古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十三章 魔武具騒乱編】

87 僕は家令に全幅の信頼を置いているのです


「魔王城に同行できず、申し訳ありませんでした」
 書斎で二人きりになってすぐ、エンディオンが胸に手を置き、軽く腰を折って礼を執ってきた。
 フェオレスがよくやる型だが、俺が例の「いやー、こっちこないでー」敬礼を苦手としていることを知って、エンディオンもこの方法をとるようになってくれていたのだ。
 まったくよく気のつく家令である。

 そんな風に普段から完璧すぎるからか、我が家令は些細な失敗でも気にしすぎるきらいがある。
 今も、無爵にさらわれたことを憂えてだろう。口調や態度は普段通りでも、気分は少し落ち込んでいるように見えた。
 初めは鋭い嘴が怖いばかりだったというのに、今ではその表情に浮かぶ繊細な感情も、少しは読み取れるようになってきたと自負している。

「俺が意図したことだ、気にするな。それより美女にさらわれるなんて、エンディオンも隅に置けないじゃないか。男冥利に尽きるな」
 茶目っ気たっぷりに言うと、ようやく微笑が浮かんだ。

 この居住棟にある書斎はいくらかの書棚と大きな執務机があり、それなりに広くて立派な佇まいなのだが、ほとんど利用したことはない。なぜって、執務は本棟の執務室で行うし、本は図書館で借りるし、読むのは自分の部屋で読むし、私的な手紙を書いたりするのもやっぱり自分の部屋で行うからだ。

 だいたい、壁になんか知らないオッサンの肖像画が掛けられていて、居心地悪い。
 いや、デヴィル族の肖像画なので、もしかするとオッサンじゃなくてお姉さんなのかもしれないが……って、どうでもいいけども!

 とにかくこうして家人と改まった話をするときぐらいにしか、使用することがない部屋だったのだ。
 俺は執務机の椅子に座り、その並びに椅子を持ってきて、エンディオンにも腰掛けてもらう。

「エンディオンはリシャーナとは?」
「はい。旦那様もご存じの通り、リシャーナはプート大公のもとより移ってすぐに、ヴォーグリム閣下の目に留まった訳ではありません。最初は大公城居住棟の下女としての入領でございました」
「ああ」

 エンディオンとリシャーナの関係については、フェオレスが通信術式を用いて簡単に報告してくれていたので、すでに知っている。ついでにいうと、律儀な彼のことだ。報告書まで作成して、置いていってくれていた。
 リシャーナ消失地点の地図からエンディオンとリシャーナの関係、ハシャーン実父についての詳細まで、自身が調査した結果の報告書をだ。
 それを読めば、通信報告では端折られていたことも、把握できるようになっている。
 だがしかし、エンディオンのことは、エンディオン自身の口から聞きたいではないか!

 家令によると、リシャーナは雑用の下女から始まって、料理長をたぶらかして台所下女となり、家僕をたぶらかして空き部屋の整備担当となり、次に家扶をたぶらかして居間と食堂の整備担当となり、最後にエンディオンをたぶらかして侍女まであがろうとしたらしい。家僕のあたりで違和感に気づいていた彼は、いいや、愛妻家ということももちろんあるのだろうが、その手管には乗らなかった。
 エンディオンがリシャーナに言った「私を恨んでいたとしても」というのは、その時のことだそうだ。

 エンディオンによると、デヴィル族から見るリシャーナは、やはりかなりの美人に分類されるのだとか。しかもなんていうの……ちょっと危険な感じの、凄みと小悪魔的な魅力があるのだそうだ。
 家令がそう評するのだから、相当なのだろう。俺にはただただ不気味に思えただけで、性的魅力についてはよくわからなかったけれども。

 正直にいって、ヴォーグリムが最初から手を出さなかったのが不思議なくらいの美女だという。
 アレスディアやアリネーゼのような、どのデヴィル族男性をも問答無用に魅了してしまうほどの、暴力的な美しさ――意外だったが、エンディオンがそういった――はないものの、一部の男性を惑わし、惹きつけてやまない何かがあるようだ、というのが家令の見解だった。

 実際、捨てられたと思い込んだ先の家扶は、自死を選んだのだとか。
 魔族なのに自死を!
 魔族が自死を選ぶなど、絶対にないわけではないが、ほとんどあり得ない。それでも家扶くらいではよほど不審な点が無い限り、検死の対象とはならない。
 彼の死は通常通り、不慮の事故と同等の扱いで終わったそうなのだ。

「しかし今から思えばそれも自死だったのではなく、ヒンダリスと同じく呪詛が発動した故のことだったのかもしれませんが」
 ああ、そうかもしれない。
 時限式の呪詛については、デイセントローズに聞いたところで親切に教えてくれる訳はない。リーヴがなんとか今後、自身の能力について理解と研鑽を深めてこちらに教示してくれることを祈ろう。彼は今のところ、そのやり方は知っていても、実際に呪詛を相手に与えることすらできないのだ。

 話を戻すと、リシャーナは、解雇の気配を敏感に感じ取ったからだろう。居住棟ではそこまでとばかりに、今度は本棟の家扶に取り入り、家令から筆頭侍従に所属を移したのだとか。
 ちなみに、普通は役目の変更というのはほとんどなく、あっても数年がかりであることが主らしい。
 リシャーナはここまで二年というから、そりゃあエンディオンだったら異変を感じ取っても当然なのだった。
 だがしかし、エンディオンはネズミ大公には嫌われていた。上訴がかなうはずもなく、また、熱心にそうする必要もないこともあって、報告はしなかったそうだ。

