古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十三章 魔武具騒乱編】

86 今夜は久しぶりにゆっくりできそうです


 明日、お返しにあがります、との約束通り、ミディリースの図書館への出勤にあわせて、ダァルリースは今朝の内に竜を返しにきていたらしい。
 しかし特に面会を求めてこなかったし、図書館に行く暇もなかったので、二人には会っていない。
 なにせ今日もとても忙しかった。

 ジブライールと朝に別れて後、医療棟でハシャーンの様子をうかがい、ウォクナンの夫人たちと接見し、その後にロムレイドとの通信会談、フェオレスからの報告書を読みこんで、さらにこのところ忙しさにかまけて手をつけられなかった事務仕事もあらかた処理をしたのだ。
 魔王様への報告は、明日でもよいのではないだろうか。

 っていうか、もうある程度、報告事項がたまるまで、連絡しなくてもいいのじゃないだろうか。
 いや、ロムレイドとの通信が終わった時点で、チラッと思いはしたんだよ。せっかく通信室にいるんだから、魔王様にも連絡をとってみるかって。
 だが、考えてもみるがいい!
 そもそも、リシャーナのことだって、魔王様と他の大公たちには、どうでもいいと言われたも同然なのだ。

 しかも魔王様ときたら、俺をプートのところにやっておきながら、自分は大人になればもういいやとばかり、俺の帰りも待たずにウィストベルと籠もっちゃってたし!
 つまり、急いで報告すべきことなど、何もないということではないか!
 言っておくが、これは拗ねているとか、そういうことではない。冷静な判断のもと、導かれた結論なのだ。
 とにかく俺は、その日の夕刻、ようやく我が居住棟へと帰り着いたのだった。

「旦那様、お帰りなさいませ。魔王陛下の魔力が戻られたとか。何よりでございます」
「ただいま。エンディオンのほうは、体調を崩したりしていないか? あれから帰って、医療棟にはちゃんと行ったんだろうな?」
「私の不徳の致すところで、ご心配をおかけいたしました。怪我はサンドリミンに治療していただきまして、他は異常なしと診断されております」
「そうか、よかった」

 俺は心の底からホッと安堵の息をついた。
 リシャーナはデイセントローズと同じ能力……相手に時限式の呪詛を与える特殊魔術をもっているはずだ。捕まっていた間に、それを付与されていないかと心配だったのだ。

「他はどうだった?」
「いつも通り、お嬢様はつつがなく過ごしておいででした。予備棟の奥様、ご令嬢方にもお変わりございません。今はちょうどお嬢様が、ネネリーゼ様、ネセルスフォ様とご一緒に『彩霞の間』にて夕食をとられておいでです」
「そうか。なら俺も、混じろうかな」

 そう言って、エンディオンに剣帯ごと魔剣を預ける。
 有爵者からでさえ気味が悪いと言われることもある二本だが、少なくともエンディオンはいつだって怯えも拒絶感もみせず、受け取ってくれる。

「それから、できれば君が帰る前に話がしたいんだが……」
「はい。心得ております。本日は、帰城せずこちらに留まるつもりです」

 家令であるが子爵でもあるエンディオンは、自身の城を持っている。しかし以前はほとんど自宅には帰ることなく、この居住棟で毎日を暮らしていた。
 妻に子供が生まれて現在は、マーミルたちの夕食が終わるくらいのタイミングで、自分の城に帰っていくことが多い。
 そうであっても当然、この屋敷の個室は保有したままだし、何かあるときには、泊まり込んでいってくれるのだ。

「なら夕食後に書斎で」
「かしこまりました」
 エンディオンは俺の剣を部屋に戻すべく、一礼して去って行った。
 俺は妹とネネネセの食事に合流するため、食堂に向かう。

 近頃マーミルは、昼は予備棟でスメルスフォやマストレーナたちと食卓を囲むことが多いようだったが、夕食はむしろ、こちらにネネネセを呼んで三人でとるのが主らしい。
 食堂はいくつもあるので、その時の気分によって選ばれることがある。とはいえだいたい、食事内容でエンディオンが決めるんだけども。
 今日は十人が席に着くのがせいぜいの、『彩霞の間』と名付けられた比較的小さな食堂にいるようだった。
 名前の通り、西に開いて夕焼けを望める部屋だ。
 もっとも今はもう日も落ちて、すっかり暗くなっているのだが。

「お兄さま! 嬉しいですわ! お夕食をご一緒できますのね!」
 入るなり、妹が駆け寄り、飛びついてきた。
「お行儀悪いって怒られるぞ」
 そう言いつつもいつものように抱き上げ……。
「あれ? お前、ちょっと重く」
「お兄さま!」
 肩をバシンと叩かれた。

「そうだとしても、食事中だから、ちょっと増えただけですわ! っていうか、女の子にそんなこと言うのは失礼よ! 降ろしてくださる!?」
「ああ、悪かったよ」
 頬を膨らませて抗議の声をあげる妹を降ろす。
「んもう、ほんとにお兄さまったら!」
 ブツブツ言いながら、マーミルは自分の席に戻っていった。

 普通、魔族の家庭では、魔王大公の席順にならって、上座が定められている。
 つまり魔王席と呼ばれる短辺の奥が一番の上座であり、次席は大公第一位が座る向かって右手、次が向かって左手の席、という風に続くのだ。
 大公城の食卓における最上位の上座、つまり魔王席は、魔王様がやってくるというような例外時や、使用人たちの食卓を除いて、当主である大公の定位置となっている。
 故に当主が不在であっても、他の者がその席につくことはない。
 今も、空席となっていたその定位置に俺が座ると、すぐに食事が目の前に運ばれてきた。
 ちなみに俺の右手にはマーミルが、左手すぐにはネセルスフォ、そのすぐ隣にネネリーゼが座っている。ネネネセは、日によって位置を変わるそうだ。

