魔族大公の平穏な日常
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【第三章 成人式典編】
「ほんとに……あの時、魔王様がきてくれて、助かりましたよ」
…………。
「でなければ、俺はウィストベルを拒めたかどうか……」
そういって、ジャーイルの奴は両肩を抱きしめ、青い顔で震えた。
説明せずともわかるであろう。
今日もまた、こいつは私の執務室に入り込んできて、<魔犬群れなす城>での一件をうだうだと語っているのだ。
「ウィストベルの何に不満があるというのだ、このボンクラが!」
いや、違う。違うぞ、こんなことを言いたいのではない。
こいつがウィストベルを拒むのは、喜ぶべきことではないか!
頭ではそうわかっているのだが、否定されると彼女に魅力がないと言われたようで、ムカつく。
「不満っていうか……だって、怖いですもん。陛下はよく平気ですよね? 怖くないんですか?」
ウィストベルが私より強いとはっきり知っているのは、実はこいつだけだ。弟でさえ知らないことであるのに、なぜかこいつは初対面の時にその事実を看破したようなのだ。
ああ、おそらくそれも、こいつのその目のせいだろう。
彼女と同じ、赤金に輝く双眸の……。
ウィストベルに確かめたこともなければ、こいつを問いつめたこともない。だが、彼女が異様な執着を見せるその目には、他者の魔力を判別する、なんらかの能力があるにちがいない。
「……え? なんです? じっと見て……ちょ……俺、その気はありませんからねっ!」
心底ぞっとしたような顔で見るな、失礼な男だ!
私にだって、その気はない!
「だいたい、陛下……なんだかんだいいつつ、自分は別の美女とお楽しみだったらしいじゃないですか。いいんですか? ウィストベルを放っておいて、そんなこと……」
「予とウィストベルは、お互い自分の欲望を抑えて、相手を束縛するような付き合いはしておらぬ。欲望には忠実であれ……魔族であれば、当然の考え方であろう」
まあ、束縛はせぬといっても、お前を相手に選ぶのを黙って見ているつもりは毛頭ないがな!
ほかの者なら許しても、お前だけは駄目だ、絶対!!
「そもそも、よその祝い事の最中に、休憩室で短時間休むくらいならいざしらず、自分の部屋に愛妾を連れて戻らなかった男に、そんなことを言われる覚えはないというものだ」
「愛妾? 何言ってるんですか。え? それ、俺のことですか?」
「お前が式典の初日に、自分の副司令官を客室まで強引に連れ込んで、数時間部屋から帰らなかったことを、知らぬ者はいないのだからな」
そうとも。初日には不参加であった私でさえ、そのことは聞き及んでいるのだ。
私がそういうと、ジャーイルは頭を抱え込んだ。
「くそっ……誰だ、ほんとに……」
ぷるぷると震えながら、ぶつぶつ言っている。
「魔王様!」
「何だ?」
珍しく、私に向けられた目が、怒りをはらんでいる。
「それ、誰に聞きました?」
「誰……とまで、覚えていない。誰からともなく、聞こえてきたからな」
「違いますからね! 俺はそんなこと、してませんからね!!」
知るか。どうでもいいわ、そんなこと。
「あ、そうだ! 念のため、聞きますけど……魔王様って、子供とかいます?」
「おらん」
「隠し子も?」
隠し子もってなんだ!
「今、子供はいないと言っただろう!」
こいつの質問は、私にはその意図を推測するのも困難なものばかりだ。
なにを思って、そんな疑問を抱くのだろうか。
まさか、子供ができない方法を知りたい、とかか?
まあ、それなら多少、相談にのれないことも……。
「いや、この間ね、サーリスヴォルフから、大公は意外に子持ちが多いことを聞かされたんですよ。それで、もしかして魔王様も……と思って」
私は大公ではなく、魔王なのだが?
「それは<デヴィル族の大公>のことだろう。多産の彼らに子供が数人いたところで、なにも不思議なことはあるまい。一方で我々、デーモン族は、デヴィル族に比べれば圧倒的に子供ができにくいときている」
「ああ、それをいいことに、魔王様もベイルフォウスも、遊びまくっているわけですね」
ちょっと待て。
こいつ、殴っていいか?
いくらなんでも、魔王を相手にその口の利き方はないのではないだろうか?
魔王というのは、魔族の王だよな?
私の認識が、間違っているのではないよな?
こいつには己が主に対する畏敬の念が、足りないのではないのだろうか?
よし、次、何か無礼なことをいったらやってやろう。
粉砕してやろう。木っ端みじんに!
