古酒の隠れ家

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恐怖大公の平穏な日常

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【第十三章 魔武具騒乱編】

92 誤解はちゃんと、話し合いで解決しましょう


「ジブライール、どういうことか、話してくれないとわからない。気持ちを聞かせてくれるまで、離さないぞ?」
「いやです! 離してください!」
 俺の手を振り払おうと、細腕に力が込められる。ジブライールの初めてといっていい意識的な手向(たむ)かいに、一瞬、気持ちが怯みそうになった。

 だが、ここで行かせてしまっては、まずい気がする。いくら俺が鈍くても、それだけはわかるのだ。
 それでも握った手は、あっさりと解放する。きれいな肌に、痣でもつくらせてはいけないと思ったからだ。

 その代わり、部屋全体に結界を張り、家僕や下女が片付けに入ることも、ジブライールが外に出ることもできないようにして、彼女を壁ぎわに囲い込んだ。
 先日のお返しである。

「絶対に誤解があると思うんだが」
「そんなこと……」
 普段、ジブライールがこの距離で顔をそらすのは、恥ずかしがる時だけだ。だがどう見ても、今は失望感をあらわに、悲しげな様子で目を伏せるのだった。

 ちょっと怖じ気づきそうになる。
 だが、嫌われたなら嫌われたで、やっぱりハッキリ本人の口から理由を聞きたいじゃないか。けじめをつけなければ、以前のような大公と副司令官としての関係に戻るとしても、俺がいつまでもグダグダウジウジしてしまいそうだ。

「ジブライール。この間のことを後悔してるというなら、いっそハッキリいってくれ」
「後悔なんて、するはずがありません! 閣下が私のことをなんとも思っておられなくても、私はずっと閣下のことを……!」
 今日初めて、まっすぐに射貫かれた。
 少しだけ照れが混じったように、頬が赤く染まったが、またすぐ伏し目になる。
 その目元は濡れているが、もう涙はこぼれ落ちてはいない。

「俺がなんだって?」
 事後の態度が冷たかった、とでもいうのだろうか? それで何か誤解させた?
 いいや、むしろ今までの自分にないくらいに丁寧だったと思うのだが!

「ジブライールのことをなんとも思っていないって、どうしてそんな風に思うんだ?」
 詰問口調になりすぎたかもしれないが、俺だって不安なので勘弁してほしい。
 だが、それが逆によかったのか、ジブライールはためらった後、言葉をついだのだった。

「……あの後、医療棟に行ったんです。やっぱり閣下の火傷の具合が心配で……ちゃんと治療されたか、確かめに……」
 火傷痕は治っているはずだ。鏡に映してみても、傷一つ残っていなかった。

「そこで、サンドリミンに空瓶を見せられて……」
「空瓶……? もしかして、ビエエーン……」
 いや、ヒエエーンだったかな?
 違うか。とにかく泣いたような名前だった気が……えっと、なんだっけ……。

「ちょっと名前はド忘れしたが、疲労回復薬のことか?」
「オロローン・ガット、です」
 ああ、それそれ。
「それを見たからなんだっていうんだ?」
「だってあれは、だ…………男性、が、元気になるんでしょう……?」
 聞き取るのがやっとの小声だった。

「あれを飲んでいらしたところに、私があんな嬌態をみせたから……それで閣下は我慢できず、仕方なく私を……」
 仕方なく?
 いや、確かに元気だったよ? ここ数年のうちで、かつてないほど俺は元気でしたとも!
 それはあの疲労回復薬がきっかけかもしれない。確かにそれはそうなのだが!

「いや、ジ」
「それでもいいんです!」
 かぶせ気味に叫ばれた。
「一度きりのことでもかまわないって、ずっとずっと、願ってきました! だから事ある毎に、閣下を誘惑しようとしてきましたし、想いが叶って本当に幸せでした。閣下があんまりお優しいので、もしかして二度目もあるかもと、期待しそうになりました。でも、あの薬がその原因だと知って……」
 ジブライールはそう捲し立てるや、ポロポロと泣き出したではないか。

「だから、高望みはすまいと……あの一夜を大切な想い出に、今後は副司令官としてだけでも、今まで以上にちゃんとお役に立とうって……なのに私なんて、力不足で、何のお役にも立てない。そんな自分がふがいなくて……それなのに、やっぱり私、閣下のお姿を目にしてしまうと、どうしても気持ちをおさえられなっ」
 俺はジブライールの艶々しい唇を、自分のそれで強引に塞いだ。

「んっ……んんっ……」
 たっぷり舌を絡め、吐息を交えてから顔を離す。
 ジブライールは婀娜っぽく濡れた瞳で俺を見上げてきた。ただし、なお不安がひとしずく、混在している。

 華奢な身体をおののかせ――
「ジャーイル様……」
 心細げに俺の名を呼ぶ声に、ぞくりとした。
 抱きよせ、長い銀髪をかき分けて、顕われた細いうなじに口づける。

「なんとも思っていない相手に、こんなことはしない」
 ジブライールの身体から、力が抜けるのを感じて、抱きしめる腕に一層力を込めた。
「だが、そうだな。俺がはっきりしていなかった。すまない」
 このまま身体を離して、片膝をついてみせてもいいが、たぶんそれではジブライールが膝から崩れ落ちて立っていられないだろう。だからこのまま、耳元で囁くことにする。