 同じような手を繰り返して大公の私室担当まで行った結果、リシャーナはヴォーグリムに見初められた。
 二人は五日ほど寝室に籠もって、出てこなかったらしい。
 いくらなんでも籠もりすぎではないだろうか。ベイルフォウスですら、三日三晩だったというのに。一体何をそんなにすることがあるというのか。……あるかもしれないが。

「彼女の零落に俺は関係ないよな。百年以上前に、彼女はヴォーグリムに捨てられたんだから。でもそれでもヴォーグリムのことを、本気で愛していたから、その夫を亡き者とした俺のことを恨んだのか? 俺に対する復讐心から、ヨルドルと人間を巻き込んで今回の件を画策した?」
「それはどうでしょう。私はお二人の関係を間近で見ていたわけではないので、断言はできませんが、そういう雰囲気は感じられませんでした。むしろ彼女は……」

 珍しく、エンディオンが口ごもる。
「うん、むしろ彼女は……?」
 俺が先を促すと、困惑したような表情を浮かべて――
「自惚れでないとすれば、私のことを好いていてくれたと……」
 ??? え?
「え?」
 え?

「え、いや……え?」
 頭がうまく働かない。それとも耳がおかしいのかな?
「今回も私のことを殺そうと思えば、いつでも殺せたはずです」
「いや、でもそれは……人質として……」
「……そうですね、思い過ごしでしょう。お忘れください」
 え、いや、うん?

「待った。エンディオンもまさか、リシャーナに魅了されている、とか言わないよな……?」
 ちょっと待って。まさかそんなこと、怖いんだけども!
 万が一、家令がリシャーナに魅了されているとなると、色々、ひっくり返ってくる。だがしかし、俺はエンディオンを信じる。そうだとも!

「それはあり得ません。仕事人間と思われがちではございますが、私はこれでも、真実、妻一筋です」
 いつもの冷静な表情でそうきっぱりと断言され、なぜか俺の方が照れくさい気持ちになったのだった。

 リシャーナのエンディオンに対する想いについては、本人がいないので確かめようもない。
 しかし、エンディオンを人質にとっていた間の態度をみたって、とてもそうは思えなかったんだが……ただ、どうも俺は色恋に関する機微に疎いようなので、断言する自信が無い。
 なのでそれはひとまず置いておいて、俺は家令に、外出時のあれこれを語ったのだった。

「そうですか。ミディリースの父は、プート閣下の元で……」
「人間やリシャーナについては、弱者を潜在的脅威とみなして手を打つなど、魔族の強者としてあらざることという認識のもと、特別な処置なしということになったんだ」
「ええ。それについては私も理解できるところがあります」
 だろうね。エンディオンにしたって、強者に属する有爵者だもんね。
「とはいえ、もちろん、俺……それからロムレイド領では調査を続行するが」
 もっともロムレイドのあの態度では、あまり彼自身の協力は期待できないけども。

「ヌベッシュ侯爵、ですか」
「何か知っているか?」
 ヌベッシュ侯爵――リシャーナに関係したと思われるデヴィル族男性魔族だ。モグラ顔をしている、といえば素性は知れるだろう。ハシャーンの父と目されている人物だった。
 その男には、現在、十七人もの妻がいるという。プートやアリネーゼやウォクナンが可愛く思えるほどの艶福家ではないか。

「魔王大祭でパレードの構成員に選ばれていた、というほどのことしか存じませんが」
「ああ、らしいな」
 フェオレスからの報告書には、ハシャーン父についての経歴も記されており、そこに美男子ゆえ、パレードに選ばれた、ということも書いてあったのだった。
 だからウォクナンやアレスディアとも、顔を合わせているかもしれない。しかしウォクナンから情報を引き出すのは無理だし、アレスディアは……うーん。たいした情報はないかと思うが、知っているかだけでも聞いてみるか。

 審問するフェオレスに対し、リシャーナとの現在の関わりについて全否定したヌベッシュ侯爵だったが、当人の言が直ちに信用されたわけではない。
 十七人もいるという彼の妻や侯爵城の被用者の証言、それからリシャーナの目撃情報の有無など、フェオレスがすべての情報を収集した上で、ここ百年近く、二人の接触は確認できなかった、と結論づけてくれたのだ。
 ところがそれを覆す事実を、ジブライールが見つけてくれた。地下のうちに――つまりそれがロムレイド領にまでまたがる地中の穴だったわけなのだが……。

「では、昨夜のうちに、旦那様はジブライール公爵と会われたのですね」
「えっ……知ってたんじゃ? ジブライールはエンディオンとセルクが滞在を薦めてくれたといっていたが……」
「確かに提案いたしました。しかし今では迎賓館はセルクの管理下ですので、そちらでの動向は私の捕捉外のことなのです」
「そうなんだ……」

 確かに、いつまでもこの大公城全体のことを、エンディオン一人ですべて把握しなければならないのでは、いくらなんでも大変すぎるよな。
 それだけセルクも頼りになってきたということなのだろう。
 っていうか、そうか……なるほど。迎賓館はセルクの管理下なのか。
 だからエンディオンは、ジブライールが昨夜は客間に泊まらなかったことまでは、把握していないと。
 だが、俺のことは……大公城に帰ったというのに、居住棟に戻らなかったことは知っているはず。だとするなら……いいや、だとしなくとも。

「実は、ジブライールは昨日、小屋敷に泊まったんだ……俺と」
「……そうでしたか」
 珍しく、エンディオンは驚いたようだった。声音が若干高かったし、目が少し見開かれたからだ。
「そのことで、いずれ色々、相談することもあるかと思うんだ。……その、色々……」
「はい。お待ちしております」

 察しのいい家令は、ただただ身内のような暖かな笑みを浮かべただけだった。


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