「弟はともかく……予は遊びまくってなど、おらん」
特定の相手と特定の期間、付き合っているだけだというのに。
「俺は最近、妹の教育に、頭を悩ませているわけですよ……いったいどこまで教えて、どこまで自分で体験させればいいものか……」
いや、人の話も聞けよ。
だいたい、ここは魔王城であって、教育相談所ではないのだが。
私とて、何でも相談員ではないのだが。
「魔王様とベイルフォウスって、そこそこ年が離れてるんでしょ?」
「お前のところほどではない。たかだか、五、六十ほどだ。魔族の中では、むしろ近い方だといっていい」
「でも、魔王様がいろいろ教えたんでしょ? この間も、飛竜の乗り方を教えたって」
「まあ、それくらいはな」
「靴下も履かせてやってたし? まさか、パンツまで履き替えさせてやってた訳じゃないですよね!?」
……よし、いっとくか。
私はジャーイルを窓の外に蹴り出した。
***
「魔王様……ひ ど い ーーーーー!」
俺は落下しながら、大声で叫んだ。
執務室は三階にあるのに、そこから外に向かって蹴り出すだなんて、いくらなんでもひどすぎる。
木と下生えがクッションになってくれたからよかったものの、そうでなければ怪我の一つくらいはしていただろう。
俺になんの失態があったというのだろうか。
ほんと、何がきっかけで怒り出すんだか、わかったもんじゃない。
なんだろう…………情緒不安定?
まあ、魔王様も難しいお年頃なのだろう。しばらくそっとしておいてあげよう。
俺は立ち上がると、軽く手で汚れをはたいた。
まだまだ相談したかったことがあるんだが、仕方ない。さすがに追い出された場所を、もう一度訪ねて行く図々しさはそなわってないからな。
残念だが、自分の城に帰るか……。
「誰かと思えば、ジャーイル大公ではないか」
背後から、地を震わすような低い声が響く。
「これは……プート大公」
なんどか魔王様のもとに通っているが、こうしてほかの大公に出会ったのは、ウィストベルをのぞけば初めてだ。
いつものごとくプートは黒の重厚なマントを羽織り、ゴリラの立派な大胸筋を強調したピッチリの服を着込み、獅子の顔に厳格さをにじませて、ごつい体躯の側近を四人ばかり従えている。これぞ大公、といった感じで一分の隙もない。
「そなたが魔王城へ足繁く通っているとは噂に聞いておったが、どうやらまことであったようだな。しかし……」
プートは執務室の窓を見上げた。
「おかしなところから、登場するものだ」
いや、俺だって、別に好きであんなところから現れたわけでは……。
「そなたの為を思って忠告しておくが、魔王城を訪ねるのであれば、もう少し装いに気をつけてはどうかな? ルデルフォウス陛下はそなたの友人ではないのだ」
いや、これでも俺はそれなりに盛装はしているつもりですが。髪だってなでつけてますし。
もしや、白なのがお気に召しませんか? そうでしょうね、正装といえば、黒だと思ってそうですもんね。
っていうか、そんな胸元バーンとはだけた人に言われたくないんですが。
マント羽織ってればいいんですか?
意見の相違が甚だしいと思います。
「はあ、御忠告どうも。それではこれで」
「まあ、そう邪険にするな。こうして偶然顔を合わせたのだ……たまにはゆっくり話でもしようではないか」
おや、意外だ。
むしろデーモン族を嫌い、邪険な対応をしてくるのは、プートの方だと思っていたのだが。
俺と話がしたいって? 本当に?
「所用あって、魔王城にやって来たのでは?」
プートも魔王様に個人的な相談事かな。
彼がデーモン嫌いのデヴィルの筆頭だというのは、ベイルフォウスの言葉だ。が、俺が見る限りでは、魔王様にはいつも一定の敬意を払っているように見える。
「ルデルフォウス陛下は執務中と聞いた。私が参内していることは御存じのはずだから、お呼びがかかるまでは待機していよう」
え……。
あ、そうなの?
執務中って、執務室にずかずか入っていったら駄目なの?
でも、魔王様、いつも何も言わないけど……。
舌打ちして睨んでくるだけで、出てけとは言わないんだけど……。
だからてっきりかまわないもんだと……え? 家臣とか、呼びにくるの?
そんな制度、いつからあるんですか?
最初から?
