恐怖大公の平穏な日常
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120 大人だからって、なにもかも委細承知のうえではないのです
軽食を、と言付けただけあって、家扶が給仕を必要としない食事を部屋に届けてくれた。その頃には、俺とジブライールは対面の席に戻っていたし、ジブライールもいつもの澄ました表情を繕っていた。
「とはいえ、少なかったかな?」
「私は十分です……むしろ、多いくらいです。足りないようでしたら、私の分もどうぞ!」
パンとスープ、生野菜のサラダに肉料理の大皿、デザートとして果物の盛り合わせ、という全ての料理が並んだ卓を見ながらそう言うと、ジブライールは首を左右に振って、肉の皿を差し出してきた。
そういえば、さっきのお腹が出るのが気になる発言がなくとも、ジブライールはそもそも小食だったな。
一緒に食事をした経験自体、数えるほどだが、いつもダイエット中だとか言って、「え? そんなので足りる?」というほどしか食べないのだから。
なんなら、マーミルの方がよく食べる。まぁ、妹はまだまだ育ち盛りのお子様だ。むしろ、今が一番食べ盛りな時期といっていい。
それと比較するのがそもそも間違っているか。
この間なんて、子豚の丸焼き約五キロを一人で平らげた、どこか悪いのだろうか、と、あの動じないスメルスフォが心配していたくらいだ。
ちなみに本人は、ケルヴィスに会えなくなってついやけ食いをしてしっまった、と言い訳していたようだが。
「ところで、ヤティーンに伝えたそうだな」
「あ、はい。付き合いの長いヤティーンとフェオレスには……あの、アリネーゼには彼女の城がまだ定まっていないこともあって、伝えていないのですが……やはり同じ副司令官として、伝えておいたほうがよいでしょうか」
「あー、いや、まぁ……会ったらとか、通信する機会があれば、でいいんじゃないかな。で、両親の方はどんな反応だった?」
「お察しとは思いますが、母は喜んでくれました。父は…………震えてました」
どういう意味で震えていたのかは、ほんとに〝お察し〟なので聞かないことにしよう。
「マーミル様はどうでしたか?」
ジブライールが心配そうに眉を寄せる。
「ああ、うん。正直俺は、てっきり反対されると思ってたんだが、いいんじゃないか、という反応だったよ」
「えっ! 本当ですか?」
本気で驚いているようだった。
「……あ、いや、ジブライールがどうとかじゃなくて、マーミルは結構なブラコンだから!」
「ええ、わかります。実は、マーミル様には何度か閣下の好みなど、教えていただいていたのですが」
ああ、そう言っていたな。
「ものすごく複雑そうな顔をなさっていたので、きっと、お兄さまがいざ誰かとお付き合いをされるとなると、反対されるのではないかと思っていました」
うん、やはり他所から見ても、うちの妹はブラコン気味に見えるらしい。
「そうだ。せっかくだから、明日の朝食は三人で、というのはどうだろう?」
「マーミル様が嫌でなければ、私は、ぜひ」
ジブライールは自然な微笑を浮かべてこくりと頷いた。
食事をしながらの会話が功を奏してか、随分、態度が落ち着いてきている。テンパってるのはそれはそれで可愛いくもあるが、いつもそれだと本人も疲れるだろうからな。俺といることに、慣れてくれるのが一番だ。
「食べたら少し、庭を歩こうか」
「……はい!」
「腕を絡めるのと、手をつなぐの、どっちがいい?」
俺が手を上げてそう聞いた途端、頬を赤らめて俯き、囁くように返してきた。
「……今日は、手を、繋ぎたいです……」
照れるのはテンパっているうちに入らない。
そんなわけで、俺たちは手を繋いで庭を散策することになった。だが、希望通りにしようと手を差し出した途端――
「あっ! いえ、でも、手汗が……」
などと、ためらうように言いだしたものだから、強引に恋人つなぎを敢行した。別にびしょびしょになるわけでなし、誰がそんなことを気にするものか――
「あの……」
「うん?」
「私の城も、副司令官城なので広いですが、大公城って本当に広いですね!」
「そうだな。広すぎて、俺も未だにどこに何があるのか、把握していないよ」
副司令官や軍団長の城は、他の同位の城に比べても広く設定されている。大演習の時が主だが、配下の軍団が集まって訓練をすることがあるからだ。
だが、世界で七しかいない大公の城は、それより遙かに広い。
なにせ敷地はきれいに四角ではないといえ、一辺が十km以上にも及ぶのだ。ぶっちゃけ、その内になんの建物が何棟あるのだかも知らない。
主人とはいえ、大公本人が城の隅々まで知らなくとも、家令や筆頭侍従が把握していればそれでいい。
「こんなに広いと、空からじゃなければ迷子になったりしませんか?」
「それはないな。いくら広い中とは言え、方向はわかる。そうでなくとも本棟の塔がどこにいても見えるし」
「ああ、そういえばそうですね」
今まさに迷子になったことを懸念してでもいたのか、少しホッとしたように見えた。
「もしかして、ジブライールは方向音痴?」
「いえ、そういう訳ではないと思うのですが――でも、地面を行っていると、時々、いつまでも目的地につかなくておかしいなと思うことがあって……。そういうときって、知らない間に方向がずれているんです。だから私、近くても竜を使うようにしているんです」
それは方向音痴に近いのでは?
