恐怖大公の平穏な日常
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104 こうして平和に魔王城の執務室を訪れるのも、久しぶりな気がします
よし! いっそ早めに行って、せめて会議が始まるまでの間、寝させてもらおう!
俺はそう考え直し、急ぎの仕事を片付けた後、魔王城へと向かったのだった。
「え? まだ来てない?」
「うむ。来ておらぬ。お前が一番乗りだ」
一応、お泊まりさせてもらうわけだから、と、魔王様へご挨拶にきたわけだが――
「だとするとプートはどこに……」
モラーシア夫人は出かけたと言っていたのに。魔王城でなければ、どこに向かったというのだろうか。
「さあな」
「〈大公会議〉のために魔王城を貸してくれっていうのは、通信術式で連絡があったんですか?」
「ああ。『現在、我が城には居住棟しかない故、お願い申し上げる』と、頭を下げてきた」
「同盟者にでも頼めばいいのに、どうして魔王城なんですかね? おかしくないですか?」
「まぁ、何か思惑はあるのだろうな」
何らかの意図は感じながらも、確かめてはいないらしい。
そんな魔王様は、執務室の机にかじりついている。相変わらず忙しそうだ。
忙しすぎて、俺との会話に身が入っていない。淡々としすぎではないだろうか。
「予想はたってるんです?」
「……」
ついには答えてさえくれないではないか!
「ところで魔王様って、子供になっていたときの記憶ってどのくらい残ってるんですか?」
どうせ聞いてくれないのなら、どんな話題をふってもよいのではなかろうか。
「大人に戻ったら、俺と奪爵ゲームがしたいと言ったこととか、覚えてます? 他にもサンドリミンの診察を受けたこととか。ほら、ハエ顔の――」
ところが、聴覚はご不在でなかったらしい。俺の言葉に、書類を読んでは紋章を焼き付けていた手が、ピタリと止まったのだった。
「そういえば、お前の城で世話になっていたことに対する礼がまだであったな」
魔王様がゆらり、と立ち上がる。
口では「礼」と言いながら、殺気ビンビンなのはどういうことだろうか?
重々しい足音を響かせ執務机を回り込んでくる魔王様から逃げるべく、俺はジリリと後退った。
「そんな、礼だなんて……臣下として当然の――」
「もちろん、覚えておるとも。頭を小突いてくれたり、女児の服を着せようとしたり、言うなと言った宝具のことを大声で明かしてくれたりしたこともな!」
「いや、それは……」
頭部への危機感と共に、変な汗がにじみ出る。
だが、俺を壁ぎわまで追い詰める前に、魔王様はため息をつき、歩みを止めたのだった。
恐怖の壁ドンとかされなくてよかった!
いや、フォウス兄弟は足癖悪いから、足ドンになったかもしれない!
「まぁ、冗談はさておき――おそらく、八割ほどは覚えている」
「……八割、ですか?」
「ああ、そうだ。自分で言うのもなんだが、凜々しく大人と渡り合っていた覚えしかない。間違ってもお前と手をつないだりなんてしていないぞ」
腕を組んでわざとらしい咳払いをし、俺から目をそらす。
あー、なるほど。泣いたりぐずったり、ウィストベルの膝にしがみついていたりしたことは、忘却の彼方と言いたいらしい。
そりゃあいつも頭を砕いている部下に、「心細い時に添い寝をしてくれてありがとう」とか「生理的にハエが受け付けないんだよね!」なんて、本当は覚えていたとしても言えないよな。口が裂けても。
「ミディリースへの件と合わせて、望みがあれば申し出るがよい。ミディリースに相談した上でな」
「いや、まぁ、俺は別にいいですけど……ミディリースには聞いておきますよ」
俺に対するより、ミディリースへの感謝の念の方が強いらしい。こんなにも忠義を尽くしているというのに!
「くれぐれも労るように、気を配っておけ」
「あー、はい。ちゃんと言っておきます。魔王様が気にかけていたって」
「そんな余計なことは言わなくてよい! お前がちゃんと、配慮すればよいのだ。なにせ隠蔽魔術などという血統隠術は、衆人の興味をひくにちがいないからな。しかも、その父が強奪者とあっては……」
「大丈夫、心得ていますよ」
胸を叩いた俺に向けられる、魔王様からの不信の目。
「ところで明日の〈大公会議〉まで、〈西の宮〉で寝てていいですか?」
「好きにせよ」
「あ、でもよければ晩餐はご一緒に――」
「断る。私は忙しい。そうだとも――忙しいのだ!」
急に我に返ったように、魔王様は執務机に戻り、紋章の焼き付けを再開させた。
真面目な魔王様のことだ、子供に戻っていた間の仕事がさぞかし溜まっているのだろう。少しは部下に任せればいいのに。
「それじゃあ、仕事の邪魔をするのもあれなので、出て行きますね」
「……」
返答はない。まぁ、仕方ない。
大人しく出て行こうとドアノブを握ったところで、報告しておいた方がよいのではないだろうか、という用件を思い出した。
「そういえば、俺の領地の地下と、ロムレイドの領地の地下が、不審な穴で繋がっていた話、ロムレイドからでも報告ありました?」
「……は?」
やはり、耳はちゃんと聞こえているようだ。
「あー。なかったんですね。まぁ、俺に一任されてるから仕方ないか……」
「いや……お前、今なんて――」
「ですから、俺とロムレイドの領境の地下に、双方をつなぐ不知の穴が掘られていたんですよね。リシャーナがそこを使って移動していたと思われるんですが」
「……お前はどうしてそう、どうでもいい話に時間を割いて……報告の順序を――」
……雰囲気がヤバイ。
「え、ちが――もうちょっと状況がわかってから、ちゃんと報告をするつもりで――」
いつものように蹴り出されて強制退出させられた俺は、結局報告を聞いてもらえなかったことに対して、漠然とした不満を抱いたのだった。
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