張り直す、ということだったに違いない。
だが拘束のための魔術が失敗したてだったため、今度は俺自身の手を伸ばして、直接、リシャーナの腕を掴もうとしたのだ。
「しまっ……」
いいや、確かに掴んだ。毛深い腕を、一度は――
だが俺の手は、気持ちの悪い濁った液体で、濡れただけに終わった。
俺の触れた腕からは毛がすべて抜け落ち、その毛穴から立ち上ったひどい臭いをまき散らす煙と共に、ドロリとした汁が吹き出て、リシャーナの肌を溶かしたのである。
薔薇の蔦までも、空を掴んで竜の背に落ちる。
思い起こすがいい。ラマの特殊魔術が発動した状態のことを――
大公位争奪戦の折、ウィストベルによって呪詛を受けたデイセントローズの身体は、煙と共に肉が爛れ、腐臭を巻き散らせながら溶け落ちたではないか。
もっとも、あの時には骨が残っていた。しかし今回のリシャーナの身体は、すべての部位が混ざり合ったかのように、ただの溶液となり果てたのである。
それも、時間のかかるらしいデイセントローズと違って、瞬時の間に。
かつてラマ母の肉体を構成していた溶液は、風に吹かれて宙に散った。追うように、身を覆っていた服がひらりと舞う。
多少の状態の違いはあれど、彼女が息子や甥と同じ特殊魔術を生まれ持つという事実を知ってさえいれば、何があったのかを理解しない者などいまい。
「つまり、狙い通りだったと言うことか――」
わずかに残った肉の感触に不快を覚えながら、俺は熱鉄を呑む思いを味わったのだった。
前話へ | 後話へ |
目次に戻る 小説一覧に戻る |