というわけで、俺とプートは今、執務室の窓下からそう離れていない四阿で、プートとお茶している。
自分で了承したものの、なんかものすごい違和感。
どちらの前にも湯気をたてた紅茶が同じように置かれてあるが、背後の景色は大きく違う。
プートの後ろにはいかつい筋肉魔族が四人も並んで威圧感を放っているが、俺の後ろはなごやかな緑の垣根が見えるだけだ。
ちょっと寂しい。
それはともかく、こうして差し向かいで話し合うことなんて……話題にさっそく困っている。
なにかいい話はないものかと、紅茶をふーふーしながら考えていると、プートの方から口を開いてきた。
「さて、私が今日、この魔王城へやってきた件なのだが、実はそなたにも全くの無関係という訳でもないのだ。今後は、そなたの協力も請うことになるだろう」
誘ってきたのはプートなのだから、そうか。振りたい話題はあっちにあるのか。
「と、いうと?」
「実はルデルフォウス陛下が魔王に即位なされて、そろそろ三百年がたとうとしているのだ」
ああ、そういえばそんな話、誰かとしたなぁ。
しかし、まだ越えていなかったのか。
「若いそなたは知らぬであろうが、魔王の在位が三百年を数えた時には、盛大に祝うのが慣例でな」
歴代魔王の在位が意外と短命なのは、知っている。たいてい、百年を越えたあたりで、大公の誰かが魔王を斃してその座を奪うそうだ。
先代の魔王の在位は千年を数えたが、それも五千年ぶりの快挙なのだとかなんだとかいうのを聞いたことがある。
もっとも、今の状況のままなら、ルデルフォウス陛下の在位は、それを遙かに超えるかもしれない。俺の知る限りの現状では、どう努力をしても魔王様にかないそうなものなど――当然、ウィストベルをのぞいては――一人もいないからだ。
「だが、私の他にこのようなことを気にする者は、おらぬとみえてな……当の魔王陛下でさえ、失念しておいでの御様子。それで、今回、ぜひ私にルデルフォウス陛下在位三百年祭の音頭をとらせていただけないかと、お伺いするつもりで参ったのだ。このタイミングでそなたに出会ったのも何かの縁……我が補佐として、陛下のために尽くす気にはならぬか?」
プートの補佐、か。けどまあ、俺だって魔王様を祝いたい気持ちは強い。そのために役にたてることがあるのなら、協力するのは吝かではない。
「俺にできることがあるのなら、協力は惜しまないが」
俺の言葉を快諾と捉えたのか、いつもせわしなく揺れる二本の尾は、今日は静かだ。
「デーモン族というものは男であろうが外見からして細く、頼りなく、弱々しく見えるせいで侮りがちだが、その実なかなかの胆力を持つ者が多いのを、常々不思議に思っておった」
ん?
「なかでもそなたは最も大公にはそぐわぬ者に見える。雰囲気までそれほど柔和であれば、見かけ通りさぞ惰弱な男であろう、とな」
俺、デーモン基準では、別にヒョロヒョロじゃないんですけど。そりゃあ、ゴリラに比べると細いかもしれませんけど……腹筋だって、割れてるんだけどな。筋肉とか、結構ついてると思うんだけどな。
もっと筋トレしないといけないのかな……。
「だがこの間、我と奴を仲裁した魔術といい、成人式典での、奴を相手の剣さばきといい……。まこと見事という他はなかった。やはり、見かけだけで判断できるものではないと、今一度肝に銘じる必要を感じたものだ」
奴って……ベイルフォウス?
名を口にするのも嫌なの?
「過分な評価をどうも」
どうもプートは大仰だな。
「謙遜するな、ジャーイル大公。そなたのような者が、ルデルフォウス陛下の忠臣であるというのなら、我とてそれを心強く感じるというもの。だが、寵臣の座をただ欲し、陛下に掣肘を加えようとするのなら、その時は……」
はあ……。
なに言ってるんだ、プート。
寵臣の座を欲している?
俺が??
まさか!
だって、俺、すでに 寵 臣 ですから!
執務室にずんずん入っていくぐらいですからね、許しもないのに!
「さて、そろそろお呼びがかかるようだ」
魔王城から侍従が優雅な歩みでこちらに向かってくる。
へえ……そうなんだ。
ほんとに家臣が呼びにくるんだ。
へえ……。
「では、またいずれ」
そうしてプートは去っていった。
今日はいつもより話しやすい雰囲気だったが、結局は俺に牽制を加えたかっただけなのか?
しかし、魔王様の即位祭か。
過去にはどんなことをやっていたのか、ちょっと調べてみるか。
エンディオンにでも聞いて!
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