「そういえば、サンドイッチを届けてくれたな。ありがとう。」
「おいしかった?」
 尋ねる瞳がキラキラと輝く。どうやらさっきの失言は、すでに許されたようだった。
「私とネネネセで具材を挟んだし、スープを煮込む間もずっと側にいて、愛情を込め続けたんですのよ!」
 そうか。てっきり料理人に言ってつくってもらったのだと思ったのに、自分でも手間をかけてくれていたとは。
「おいしかったよ。リーヴなんか、スープを飲みながら泣いてたくらいだ」
「まぁ……私ってば、お料理の才能があるのかしら。お料理人になるべき?」
 妹よ……さすがに単純すぎではないだろうか。

「これでも私、心配していたんですわ。ほら、最後にお会いしたのはウォクナン公爵のことがあった、あの時でしょう。お兄さまったら、あれからお城に帰られても、ご飯も食べずにすぐお出かけになられるし」
 ああ、今日だって朝食は抜いたし、昼は食べたが仕事をしながら軽食を片手間に、だ。
 ゆっくり食事をとれるのは、久しぶりと言ってよかった。

「それよりお兄さま、ウォクナン公爵はどうなりますの?」
 マーミルは魔王様のことより、身近なウォクナンの処遇の方が、気にかかるようだ。
 俺がウォクナンはもう暫く大人に戻れないこと、しかし引き取り手は探すし、アレスディアには決して近づけないことなどを約束すると、三人はホッとしたような表情を浮かべた。

「それにしても、あのジブライール公爵の魔術……あの気持ち悪いの、なんだったんでしょう」
 ジブライールの名前が出て、ドキッとしたのは内緒だ。
「そんなに気持ち悪かったか」
「ええ、気持ち悪かったですわ。ねぇ、アレスディア」
「そうですね。しめった粘着質の手で撫でられているような不快さがありましたね」
 今日も妹に付き添っているアレスディアが、淡々と答える。

「そうですね。例えるなら、竜に舐められた時のような感触、でしょうか」
 アレスディアの発言は、食事時にはふさわしからぬと思えるのだが、どうだろうか。もっともそれで食事の味が落ちる、などというほど、俺も繊細ではないのだが。
 それに、そもそも俺、竜に舐められた記憶がないから、どんなものなのか想像つかない。

「まぁ、いやね。私は体験したくないわ」
「そう? 面白そうですわ」
 青いリボン……えっと、先に発言したのがネネリーゼか。緑のリボンがネセルスフォだったはず。
 顔はそっくりだが、双子とはいえ、ネネネセの性格や能力が結構違うのは、魔術の指導をして以降、なんとなくわかるようになっていた。

 ジブライールの使った魔術そのものについては、本人から術式を見せてもらったし、解説も受けていた。なにせ彼女はリーヴ生家跡の調査の際にも、その魔術を再び使ったらしいのだ。
 術式を見せてもらったその時も、展開まではしてもらったが、魔力の消耗が大きすぎるということで、発動はせずに消滅させた。だから独特らしいその感触を、俺は経験していないのだった。

 その魔術とは、触覚性能をもち、かつ接触物を記録する能力をもった、やや粘着性の半透明遠隔自走式物質。そいつを生成し、調査空間を走らせることで、そこに存在するものの輪郭と近日の記憶を把握する魔術、というものであるらしい。
 そんな複雑な魔術は初めて聞いたし、見せてもらった術式は、俺ですら思いもつかない文様の組み合わせばかりで興味深いものだったのだ。
 それもそのはず、その術式は既存の魔術(もの)ではなく、ジブライールが創造したものであるのだとか。
 展開には少なくとも公爵以上の魔力がなければ無理だろうし、文様の正確な描写が可能な器用さが伴ってはじめて、発動させられるレベルのものだ。
 こういうとき、いつも引き合いに出して悪いが、プートは多分、モノにできないと思う。同じく、今この場にいる三人娘でなら、魔術量が届いたとしても、模写が不得意なネセルスフォには習得できないだろう。

 俺ですら何度か練習しないと、展開するのもなかなか難しそうな魔術なのだから。
 もっとも、ちょっといじれば……もう少し、魔力量と文様の数を抑えられそうではある。解説してもらった能力的に、最優先で身につけたい魔術だったのだ。
 俺はそれを、〈遠隔自走式魔術〉と呼ぶことにした。ジブライールに承認は得ていないけれども。

「変わった魔術といえば、お兄さまがまた新しい魔術を考えられたって聞きましたわ!」
 妹がぴょんぴょんと、椅子の上で上半身を弾ませた。
「通信術式だな。遠くの相手と話ができるという魔術だ」
「それってつまり、私とネネネセも、居住棟と予備棟の自分たちのお部屋にいながら、お話しできるってことですの?」
 マーミルの赤い瞳が、期待に満ちて見開かれる。
 その望みはプートと同じだ。個人利用に対する需要は、存外、多いのかもしれない。

 俺が今は公的な利用以外は無理であることを伝えると、妹とネネネセはがっかりしたようだった。
 そんな他愛のない話ばかりをしながら、今晩は久しぶりに、ゆったりとした夕食を楽しめたのだった。


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