まぁでもだだっ広い平原とかだと、方向が狂うのはわからないでもないが。
「ジャーイル様はお菓子をよく作られますが、甘いものを食べるのは特別お好きではないですよね。お料理されるのが好きなんですか?」
「甘いものも嫌いではないが、確かに作ったものは、自分ではそれほど食べないなぁ。多分、作っている間に満足するんだと思うよ。料理を作るのは、具材や手順を考える工程が、頭が整理されて気持ちいいというか……完成させる達成感があるというか……。といってもそうだな、男爵の時は、それほど作ることはなかったから、大公になってからの趣味だと思う。気分転換になるからじゃないかな」
「料理が気分転換に? ちょっと想像つきません」
困ったように、眉尻が下がった。
うん、そうだろうとも。どちらかというと、ジブライールは料理が不得意のようだしな。
それにしても、今日のジブライールは随分饒舌だ。まさか、少しでも会話を長引かせて、同衾を避けようとかそういう――? とか、勘ぐってしまう。
そういうことが苦手なら苦手で言ってくれれば、強引なことはしないというのに。
「……こういうの、いいなって思うんです」
「こういうの? って?」
「あの、こういう……お互いのことを話したりしたことって、今までほとんどなかったので……。私……私はもちろん、ジャーイル様のことがだ……大好き、ですが……」
大きな月明かりに照らされて、赤く染まった目元が浮かび上がっている。
「知らないことばかりなので、一つずつでも知っていけたら嬉しいです……」
「――そうだな」
俺は内心で反省しつつ、肯定しながらも、少し、心配がよぎった。
相手の知らないことを知るのは怖くないのだろうか。自分の想像と違った、とかにはならないのだろうか。
「それがとても、楽しみなんです」
そう言って柔らかく微笑うジブライールを見たとき、俺はようやく理解した。
彼女は今までの恋人たちと違うのだ、ということに。
今までは、好きだと言われて自分もなんかいいなと思った相手と付き合ってきた。そうした上で、そのうちの一人とは婚約までした。別に抵抗はなかった。
付き合った時のように、別れる時もそれほど抵抗はなかった。
最後の一回は、婚約してたのでちょっと響いたが――
どの相手の時でも、別に必要以上に相手のことを知りたいと思ったことはなかったし、相手からも乞われたことはなかった。ただ時々一緒にいて、すべきことをしていただけだ。
だが、ジブライールは俺のことを知りたいという。
「俺も楽しみだ。ジブライールのことを知っていけるのが――」
そう返しながら、俺はジブライールのことが好きなのかも知れない、と、突然、自覚した。
マーミルや他の女性に話すと「え? 今更?」と思われるだろうし、なんなら怒られるかもしれない。
もちろん、好きだから付き合おう、ということになったのだが、それは俺が今まで知っていた『好き』とは違うのかもしれない、と……そう、このとき改めて頭を殴られたような衝撃を受けたのだった。
なお、いたすべきことはいたした。
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