「ジブライール、私的な場面では、恋人として俺のそばにいてくれないか」
 そう言ってから、少し身体を離して表情を覗った。
 私的な、とわざわざ断ったことに対して、どういう反応をするかちょっと心配だったが、少なくともさっきまでの悲壮さは消えたようだ。
 目が見開かれ、違う意味で、泣きそうな表情になっている。

「うそ、でも……そんな、だって、閣下は……私のことなんて……」
 間違うな、俺。ここであけすけな言葉を吐いてはいけない。
 実際、ものすごく相性がよかっただとか、それは確かに一つの真実だとしても、口に出してはいけないのだ。
 要するに、ジブライールは俺が今まで感じたことのない多幸感を引き起こしてくれたのだが、多分、今はまだ、それをうまく伝えられない。だから余計なことは言うまい。
 逆に、本当はこんなことは恥ずかしいから言いたくないのだが――

「婚約者と別れて以降、俺は女性と口づけを交わしたことも、肌をあわせたこともない。ジブライール、君以外とは――」
 そうだとも……確かに酒を飲んで怪しい行動をとったり、幻影魔術の効いた高い塔で危うい反応をしたり、意識がない間に何かされていたような気がすることはあるが、今この場では不問としようではないか。

「ジブライールだって知っているはずだ。エミリーが俺の寝室に忍び込んできた時だって、なんなら寝台に薄着で横たわっていたが、手は出さなかったし、そもそも呪詛軟膏を飲んだ時だって、反応したのは君を相手にだ。それに、それこそ疲労回復薬を飲んだすぐ後に、グラマラスな美女が近くにいたし、ミディリースやダァルリースとも数時間ずっと一緒だったが、何も起きなかった」
 結局、言わないでいいことも言っている気がする!

「俺が反応したのはジブライールだけ。それが唯一の事実だ。それでも、信じてもらえないか?」
「……!」
「なんなら、もう一度、実践してみせようか?」

 後頭部に口づけると、腕の中でジブライールが背筋を粟立てたように、首をすくめた。だが、彼女は首まで真っ赤に染めるばかりで、それ以上の反応を返してこない。しきりに瞬きをしている様子からして、一生懸命、現状把握しようとつとめているのがうかがえた。
 いいや、単にいっぱいいっぱいなのかもしれない。
 それでも足もとは、さっきより多少、しっかりしたようだ。
 俺は一旦、彼女の身体を解放する。

「あ……」
 ジブライールは名残惜しそうに手を伸ばしかけ、それからまた不安げな表情を浮かべた。
 俺はその場から五歩ほど後ずさり、彼女に向かって両手を開いてみせる。

「おいで?」
「……!」
 ジブライールは目を見開き、大きく息を吸った。
 そのまま時が止まったかのように静止したので心配になったが、一転、ほころぶような笑みを浮かべて、マーミルもかくやという勢いで俺の胸元に飛び込んでくる。
 その身体を包み込むようそっと抱きしめると、彼女もさぐりさぐり、俺の背に手を回してきた。

「それで? 俺の告白に対する返事は?」
「あ……で、でも、本当に私でいいのでしょうか。め……面倒くさい女、ですよね……」
「じゃあ、やっぱりやめにするか?」
「嫌です!」
 背中に回された手に力が込められる。

「むしろ俺は面倒な方がいい。もっともこの場合の面倒というのは、何か思うところのある時には、黙って我慢するんじゃなくて、ちゃんとお互い気持ちを告げて、誤解なら解いて、話し合って解決しよう、という面倒だけどもな」
 そうだとも。黙って不満を募らせて、ある日突然振るとか、ホントに勘弁してほしいのだ。

 ジブライールは腕の中で身じろぎし、赤く染まった目元で上目遣いに見上げるや、はにかみながらも視線をあわせてきた。
「はい――おそばにおいてください」
 これまでに聞いたことのない、幸せに満ちた声を聞いて、ようやく俺は胸をなで下ろしたのだった。

「あ……だが、悪い」
「はい?」
「今日はこれからケルヴィスと晩餐の約束があって、一緒にいられないんだが……」
「ああ、そういえば、彼の父が陞爵するのでしたね」
 ジブライールは小首を傾げ、柔らかい笑みのままで頷く。まるで無垢な少女のように。

「それで、お別れの晩餐を?」
「そうなんだ。まだマーミルも知らないというし、俺も彼のことは気に入っていたからな」
「そうですね。大公位争奪戦の時も、お世話を焼いてさしあげていましたものね。閣下に見送られれば、ケルヴィスも喜ぶでしょう。私のことは、お気になさらないでください」
「なんならジブライールも一緒にどうだ?」

 なにせ、ケルダーの所属は、他ならぬジブライールのところだったのだ。その父とも少しは面識があったようだし、そもそもケルヴィス自身とも、何度も交流しているではないか。
 けれどジブライールは首を左右に振った。

「いいえ。今日は私、この気持ちのまま、城(いえ)に帰りたいです」
 そう言いながら両手で俺の左手をとろうとするので任せていると、彼女は宝物に触れるように俺の手を包み込み、持ち上げて自身の頬にあてたのだった。
「閣下がお忙しい身でいらっしゃるのは、わかっているつもりです。多くは望みません。時々、こうしていられれば十分です」

 なに、この毒気の抜けたような素直で可憐な女性。
 あらためてこうなると、もう可愛い以外のなにものでも無いんだけども?
 ジブライールより、俺の方が今後の公的行事に影響しないか心配になってきたわ!


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